学位論文要旨



No 114584
著者(漢字) 川辺,祥子
著者(英字)
著者(カナ) カワベ,ショウコ
標題(和) マウスにおける卵成熟制御機構
標題(洋)
報告番号 114584
報告番号 甲14584
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1504号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 成内,秀雄
 東京大学 教授 松沢,昭雄
 東京大学 助教授 堤,治
 東京大学 助教授 丸,義朗
 東京大学 助教授 森,康厚
内容要旨 はじめに

 哺乳類の卵巣内の卵母細胞は第一次減数分裂前期で停止しているが、黄体形成ホルモンの刺激によって減数分裂を再開し、第二次減数分裂中期に至る。この過程を「卵成熟」と呼ぶ。卵成熟は染色体の複製を伴わない、連続する二回の細胞分裂から成り立っており、四倍体細胞から一倍体細胞が作られる過程である。細胞周期の研究においては古くから卵母細胞が用いられており、特にアフリカツメガエルの卵母細胞は生化学的な解析に大きく貢献してきた。その中でもアフリカツメガエルの卵母細胞における卵成熟促進因子maturation-promoting factor(またはM-phase-promoting factor:MPF)と、細胞分裂抑制因子cytostatic factor(CSF)の発見は(Masui et al,1971)その後の細胞周期および卵成熟研究の方向性を決定した重要なものである。これまでの研究により、前者はCDC2とサイクリンBの複合体、後者の構成因子の一つがc-mos遺伝子産物MOSであることがわかっている。本研究の第一章では卵成熟過程におけるCDC2キナーゼの活性制御について、第二章でMAPキナーゼの活性とc-mosの発現調節について、第三章では卵成熟再開に対するcAMP-PKA経路の関与について解析した。

第一章卵成熟過程におけるCDC2分子のリン酸化レベルの解析

 卵母細胞の研究から見出されたMPF活性は、全真核細胞の分裂期を制御するセリン・スレオニンキナーゼである。MPFはCDC2とサイクリンBの複合体から構成され、その酵素活性は両者の複合体形成とCDC2自身のリン酸化によって制御されている。これまでの研究から、CDC2の14番目のスレオニン(T14)と15番目のチロシン(Y15)がリン酸化されると活性は抑制され、161番目のスレオニン(T161)がリン酸化されると活性化されることが明らかとなっている。本章では減数分裂におけるCDC2のリン酸化の変動を、ウエスタンブロッティングで解析するため、T161がリン酸化されたCDC2を特異的に認識する抗体(抗T161P抗体)を作成した。

 卵成熟過程では、分裂期が連続して二回続くため、CDC2キナーゼの活性化と不活性化が二回起こる。CDC2キナーゼ活性が低い未成熟卵においては、CDC2はY15とT161の両残基がリン酸化されていた。すなわち、未成熟卵においてはCDC2はサイクリンBと複合体を形成しており、Y15のリン酸化によって活性が抑制されていると考えられた。減数分裂が再開する時には、Y15の脱リン酸化が起こると共に、T161のリン酸化レベルの上昇が認められた。一方、第一減数分裂から第二減数分裂への移行期に見られるCDC2キナーゼの不活性化と、引き続いて起こる活性化は、CDC2のリン酸化ではなく、サイクリンBの分解と合成に依存していることが明らかとなった。第二減数分裂中期における停止の解除に伴うCDC2の不活性化の際には、T161の脱リン酸化が起こっていた。

 以上の結果から、減数分裂におけるCDC2キナーゼの、二回の活性化と二回の不活性化において、それぞれ異なる制御機構の存在が明らかとなった。

図表
第二章卵成熟におけるMAPキナーゼ活性とc-mos遺伝子発現の解析

 c-mos遺伝子産物のMOSは、CSFの機能とMAPキナーゼ・キナーゼ・キナーゼ(MAPKKK)としての機能を併せ持つ。ノックアウトマウスの解析から、MOSの欠損は個体の発生や卵成熟には影響を及ぼさないが、第二減数分裂中期において細胞周期を停止できないことが明らかとなっている。MOSの発現は生殖細胞に限局しているといわれているが、その他の組織における発現を示す報告もある。しかし、卵母細胞以外の組織における発現や機能には不明な点が多い。本章では、卵成熟過程におけるMAPキナーゼ系の活性と、c-mos遺伝子の発現を解析した。

 卵成熟過程において、MOS蛋白の発現をウエスタンブロッティングで確認したところ、卵成熟が再開した後から第一減数分裂中期にかけて発現の上昇がみられ、第二減数分裂中期まで高い発現は維持された。MAPキナーゼ・キナーゼ(MAPKK:MEK)の活性は、卵成熟の開始から第二減数分裂中期に至るまで緩やかな上昇が認められた。それに対し、MAPキナーゼ活性は卵成熟の開始後、第一減数分裂中期までに急激な活性の上昇がみられ、第二減数分裂中期まで高い活性を維持していた。c-mosノックアウトマウス卵の解析においても、MEKの活性は遺伝子量に一致し、ヘテロ欠損卵では野生型の半分程に低下していたが、MAPキナーゼは野生型と同程度の活性化が起こっていた。これらの結果は、シグナル伝達の機構の中で、MOSのシグナルがMEKを介して増幅されることを示している。

 c-mos遺伝子発現の解析を行うために、c-mos遺伝子の5’上流5300塩基をプロモーターとして用いた。このプロモーターの下流にレポーターとしてGFP遺伝子を接続し、トランスジェニックマウスを作成した。トランスジェニックマウスの各組織において、c-mos遺伝子の転写活性をGFPの発現を指標に解析したところ、卵母細胞に強いGFPの発現が認められた。卵巣切片の観察から、原始卵胞の卵にもGFPの発光がみられ、卵の成長以前にすでにc-mos遺伝子が転写されていることが示された。また、卵母細胞以外の組織においては、精巣、骨格筋、心臓でGFPの低い発現が見られ、さらに低いレベルであるが脳と肝臓でも認められた。しかし、抗MOS抗体によりMOS蛋白の発現を確認したところ、卵母細胞においてのみMOS蛋白が検出された。以上の結果より、c-mos遺伝子の転写は低いレベルで卵母細胞以外においても起こっているが、MOS蛋白が発現し機能している組織は卵母細胞のみであることが明らかとなった。

第三章卵成熟再開に対するcAMP-PKA経路の関与

 哺乳類の卵母細胞は、卵胞から取り出された場合ホルモンの刺激なしで自発的に卵成熟を開始する。これまでの研究から、in vitroで自発的な卵成熟の再開を抑制する処理がいくつか同定されている。ある種のプロテアーゼインヒビターや、卵母細胞内のcAMP濃度を上昇させるような薬剤で処理すると、卵成熟が抑制される。特に、cAMPについての報告は多く、卵母細胞内のあるレベル以上のcAMP濃度が卵成熟の停止の維持に関与していることが示されている。本章ではcAMPの誘導体であるdibutyryl cAMP(dbcAMP)を用い、卵成熟過程のCDC2キナーゼとMAPキナーゼの活性に対する、cAMPおよびcAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)の関与を検討した。

 卵母細胞をin vitroで培養する際、異なる時間帯にdbcAMPを培地中に添加し、それぞれの卵母細胞についてCDC2キナーゼとMAPキナーゼの活性を測定した。その結果、卵母細胞を採取する時からdbcAMP処理を行った場合は、卵成熟の開始が抑制され、CDC2キナーゼとMAPキナーゼの活性化は共に認められなかった。一方、卵成熟が開始した後にdbcAMP処理を行った場合、卵成熟の進行は正常であり、CDC2キナーゼ活性とMAPキナーゼ活性は対照卵と同じ挙動を示した。即ち、卵成熟に対するcAMPの作用は、卵成熟の再開時にのみ認められた。第一章で示したように、減数分裂中にみられるCDC2キナーゼの二回の活性化は、異なる機構で制御されている。一回目の活性化のみを抑制することから、cAMPの作用はCDC2Y15の脱リン酸化シグナルの上流に位置し、サイクリンBの分解、合成には関与しないものと考えられた。また、卵成熟の再開時に見られるcAMPの作用がPKAを介した効果であるかを検討したところ、cAMPに反応するPKA活性の上昇は卵核胞崩壊の前後で有意差が認められなかった。よって、cAMPが卵成熟を抑制する作用点は不明であるが、そのステップはPKAを介さない経路をとることが示唆された。

審査要旨

 本研究は、哺乳類における卵成熟制御機構を明らかにするために、マウスの卵母細胞を用い、卵成熟に関与する主要な因子の発現および、活性制御の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.CDC2キナーゼ活性制御に関与するCDC2のリン酸化を、作成した特異抗体を用い解析し、卵成熟過程におけるリン酸化の変動を検出した。その結果、活性を抑制する15番のタイロシンと、活性化に働く161番のスレオニン(T161)のリン酸化、及びサイクリンBの蛋白量の変化によって、二回の分裂が制御されていることが示された。さらに、減数分裂の一回目と二回目におけるCDC2キナーゼの活性化と不活性化は、それぞれ異なるシステムで活性を増減させていることを明らかとした。

 2.CDC2T161リン酸化抗体を用いた解析から、卵成熟過程においてはcdkactivating kinase(CAK)活性が変動することが示された。これまでの研究では、CAK活性は細胞周期を通して変化しないと言われていたが、減数分裂においては卵成熟が再開した後に活性が上昇することが明らかとなった。さらに、CDC2のT161は、サイクリンBと結合する前に、すなわち単体でリン酸化され得ることが示された。

 3.卵成熟の再開時には、不活性型のpre-Maturation Promoting Factor(MPF)が活性型MPFになることで、第一次減数分裂を誘起するとされてきた。しかし本研究の結果から、第一減数分裂中期に見られる急激なMPF活性の上昇において、pre-MPFを介さない、単体のCDC2T161のリン酸化とサイクリンBの会合による活性化機構の存在が示された。

 4.卵成熟過程におけるMAPKK,MAPKの活性を測定したところ、最大値の半分ほどのMAPKK活性で、MAPKが最大値まで活性化される結果が得られた。このことにより、卵成熟におけるMAPK系の活性の増幅が示された。

 5.c-mos遺伝子の転写を解析する目的で、c-mosプロモーターにGFP遺伝子を接続し、トランスジェニックマウスを作成した。このマウスの解析から、卵母細胞におけるc-mos遺伝子の強い発現が確認された。また、トランスジェニックマウスの卵巣の凍結切片を観察したところ、c-mos遺伝子は、発育前の卵においてもすでに転写が認められた。一方卵母細胞以外の細胞においては発現が見られなかった。卵巣以外の組織においても、GFPの発現が低いレベルで認められたが、MOS蛋白は発現していなかった。このマウスの解析結果から、MOS蛋白が発現し機能している組織は、卵母細胞のみであることが明らかとなった。

 6.卵成熟の再開を抑制するcAMPが、CDC2キナーゼとMAPキナーゼの活性化を阻害することを示した。さらにこの阻害効果は、卵成熟の再開時にのみ認められ、卵成熟が開始した後は二つのキナーゼ活性に影響しないことが明らかとなった。さらに、cAMPにより未成熟な状態に維持される卵母細胞において、CDC2のリン酸化状態には変化が認められなかったことより、cAMPの作用点はCDC2リン酸化、脱リン酸化酵素の上流に位置すると考えられた。

 7.卵成熟の再開時に見られるcAMPの作用がPKAを介した効果であるかを検討したところ、cAMPに反応するPKA活性の上昇は、卵核胞崩壊の前後で有意差が認められなかった。このことより、cAMPの作用は、PKAを介さない経路を取ることが示された。

 以上、本研究はマウス卵母細胞において、卵成熟に関与する因子の発現、活性制御を明らかにした。上記の研究結果は、これまで多くの解析がツメガエル卵を材料としてきた卵成熟について、哺乳類卵を用いて解析したものである。新たな知見、仮説が多く示され、胎生という生殖様式をとる哺乳類の卵成熟の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと認められる。

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