学位論文要旨



No 114593
著者(漢字) 松井,智浩
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,トモヒロ
標題(和) 高エストロゲン状態にある妊娠中の骨吸収亢進機構に関する研究 : 末梢血単球からの骨吸収性サイトカイン過剰発現の解析
標題(洋) Bone loss during pregnancy is mediated by increased cytokine production in peripheral blood mononuclear cells
報告番号 114593
報告番号 甲14593
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1513号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 助教授 渡辺,知保
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨

 エストロゲンは女性骨代謝の中心物質で、骨を増加、保護すると考えられている。思春期女性の急激な骨量増加は思春期発来と共にエストロゲンが上昇することにより起こり、卵巣摘除や更年期の低エストロゲン状態で骨吸収は亢進する。妊娠中はエストロゲンが高値(15-37ng/ml)を示すので、骨は保護されていると考えられてきた。しかし、我々は妊娠中は骨吸収が亢進し、骨形成が抑制された特異な骨代謝回転にあることを新しく見出した。即ち骨吸収マーカー(デオキシピリジノリン等)は妊娠中増加していくのに対し、骨形成マーカー(オステオカルシン等)は中期までは抑制され、末期になって軽度上昇した。このことより、妊娠性骨粗鬆症(Nordin et al.,1955)は、原因不明の疾患とされてきたが、妊娠中は生理的に骨量が減少し、その重症例が本疾患になる可能性が示された。更に妊娠前と分娩直後の骨量の変化をみて、腰椎骨で平均3.3%の減少をみた報告や、妊娠中の腰痛のなかには腰椎の骨量減少によるものが含まれること等の事象は、我々の結果と考え併せると妊娠中の骨量減少は生理的に生じていることを示すものである。

 本研究は妊娠中の骨代謝回転を更に詳細に分析し、骨吸収を引き起こす病態生理の解明を目的として以下の分析を行った。破骨細胞並びに骨芽細胞の生理活性は、それぞれに特異的な酒石酸抵抗性酸フォスファターゼ(TrACP)と骨型アルカリフォスファターゼ(ALP-III)活性により見た。破骨細胞機能を制御しているのは主として骨吸収性サイトカイン(TNF-,IL-1 ,-1 ,IL-6等)である。骨髄微小環境でこれらサイトカインの作用により、骨吸収は生じており、マクロフアージ/単球系から産生されるサイトカインはそれら反応のイニシエーターとして作用している。末梢血単球(PBMC)のサイトカイン産生は、骨髄環境の活性を反映している。そこで、骨髄環境でのこれらサイトカインの動態をPBMCでのサイトカイン発現により分析した。PBMCを分離培養し、サイトカインの分泌及び遺伝子発現、また、妊娠中は各種ステロイドが増加しており、サイトカイン発現を一部制御しているのでこれらステロイドに対する受容体の遺伝子発現も見た。更に、PBMCのエストロゲンあるいはコラーゲンに対するサイトカイン発現の反応性についても分析を試みた。

1)破骨細胞及び骨芽細胞活性の推移(図1):

 TrACPは、妊娠前期では軽度の抑制状態にあり、その後漸増し末期では非妊時の約1.5倍(p<0.01)にまで達した。ALP-IIIは、妊娠14週前後で非妊時の約1/2の値(p<0.01)を示し、その後上昇したが、末期で漸く非妊時レベルに達した。これらの推移から、妊娠14週頃までは、破骨細胞及び骨芽細胞活性は抑制されており、それ以降は両者とも上昇しており、妊娠中の骨代謝は2相より成ることが示された。但し、全期間を通じ骨芽細胞機能は破骨細胞機能に比べ40-50%の抑制がみられカップリングした骨代謝回転は生じていなかった。この結果は、妊娠中に生理的骨量減少が初期より生じていることを示唆するものである。

2)PBMCのサイトカイン産生及び遺伝子発現(図2、3):

 非妊時に比べて、TNF-産生量は、初期で約3倍(123±19ng/106cells/48hr,p<0.05)、後期では4-5倍(p<0.01)に達した。IL-6は、妊娠前半では変化を示さず、後半に著増し末期で非妊時の約3.5倍の産生量(971±143ng/106cells/48hr,p<0.01)を示した。各mRNA発現は、同様の推移であった。なお、IL-1の活性はIL-1 receptor antagonist(IL-1ra)との相対的な比により決まる。IL-1とIL-1raとの比をみると、IL-1/IL-1raは、妊娠初期で非妊時の約2.7倍(p<0.05)、中期で約2倍(p<0.05)を示した後減少した。IL-1/IL-1raは、妊娠中有意に変化しなかった。以上、TNF-及びIL-1は妊娠の初期より上昇していたが、破骨細胞機能とは一致した推移を示していない。それに対し、IL-6は破骨細胞機能の推移に類似し、妊娠の後半に上昇し、妊娠中の破骨細胞を制御しているサイトカインとして機能している可能性が示唆された。即ちTNF-及びIL-1は産生されるが、IL-6発現を促進していない。これらの結果は、TNF-及びIL-1が破骨細胞制御の中心物質であるとするupstream and downstream cytokineという考え方(Pacifici et al.,1996)は妊娠中には必ずしも当てはまらないことを示唆するものである。

3)PBMCのステロイド受容体遺伝子発現:

 PBMCは、妊娠中に増加するエストロゲン(E)、ビタミンD(VD)、プロゲステロン(P)、グルココルチコイド(G)の受容体を有しており、そのいずれもサイトカイン産生を制御する。これらステロイドは妊娠中に上昇するので、その受容体(R)mRNAの発現を検討した。ER-mRNAは末期で減少傾向を示し、エストロゲンの作用が低下している可能性が示唆された。VDR、PR、GR-は変化しなかった。GR-に対しドミナントネガティブに作用するGR-は末期で上昇傾向がみられ、GR-を介するグルココルチコイドのサイトカイン発現抑制作用が相対的に阻止され、サイトカイン発現の上昇をみた可能性が示唆された。

4)PBMCのエストロゲン及びコラーゲンに対する反応性(図4):

 PBMCのIL-6産生に対するエストロゲンの作用をみたところ、非妊時ではエストロゲン(10-7-10-5M)添加で完全な発現抑制が見られた。しかし、末期PBMCでは逆にエストロゲンにより容量依存性(10-11-10-4M)にIL-6産生量が約300%にまで上昇した。即ち、妊娠中と非妊時のPBMCからのサイトカイン発現は全く逆の反応を示していることを見出したのである。これは現在のエストロゲンドグマを否定する現象であり、今後更に解析を進めていきたい。また、マクロファージ/単球系のサイトカイン発現には骨基質蛋白への接着刺激がプライミングとして必要である。そこで骨に多量に含まれるI型コラーゲンに対する反応性をみた。末期PBMCでは、非妊時に比べて約1000倍の低濃度(12x10-3g/ml)で既にIL-6産生が亢進し、濃度依存的に約270%にまで上昇した。フィブロネクチン(Fn)は、コラーゲンによるPBMCからのサイトカイン発現を促進する。この作用は、Fn受容体であるインテグリンを介しているので、その発現をみた。妊娠末期のPBMCでは、VmRNAは減少し、3mRNAは上昇するといった2つのサブユニットの解離を認め、PBMCのコラーゲンに対する反応性亢進には少なくともFn受容体V3を介さない可能性が示唆された。

 以上より、妊娠全期間を通じ、骨芽細胞機能は破骨細胞機能に比べ40-50%の抑制がみられ、生理的骨量減少が生じていることが示された。妊娠前半はPBMCよりTNF-とIL-1は過剰に発現しているにも関わらず、破骨細胞機能は抑制されており、後半はIL-6の発現が上昇し、それに平行して破骨細胞機能の上昇が見られた。即ち、IL-6が妊娠中の破骨細胞制御の中心物質として機能している可能性を示唆する結果を得た。妊娠中にIL-6がPBMCより過剰に発現する機序として、1)エストロゲンが、非妊時とは逆にIL-6産生を促進すること、2)骨基質のI型コラーゲンに対するIL-6産生の亢進、3)GR-の上昇によるグルココルチコイドのIL-6産生抑制の解除等があることを見出した。しかし、これらは従来言われていなかった新しい現象であり、更なる解析が必要である。また、妊娠初期におけるPBMCからのTNF-とIL-1の過剰発現及びそれが破骨細胞機能と平行しないこと等解明すべき新たな問題点が提示された。

図1. 妊娠中及び産褥期における血中TrACPとALP-IIIの推移非妊時の平均値を100%として表示した。図2. 妊娠中及び産褥期におけるPBMCからのIL-6とTNF-産生量の推移Mean±SEM,**:p<0.01,*:p<0.05 vs.Non-preg.,##:p<0.01,#:p<0.05 vs.Gestational age 38 w.図3. 妊娠中及び産褥期におけるPBMCからのTNF-(A),IL-6(B),IL-1(C),IL-1(D)mRNAの推移Mean±SEM,**:p<0.01,*:p<0.05 vs.Non-preg.,##:p<0.01,#:p<0.05 vs.Gestational age 38 w.図4. 非妊時及び妊娠末期のPBMCからのIL-6産生量に及ぼすエストロゲン(E2)の影響E2無添加の値を100%として表示した。
審査要旨

 本研究は妊娠中の骨代謝回転を更に詳細に分析し、骨吸収の亢進を引き起こす病態生理を明らかにするため、末梢血単球(PBMC)を分離培養する系にて、破骨細胞機能を主として制御している骨吸収性サイトカイン(TNF-,IL-1,IL-1,IL-6)の動態を分析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.破骨細胞と骨芽細胞の妊娠中の生理活性を分析した結果、破骨細胞及び骨芽細胞活性は妊娠14週頃までは、非妊時に比べて抑制状態にあり、それ以降は両者とも妊娠末期まで上昇しており、妊娠中の骨代謝は2相より成ることが示された。但し、全期間を通じ骨芽細胞機能は破骨細胞機能に比べ40-50%の抑制がみられカップリングした骨代謝回転は行われていなかった。これらの結果から、妊娠中に生理的骨量減少が初期より生じていることが示唆された。

 2.PBMCを分離培養し、骨吸収性サイトカインの産生量及び遺伝子発現を分析した結果、非妊時に比べて、TNF-及びIL-1は妊娠の初期より上昇していたが、破骨細胞機能とは一致した推移を示さなかった。それに対し、IL-6は破骨細胞機能の推移に類似して妊娠の後半に上昇し、妊娠中の破骨細胞を主として制御しているサイトカインである可能性が示唆された。これらの結果から、TNF-及びIL-1は産生されるが、IL-6の発現を促進しておらず、TNF-及びIL-1が破骨細胞制御の中心物質であるとするupstream and downstream cytokineという考え方は妊娠中には必ずしも当てはまらないことが示唆された。

 3.PBMCにおける各ステロイド受容体の遺伝子発現をみたところ、グルココルチコイド受容体(GR)-が妊娠後期で上昇傾向を示し、GR-に対しドミナントネガティブに作用することでグルココルチコイドのサイトカイン発現抑制作用が相対的に阻止され、サイトカイン、特にIL-6の上昇をみた可能性が示唆された。

 4.PBMCのIL-6産生に対するエストロゲンの作用をみたところ、非妊時のPBMCではエストロゲン(10-7-10-5M)添加で40-50%の発現抑制が見られたが、末期のPBMCでは逆にエストロゲンにより容量依存性(10-11-10-4M)にIL-6産生量が約300%にまで上昇した。つまり、妊娠中と非妊時とではPBMCからのサイトカイン発現に対してエストロゲンは全く逆の反応を示した。

 5.PBMCのIL-6産生に対するI型コラーゲンの作用をみたところ、妊娠末期のPBMCでは、非妊時のPBMCに比べて約1000倍の低濃度でIL-6発現が亢進し、濃度依存的に約270%にまで上昇した。このコラーゲンに対する妊娠末期PBMCの反応性亢進は、少なくともフィブロネクチン受容体(インテグリン)、V3を介さない可能性が各インテグリンサブユニットの遺伝子発現の分析より示唆された。

 以上、本論文はPBMCより産生される骨吸収性サイトカインの分析から、IL-6が妊娠中の破骨細胞制御の中心物質として機能しており、骨吸収が亢進することを新しく示した。妊娠中にIL-6がPBMCより過剰に発現する機序として、1)エストロゲンが、非妊時とは逆にIL-6産生を促進すること、2)I型コラーゲンに対してIL-6産生能が亢進すること、3)GR-の上昇によるグルココルチコイドのIL-6産生抑制の解除があること等を見出した。本研究は、これまで不明であった高エストロゲン状態にある妊娠中の骨吸収亢進機構の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値すると判断した。

UTokyo Repositoryリンク