I.緒言 アルマ・アタ宣言以来、プライマリ・ヘルスケア(PHC)の主要素の一つである必須医薬品の円滑な供給・アクセスの向上を目指し、種々の努力が開発途上国で実施されてきた。これらの努力により、必須医薬品へのアクセスが向上する中で近代医薬品の乱用という問題が認識されるようになり、医薬品の適正使用が新たなテーマとして投げかけられている。 ヴェトナム社会主義共和国(以下ヴェトナム)においても、近年、医薬品ことに抗生物質、ステロイド剤等の乱用によると思われる副作用が報告されるようになった。また、抗生物質の乱用に起因する薬剤耐性菌の増加は著しく、同国保健省はその対策に苦慮している。同国政府は、適正処方に関する医療従事者の知識改善をその対策の中心に据えている。 しかしながら、ドイモイ政策導入により認められた個人経営薬局や私設診療所の設立、医薬品代を含む診療報酬の受益者負担、製薬産業の民営化、多国籍製薬産業の参入などによりセルフメディケーション(Self-medication)の機会が異常に増えている現状を考えると、むしろ問題は医薬品に関する誤った認識に基づくSelf-medicationという素人療法と、それを容認する環境にあると思われる。 上記の医薬品へのアクセス向上は都市部を中心としたものであり、これとは対照的に地方の村落レベルでは、中流以下の所得層の医薬品へのアクセスが依然として十分とは言い難い状況であった。この状況を改善すべく、住民主体の回転資金制度がバマコ・イニシアティブの一環として実施され(BI:Bamako Initiative)、必須医薬品の供給が地域レベルで確保されるようになりつつある。同制度は必須医薬品のアクセス向上のみでなく、医薬品の適正使用推進もその目的に含んでおり、医療従事者を対象とした教育・訓練プログラムや、家庭レベルでの保健意識の向上に必要な住民保健教育に対する支援も提供している。 その活動内容から、BIは、住民による適正な医薬品使用を推進するメカニズムを有するのではないかと考え、BIのみならずその他のいかなる医薬品回転資金制度プロジェクトも実施されておらず、何ら適切な対策が取られぬままに医薬品が氾濫するようになった都市部の数年前の状況を反映している地方の村落(Non-BI)を対照として医薬品の乱用あるいは不適切な使用が、いかなるメカニズムで進行し、その対策としてどのような住民教育を検討・計画すべきかを探る目的で、本調査を計画・実施した。 II.対象および方法 1997年7月および8月の約1ヶ月半の間に、世帯調査および関連機関における聞き取り調査などをヴェトナムにおいて実施した。 ヴェトナム北部中央海岸地域に位置するNghe An省(BI地域)、Thanh Hoa省(Non-BI地域)および南部メコンデルタ地域にあるDong Thap省(BI地域)、Can Tho省(Non-BI地域)の4省からのそれぞれ3コミューンずつを無作為抽出し調査対象地域とした。各コミューンのヘルスセンター(CHC)の有する予防接種対象者リストに基づき、5歳以下の小児を持つ42世帯を無作為抽出し(合計505世帯)、家庭訪問によるインタビュー方式で質問票調査を実施した。尚、インタビュー開始前には、本調査の目的を各世帯で説明し、調査対象となった母親全員から本調査への協力確認が得られた。 質問票はPart AおよびPart Bの2部よりなる。Part Aは、全調査対象世帯を対象とるすものでその主な内容は:(1)世帯の社会・経済的状況(保健支出に関する項目を含む)また、家族構成等、(2)家庭内常備薬あるいは保管医薬品の状況、(3)抗生物質使用に関する母親の知識、(4)小児の下痢症治療に関する母親の知識等である。一方、Part Bは調査の前14日以内に病気で何らかの治療を受けた母親と5歳以下の小児のみを対象としたものでその内容は:(1)病気の症状、(2)受診した医療機関、(3)投薬された医薬品、(4)コンプライアンスの状況、(5)実際に支払った治療代および薬代などである。 得られたデータはSAS(ver.6.12)を用いて、カイ二乗検定、t検定、Wilcoxon検定、ANOVA検定、Logistic回帰分析などにより解析した。 III.結果 BI地域とNon-BI地域とにおいて調査前14日以内に病気であった母親と5歳以下の小児の数はそれぞれ109名と106名であった。BI地域の109名中、Self-medication、私設診療所、CHC、その他の高次医療施設(ポリクリニック、県立病院等)を受診した者の数は、16名、20名、63名、10名であった。一方、Non-BI地域におけるこれらの数は、49名、37名、6名、15名であり、地域間におけるこれらの結果には有意差が認められた(p<0.001)。世帯の経済レベル、母親の学歴、CHCにおける保管医薬品の量・種類などには地域間に有意差は認められず、疾病の種類、重症度にもほとんど差はなかった。更に各施設別治療費でも、BIあるいは、Non-BI地域間で差は認められなかった。 また、215名中74名が抗生物質を購入あるいは処方されており、その数を医療施設別に見ると、これらのうち32件がSelf-medicationであり、利用医療施設と抗生物質が使用される割合との間には有意差が認められた(p=0.006)。抗生物質使用と症状との関係については、下痢症(赤痢やコレラを除く)や頭痛などにおいても抗生物質が使用されるという適切とは言い難い状況が認めらた。 また、家庭内に何らかの医薬品を将来使用する目的で常備あるいは保管していると回答した世帯は505軒中138軒であり、138軒中76軒が抗生物質を保管しており、そのほとんどがノンコンプライアンスというよりはむしろ、Self-medicationにより、入手されていた(p<0.001)。 診療機関の選定など医薬品使用に関連する行動が、どのような独立変数と関係しているかを探る目的で実施したLogistic step-wise回帰分析の結果は以下のとおりである。母親がSelf-medicationを決定するか否かを左右する因子は、(1)小児下痢症治療に関する正しい知識(Odds Ratio,0.16;95%CI,0.06-0.38)、(2)BI地域に居住していること(Odds Ratio,0.33;95%CI,0.16-0.65)、(3)メディアン以上の経済力(Odds Ratio,2.49;95%CI,1.24-5.03)。同様にCHCを選択するか否かは、(1)小児下痢症治療に関する正しい知識(Odd Ratio,2.05;95%CI,0.96-4.42)、(2)BI地域に居住していること(Odds Ratio,17.92;95%CI,7.33-51.24)、(3)メディアン以上の経済力(Odds Ratio,0.32;95%CI,0.14-0.72)によることが明らかになった。 疾病治療に際し、抗生物質が使用される機会は、Self-medicationにより高くなり(Odds Ratio2.25;95%CI,1.16-4.40)、BI地域では低く(Odds Ratio,0.75;95%CI,0.42-1.31)、母親が小児下痢症治療並びに抗生物質使用に関する正しい知識を得る確率は、その情報が保健医療スタッフから直接伝えられることでそれぞれ有意に高くなる(前者:Odds Ratio,3.93;95%CI,2.58-6.04,後者:Odds Ratio,2.13;95%CI,1.39-3.30)ことが判明した。更に、抗生物質を含む医薬品を保管する確率は、母親が抗生物質使用に関する誤った知識ではなくむしろ、正確な知識を有する場合に高くなる(Odds Ratio,2.39;95%CI,1.57-3.65)という知識と行動のギャップ(KAP gap)が認められた。 IV.考察および結論 上記の結果から次の6点が明らかになった。第1点は、母親の抗生物質使用ならびに下痢症治療に関する知識が、Self-medication及び家庭内における医薬品保管や、抗生物質の使用に影響を与えることが判明したことから、「ヴェトナムにおける不適正な医薬品使用は、Self-medicationという行動そのものというよりはむしろ、患者あるいは消費者である国民の誤認識にその中心的問題がある。」ということである。 第2点は、家庭内保管医薬品の状況から医薬品使用に関する正確な知識を有していても、抗生物質を来るべき下痢症や熱を伴わない咳などの上気道炎の治療に使用する目的で事前に薬局等で買い求めるというKAP Gapも認められたことから、「単に正確な知識を有するということと真にその意味を理解しているということは必ずしも一致するものでない。」ということである。 第3点は、「下痢症に関する知識と、抗生物質に関する知識の反映するものは異なり、前者の知識度が、より理解度を表わす指標に近い。」と思われる。その根拠は、下痢症に関する情報、ことに安価な経口補水塩(ORS)の使用に関して母親達は、利潤追求型の個人薬局や私設診療所においてではなく、CHCの保健医療スタッフから直接説明を受けることが多く、抗生物質の使用に関する情報はむしろその逆かあるいは、製薬産業による非倫理的ともいえる販売促進を目的とする広告の影響を受けていると考えられる点にある。 第4点は、抗生物質信仰などの国民の誤認識は、Self-medicationによる抗生物質を中心とする医薬品の乱用のみでなく、保健医療スタッフへの患者による特定の医薬品の要求などの問題も生み出している。また、患者の医薬品使用に対する適切な姿勢は、保健医療スタッフから直接指導を受けることで高まることから、医療従事者の医薬品に関する知識向上さらにはコミュニケーションの方法などの対策も同時に必要であることがわかった。 第5点は、「BIは、住民による適正な医薬品使用を推進するメカニズムを有する。」ということである。その理由は、バマコ・イニシアティブの実施されている地域では、非実施地域に比べより適切に医薬品が使用されていることが認められたからである。両地域の違いとしては、保健医療スタッフの適正処方に関する研修機会や、住民保健教育資料配布などの支援があげられる。このような研修や住民教育への小さな投資が大きな効果を生み、医薬品乱用の根底にある問題を解決する重要なステップとなると思われる。更に、最も大きな両地域間の差は、住民参加による地域のエンパワーメントレベルであり、このことが住民の保健意識を大きく左右していると思われる。 最後に、本論文は、Self-medicationを不適正な医薬品使用の根元として排除することを目指している訳ではない。財政難から、保健予算の削減を余儀なくされている開発途上国においては、適正な医薬品使用ができるのであれば、Self-medicationを推進することも可能であろう。本調査の結果およびその背景研究から導かれた許容できる適切なSelf-medicationとは次の3条件をみたすものであると思われる。(1)対象疾患が重症なものではない。(2)使用する医薬品が重篤な副作用を起こすおそれがなく、比較的安全で、対象疾患に対する効果が証明されている。(3)使用する医薬品が、医師もしくは医療の専門家の診断を必要とするいわゆる処方箋を必要とするものでない。これらの条件をみたさないSelf-medicationは、疾患治療というよりはむしろ患者の健康を脅かすものとなる。 以上をまとめると、「BIは、住民参加による地域のエンパワーメントを促進し、住民の保健意識あるいは行動変容をもたらすことで、より適切な医薬品使用を理解する素地を作ることにつながる。」ということが明らかになった。医薬品乱用という問題解決のためには、エンパワーメントにより医薬品の’Ultimate User’としての患者の認識を変える必要がある。しかしながら、このような意識改革は、一朝一夕に短期間で出来るものではなく、行政・政策による医薬品に関する規制・監視強化機構の構築、あるいは製薬産業による非倫理的医薬品販売促進戦略に対する行政指導等の側面からの対策も同時並行して実施する必要があると思われる。 |