学位論文要旨



No 114589
著者(漢字) バルア,スマナ
著者(英字)
著者(カナ) バルア,スマナ
標題(和) ミャンマーにおけるハンセン病コントロールの公衆衛生的・社会的意義 : 特に地域に根ざした有病者の検出について。
標題(洋) Public health and social implication of leprosy control in Myanmar with an emphasis on community : based case detection towards the goal of elimination
報告番号 114589
報告番号 甲14589
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1509号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 助教授 橋本,修二
 東京大学 助教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 中村,安秀
 東京大学 助教授 福岡,秀興
内容要旨 1.序論

 1982年、世界保健機関(WHO)はハンセン病根絶に向けて多剤併用療法(MDT)を導入した。1991年、WHOは西暦2000年までにハンセン病流行国での有病率を人口1万に対して1以下とする達成目標を宣言した。1998年初めには世界で1,070万人がMDTによる治療を受けており、これは登録症例の95%以上に相当する。その結果、有病率が人口1万対1以上の国は、1985年には122カ国であったのが1998年には32カ国に減少した。すなわち、この12年間でハンセン病がなお公衆衛生上の問題である国が著しく減少したことになる。さらにMDT治療により200万人が高度な機能障害(Grade II)を残すことなく治療されている。

 ミャンマー(人口4600万)ではハンセン病はなお重大な公衆衛生的、社会的問題であり、WHOによると「ハンセン病の有病率の最も高い16カ国」の1つである。ちなみに、これらの16カ国で世界のハンセン病患者の92%占めている。1988年にWHOが設定した「西暦2000年までに国内での発生数を人口1万対1以下にしよう」という目標達成のためにミャンマーにもMDTが導入された。当初はハンセン病制圧計画(Leprosy Elimination Program,LEP)単独で実行されたが、1991年からは次第に基本的保健サービス(Basic Health Service,BHS)に統合されることによって全国をカバーする事ができるようになった。その結果登録患者に対するMDTによる治療は1988年には20%にしか過ぎなかったのが、1995年には100%に達した。それに伴い有病率は、1988年には人口1万対39.9であったのが1997年には2.91と激減した。しかし、全世界の平均有病率(1997年現在)人口1万対1.39に比べまだ約2倍高い。

 これまでの研究によるとLEPの導入により疫学的に効果があったことや、対策計画に変化があったことは報告されている。しかし、ミャンマーにおけるLEPの公衆衛生的、社会的意義についての研究、特にBHSとの統合的アプローチによるハンセン病対策が公衆衛生的、社会的に与えたインパクトについての研究はない。そこでこれらについて検討すると共に、さらに本研究では、地域に根ざした患者の早期発見率と、患者自身および地域のリーダーたちのハンセン病に対する意識(Awareness)、知識(Knowledge)、姿勢(Attitude)、社会的スティグマ(Social stigma)との関係についても研究した。

2.研究の目的と作業仮説全般的目的

 ・ ハンセン病コントロールプログラムによってもたらされた疫学的変化と公衆衛生に与えたインパクトについて検討する。

 ・ 地域に根ざしたハンセン病患者発見活動の社会的意義について検討する。

個別的目的

 ・ 地域的に異なった保健医療プログラムの状況下で、LEPがどのような疫学的変化をもたらしたかを調査する。

 ・ 新患者の発見に及ぼす社会的因子の影響を、コミュニティーの視点から明らかにする。

 ・ 西暦2000年以降のミャンマーのLEPの戦略についての提言を行う。

作業仮説

 ハンセン病新患者の発見は、患者自身および地域のリーダーたちのハンセン病に対する意識(Awareness)、知識(Knowledge)、姿勢(Attitude)、社会的スティグマ(Social stigma)に依存する。

3。方法と対象

 クロス・セクショナルな記述的手法を用いた。以下の資料を解析・検討した。すなわち、1)ミャンマー政府の出版物、2)BHS年報、3)LEP年報、4)ミャンマー保健省から個人的に得た情報、5)WHO短期コンサルタントのレポート、6)WHOのLEPに対する評価レポート。

 1997年に登録されたハンセン病患者のうち有病率が高いタウンシップ(以下郡区、H)、有病率が中程度の郡区(M)、有病率が低い郡区(L)をそれぞれ1カ所づつ無作為に選び、新規に診断された患者(n=284)とそれぞれの郡区の村の地域のリーダー(n=156)に対して質問紙法によってインタビューを行った。インタビューの期間は1998年6〜7月の2カ月間であった。

4。結果1)疫学的意義

 Figure 1では推定有病率(Estimated PR)、登録有病率(Reg.PR)、新規発見率(NCDR)を、それぞれ1986年と1996年を対比して示している。Estimated PRは1986年の人口1万対24.24から1996年には2.26まで低下した。同様にReg.PRも1986年の59.3から1996年には4.2までに低下した。しかし、逆にNCDRは1986年の人口10万対16.7から1996年では22.1と上昇している

Figure 1

 Figure 2には、Grade IIの機能障害の比率、14歳以下の占める割合、新規患者に占める専門家によらない自発的検出(passive case detection,PCD)のそれぞれの比率を1986年と1996年の比較を示している。Grade IIの機能障害の比率は1986年には27.5%であったのが1996年には10.9%に低下しているのがわかる。14歳以下の比率は1986年の17.8%から1996年には11.1%に減少している。Passive case detectionによって発見された患者の全新規患者数に占める割合は5.5%から1996年には62.5%に上昇している。

Figure 2
2)社会的意義

 インタービューした284例のハンセン病患者のうち、ハンセン病についての知識(Knowledge score,KS)は82.1%(233)が高いscoreを示し、17.9%(51)が低いスコアであった。H、M、Lグループの間に有意な相関が認められた。すなわち、KSが良好な群では有病率が低かった。また、姿勢(Attitude)と有病率との間にも有意な相関がみられた。しかし、意識(Awareness)については有病率との間に一定の相関関係が得られなかった。

 156人のコミュニティ・リーダーのインタービューでは、知識(Knowledge score,KS)では3群で差はなかったが、意識(Awareness)についてはH群とMおよびL群の間では有意の相関が認められた。同様の関係が、社会的スティグマ(Social stigma)についても見られた。コミュニティ・リーダーの患者発見に対する関与の程度についてはH、M群とL群の間で差が見られた。すなわち、L群では新規患者の発見に対してリーダーの積極的関与が示唆された。

5。考察

 ミャンマーでは、MDT療法普及率の増加やNCDR増加傾向が示すように、年々より多くの患者が発見されMDTで治療されている。その結果Reg.PRは減少傾向にある。1997年末までの累積患者は153,392人で、1998年1月現在では170,413人がMDTの治療を完了している(Release From Treatment,RFT)。さらに、再発率は1986年の0.32%から1996年には0.0013%に激減している。

 Grade IIの障害率が減少傾向にあること、全国での新規患者にしめる14歳以下児の割合が示すように、MDT療法が効果をあげていることは明らかと考えられる。その結果、ミャンマーにおけるハンセン病による障害に対する社会的、身体的リハビリテーションにかかる負担も軽減していると推定される。

 一方、全国レベルで新規発見患者数のうちpassive case detectionのしめる割合が1986年の5.5%から1996年の62.5%と増加していることから、地域のリーダーだけでなく、一般の人々のハンセン病に対する知識や意識が高くなっていることが推測される。

 インタビューを受けた患者の知識(Knowledge score)が改善していること、地域のリーダーのハンセン病に対する意識やSocial stigmaが改善していることから、コミュニティレベルでの保健ワーカーによる健康教育のインパクトの強さがうかがわれる。このことはtownshipレベルだけではなく、郡、州、国レベルでpassive case detectionによる新規患者数が増加していることに反映しているといえる。

 以上のことから地域を主体にしたMDT療法の推進はハンセン病感染による公衆衛生的、社会的負担を減少させるだけではなく、疫学的にも重要であることがわかる。

6。結語

 ミャンマーでは比較的短期間のうちにMDT療法の普及率を100%とするのに成功しただけではなく、Reg.PRも急速に減少させることができた。それには様々な要因があるが、なかでも政府・WHOによるLEPと地域の人々をまきこんだBHSとの強力な共同作業が大きな要因であったと考えられる。ハンセン病コントロールプログラムでの経験はそれ以外の感染症(マラリア、結核など)のコントロールにも寄与するであろう。

審査要旨

 本研究はクロス・セクショナルな記述的手法を用いて以下の資料を解析・検討することにより、I)ミャンマーにおけるハンセン病制圧計画(LEP)の公衆衛生的意義および、II)社会的意義について、特に基本的保健サービス(BHS)との統合的アプローチによるハンセン病対策が、公衆衛生的、社会的に与えたインパクトに焦点を当てて研究したものである。資料として用いたのは、1)ミャンマー政府の出版物、2)BHS年報、3)LEP年報、4)ミャンマー保健省から個人的に得た情報、5)WHO短期コンサルタントのレポート、6)WHOのLEPに対する評価レポート、である。さらに本研究では、地域に根ざした患者の早期発見率と、患者自身および地域のリーダーたちのハンセン病に対する意識(Awareness)、知識(Knowledge)、姿勢(Attitude)、社会的スティグマ(Social stigma)との関係について、質問紙法を用いた個人インタービューにより調査・分析を行った。研究者は在学中の3年間に6回、それぞれ1〜2カ月間現地に滞在し、研究活動を行った。得られた結果は以下の通りである。

I 公衆衛生的意義

 1.推定有病率は1986年の人口1万対24.24から1996年には2.26まで低下した。同様に登録有病率も1986年の59.3から1996年には4.2までに低下した。逆に新規発見率は1986年の人口10万対16.7から1996年では22.1と上昇し、自発的検出率も1986年の5.5%から1996年には62.5%に上昇した。

 2.Grade IIの機能障害の比率は1986年には27.5%であったのが1996年には10.9%に低下した。14歳以下の比率は1986年の17.8%から1996年には11.1%に減少した。

II 社会的意義

 1.インタービューした284例のハンセン病患者のうち、ハンセン病についての知識(Knowledge score,KS)は82.1%(n=233)が高いスコアを示し、17.9%(n=51)が低いスコアであった。有病率の高い郡区(H群)、中程度の郡区(M群)、低い郡区(L群)の間に有意な相関が認められた。すなわち、KSが良好な群では有病率が低かった。しかし、意識(Awareness)、姿勢(Attitude)については有病率との間に一定の相関関係が得られなかった。

 2.156人のコミュニティ・リーダーのインタービューでは、知識(Knowledge score,KS)では3群で差はなかったが、意識(Awareness)についてはH群とMおよびL群の間では有意の相関が認められた。同様の関係が、社会的スティグマ(Social stigma)についても見られた。コミュニティ・リーダーの患者発見に対する関与の程度についてはH、M群とL群の間で差が見られた。すなわち、L群では新規患者の発見に対してリーダーの積極的関与が示唆された。

 以上、本論文はミャンマーにおける地域に根ざしたハンセン病患者の早期発見と多剤併用療法の推進によって比較的短期間のうちに多剤併用療法の普及率を100%とするのに成功しただけではなく、有病率を急速に減少させることができたこと、ハンセン病による公衆衛生的、社会的負担を減少させるだけではなく、疫学的にも重要であることを明らかにしたことにより、同国におけるハンセン病制圧計画(有病率を人口1万対1以下とする)が西暦2千年までに実現可能とする方向性を学問的に裏付けたものであり、かつ、同国の人々の健康増進に大きな貢献をするものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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