学位論文要旨



No 114560
著者(漢字) 吉川,朱実
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,アケミ
標題(和) 細胞分化より考察した胃癌の組織発生と発育進展形式の検討
標題(洋)
報告番号 114560
報告番号 甲14560
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1480号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 名川,弘一
 東京大学 講師 峯,徹哉
 東京大学 講師 真船,健一
内容要旨 【研究の背景と目的】

 ヒト胃癌の組織発生と発育進展形式に関しては従来より多くの考察がなされ、分化型胃癌は腸上皮化生を前癌病変とする腸型癌であるのに対して未分化型胃癌は胃固有粘膜から発生する胃型癌であるという仮説が提唱されてきた。また、腫瘍はモノクローナルで一個の腫瘍細胞に由来すると広く考えられている。

 そこでヒト胃癌の組織発生と進展にともなう癌細胞分化形質の変化を考察する目的で、本研究の前半部分(I)ではヒト胃分化型腺癌の腫瘍深達度と構成癌細胞の胃型および腸型形質の発現の関連を一連の細胞分化マーカーを用いて検討し、共同研究者らによる印環細胞癌での検討結果と対比して論じた。

 後半部分(II)では実験動物モデルを用いて分化型および未分化型胃癌の発生過程の差異を検討した。Tatematsuらの確立したN-methyl-N-nitrosourea(MNU)飲水投与によるマウス腺胃腫瘍誘発法では分化型に加え未分化型の癌もしばしば見られ、従来のラット等のモデルに比してよりヒト胃癌に類似する。同法を用いて集合キメラマウスに腺胃腫瘍を作成し、C3H系統特異抗原(C3H strain-specific antigen、CSA)認識抗体および一連の粘液・免疫組織化学的染色法を用いて分化型および未分化型胃癌の組織発生におけるクローナリティと発育進展形式を検討した。

I.ヒト分化型胃癌の進展にともなう癌細胞分化形質の変化【材料と方法(I)】

 愛知県がんセンターにおける原発性の分化型胃癌手術症例301例を対象とし、ホルマリン固定パラフィン包埋切片にgalactose oxidase-Schiff(GOS)反応、paradoxical concanavalin A染色(PCS)(III型粘液染色)、SH-9、抗ヒトpepsinogenII(PgII)、TKH-2、91.9H、抗ヒトsucraseの各染色を施行した。GOS、PCSIII型粘液、SH-9、PgIIは胃型癌細胞のマーカー、TKH-2、91.9H、sucraseは腸型癌細胞のマーカーである。胃癌細胞を細胞分化形質から被覆上皮細胞型、幽門腺細胞型(以上胃型)、腸吸収上皮細胞型、杯細胞型(以上腸型)の4型に判定し、腫瘍を構成する癌細胞の90%以上が胃型形質を示す癌を胃型癌、90%以上が腸型形質を示す癌を腸型癌、中間のものを胃腸混合型癌と判定して、腫瘍深達度と分化形質との関連を検討した。また各症例の背景粘膜の腸上皮化生の程度を軽度、中等度、高度の3段階に分類し腫瘍分化形質との関連を検討した。統計解析にはRidit解析を用い、p<0.01を統計学的に有意とした。

【結果(I)】

 対象分化型症例全体の32.6%は胃型、29.6%は胃腸混合型、26.9%は腸型で11.0%は判定不能であった。粘膜内癌では40.4%が胃型で、腸型は22.1%であった。漿膜下以深の浸潤癌では粘膜内癌に比して有意に腸型癌が多く、早期癌と進行癌の比較では胃型癌は早期癌の41.0%から進行癌の22.2%へ減少し、逆に腸型癌は23.5%から31.1%に上昇して有意差を認めた。ほとんどの分化型胃癌症例で背景粘膜に腸上皮化生を認めたが個々の症例で癌と背景粘膜の分化形質に相関は認められなかった。

【考察(I)】

 分化型粘膜内癌では背景粘膜の腸上皮化生の程度に関わらず高率に胃型形質の発現がみられ、深達度の進展に伴って癌細胞分化形質の腸型化が見られた。同様の現象を共同研究者らは胃の印環細胞癌でも認めており、細胞分化形質の腸型化は分化型胃癌、未分化型胃癌、非癌部粘膜に共通の現象と考えられた。分化型胃癌の背景粘膜には高率に腸上皮化生を認めたが、癌と背景粘膜の分化形質に相関はなく、腸上皮化生を分化型腺癌の前癌病変と結論することは困難であり、ヒト胃癌の発生母地は基本的に胃固有粘膜で、細胞回転の亢進に伴い腸型化が腫瘍内部と非癌部粘膜で独立に生じるものと考えられた。

II.MNU誘発キメラマウス腺胃腫瘍の組織発生と発育進展形式の検討【材料と方法(II)】

 16匹の7週齢キメラマウスに240ppm MNUを隔週10週間(計5週間)自由飲水投与し、投与開始より52週で屠殺した。屠殺1時間前に100mg/kg・bwのbromodeoxyuridine(BrdU)を腹腔内投与した。胃を95%エタノール1%酢酸溶液にて固定、全割し、パラフィン包埋切片にHE、alcian blue-periodic acid-Schiff(AB-PAS)、GOS、PCS(III型粘液染色)、抗CSA抗体、抗ペプシノゲン1(Pg1)抗体、抗BrdU抗体、抗IV型コラーゲン抗体の各染色を施行した。上皮性増殖性病変を、局所的過形成、腺腫、腺癌に大別し、腺癌は分化型と未分化型に分類した。病変のクローナリティの検討に際し、(両系統混合病変/C3H系統細胞を含む病変)の比率をポリクローナルな病変の率の指標とした。統計解析にはMann-WhitneyのU検定を用い、p<0.01を統計学的に有意とした。

【結果(II)】

 キメラマウス腺胃粘膜ではCSA陽性(C3H)腺管群および陰性(BALB/c)腺管群がパッチ状に分布しており、胃底腺、幽門腺とも単一腺管はすべて単独系統由来であった。

 多彩な腺胃病変が誘発され、局所的過形成、腺腫および分化型腺癌は幽門腺領域に好発し、未分化型腺癌は胃底腺領域に好発した。腫瘍細胞には弱い胃型の分化形質発現が見られた。局所的過形成では増殖帯の幅は拡大しているが一定領域に限局していた。腺腫および分化型腺癌では増殖細胞は腫瘍腺管各部に多数存在した。未分化型腺癌では粘膜深部の不規則な形態の小腺管で増殖能亢進がみられたが粘膜固有層上部の印環細胞類似の癌細胞は増殖能を持たないと考えられた。

 いずれの系統の細胞からも各種病変が発生したが、局所的過形成、腺腫および分化型腺癌では単独系統由来の病変に加えて一病変内に両系統細胞の存在する例が多数存在し、腫瘍では両系統細胞からなる接合型腺管も散見された。一方、未分化型腺癌はすべて単独系統由来であった。分化型腺癌は局所的過形成および腺腫に比して有意に径が大きく、また、腺腫および分化型腺癌で両系統由来の病変の径は単独系統由来の病変の径より有意に大きかった。

【考察(II)】

 キメラマウス腺胃腫瘍は組織学的にヒト分化型および未分化型胃癌に類似点を有していた。

 キメラマウスにおいて単一腺管をクローナルな一単位として病変のクローナリティを論じた。局所的過形成は本質的にポリクローナルな非腫瘍性病変と考えられた。異型度により分類した腺腫と分化型腺癌はともに幽門腺領域に好発し、マウスでは一連の腫瘍性病変と考えられた。両者とも腫瘍内部において異なる系統の腫瘍成分の接合ないし混合像がしばしば見られ、高率にポリクローナルであった。一方、未分化型腺癌は胃底腺粘膜に好発し、腫瘍径では分化型腺癌と差が認められないものの全て単一系統由来であり、組織型による発癌過程の差異が示唆された。

 単一腺管由来の腫瘍成分はモノクローナルであるが複数の腺管由来の腫瘍成分が全体として一つの病変を構成すればモノクローナルな腫瘍成分の集合としてのポリクローナルな腫瘍を形成する。ポリクローナルな腫瘍の形成機序としては独立した腫瘍の衝突および局所におけるfield effectの両者が考えられる。腺腫および分化型腺癌では両系統由来の明らかにポリクローナルな腫瘍は単一系統由来の腫瘍(モノクローナルな腫瘍および判別不能なポリクローナルな腫瘍を含む)に比して有意に径が大きく、複数の腫瘍の径の増大にともなう衝突もあると考えられた。しかし本研究で得られた結果の高率なポリクローナリティーは偶然の衝突のみでは説明困難で、上皮細胞への強力かつ広範なイニシエーションを背景とした何らかのfield effectの存在が想定された。

 本研究では種々の組織型を得るために強力な発癌条件を用いたが、通常のヒト胃癌の場合には環境におけるはるかに弱い種々の発癌刺激(イニシエーションおよびプロモーション)が長期存続した結果、細胞が癌化に至ると考えられ、両者間で発癌に至る条件に大きな相違があるため本研究で得られたクローナリティの結果をヒト胃癌にそのまま当てはめることはできない。しかし、APC遺伝子にgermline mutationを持つヒトfamilial adenomatous polyposis(FAP)患者およびそのモデルであるMinマウスの腸における腺腫は高率にポリクローナルであることが最近示され、また、実験的に同一臓器に同一発癌剤を用いてもその投与条件の量的・質的差異により誘発される腫瘍のクローナリティが変化することが報告されている。本研究結果は胃においても強力なイニシエーションの存在下ではポリクローナルな腫瘍発生過程が生じうることを示唆すると考えられた。

【結論】

 I. ヒト胃癌の発生母地は基本的に胃固有粘膜で、細胞分化の異常としての腸型化は胃粘膜および腫瘍内部で各々独立して生じると考えられた。

 II. 本実験条件下でキメラマウス腺腫および分化型腺癌と未分化型腺癌では発生母地とクローナリティに差があり、組織型による発癌過程の差異が示唆された。マウス腺胃発癌過程は単一腺管由来のモノクローナルな増殖を基本単位としながら、強力なイニシエーションの存在下では複数クローンの衝突ないし何らかのfield effectによりポリクローナルな病変を形成するものと考えられた。

審査要旨

 本研究の前半部分ではヒト胃癌の組織発生と進展にともなう癌細胞分化形質の変化を考察する目的で、ヒト胃分化型腺癌の腫瘍深達度と構成癌細胞の胃型および腸型形質の発現の関連を一連の細胞分化マーカーを用いて検討し、共同研究者らによる印環細胞癌での同様の検討結果と対比して論じている。また、後半部分では分化型および未分化型胃癌の発生過程の差異を動物モデルを用いて検討する目的で、114560f03.gif集合キメラマウスにN-methyl-N-nitrosourea(MNU)飲水投与により腺胃腫瘍を作成し、C3H系統特異抗原(C3H strain-specific antigen、CSA)認識抗体および一連の粘液・免疫組織化学的染色法を用いて各組織型の腺胃病変の組織発生におけるクローナリティと発育進展形式を検討している。本研究により、下記の結果が得られている。

I.ヒト分化型胃癌の進展にともなう癌細胞分化形質の変化

 1.対象分化型症例全体の32.6%は胃型、29.6%は胃腸混合型、26.9%は腸型で11.0%は判定不能であった。粘膜内癌では40.4%が胃型で、腸型は22.1%であった。漿膜下以深の浸潤癌では粘膜内癌に比して有意に腸型癌が多く、早期癌と進行癌の比較では胃型癌は早期癌の41.0%がら進行癌の22.2%へ減少し、逆に腸型癌は23.5%から31.1%に上昇して有意差を認めた。分化型粘膜内癌では背景粘膜の腸上皮化生の程度に関わらず高率に胃型形質の発現がみられ、深達度の進展に伴って癌細胞分化形質の腸型化が見られた。

 2.同様の現象は共同研究者らによる胃の印環細胞癌の検討でも認められ、細胞分化形質の腸型化は分化型胃癌、未分化型胃癌、非癌部粘膜に共通の現象と考えられた。ただし、分化型腺癌は印環細胞癌に比して全体として相対的に腸型癌が多く、印環細胞癌は全体として胃型癌が多かった。また、印環細胞癌では粘膜内癌の段階では腸型癌は存在しないという差異が存在した。

 3.分化型胃癌の背景粘膜には高率に腸上皮化生を認めたが、個々の症例で癌と背景粘膜の分化形質に相関はなく、腸上皮化生を分化型腺癌の前癌病変と結論することは困難であった。ヒト胃癌の発生母地は基本的に胃固有粘膜で、細胞回転の亢進に伴い、細胞分化異常である腸型化が腫瘍内部と非癌部粘膜で独立に生じるものと考えられた。

II.MNU誘発キメラマウス腺胃腫瘍の組織発生と発育進展形式の検討

 1.キメラマウス腺胃粘膜ではCSA陽性(C3H)腺管群および陰性(BALB/c)腺管群がパッチ状に分布しており、胃底腺、幽門腺とも単一腺管はすべて単独系統由来であった。

 2.キメラマウス腺胃に多彩な病変が誘発された。局所的過形成は本質的にポリクローナルな非腫瘍性病変と考えられた。異型度により分類した腺腫と分化型腺癌はともに幽門腺領域に好発し、分化型腺癌は腺腫に比して有意に径が大きく、マウスでは一連の腫瘍性病変と考えられた。両者とも腫瘍内部において異なる系統の腫瘍成分の接合ないし混合像がしばしば見られ、高率にポリクローナルであった。一方、未分化型腺癌は胃底腺粘膜に好発し、腫瘍径では分化型腺癌と差が認められないものの全て単一系統由来であり、組織型による発癌過程の差異が示唆された。

 3.ポリクローナルな腫瘍の形成機序としては独立した腫瘍の衝突および局所におけるfield effectの両者が考えられるが、本研究において、腺腫および分化型腺癌では両系統由来の明らかにポリクローナルな腫瘍は単独系統由来の腫瘍に比して有意に径が大きく、複数の腫瘍の径の増大にともなう衝突の機序もあると考えられた。しかし本研究結果の高率なポリクローナリティーは偶然の衝突のみでは説明困難で、発癌剤による上皮細胞への強力かつ広範なイニシエーションを背景とした何らかのfield effectの存在が想定された。

 4.マウス腺胃発癌過程は単一腺管由来のモノクローナルな増殖を基本単位としつつ強力なイニシエーションの存在下では複数クローンの衝突ないし何らかのfield effectによりポリクローナルな腫瘍発生過程が生じうることを本研究結果は示唆するものと考えられた。

 以上、本論文は分化型胃癌と未分化型胃癌の組織発生と発育進展形式をヒト胃切除標本およびキメラマウス腺胃発癌モデルを用いて検討し、その共通点と相違点を明確に示した。本研究の結果は分化型および未分化型という臨床病理学的に異なる胃癌の二大組織型の組織発生の解明のみならず、その発育進展形式、さらには生物学的態度の解明にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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