本研究の前半部分ではヒト胃癌の組織発生と進展にともなう癌細胞分化形質の変化を考察する目的で、ヒト胃分化型腺癌の腫瘍深達度と構成癌細胞の胃型および腸型形質の発現の関連を一連の細胞分化マーカーを用いて検討し、共同研究者らによる印環細胞癌での同様の検討結果と対比して論じている。また、後半部分では分化型および未分化型胃癌の発生過程の差異を動物モデルを用いて検討する目的で、集合キメラマウスにN-methyl-N-nitrosourea(MNU)飲水投与により腺胃腫瘍を作成し、C3H系統特異抗原(C3H strain-specific antigen、CSA)認識抗体および一連の粘液・免疫組織化学的染色法を用いて各組織型の腺胃病変の組織発生におけるクローナリティと発育進展形式を検討している。本研究により、下記の結果が得られている。 I.ヒト分化型胃癌の進展にともなう癌細胞分化形質の変化 1.対象分化型症例全体の32.6%は胃型、29.6%は胃腸混合型、26.9%は腸型で11.0%は判定不能であった。粘膜内癌では40.4%が胃型で、腸型は22.1%であった。漿膜下以深の浸潤癌では粘膜内癌に比して有意に腸型癌が多く、早期癌と進行癌の比較では胃型癌は早期癌の41.0%がら進行癌の22.2%へ減少し、逆に腸型癌は23.5%から31.1%に上昇して有意差を認めた。分化型粘膜内癌では背景粘膜の腸上皮化生の程度に関わらず高率に胃型形質の発現がみられ、深達度の進展に伴って癌細胞分化形質の腸型化が見られた。 2.同様の現象は共同研究者らによる胃の印環細胞癌の検討でも認められ、細胞分化形質の腸型化は分化型胃癌、未分化型胃癌、非癌部粘膜に共通の現象と考えられた。ただし、分化型腺癌は印環細胞癌に比して全体として相対的に腸型癌が多く、印環細胞癌は全体として胃型癌が多かった。また、印環細胞癌では粘膜内癌の段階では腸型癌は存在しないという差異が存在した。 3.分化型胃癌の背景粘膜には高率に腸上皮化生を認めたが、個々の症例で癌と背景粘膜の分化形質に相関はなく、腸上皮化生を分化型腺癌の前癌病変と結論することは困難であった。ヒト胃癌の発生母地は基本的に胃固有粘膜で、細胞回転の亢進に伴い、細胞分化異常である腸型化が腫瘍内部と非癌部粘膜で独立に生じるものと考えられた。 II.MNU誘発キメラマウス腺胃腫瘍の組織発生と発育進展形式の検討 1.キメラマウス腺胃粘膜ではCSA陽性(C3H)腺管群および陰性(BALB/c)腺管群がパッチ状に分布しており、胃底腺、幽門腺とも単一腺管はすべて単独系統由来であった。 2.キメラマウス腺胃に多彩な病変が誘発された。局所的過形成は本質的にポリクローナルな非腫瘍性病変と考えられた。異型度により分類した腺腫と分化型腺癌はともに幽門腺領域に好発し、分化型腺癌は腺腫に比して有意に径が大きく、マウスでは一連の腫瘍性病変と考えられた。両者とも腫瘍内部において異なる系統の腫瘍成分の接合ないし混合像がしばしば見られ、高率にポリクローナルであった。一方、未分化型腺癌は胃底腺粘膜に好発し、腫瘍径では分化型腺癌と差が認められないものの全て単一系統由来であり、組織型による発癌過程の差異が示唆された。 3.ポリクローナルな腫瘍の形成機序としては独立した腫瘍の衝突および局所におけるfield effectの両者が考えられるが、本研究において、腺腫および分化型腺癌では両系統由来の明らかにポリクローナルな腫瘍は単独系統由来の腫瘍に比して有意に径が大きく、複数の腫瘍の径の増大にともなう衝突の機序もあると考えられた。しかし本研究結果の高率なポリクローナリティーは偶然の衝突のみでは説明困難で、発癌剤による上皮細胞への強力かつ広範なイニシエーションを背景とした何らかのfield effectの存在が想定された。 4.マウス腺胃発癌過程は単一腺管由来のモノクローナルな増殖を基本単位としつつ強力なイニシエーションの存在下では複数クローンの衝突ないし何らかのfield effectによりポリクローナルな腫瘍発生過程が生じうることを本研究結果は示唆するものと考えられた。 以上、本論文は分化型胃癌と未分化型胃癌の組織発生と発育進展形式をヒト胃切除標本およびキメラマウス腺胃発癌モデルを用いて検討し、その共通点と相違点を明確に示した。本研究の結果は分化型および未分化型という臨床病理学的に異なる胃癌の二大組織型の組織発生の解明のみならず、その発育進展形式、さらには生物学的態度の解明にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |