学位論文要旨



No 114580
著者(漢字) 大石,剛子
著者(英字)
著者(カナ) オオイシ,タケコ
標題(和) 糖尿病特異的総合的QOL尺度の開発
標題(洋)
報告番号 114580
報告番号 甲14580
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1500号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 講師 門脇,孝
 東京大学 講師 福原,俊一
内容要旨 1.はじめに

 糖尿病は生涯にわたる疾患であり、その長期予後を決定する最も大きな要素は日常の自己管理である。適切な自己管理の継続のためには、患者のQOL(Quality of Life)を考慮した対応が必要である。それが結果としてより望ましい自己管理と血糖コントロールにつながり、QOLの向上に再び影響することとなる。従って、治療法効果を評価する際にはQOLを測定することが重要となる。

 QOLを測定する尺度には一般的健康尺度と疾患特異的尺度とがあるが、糖尿病患者のQOLを総合的に評価するには、糖尿病に特異的な尺度を用いるのが望ましい。我が国でこの要求を満たす尺度は現在のところみあたらないため、新しい尺度を開発する意義は大きいと考える。尺度開発においては、全く新しい尺度を開発する方法もあるが、より短期間で開発可能である、他言語で開発された尺度を利用する方法もある。この時、QOLの概念や健康問題の表現方法は文化により異なるため、翻訳を行うだけでは不十分であり、適切な方法に則って開発する必要がある。この方法は近年行われてきた国際プロジェクトを通して提案されてきており、1)翻訳版の作成(項目や回答選択肢の翻訳)、2)計量心理学的検討による評価の手順を経て行う方法が多く用いられている。

 英国や米国で使用可能な糖尿病特異的総合的QOL尺度はいくつか存在する。その一つであるDiabetes-39は病型や治療法によらず幅広く使用できる尺度である。また、QOLに影響を及ぼすと思われる、糖尿病に関する事柄について項目を作成したもので、5つのドメイン(Anxiety & Worry,Diabetes Control,Energy & Mobility,Social Burden,Sexual Functioning)から成る総合的な糖尿病特異的尺度である。我が国における糖尿病特異的QOL尺度の現状を鑑みると、Diabetes-39の我が国での使用可能性を検討することには、大きな意義があると考えられる。

 本論文の目的は次の2点である。

 1)他の国で開発された尺度を使用する際に必要となる方法に則り、適切な手順をふんで、米国で開発された糖尿病特異的総合的QOL尺度である、Diabetes-39の日本語翻訳版を作成すること。

 2)作成した日本語翻訳版について、尺度に必要とされる計量心理学的検討を行うこと。

2.対象・方法日本語翻訳版の作成(翻訳、表面妥当性・内容妥当性の検討)

 日本語翻訳版作成は、国際プロジェクトで行われた方法を参考に以下の方法で行った。

翻訳

 内容的・概念的に原版と同等、かつ理解しやすく回答しやすい翻訳版の作成が目的。以下の過程を経て日本語翻訳版原案作成を行った。1.順翻訳:日本人翻訳家2名による翻訳、2.翻訳版原案作成:順翻訳の2原稿から翻訳版原案を作成、3.逆翻訳:米国人翻訳家2名による英語への逆翻訳、4.原版との比較:逆翻訳の2原稿を原版開発者に送付、原版との比較。また、翻訳版原案は糖尿病専門家のアドバイスをもとに改良を行った。

表面妥当性・内容妥当性の検討

 以下の点について検討を行った。1.翻訳は正確に理解されるか否か、難しい表現・言葉遣いの検討。2.複数の翻訳・回答方法から、適切なものを選択。3.項目の過不足、日本での生活に特徴的な項目の必要性の検討。4.翻訳における予期せぬ間違いの検討。これらの検討は、糖尿病専門家との相談(計7回)、糖尿病患者への1対1での面接調査(プレテスト:4施設において計4回、対象患者は計21名)を通して行った。面接はプライバシーの保たれる部屋で行い、開始前に内容録音について口頭で承諾が得られた場合には内容を録音し、自由な意見を聴取した。

計量心理学的検討(妥当性、信頼性の検討)妥当性の検討

 構成概念妥当性について以下の検討を行った。因子妥当性(因子分析(promax回転)により項目-ドメイン間の対応を検証)、内的整合性(クロンバックの係数を算出し検討)、収束妥当性、判別妥当性(一般的健康尺度であるSF36、糖尿病治療満足度調査票(DTSQ)での同じ特性を測定していると想定されるドメイン間の相関、異なる特性を測定していると想定されるドメイン間の相関を検討、また、異なるスコアを示すと想定される群別(性別、年齢別、病型別、治療法別、病態別(合併症、糖尿病以外の病気)、コントロール状態別)での比較)。また、Multitrait Scaling Methodを用いてScaling Assumption(想定したドメイン構成で単純加算によるスコアの算出が可能か否か)の検討を行った。

 これらを検討するための調査(妥当性調査)対象者は、福島県内の総合病院の糖尿病外来患者350名。調査票は医学データと照合するために記名式とし、配布は外来担当医師に依頼した。配布は診察時に行われ、その際、調査の趣旨の簡単な説明と著者宛に5日以内に投函することの依頼を患者に対して行った。医学データの記入は、担当医師に依頼した。

信頼性の検討

 再テスト信頼性の検討を行った。Cohenの係数(単純係数、重み付き係数)を算出し検討した。再テスト調査は、妥当性調査の調査票回収者のうち、Diabetes-39日本語翻訳版の欠損が5以下、かつ住所氏名の記載のある患者で、調査票回収先着100名を対象とし郵送法で行った。妥当性調査から再テスト調査の間隔は2週間。妥当性調査での調査票と照合するため記名式とした。

3.結果日本語翻訳版の作成翻訳

 原版の質問文"How much was the quality of your life affected by"を「あなたの生活の質の低下にどの程度影響がありましたか」と訳した。「低下」と加えることで"affect"がnegative affectを示すことを明確にした。また、原版ではVAS(Visual Analogue Scale)に"X"印で回答する方法を用いているが、我が国での慣例を考慮してVASに"|"印で回答する、またはLikert Scaleで回答するとの2種の方法を用意した。各項目の翻訳は、回答・理解しやすさと、具体的かつ簡潔に表現することを考慮した。

表面妥当性・内容妥当性の検討

 回答方法は、回答しやすさの点において6名中5名がLikert Scaleを選んだ。また、「生活の質の低下への影響」の評価の困難さの指摘が多く聞かれたため、"quality of life"の表現を変更したが「影響」の評価の困難さ、回答の困難さを指摘する意見が多く、全面的に質問方法を変更した。その結果、項目に関する出来事の認識を7件法で問い、次にその負担度を7件法で問う(ともにLikert scale)回答形式を用いた。この回答形式が適切でない項目は直接その負担度を問う形式を用いた。項目の表現の変更はのべ9項目、追加項目は会社生活に関する2項目であった。

計量心理学的検討

 妥当性調査での調査票の回収は300名(回収率85.7%)、解析対象は283名(80.9%)(欠損6以上は解析から除外)。対象者は男性が54.1%、平均年齢は57.3歳、糖尿病罹病期間は平均10.3年、NIDDMが82.3%、食事療法・運動療法のみが19.8%、インスリン使用者が50.2%、HbA1cの平均値は6.98%であった。合併症なしは45.4%、網膜症(26.1%)、白内障(19.6%)、腎症(24.3%)で、高血圧(38.6%)、高脂血症(28.9%)であった。回答率は、最も低い項目で90.8%、回答の偏りは8項目で見られた。

妥当性の検討

 因子妥当性検討の結果、原版での構成とは異なったドメインに属した項目は9項目であり、Scaling Assumptionの検討結果と内容的考察をふまえたうえで、2項目のドメイン構成を変更することとした。内的整合性の検討では、各ドメイン別クロンバックの係数は0.81-0.94。収束妥当性では、SF36の各ドメイン、糖尿病治療満足度(DTSQ)との検討において、同じ特性を測定していると考えられるドメイン間で0.50以上の相関が見られ、異なる特性を測定していると考えられるドメイン間では0.40以下の低い相関が得られた。また、群別比較では、異なるスコアを示すと想定された群別に有意な差がみられたものの、合併症やその他の病気の有無に関しては、想定された差がみられないドメインもあった。コントロール状態別では、Diabetes ControlとAnxiety & WorryのドメインでHbA1cの値が高い(コントロールが悪い)群で有意にスコアが高い(負担度が大きい)結果となった。

信頼性の検討

 再テスト調査の回収は89名(回収率89.0%)。2週間の間に治療法の変化あり、症状の変化あり、を除き解析対象は84名(84.0%)であった。各項目別重みつき係数は「家族や友人がやらないことを自分はしなくてはならないこと」での0.36を徐く、他の全ての項目で0.4より大きかった(0.41-0.65)。

4.考察日本語翻訳版の作成

 他の国で開発された尺度を用いる際には、言語的・概念的同等性の考慮が必要となる。これらを保証するために、1.言葉の明確さ、2.通常使用される言葉か、3.概念的に同等か、について、翻訳版作成の各段階において十分に検討を行った。結果として原版との比較では問題となる箇所の指摘はなく、同等性は保証されたと考えられる。また、回答方法の難しさの指摘が多く聞かれたため、質問と回答方法を大幅に変更した。また、各項目の言葉遣いや、理解困難な点についてもプレテストにて入念な検討を行った。最終的には第4回プレテストでの反応、妥当性調査での調査票回収率と回答率の高さからも、一部検討すべき点は残されているものの表面妥当性はほぼ確認されたといえる。さらに、項目の過不足についても、糖尿病専門医師との相談、プレテストにて検討を行い、糖尿病患者のQOL測定において必要な項目はほぼ網羅できたと考えられる。

計量心理学的検討

 回答に偏りの見られた8項目のうち4項目が日常生活動作に関する項目であったが、調査対象者が外来患者であり、日常生活動作には大きな問題のない患者が多かったためであると思われる。回答率の低かった項目は、回答方法の不適切さによると考えられるところもあり、検討を要する。

 因子妥当性の検討結果では、原版でのドメイン構成からはずれる項目が9項目みられ、直接その項目の負担度を問う質問形式の項目が全てDiabetes Controlのドメインに分類され、Diabetes Controlドメインはそれらの項目のみで構成される結果となった。また、「‥と感じること」「‥と思うこと」との言葉を加えた項目の多くがAnxiety&Worryの項目に移ったことから、質問方法や表現の変更によりドメイン構造が変化したとも考えられる。Scaling Assumptionの結果と内容的な考察をふまえ、2項目のドメイン分類を変更した。新しいドメイン構成において、ドメイン別に単純加算によるスコアの算出が可能といえることが確認されたが、因子妥当性が確保されたとは言い難い。ドメイン構成に関しては、さらなる検討が必要である。また、Cronbachの係数の結果から内的整合性は確保された。収束妥当性・判別妥当性については、SF36、DTSQとの相関からは確保されたといえる。患者の群別比較からは、他の調査票ではみられている、Anxiety&Worryドメインでの患者の病態別スコアの差が検出されず、この点に関して再検討する必要性が示唆された。信頼性については、重みつき係数が0.35の項目は、その標準誤差が0.07であることから有意に0とは異なり、再テスト信頼性も確保されたといえる。

 以上より、他の国で開発された尺度を翻訳する際に必要となる内容的・概念的同等性、及び調査票として備えるべき妥当性の一部と信頼性はほぼ確保できたと考えられる。

5.結論

 1)他言語で開発された尺度を使用する際に必要とされる手順をふまえ、内容的・概念的同等性と表面妥当性、内容妥当性を有するDiabetes-39の日本語翻訳版(41項目、5ドメイン)を作成した。

 2)作成したDiabetes-39の日本語翻訳版について計量心理学的検討を行った結果、信頼性は確保され、妥当性に関しては再検討の必要な点が明らかとなった。

審査要旨

 本研究は、糖尿病に特異的な総合的QOL尺度を開発したものである。米国で開発された、糖尿病特異的総合的QOL尺度であるDiabetes-39(5ドメイン、39項目から成る)をもとに、他言語で開発された尺度を使用する際に必要とされる適切な手順に則り、その日本語翻訳版の作成、及び尺度に必要とされる計量心理学的検討(妥当性、信頼性の検討)を行った。

 主要な結果は下記の通りである。

 1.Forward translation-back translationの方法を経て、内容的、概念的にDiabetes-39オリジナル版と同等である日本語翻訳版の原案を作成した。

 2.上記1.で作成された翻訳版について、糖尿病患者を対象としたプレテスト(1対1の面接)及び糖尿病専門家との相談を行い、その表面妥当性、内容妥当性の検討を行った。その結果、質問方法と回答方法に大幅な変更がなされ、2項目が追加され、9項目で表現等の変更が行われた。最終的に、表面妥当性、内容妥当性は確認された。

 3.上記1.2.を経て、5ドメイン(Diabetes Control,Anxiety and Worry,Energy and Mobility,Social Burden,Sexual Functioning)、41項目から成る、Diabetes-39日本語翻訳版が作成された。

 4.作成されたDiabetes-39日本語翻訳版について、350名の糖尿病患者を対象として、妥当性(因子妥当性、内的整合性、収束妥当性・判別妥当性)、及びMultitrait Scaling Methodを用いてScaling Assumptionの検討を行った。300名から回答が得られ、2項目のドメイン構成が変更となった。また、より適切なドメイン構成についてはさらなる検討が必要であること、一部の回答方法や項目の再考が必要であることが示された。

 5.作成されたDiabetes-39日本語翻訳版について、100名の糖尿病患者を対象として信頼性(再テスト信頼性)の検討を行った。84名から回答が得られ、信頼性を有することが確認された。

 以上、本論文は、病型や行っている治療法によらず使用できる、糖尿病特異的総合的QOL尺度開発を試みた研究である。現在我が国では、この要求を満たす尺度は見あたらないため、我が国で使用可能な糖尿病特異的総合的QOLの開発としては初めてのものである。また、適切な手順に則ってその開発を行った点において、今後、種々のQOL尺度開発研究において参考になる点が多いと考えられる。さらにまた、疾病の特徴上、糖尿病治療においてはQOLを考慮することが非常に重要であるため、治療法の開発や患者教育、日常診療等において、本研究は多大なる貢献が成されるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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