学位論文要旨



No 114598
著者(漢字) 江守,英太
著者(英字)
著者(カナ) エモリ,エイタ
標題(和) 多機能複合金属不斉錯体を用いるチオールの触媒的不斉マイケル反応およびその新展開
標題(洋)
報告番号 114598
報告番号 甲14598
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第859号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨 1.序論

 触媒的不斉マイケル反応は、有機合成化学上極めて有用なエナンチオ選択的炭素-炭素結合生成反応の1つであり、既に当研究室では希土類元素あるいは13族元素とアルカリ金属の2種の金属を含有する多点制御型の複合金属不斉錯体を創製し、これらの錯体による実用的な触媒的不斉マイケル反応の開発に成功している。一方、マイケルドナー側に不斉が誘起される触媒的不斉マイケル反応およびチオールを求核剤とする触媒的不斉マイケル反応に関しては、これまでに高い選択性を実現した反応がわずかながら報告されているものの、利用できる基質に制限がある等の問題点があり、合成的に有用なレベルには達していないのが現状である。そこで筆者は上記問題点を解決するとともに、多機能複合金属不斉錯体による触媒的不斉マイケル反応における基質の適用性の向上を目指し、本研究に着手した。

2.マイケルドナー側に不斉が誘起される触媒的不斉マイケル反応

 6員環の-ケトエステル1とメチルビニルケトン(2)との反応において触媒および溶媒の検討を行ったところ、LaNa3tris(binaphthoxide)錯体(LSB)をトルエン中で用いた場合に比較的高い不斉収率で成績体3が得られることを見いだした。トルエン中で触媒量を5mol%に減じると、1とLSB中のビナフトールとの配位子交換のために不斉収率が大きく低下したものの、1をslow additionすることで配位子交換を抑制することができた。さらに溶媒として塩化メチレンを用いることで、触媒量5mol%においてもslow additionすることなく、91%eeと高い不斉収率で成績体3を得ることに成功した。

 6員環の-ケトエステル1のみならず、5員環の-ケトエステル4、鎖状の-ケトエステル6を用いても高い不斉が誘起された。また、マイケルアクセプターとして比較的反応性の低いアクリル酸エチル(8)を用いても、室温下で76%eeと比較的高い不斉が誘起された(Table 1)。

Table 1. Catalytic Asymmetric Michael Reactions Promoted by LSB in CH2Cl2
3.環状エノンに対するチオールの触媒的不斉マイケル反応

 チオールとして4-tert-ブチルチオフェノール(11a)を用い、シクロヘキセノン(10a)との反応において種々条件検討を行った。その結果、LSBをトルエン中で用いた場合に60%ee程度の不斉収率で成績体12aが得られることを見いだした。トルエン溶媒では不斉収率の再現性に問題があったものの、少量のTHFを添加することで、不斉収率が格段に向上するとともに、再現性よく成績体を得ることができるようになった。

 最適条件下、種々の基質を用いて反応を行った結果をTable2に示す。まず、シクロヘキセノン(10a)と種々のチオールとの反応を検討した。酸性度が比較的高いチオフェノール(11b)ではチオールとLSB中のビナフトールとの配位子交換が起こっているためか、不斉収率の低下が見られた。一方、ベンジルメルカプタン(11c)では90%eeと高い不斉収率で成績体12cを得ることができた。続いてベンジルメルカプタン(11c)と種々のエノンとの反応を検討した。シクロペンテノン(10b)では56%eeの不斉収率にとどまったが、シクロヘプテノン(10c)や3-メチルシクロヘキセノン(10d)では、比較的高い不斉収率で成績体が得られた。

Table 2. Catalytic Asymmetric Michael Additions of Thiols to Enones Promoted by LSB

 筆者が想定している本反応の触媒サイクルをScheme1に示す。遷移状態Iに示すように、多機能複合金属不斉錯体LSBは、ナトリウムナフトキシド部分がブレンステッド塩基としてチオールを活性化し、中心金属のランタンがルイス酸として環状エノンを活性化するとともにその方向の制御を行うことで、高い不斉収率で目的物を与えるチオールの触媒的不斉マイケル反応を可能にしているものと考えられる。

Scheme 1.Proposed Catalytic Cycle for the Catalytic Asymmetric Michael Addition of Thiols to Cycloalkenones
4.チオールのマイケル付加における触媒的不斉プロトン化反応

 筆者は、LSBによるチオールの触媒的不斉マイケル反応において想定している中間体II(Scheme1)に着目し、太字で示した酸性プロトンを不斉プロトン源として利用することができれば、触媒的不斉プロトン化反応への展開が可能になるのではないかと考えた。なお、チオールのマイケル付加における触媒的不斉プロトン化反応に関しては、これまでに実用的レベルでの報告例がない(最高54%ee)。

 メタクリル酸エチル(16)と4-tert-ブチルチオフェノール(11a)との反応において、LSB(20mol%)を塩化メチレン中で用いることで、成績体17が82%eeと高い不斉収率で得られることを見いだした(化学収率50%)。しかしながら、種々の条件検討にもかかわらず、化学収率の改善は見られなかった。そこで、より反応性が高いと期待されるメタクリル酸チオエステル(18a)を基質に用いたところ、-78℃、2hで反応が速やかに進行し、化学収率93%、不斉収率90%で成績体19aを得ることに成功した。触媒量を10mol%に減じても、ほぼ同様の結果を与え、さらに錯体中心金属をサマリウムに変えたSmSBを用いることで、不斉収率が93%eeに向上した。グラムスケール(18a:1.3g)の実験では、触媒量を2mol%に減じても、不斉収率88%eeと満足な結果で成績体19aを得ることができた。

 最良の結果を与えたSmSBを用いて、種々の置換アクリル酸チオエステル(18b-d)と11aとの反応を行ったところ、いずれの場合においても高い不斉収率を与え、本反応における基質の一般性の高さが示された(Table 3)。

Table 3.Catalytic Asymmetric Protonations in Michael Additions of Thiols to ,-Unsaturated carbonyl Compoundsa
5.チオールのマイケル反応を利用するビシクロ化合物の触媒的速度論的光学分割

 筆者は、チオールの触媒的不斉マイケル反応のさらなる新展開として、本反応を利用する5-methylbicyclo[3.3.0]oct-1-ene-3,6-dione(20)の速度論的光学分割を計画した。20は制癌作用を有するポリシクロペンタノイド系天然物coriolin等の合成における重要中間体である。20の光学活性体を得る方法として、分子内不斉Wittig反応、パン酵母を用いる不斉還元によるアプローチが既に報告されているが、分子触媒によるアプローチはこれまでに報告例がなく、検討の余地を残している。

 20と0.5当量の4-tert-ブチルチオフェノール(11a)との反応を種々検討した結果、チオールの触媒的不斉マイケル反応において有効であったLSBでは十分な不斉が誘起されなかったが、トルエン中AlLibis(binaphthoxide)錯体(ALB)を用いることで、マイケル成績体21が63%ee、未反応の(-)-20が60%eeでそれぞれ定量的に得られた。トルエン中ではALBのオリゴメリックな構造での存在が示唆されたため、オリゴメリックな構造を解離させることができれば、不斉収率の向上につながるのではないかと考え、種々検討を行った。その結果、配位子である(R)体のビナフトールのほかアキラルなアルコールあるいはフェノールを反応系内に添加することでも不斉収率の向上が見られ、とくに4-メトキシフェノールをALBに対して1.2当量添加した場合に、21および(-)-20がそれぞれ78%ee、77%eeと最良の不斉収率で得られた(Table4)。なお、21はスルホキシドを経て(+)-20へと変換され、ここに20の両エナンチオマーを約80%eeで得ることに成功した。

Table 4.Catalytic Kinetic Resolution of 5-Methylbicyclo[3.3.0]oct-1-ene-3,6-dione

 また、本速度論的分割においては、4-メトキシフェノールの存在の有無によらず、不斉増幅現象が観測されたことから、(R)-ALBと(S)-ALBから形成される複合体が、ALBそのものに比較して反応性が低く、かつ4-メトキシフェノール存在下においても容易に解離しないのであろうと示唆された。

6.まとめ

 (a)LSBを用いることにより、一般性の高いマイケルドナー側に不斉が誘起される触媒的不斉マイケル反応の開発に成功した。

 (b)LnSBを用いることにより、実用的な環状エノンに対するチオールの触媒的不斉マイケル反応およびチオールのマイケル付加における触媒的不斉プロトン化反応の開発に成功した。特に後者の反応は、高血圧治療薬として用いられているcaptoprilをはじめ、種々の重要な生物活性化合物の合成において有用な手法になるものと考えられる。また、後者の反応の開発により、多機能複合金属不斉錯体の新たな機能を示すことができた。

 (c)チオールのマイケル反応を利用する5-methylbicyclo[3.3.0]oct-1-ene-3,6-dioneの速度論的光学分割において、ALBに少量の4-メトキシフェノールを添加して用いることで、比較的高い不斉収率(ca.80%ee)で両エナンチオマーを得ることに成功した。

 

審査要旨

 チオールを求核剤とする触媒的不斉マイケル反応に関しては、これまでに高い選択性を実現した反応がわずかながら報告されているものの、利用できる基質に制限がある等の問題点があり、合成的に有用なレベルには達していないのが現状である。そこで江守英太は上記問題点を解決するとともに、多機能複合金属不斉錯体による触媒的不斉マイケル反応における基質の適用性の向上を目指し、本研究に着手した。

 チオールとして4-tert-ブチルチオフェノール(2a)を用い、シクロヘキセノン(1a)との反応において種々条件検討を行った。その結果、LSBをトルエン中で用いた場合に60%ee程度の不斉収率で成績体3aが得られることを見いだした。トルエン溶媒では不斉収率の再現性に問題があったものの、少量のTHFを添加することで、不斉収率が格段に向上するとともに、再現性よく成績体を得ることができるようになった。

 最適条件下、種々の基質を用いて反応を行った結果をTable1に示す。まず、シクロヘキセノン(1a)と種々のチオールとの反応を検討した。酸性度が比較的高いチオフェノール(2b)ではチオールとLSB中のビナフトールとの配位子交換が起こっているためか、不斉収率の低下が見られた。一方、ベンジルメルカプタン(2c)では90%eeと高い不斉収率で成績体3cを得ることができた。続いてベンジルメルカプタン(2c)と種々のエノンとの反応を検討した。シクロペンテノン(1b)では56%eeの不斉収率にとどまったが、シクロヘプテノン(1c)や3-メチルシクロヘキセノン(1d)では、比較的高い不斉収率で成績体が得られた。

Table 1.Catalytic Asymmetric Michael Additions of Thiols to Enones Promoted by LSB

 さらに江守英太は、LSBによるチオールの触媒的不斉マイケル反応において想定している中間体に着目し、酸性プロトンを不斉プロトン源として利用することができれば、触媒的不斉プロトン化反応への展開が可能になるのではないかと考えた。なお、チオールのマイケル付加における触媒的不斉プロトン化反応に関しては、これまでに実用的レベルでの報告例がない(最高54%ee)。

 メタクリル酸エチル(7)と4-tert-ブチルチオフェノール(2a)との反応において、LSB(20mol%)を塩化メチレン中で用いることで、成績体8が82%eeと高い不斉収率で得られることを見いだした(化学収率50%)。しかしながら、種々の条件検討にもかかわらず、化学収率の改善は見られなかった。そこで、より反応性が高いと期待されるメタクリル酸チオエステル(9a)を基質に用いたところ、-78℃、2hで反応が速やかに進行し、化学収率93%、不斉収率90%で成績体10aを得ることに成功した。触媒量を10mol%に減じても、ほぼ同様の結果を与え、さらに錯体中心金属をサマリウムに変えたSmSBを用いることで、不斉収率が93%eeに向上した。グラムスケール(9a:1.3g)の実験では、触媒量を2mol%に減じても、不斉収率88%eeと満足な結果で成績体10aを得ることができた。

 最良の結果を与えたSmSBを用いて、種々の置換アクリル酸チオエステル(9b-d)と2aとの反応を行ったところ、いずれの場合においても高い不斉収率を与え、本反応における基質の一般性の高さが示された(Table2)。

Table 2.Catalytic Asymmetric Protonations in Michael Additions of Thiols to ,-Unsaturated carbonyl Compoundsa

 最後に江守英太は、チオールの触媒的不斉マイケル反応のさらなる新展開として、本反応を利用する5-methylbicyclo[3.3.0]oct-1-ene-3,6-dione(11)の速度論的光学分割を計画した。11は制癌作用を有するポリシクロペンタノイド系天然物coriolin等の合成における重要中間体である。11の光学活性体を得る方法として、分子内不斉Wittig反応、パン酵母を用いる不斉還元によるアプローチが既に報告されているが、分子触媒によるアプローチはこれまでに報告例がなく、検討の余地を残している。

 種々検討を行った結果、ALBに、配位子である(R)体のビナフトールのほかアキラルなアルコールあるいはフェノールを反応系内に添加することで不斉収率の向上が見られ、とくに4-メトキシフェノールをALBに対して1.2当量添加した場合に、12および(-)-11がそれぞれ78%ee、77%eeと最良の不斉収率で得られた。なお、12はスルホキシドを経て(+)-11へと変換され、ここに11の両エナンチオマーを約80%eeで得ることに成功した。

Scheme 1.Catalytic Kinetic Resolution of 5-Methylbicyclo[3.3.0]oct-1-ene-3,6-dione

 以上、江守英太の研究は、今後の医薬さらには生物活性物質の合成で有用な知見を与えたと考えられ、博士(薬学)に十分相当すると判断した。

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