学位論文要旨



No 114565
著者(漢字) 武井,芳樹
著者(英字)
著者(カナ) タケイ,ヨシキ
標題(和) ディファレンシャルディスプレー法による,新規の正常型p53下流遺伝子TP53TG1の単離
標題(洋)
報告番号 114565
報告番号 甲14565
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1485号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 戸田,達史
 東京大学 講師 高橋,悟
内容要旨 はじめに,p53下流遺伝子とヒト癌

 p53は,これまで最も高頻度にヒト癌で変異が報告されている遺伝子である。

 p53は癌抑制遺伝子であるが,その機能は細胞周期,アポトーシス,放射線や抗癌剤に対する感受性,DNA修復など様々な生理活性に関わることがわかってきた。

 最近,p53は転写調節因子であり,多くの遺伝子の発現制御を行っていることが明らかとなってきた。つまり,p53による様々な生理学的機能はp53の直接の機能ではなく,p53によって発現の制御を受けている下流の遺伝子によるものである。

 p53の下流遺伝子には直接的にp53に誘導される遺伝子や2次的に誘導される遺伝子があるが,これらの遺伝子を解明することが細胞内の情報ネットワークを知る手助けとなり,ひいてはp53が様々な機能を発揮する仕組みがより明らかになると期待される。

 さらにこれらの遺伝子は,癌の悪性度や,放射線や薬剤に対する感受性の違いなど,個々の癌の性質の違いにも関わっていると考えられている。よって,p53の下流遺伝子の探求は癌の臨床に大いに役立つことと考えられる。

本研究の目的

 新規p53下流遺伝子を単離するための新たなアプローチ法を開発する。

 その方法で単離できた新規p53下流遺伝子について,p53の機能との関連を明らかにする。

正常型p53の発現を高度にコントロールできる細胞株SW480-LOWTP53の作成

 我々はラクトースオペロンを利用した高度な発現制御システムを持つ発現ベクターpOPRSVIに正常型p53をクローニングし,リプレッサーを発現するベクターp3’SSとともに大腸癌細胞株SW480に導入した。ラクトースオペロンを利用した発現制御システムの利点はヒト細胞株に与えるストレスが少ないことである。大腸癌細胞株SW480には正常型p53が全く存在しない。これはp53のコドン273のArgからHisの,コドン309のProからSerの2カ所の点変異と他方のアレルの欠失による。

 こうして得られた細胞株SW480-LOWTP53-1は平常時は導入した正常型p53は機能せず,SW480と増殖に変わりがなかった。しかし,isopropyl--D-thiogalactoside(IPTG)を含む培養液中では導入した正常型p53の発現が誘導され,その機能により細胞の増殖が停止した。対照の細胞株に,IPTG添加により変異型p53を発現するSW480-LOMTP53-1と,chloramphenicol acety ltransfer aseを発現するSW480-pOPRSVI-CATを作成した。(図1)

図1,IPTG添加による細胞株SW480-LOWTP53-1の増殖の抑制○,SW480-LOWTP53-1,0mMのIPTG ●,SW480-LOWTP53-1,5mMのIPTG □,SW480-LOMTP53-1,0mMのIPTG ■,SW480-LOMTP53-1,5mMのIPTG △,SW480-pOPRSVI-CAT,0mMのIPTG ▲,SW480-pOPRSVI-CAT,5mMのIPTG
ディファレンシャルディスプレー法を用いた,正常型p53によって発現が誘導される遺伝子の解析

 p53により活性化されているシグナル伝達経路をより詳しく解明するため,我々は細胞よりmRNAをp53発現の誘導前後に抽出し,発現量の変化している遺伝子をディファレンシャルディスプレー法で解析した。

 発現量の変化を示すいくつかの遺伝子が検出されたが,これらの中にp53によって発現が誘導される新規遺伝子を発見した。(図2)この遺伝子は861塩基対からなり,90アミノ酸をコードしていた。このアミノ酸配列は既知の配列に類似性のない,全く新しいもので,新規遺伝子をTP53TG1(TP53-tar get gene 1)と名づけた。

図2,ディファレンシャルディスプレー法による解析パターン。SW480-LOWTP53-1で特異的に発現誘導のパターンを示すバンドを検出した。
単離された新規遺伝子TP53TG1の解析正常p53の機能との関連

 SW480-LOWTP53-1を用いた系では,人為的に正常型p53を強制発現させている。このため,生理的な条件下では正常型p53とは関連していないシグナル伝達系も細胞内で活性化されている可能性がある。TP53TG1が正常型p53の機能と関わる遺伝子であることを明らかにするため,生理的な条件下で正常型p53の発現を誘導し,TP53TG1の発現の解析をした。

 各種ヒト細胞株に対し,抗ガン剤(ブレオマイシン,シスプラチン),紫外線でDNAを障害した。その前後で経時的に細胞からmRNAを回収した。RT-PCR法でp53,p21/WAF1,TP53TG1の発現の変化を調べた。細胞にDNA障害を与えることでTP53TG1の発現が誘導されていることが確認された。また,TP53TG1の発現の誘導は正常型p53の働きを持つ細胞株でのみ起きていた。(図3)

図3,DNA障害によるTP53TG1の誘導3種類の細胞株で,シスプラチン処理後のTP53TG1遺伝子の発現をRT-PCR法で解析した。正常型p53を持つ細胞株NHDFのみでTP53TG1の発現の誘導を認める。
まとめ

 ラクトースオペロンを利用した高度な発現制御システムを大腸癌細胞株SW480に導入して,正常型p53発現後の遺伝子変化の解析に有用な細胞株SW480-LOWTP53-1を得ることができた。

 正常型p53により発現が誘導される新規遺伝子の解析に,ディファレンシャルディスプレー法が有用であった。

 新規遺伝子TP53TG1のアミノ酸配列は既知の遺伝子には類似性の無い独特のものだった。

 TP53TG1は細胞にDNA傷害性ストレスを与えることで,正常p53依存的に発現が誘導された。

 本研究はp53を介した細胞内情報ネットワークの解明,ひいては癌の臨床に役立つものと考えられる。

審査要旨

 本研究は癌抑制遺伝子p53のシグナル伝達系路において重要な役割を演じていると考えられ,更に,癌の悪性度や放射線・薬剤に対する感受性とも関っていると考えられているp53下流遺伝子を解明するために,大腸癌細胞株に正常型p53の発現を高度に制御できるシステムを導入した系を作成しディファレンシャルディスプレー法を用いてmRNAの変化の解析を試みたものであり,下記の結果を得ている。

 1.大腸癌細胞株SW480にラクトースオペロンを利用した正常型p53の発現を高度に制御できるシステムを導入して得た細胞株SW480-LOWTP53-1で,p53の発現と細胞の増殖曲線の解析を行った。5mMのIPTGによる誘導操作を加えるまで,SW480-LOWTP53-1細胞に導入した正常型p53の機能は抑制されていて,細胞の増殖は変異型p53あるいはCATを導入した細胞と同様であった。しかし,誘導操作後は,正常型p53蛋白の機能が開始してSW480-LOWTP53-1の増殖は著明に抑制された。変異型p53あるいはCATを導入したものでは誘導前と変わり無く増殖した。今回の方法で,正常型p53発現前後の遺伝子変化の解析に有用な細胞株を得られたことが示された。

 2.独自のPCRの条件にもとづくディファレンシャルディスプレー法で経時的な解析を行ったところ,明瞭なバンドパターンの描出を得られたことが示された。

 3.単離した新規遺伝子TP53TG1の配列は既知の遺伝子には類似性の無い全く新しいもので,そのmRNAの発現の頻度は100万分子あたり7分子であった。ディファレンシャルディスプレー法により,このような発現頻度の少ないmRNAの変化を捉えられることができた。

 4.TP53TG1遺伝子の構造は3つのエクソンからなり,また,選択的スプライシングによる4種類の転写産物が存在する。

 5.TP53TG1はヒトの各正常組織で発現している。

 6.TP53TG1には直接の腫瘍増殖抑制効果は無い。

 7.細胞にDNA傷害性ストレスを与えることで,TP53TG1の発現の誘導が確認された。また,この発現の誘導は正常p53依存的なものであった。したがって,TP53TG1は細胞にDNA傷害性ストレスが加わったときに何らかの重要な役割をしていると考えられた。

 以上,本論文は大腸癌細胞株に正常型p53の発現を高度に制御できるシステムを導入した系において,ディファレンシャルディスプレー法を用いたmRNAの変化の解析から,新規のp53下流遺伝子であるTP53TG1の存在を明らかにし,さらに,TP53TG1はDNA損傷性ストレスにより正常型p53依存的に発現が誘導されることを明らかにした。本研究はこれまで未解決の問題の多いp53のシグナル伝達経路の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。

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