学位論文要旨



No 114557
著者(漢字) 須藤,紀子
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,ノリコ
標題(和) 酸化ストレスによる血管内皮細胞のアポトーシス誘導 : エストロゲンの抗動脈硬化作用における意義
標題(洋)
報告番号 114557
報告番号 甲14557
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1477号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 【背景・目的】

 心血管病変の発症率や死亡率に性差があることはよく知られている。閉経前女性の心血管病変の発症頻度は低いが、閉経後増加し、70歳以上では性差は認められなくなる。これは閉経に伴うエストロゲン(E2)の減少が原因と考えられており、閉経後女性に対するE2補充療法は動脈硬化性疾患のリスクを改善するという多くの報告がある。

 血管内皮の傷害は動脈硬化の初期病変形成機序の一つと考えられている。喫煙や虚血・再還流によって生じるフリー・ラジカルは血管内皮の傷害や粥状硬化病変の形成に関与している。これらの酸化ストレスは血管内皮細胞にアポトーシスを誘導することが知られているが、in situで検討した報告はない。

 本研究では酸化ストレスによる血管内皮細胞のアポトーシス誘導の動脈硬化への関与とE2の効果を明らかにすることを目的とした。

【方法】(1)血管内皮傷害の評価

 傷害された内皮の評価はEvans blueによる生体染色で行った。摘出血管の見開き標本を作製し、実体顕微鏡で観察した。

(2)血管内皮細胞のH2O2傷害におけるアポトーシスの分析

 Evans blue染色を行った標本をHoechst33342で染色し、内皮細胞の形態学的変化を観察。さらに残存している正常細胞とアポトーシス細胞の数を数えた。結果は%apoptotic cell(apoptotic cells/(apoptotic cells+normal cells)×100)、apoptotic cells/high power field (hpf)、intact cells/hpfとして表した。

(3)H2O2によるin vivoでの内皮傷害モデルの作製

 全数で90匹、12〜16週齢のWistar系雌ラットを用いた。ラットはランダムにOVX群、E2群、Placebo群(P群)の3群に分けた。総頚動脈の血流を一時遮断し、血管内腔をH2O2に5分間暴露し内皮に傷害を加えた。まず血管内皮細胞にアポトーシスを誘導するH2O2濃度の検討を行った(Evans blue染色)。さらに傷害後経時的に血管を摘出しEvans blueとHoechst33342で二重染色し、内皮再生とアポトーシスについて検討した。

(4)内膜肥厚の評価

 OVXラットをH2O2で傷害し、1〜4週後に傷害血管の内膜肥厚度を計測した。

(5)内皮傷害モデル動物でのE2の効果

 H2O2による傷害をE2群とPlacebo群の2群で行い、傷害後の内皮再生とアポトーシスに及ぼすE2の効果をEvans blueとHoechst33342による二重染色で検討した。さらに傷害2週後の内膜肥厚度も2群間で比較検討した。

(6)エストロゲン受容体(ER)の発現

 monoclonal ER抗体を用いて培養ウシ頚動脈血管内皮細胞(BCEC)の免疫組織学的染色を行った。

(7)BCECへのアポトーシス誘導

 各濃度のE2で24時間pretreatment後培養上清を除去し、0.1mM H2O2に1時間暴露、mediumを変え24時間後アポトーシスの検出を行った。

(8)アポトーシスの検出

 生化学的解析:agarose gel電気泳動により、DNA ladder patternの検出を行った。

 細胞生存率:MTT assayにて検討した。

 形態学的観察:Hoechst33342蛍光核染色により形態学的観察を行うと同時に、ランダムに10視野観察し、全細胞数に対するアポトーシス細胞数を数え、その割合を%apoptotic cellとして定量した。

(9)アポトーシス関連蛋白の発現

 Western blot analysisにより、P53,Bcl-2,Bax蛋白の発現について検討した。

【結果】(1)血管内皮傷害の評価

 傷害後の血管は、内皮の剥離している部分はEvans Blueで青に染まり、内皮が残存している部分は染色されず白く残った。傷害の程度に応じて濃い青に染まった。

(2)傷害後の内皮細胞アポトーシスの分析

 Hoechst33342染色では内皮は血管の走行に平行な楕円形の核として、平滑筋細胞は血管の走行に垂直方向の紡錘状の核として認められた。アポトーシスをおこした内皮細胞はクロマチンの凝縮や核の断片化、アポトーシス小体の出現などアポトーシス特有の形態学的変化を示した。

(3)H2O2によるin vivoでの内皮傷害モデルの作製

 H2O2の濃度に関する検討では、0.1mMでび慢性の傷害が出現し、10mMではバルーン傷害と同様な内皮剥離と内皮再生過程が認められた。低濃度のH2O2(0.01mM)では傷害直後から24時間後まで斑状の内皮傷害が出現し、7日後には傷害面は減少、14日後にはほぼ完全に内皮は再生した。

 0.01mM H2O2では暴露3時間後よりアポトーシスが出現し、%apoptotic cellは3時間後2.4±0.3%,6時間後26.5±1.9%とピークとなり、以後減少し2週後には4.5±1.8%となった。また低濃度H2O2による傷害でも2週後に新生内膜の肥厚(I/M ratio;0.16±0.08,n=5)が観察された。

(4)内皮傷害モデルでのE2の効果

 正常内皮細胞数は暴露後6時間、24時間でE2群ではP群より有意(p<0.01)に多かった(E2 vs P;6時間:304±46vs174±9、24時間:281±42vs136±4)。またE2群では1週後で正常側と同数まで細胞数が回復したが、P群では2週間かかった。傷害6時間後の%apoptotic cellはE2群で有意(p<0.01)に抑制されていた(E2 vs P;9.3±1.2%vs26.5±1.9%、n=5)。さらに2週後の新生内膜肥厚もE2群で有意に抑制されていた(E2 vs P;I/M ratio:7±2 vs 16±1%、各=5)。

(5)ERの発現

 免疫染色によりBCECでERの発現が確認された。

(6)BCECにおけるアポトーシス誘導とその検出

 BCECを0.1mM H2O2に1時間暴露することでdishからの血管内皮細胞の剥離、接着細胞数の減少が認められた。agaroser gel電気泳動によりDNA ladder patternが検出され、内皮の剥離がアポトーシスによるものであることが確認された。細胞生存率による検討では、E2単独では細胞生存率に影響を与えなかった(controlvsE2;100.0±2.1%vs100.2±1.3%)。しかしH2O2暴露後24時間ではE2は濃度依存的に細胞生存率を増加させた[H2O2 vs control,E2 10-9M:72.2±3.5%vs100%(p<0.01)),87.5±4.5%(p<0.01)]。一方%apoptotic cellはE2前処置により濃度依存的に抑制された[5.2±0.3%(H2O2群)vs4.2±0.4%(E2 10-12M群);p<0.05、3.6±0.2%(E2 10-11M群);p<0.01、3.3±0.5%(E2 10-10M群);p<0.01、3.0±0.3%(E2 10-9M群);p<0.01、2.7±0.2%(E2 10-8M群);p<0.01&3.1±0.3%(E2 10-6M群);p<0.01]。

(7)アポトーシス関連蛋白の発現

 E2はBax蛋白の発現を減少させたが、P53やBcl-2蛋白の発現量には影響を与えなかった。

【考察】

 E2は主に脂質代謝の改善を介した間接的な抗動脈硬化作用を有すると報告されてきたが、近年、血管壁にE2受容体が発現していることが報告され、E2による血管組織への直接作用が注目されるようになった。事実、E2による内皮依存性血管拡張作用や血管作動性物質の産生調節、内皮再生促進作用、またVSMCでの内皮非依存性血管拡張作用や増殖抑制作用が相次いで報告されてきた。Spyridopoulosらはin vitroでE2がTNF-による内皮のアポトーシスを抑制すると報告したが、酸化ストレスによる内皮のアポトーシスをE2が抑制したという報告、またin vivoで内皮のアポトーシスを検討した報告はない。

 本研究では低濃度H2O2を用いた血管内皮傷害により新しい動脈硬化モデルを作製した。このモデルでは内皮アポトーシスを介した内皮傷害と内膜肥厚が観察され、E2は内皮アポトーシスを抑制することで新生内膜肥厚を抑制した。in vitroの検討からこの機序にE2によるBax蛋白発現の低下が関与していると考えられた。

 この結果からアポトーシスによる血管内皮細胞傷害は動脈硬化病変の進展に関与することが示唆された。我々の実験で用いたH2O2やE2はともに生理的濃度である。したがってこの結果は虚血・再還流や、喫煙に伴い産生されるフリー・ラジカルによる血管障害メカニズムの一部、またエストロゲンの脂質代謝以外の抗動脈硬化作用を、エストロゲンによるアポトーシス抑制作用の面から説明するものである。この点で本研究はRossらの提唱する"response to injury hypothesis"をin vivoで経時的に検証した初めての報告と言えよう。また本法は傷害物質やその濃度を変えることで内皮の傷害程度を微細にコントロールすることが可能であり、今後血管壁に対する生体内の攻撃因子や防御因子の動態を研究するため有用な方法であると考えられる。

審査要旨

 本研究は動脈硬化初期病変形成の一機序と考えられる内皮傷害におけるアポトーシスの関与を明らかにするため、in vivoで酸化ストレスにより内皮アポトーシスを誘導し、その後の傷害血管の経時的変化および抗酸化剤としてのエストロゲンの作用と機序について検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1)in vivoでラット頚動脈を各濃度のH2O2に5分間暴露すると、en face標本のEvans BlueおよびHoechst33342による2重染色でさまざまな程度の内皮傷害が観察された。従来のballoon injuryでは内皮ばかりでなく平滑筋の挫滅様損傷も観察されたが、10mMまでのH2O2では形態学的に内皮のみの損傷が認められ、このうち0.01mM H2O2では内皮にアポトーシスが誘導されることが確認さた。

 2)傷害6〜24時間後に内皮アポトーシス細胞数はピークとなった。一方残存する正常細胞数は傷害24時間後に最低値となった。このことは傷害24時間後まで徐々に内皮アポトーシスが生じて正常細胞が剥離し、内皮傷害が進行することを示していると考えられた。またこの内皮アポトーシスはプラシーボ群に較べ、エストロゲンを補充した群で有意に抑制されることが示された。

 3)0.01mM H2O2に暴露することで、傷害2週後に新生内膜肥厚が観察されたが、control群やSham群では観察されず、0.01mM H2O2による傷害が新生内膜肥厚に関与することが示された。またこの新生内膜肥厚はエストロゲン補充群で有意に抑制されることが示された。

 4)内皮アポトーシスの出現率と新生内膜肥厚を表すI/M ratioとの間にはほぼ正の相関がみられ、内皮アポトーシスが新生内膜肥厚形成に関与していることが示唆された。

 5)in vitroの系においても、培養血管内皮細胞を0.1mM H2O2に1時間暴露することでアガロースゲル電気泳動によりDNA ladderが、またHoechst33342染色でアポトーシス細胞が確認され、内皮アポトーシスが誘導されることが示された。エストロゲン前処置によりこのアポトーシスは濃度依存的に抑制され、細胞生存率も回復することが示された。

 6)エストロゲンはpro-apoptotic mediatorであるBax蛋白の発現量を減少させたが、P53蛋白やanti-apoptotic mediatorであるBcl-2蛋白の発現には影響を与えなかった。このことから、血管内皮細胞アポトーシス抑制機序の一つに、エストロゲンによるBax蛋白発現の低下が関与していることが示唆された。

 以上、本研究では低濃度H2O2を用いた血管内皮傷害により新しい動脈硬化モデルを作製し、アポトーシスによる内皮傷害と動脈硬化病変形成との関係およびエストロゲンの内皮アポトーシス抑制による血管保護作用を明らかにした。本論文はin vivoで内皮アポトーシスと動脈硬化病変の関係を経時的に検討した初めての報告であり、今後、本手法を用いて血管壁に対する生体内の攻撃因子や防御因子の動態を研究することが可能であり、動脈硬化の機序の解明や治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54718