目的 Transforming growth factor (TGF-)スーパーファミリーは、様々な機能を有する相互に構造の似通った、いくつかのファミリーからなっている。すなわち、TGF-ファミリー、アクチビン/インヒビンファミリー、bone morphogeneric protein(BMP)ファミリーである。TGF-スーパーファミリーに属する蛋白分子は、細胞分化、増殖、接着、遊走、細胞外基質の産生などを制御することが知られている。 TGF-スーパーファミリーは眼組織においてもその存在が同定されている。さらにOP-1(BMP-7)の欠損マウスでは、眼の形成異常が起こることが明らかにされている。また眼の病的現象として糖尿病性網膜症、ぶどう膜炎、開放隅角緑内障、角膜創傷治癒の過程、網膜光凝固等との関連が報告されている。これらの知見は、TGF-スーパーファミリーが眼においても重要な機能を果たしていることを示唆していると思われる。 TGF-スーパーファミリーの細胞内シグナル伝達因子として現在のところ8種類の蛋白が発見されており、Smad1〜8と呼ばれる。これらは機能に応じて3つのサブグループに分けられる。第一のサブグループとしてSmad1、2、3、5があり、シグナルを伝える主な蛋白群である。2つ目のサブグループとしてSmad4が分類されている。Smad4はSmad1、2、3、5とheteromeric complexを形成し、一体となって核へ移行する。他のSmadの核移行を助け、同時にその核移行を調節することにより、TGF-のシグナルを調節しているものと考えられている。3つ目のサブグループはTGF-スーパーファミリーのシグナル伝達を抑制していると考えられているSmad6、7である。TGF-スーパーファミリーの抑制因子として、おそらくnegative feedbackの機構により、これらの抑制性SmadはTGF-スーパーファミリーの発現および作用に関し重要な調節因子として働いていると予想されている。しかし、現在のところin vitroの細胞培養系やアフリカツメガエルを用いた発生段階の極めて初期における実験系での報告しかなされておらず、ある程度発達した段階における生体での機能を調べることは不可欠であると思われる。 本研究では、抑制性Smadのうち特にSmad6に着目し、個体におけるSmad6の働きを具体的に解析して理解するための第一歩としてSmad6のトランスジェニックマウスを作製した。さらに、複数のプロモーターを選択することによりマウス個体でのSmad6過剰発現の効果としての変異を見つけだそうと試みた。 材料と方法 プロモーターとして、水晶体に特異的に発現を引き起こすA-クリスタリンのプロモーター、全身性に広く発現させることのできるプロモーターとして知られるCMVエンハンサー/アクチンプロモーターおよび赤血球系細胞と巨核球系細胞に特異的に発現を引き起こすことができるプロモーターを選び、それぞれにつきSmad6を過剰発現するトランスジェニックマウスを作製した。 結果 水晶体におけるSmad6の過剰発現マウスは3ライン得られた。眼の組織像の変化の有無を検討したが特に変化は認められなかった。全身へのSmad6過剰発現マウスは6ライン得られた。各臓器の組織像に特に変化は認められなかった。血球細胞へのSmad6過剰発現マウスは6ライン得られた。6ラインのマウスの末梢血においてヘマトクリット値と血小板数の低下が認められた。6ライン中もっとも顕著な発現型を示したのはライン534であった。ライン534においては網状赤血球の割合が約18%に達し、正常のマウスの平均値より360%の増加を示した。さらに、血小板数の40%の低下も認められた。ほかのラインでも同様の傾向が認められた。 考察 本研究において3種類のプロモーターによるSmad6の過剰発現マウスが得られた。そのうち水晶体へのSmad6の過剰発現および心臓や骨格筋を中心とした全身へのSmad6の過剰発現マウスにおいては変異が認められなかった。これらの結果について、何らかの代償作用が働いた可能性も考えられるが、現時点でははっきりとわからない。しかし今後これらのマウスを用いることによって、水晶体および心臓、骨格筋など様々な臓器におけるSmad6の具体的な機能や他のSmadファミリー蛋白あるいはTGF-シグナルに関連する因子との関係について明らかにできるものと考える。 血球系においては変異を確認することができた。血球系細胞とTGF-スーパーファミリーとの関連については古くから数多くの報告がある。TGF-は赤血球系細胞において増殖の抑制と分化の促進を同時に引き起こしている可能性が示唆されている。またアクチビンについても血球系細胞に対する増殖作用があり、さらにBMPは発生初期の血球系細胞の誘導形成を行うとされる。このようにTGF-スーパーファミリーは赤血球系細胞の発生、増殖、分化誘導を制御する中心的役割を担っていると考えらている。 本研究で明らかになったSmad6の過剰発現による網状赤血球割合の増加のメカニズムの一つの可能性として、Smad6の増加により、TGF-スーパーファミリーのシグナル伝達が抑制された結果、本来増殖調節あるいはアポトーシス作用等によって早い段階で取り除かれていた赤血球が生き残って末梢血中に出現してきたという機序も考えられるであろう。またヘマトクリット値の低下については、selectionを受けずに成熟した赤血球は何らかの異常を持っており、末梢血中での崩壊が早まったとも考えることもできるかも知れないが、現時点ではどちらとも判定できない。今後トランスジェニックマウスの血球細胞について、コロニーアッセイを行うことにより、明らかにできるものと考える。しかしながら少なくともSmad6が造血の後期段階にも関与している可能性は本研究によって示唆されたと考える。 今回得られた3種類のSmad6過剰発現マウスは、Smad6の生体内における機能の解析を進めていく上で次のステップの実験に利用し得ると考えられる。例えば、これらのマウスに対する負荷実験、他の因子の欠損マウスや過剰発現マウスとのかけ合わせ実験、あるいはSmad6を過剰発現する臓器毎の培養細胞系の確立などが考えられる。 本研究の結果からSmad6の個体における機能の一部は明らかになったと考えられるが、未だ全てが明らかになっているわけではない。今回作製したトランスジェニックマウスは、Smad6さらにはTGF-スーパーファミリーの個体における機能の解析を進めて行くうえで、有用なものであると考える。 |