本研究は、転写因子による遺伝子発現制御が組織の恒常性に関与している可能性を検討するために、骨格筋細胞分化系および角膜上皮細胞分化系を用いて解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。 1.マウス樹立筋芽細胞株C2C12において培地中の血清除去により分化を誘導すると、多核の筋管細胞と単核の細胞からなる不均一な状態となるが、前者は、筋分化において中心的な役割を演ずるMyoDファミリーの筋分化因子(MyoD、myogenin、Myf-5、MRF4)が陽性、後者はこれが陰性であった。後者の未分化な単核細胞は、p21WAF1陰性、増殖細胞核抗原(PCNA)は陰性かごく弱い陽性で、再び血清存在下におくとPCNAが強く誘導されたことから、ゆるやかに細胞周期を回っていることがわかった。 2.分化したC2C12系において未分化な単核細胞のみ選択して増殖条件で培養すると、再びMyoDを発現し、これを分化条件におくと元の細胞と同様に筋管細胞と未分化な単核細胞に不均一化した。したがって分化した系における未分化な細胞は分化能を保持していることが示された。 3.C2C12細胞を分化誘導すると、一部の細胞でのMyoDの発現低下がmyogeninの発現と不可逆的な最終分化に先行して早期に起こった。またMyoDの強制発現実験から、このMyoDの発現低下が未分化なまま分化能を保持した細胞を生み出していることが示唆された。 4.最近報告された上皮特異的な分化制御転写因子ESE-1の角膜上皮における発現は不明であったが、これがマウス成体の角膜上皮に発現していることをin situ hybridization法を用いて示した。ヒト樹立角膜上皮細胞株HCE2においてESE-1の発現量は分化に伴い増加した。 5.HCE2細胞系もC2C12細胞のように、分化誘導するとK3ケラチン陽性の重層化部位と陰性の非重層化部位に不均一化した。ESE-1が前者では陽性、後者では陰性であった。 6.HCE2細胞にESE-1のアンチセンスRNAを強制発現させるとK3ケラチン発現細胞の割合が低下したことから、ESE-1は角膜上皮細胞において分化に必要な条件であることが示唆された。 以上、本論文はマウス樹立筋芽細胞株において、分化した細胞系の中で一見残り物にみえた未分化な細胞が分化能を保持しておりこれに転写因子であるMyoDファミリーの発現が深く関わっていることを明らかにした。加えて様々な細胞系において普遍的に転写因子が一部の細胞を分化へ導き他の細胞を未分化な状態を保たせておく司令塔の役割を果たしている可能性を示した。また今まで分化に関与する転写因子の発現や機能に関する報告がなかった角膜上皮細胞において、ESE-1が発現しており分化の必要条件である可能性を示した。以上のことから、本研究は、学位の授与に値するものと考えられる。 |