学位論文要旨



No 114588
著者(漢字) 韓,士栄
著者(英字)
著者(カナ) ハン,シロン
標題(和) 上海における中絶経験女性の性感染症およびSTD/AIDSの知識、態度、行動についての研究
標題(洋) Study on STDs prevalence among artificial abortion women and their knowledge,attitudes and practices on STD/AIDS in Shanghai.
報告番号 114588
報告番号 甲14588
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1508号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 助教授 土屋,尚之
内容要旨 1.研究の背景と目的

 中国では、望まない出産を防ぐ最終手段として中絶が一般的である。また、さまざまな側面において、中絶経験のある女性は、現代社会および健康に対し大きな問題となっているSTD/HIVの感染リスクが高いことが示唆されている。そこで本研究は、中絶とクラミジアおよび淋病の有病率との関係、中絶とSTD/HIV/AIDSについてのKAP(知識、態度、行動)との関係を調べることを目的として実施した。

2.調査方法

 この研究は中国上海省のXin-hua病院産婦人科において、外来患者を対象として以下の2つのグループに分け、1997年11月から1998年3月までの6ヶ月間にわたり行った。第一の対象者としてすべての中絶を目的として来院した女性(n=500)を選び(current-abortion-group)、第二のグループとして503人の中絶を目的としない女性外来患者を対象とした(non-current-abortion-group)。また、後者の女性患者は子宮頚部炎や膣炎を持たないものを対象とし、503人の内、291人は過去に中絶の経験があり、195人は、全く経験のない者であった。そして、以上2つのグループ、すべての対象者に対してクラミジアと淋病感染の有無をPCR法を用いて検査し、また質問票によるKAP調査もあわせて行った。データ解析には、Univariate analysis,t-test,2test,One-way ANOVAを用いた。またすべての被験者について当該研究についてのインフォームド・コンセントを徹底した。

3.結果第一グループ(Current-abortion-group)

 本グループの対象者は、平均年齢は26.4歳(SD±5.2)であり、その63.8%が既婚者であった。

[中絶回数・STD有病率・KAPの関連]

 中絶経験者のクラミジア有病率(5.9%)は、Wang Qian Quらによる報告の中国一般女性のそれ(2.5%)より2倍以上高かった。また淋病の有病率は、中絶経験者が1.0%で、Wu Wei Mingらによる報告された中国一般女性の0.1%に比べ高かった。なお、中絶の回数とクラミジアおよび淋病の有病率の間に相関は認められなかった。しかしKAP調査において、一回の中絶の経験を持つ女性は一回以上中絶経験を持つ女性より、STD/HIV/AIDSに関しより多くの知識を持っており、2回以上の中絶経験を持つ女性は一回の中絶経験を持つ女性より、エイズ患者とエイズに対し寛容でないことが分かった(p<0.05)。また、KAPより、中絶の経験を持つ女性たちは性的活動が活発であり、初回性体験の平均年齢は22.9才、複数の性的パートナーを持つ傾向にある(p<0.05)。また中絶経験を持つ女性がコンドームを使用する主な目的は、STDやHIV/AIDS感染の予防ではなく、望まない妊娠を回避するためであったという結果が得られた。

[年齢・STD有病率・KAPの関連]

 若年中絶経験者(25歳以下)と高年齢中絶経験者(35歳以上)のクラミジア有病率はそれぞれ8.3%、14.8%で、25-35歳の中絶経験者のそれ(2.3%)より高かった(p<0.01)。この結果が得られた理由として、第一に25-35歳の中絶経験者が、若年中絶経験者群と高年齢中絶経験者群に比べ、より高い教育を受けていること(p<0.01)。第二にコンドーム使用の頻度がより高く(p<0.01)、性的パートナーの数がより少ない(p<0.01)ためと考えられる。

[既婚未婚・STD有病率・KAPの関連]

 中絶経験者の中で、未婚の女性は、既婚の女性に比べ、STDおよびHIV/AIDS感染の危険性がより高かった。未婚中絶経験者の初回性体験の平均年齢は21.1歳であり、既婚で中絶経験を持つ女性のそれ(23.9歳)より早い(p<0.01)。未婚中絶経験者の性的パートナーの平均数は1.1人で、既婚中絶経験者のそれ(1.0人)より多いことがわかった(p<0.01)。未婚中絶経験者のクラミジア有病率は9.9%であるのに対し、既婚中絶経験者のクラミジア有病率は4.5%である(p<0.01)。未婚中絶経験者は、既婚中絶経験者より教育レベルが低く、性に対しより開放的な意見を持っていた(p<0.01)。

第二グループ(Non-current-abortion-women)

 中絶を目的としない女性外来患者のHIV/AIDSを含む性病に対する知識、態度、行動を理解するため、第二グループ内で過去に中絶を行った経験のある女性と全く中絶を行った事のない女性とに分け比較することにした。そして対象者の平均年齢は31.4歳(SD±5.6)で、その内92.9%は、既婚者が占めた。503人の第二グループの内291人は過去に中絶を受けたことがあり(past-abortion)、この過去に中絶を受けた経験のある女性は全く中絶を受けたことのない女性(never-abortion)より性的に活発であり、性に対してより開放的な考えを持っていた(p<0.05)。また過去に中絶した経験のある女性は初回性交渉においても全く中絶の経験のない人より早く性体験していることが分かった(p<0.05)。そして過去に中絶の経験を持つ女性は、持たない女性より複数の男性と関係を持つ傾向にあることが分かった。更に中絶した事のある女性のほとんどが、コンドームのSTD/AIDS予防の有効性について理解しているにも関わらず、必要な性病に対する予防対策を取っていなかった。その理由としてコンドームの購入や使用に付随する問題が挙げられた。

4.考察

 本研究により以下の4点が明らかになった。第1点は、避妊のみならず、性病やHIV予防という観点からコンドームの普及が必要であり、なお、その際には中国に根強く存在するコンドームに対する社会的慣習や考えを打破する必要があるであろう。本研究は、これらの社会的慣習が如何なるものであるかをも明らかにした点に意義がある。つまり、コンドームの購入に対するためらいや、夫や恋人などにコンドームの使用を依頼することでおこる不快な状況などである。

 第2点は、本研究のKAPにより、中絶経験の有無にかかわらず中国人女性は性病やHIV/AIDS予防に関して十分認識しているとは言えない状況であるという点である。とりわけ、未婚女性は既婚女性に比べて、性的に活発であり、クラミジアや淋病などの感染リスクも高いことから、未婚女性を中心に据えた性病やHIV/AIDS予防に関する保健教育プログラムを行う必要があると考えられる。

 第3点は、1979年の中国の改革開放政策により性病やHIV/AIDSなどの感染流行、更には、若者を中心に性に対する考えが大きく変化し、性に対してより開放的となるなどの点が危惧されてきたわけであるが、この点が本研究による若年層の性的活動性から確認されたことである。

 第4点は、本研究は上海のみならずその他の中国における性病やHIV/AIDS予防対策を実施する上で必要な基礎的疫学情報を提供しているという点である。さらに、「人工妊娠中絶件数」がクラミジアや淋病のみならず、その他の性病やHIVなどの蔓延状況を推測するうえで有用な指標となり得る可能性を秘めていることが示唆された。現時点では、本研究はその可能性を示唆するのみであるが、今後さらにこの点につき詳細な研究を実施することで「人工妊娠中絶件数」という指標が、保健政策上有効なツールとなると考える。

 最後に、本研究の限界として、外来患者を調査対象としたことによるサンプルバイアスや、第二グループにおいて見られるように調査時点で中絶を希望していなかった女性の半数以上が過去において中絶を経験しているなどグループ間の比較が、複雑かつ困難な点があるということが挙げられる。研究のテーマが性病という非常にセンシティブなものであることから、やむを得ずこのような研究デザインとなったが、比較可能な方法を検討し今後の研究に生かしたいと考える。

審査要旨

 中国では、望まない出産を防ぐ最終手段として中絶が一般的である。また、さまざまな側面において、中絶経験のある女性は、現代社会および健康に対し大きな問題となっているSTD/HIVの感染リスクが高いことが示唆されている。そこで今回、中絶とクラミジアおよび淋病の有病率との関係、中絶とSTD/HIV/AIDSについてのKAP(知識、態度、行動)との関係を調べることを目的として実施した。下記の結果を得ている。

 1.中絶経験者のクラミジア有病率(5.9%)は、報告の中国一般女性のそれ(2.5%)より2倍以上高かった。また淋病の有病率は、中絶経験者が1.0%で、報告された中国一般女性の0.1%に比べ高かった。

 2.中絶経験者の中で、未婚の女性は、既婚の女性に比べ、STDおよびHIV/AIDS感染の危険性がより高かった。未婚中絶経験者の初回性体験の平均年齢は21.1歳であり、既婚で中絶経験を持つ女性のそれ(23.9歳)より早い(p<0.01)。未婚中絶経験者の性的パートナーの平均数は1.1人で、既婚中絶経験者のそれ(1.0人)より多いことがわかった(p<0.01)。未婚中絶経験者のクラミジア有病率は9.9%であるのに対し、既婚中絶経験者のクラミジア有病率は4.5%である(p<0.01)。未婚中絶経験者は、既婚中絶経験者より教育レベルが低く、性に対しより開放的な意見を持っていた(p<0.01)。

 3.中絶を目的としない女性外来患者のHIV/AIDSを含む性病に対する知識、態度、行動を理解するため、過去に中絶を行った経験のある女性と全く中絶を行った事のない女性とに分け比較することにした。この過去に中絶を受けた経験のある女性は全く中絶を受けたことのない女性(never-abortion)より性的に活発であり、性に対してより開放的な考えを持っていた(p<0.05)。また過去に中絶した経験のある女性は初回性交渉においても全く中絶の経験のない人より早く性体験していることが分かった(p<0.05)。そして過去に中絶の経験を持つ女性は、持たない女性より複数の男性と関係を持つ傾向にあることが分かった。更に中絶した事のある女性のほとんどが、コンドームのSTD/AIDS予防の有効性について理解しているにも関わらず、必要な性病に対する予防対策を取っていなかった。その理由としてコンドームの購入や使用に付随する問題が挙げられた。

 本研究により以下の2点が明らかになった。第1点は、避妊のみならず、性病やHIV予防という観点からコンドームの普及が必要であり、なお、その際には中国に根強く存在するコンドームに対する社会的慣習や考えを打破する必要があるであろう。第2点は、KAPにより、中絶経験の有無にかかわらず中国人女性は性病やHIV/AIDS予防に関して十分認識しているとは言えない状況であるという点である。とりわけ、未婚女性は既婚女性に比べて、性的に活発であり、クラミジアや淋病などの感染リスクも高いことから、未婚女性を中心に据えた性病やHIV/AIDS予防に関する保健教育プログラムを行う必要があると考えられる。

 本研究は上海のみならずその他の中国における性病やHIV/AIDS予防対策を実施する上で必要な基礎的疫学情報を提供しているという点である。さらに、「人工妊娠中絶件数」がクラミジアや淋病のみならず、その他の性病やHIVなどの蔓延状況を推測するうえで有用な指標となり得る可能性を秘めていることが示唆された。本研究は、中絶経験者のKAPと性病および予防対策に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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