学位論文要旨



No 114600
著者(漢字) 松尾,淳一
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,ジュンイチ
標題(和) キラルな多座配位子を用いる不斉合成反応の開発
標題(洋)
報告番号 114600
報告番号 甲14600
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第861号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 現在、医薬品を構成する生理活性物質は、光学的に純粋な有機化合物として使用される方向へと推移しつつある。この光学的に純粋な有機化合物を合成する方法として、不斉外部配位子などを用いるエナンチオ選択的合成法は、その不斉源の触媒化が可能なことから、効率的な不斉合成法として期待されている方法である。したがって、エナンチオ選択的炭素-炭素結合形成反応は、光学活性有機化合物合成法として極めて重要な方法となり得る。一方、リチウムエノラートを用いる炭素-炭素結合形成反応は、現代の有機合成化学では頻繁に用いられる炭素-炭素結合形成反応であり、アルドール反応、マイケル反応など数多くの有用な反応様式がこれに含まれている。したがって、リチウムエノラートを用いる反応を、キラル外部配位子を用いて一般に立体選択的に行うことができれば、広範囲にわたり適用可能な不斉合成手段を提供できることになると考えられる。そこで筆者はリチウムエノラートの溶液構造とその反応性の関連に着目し、キラルな外部多座配位子によるリチウムエノラートのエナンチオ選択的反応の開発に着手した。従来、有機合成で用いられてきたリチウムエノラートはそれ自体反応性の高い化学種であるので、立体選択性発現のためにはその反応制御の工夫が必要となる。そこで、以下のようなエナンチオ選択的立体制御機構を想定した(Figure 1)。

Figure1.A general concept for e nantioselective reactions of lithium enolates.

 すなわち、低配位性溶媒中でリチウムエノラートを生成させることにより、溶液中での会合度を上げてその反応性を低下させておく(1)。そこへキラルな多座配位子を加えることによりその会合度を下げ(2)、その結果不斉多座配位子の影響でキラルな環境下におかれたリチウムエノラートは反応性の高い真の活性種となり、はじめて求電子剤との立体選択的反応が進行するというものである。本論文は、このような考え方に基づくキラルな多座配位子を用いる各種リチウムエノラートのエナンチオ選択的アルキル化反応について、三章にわたって述べたものである。

 第一章では、リチウムカルボン酸ジアニオンの不斉アルキル化反応について述べた。リチウムカルボン酸ジアニオンは、リチウムエノラートの中でも特に反応性の高いものであり、この高い反応性を制御できれば、他のリチウムエノラートも同様に制御可能であると考えた。また、リチウムカルボン酸ジアニオンには一般のリチウムエノラートに見られる幾何異性の問題がないと考えられるため、エノラートの面選択的不斉アルキル化反応を行うには適した反応であると考えた。

 フェニル酢酸(3)を基質とするリチウムカルボン酸ジアニオンの臭化ベンジルによるベンジル化反応は、THFのような配位性溶媒においては定量的に進行した。一方、トルエンなどの非配位性溶媒では反応は全く進行せず、溶媒によってジアニオンの反応性を完全に抑えることができた。そこで、トルエンを溶媒として多座配位子による反応加速効果を検討したところ、五座配位子(5)で最もアルキル化反応が加速されることを明らかにした。しかし、高い不斉誘起能を有するキラルな四座、五座配位子を見出すことはできなかった(第一章、第三節)。不斉配位子の構造検討の中で、キラル二座配位子(6a)では中程度の不斉誘起が起きていたが(52%ee)、二座配位子であるために十分な反応加速効果が現れず、化学収率は24%と低いものであった。そこで、配位性溶媒であるTHFを溶媒として用いたところ、二座配位型キラルリチウムアミド(6b)を不斉配位子とすることで、より高い不斉誘起が起こることを見出した(第一章、第四節)(Scheme1)。

Scheme1

 第二章では、環状化合物であるラクタム、ラクトンのエナンチオ選択的アルキル化反応について述べた。この場合は、基質が環状化合物であるためにそのリチウムエノラートの幾何異性は固定されている。

 第一節では、ラクタムの不斉アルキル化について述べた。キラルな四座配位型リチウムアミド(9b)を用いてラクタム(7)のエノラートを生成させ、ベンジル化反応を行った。非配位性溶媒であるトルエンを溶媒として検討を行ったところ、低いながらも選択性が発現し(24%ee)、さらに臭化リチウムをこの系に添加することにより、大幅に選択性を向上させることができた(94%ee)。この結果から、高いエナンチオ選択性を誘起する活性種は、リチウムエノラート、臭化リチウム、キラルアミンから成る錯体であることが示唆された。また、9bの代わりにLDA-LiBrを用いた場合は反応が進行しないことから、四座配位子による顕著な反応加速効果を明らかにすることができた。更にこの反応における溶媒効果を検討した結果、溶媒のリチウムに対する配位性を下げるにつれてエナンチオ選択性が向上することを明らかにし、最終的にTMTHF(2,2,5,5-tetramethyltetrahydrofuran)を用いた場合に最も高い選択性(98%ee)を実現することができた(Scheme2)。また、臭化ベンジル以外のアルキル化剤としては、活性ハライドを用いることが高い選択性を発現させるには必要であった。7以外の基質については、六員環ラクタムの窒素上の置換基がメチル基からベンジル基に変わると選択性が低下し、五員環ラクタムを用いた場合は、収率、選択性ともに低下する結果となった。

Scheme2

 第二節では、ラクトンの不斉アルキル化について述べた。基質が,-dimethyl--varelolactone(7)の場合は、ラクタムと同様高い選択性でアルキル化反応が進行した(Scheme3)。しかし、基質としてvarelolactoneを用いた場合は、そのリチウムエノラートの安定性が低いため副反応が起き、収率、選択性ともに低下した。また、ラクタムの場合と同様に五員環ラクトンでは収率、選択性ともに低い結果となった。したがって、五員環基質に対しては不斉配位子の構造を再検討する必要があることが分かった。

Scheme3

 第三節では、ラクタム、ラクトンの触媒的不斉アルキル化について述べた。最初にラクタムの触媒的不斉アルキル化反応を検討した。LDA-LiBrでラクタム(7)のリチウムエノラートを形成し、不斉触媒である9a(0.1eq)と触媒毒となる臭化リチウムを捕捉するTMPDA(N,N,N’,N’-tetramethylpropanediamine,2.0eq)を加えて触媒的不斉ベンジル化反応を行った(Scheme4)。その結果、低温における触媒回転は、極性溶媒を一部用いることにより促進することができ、BuOMe-THF混合溶媒中で収率60%、47%eeで目的とするアルキル化体を得ることができた。しかし、ラクタムのリチウムエノラートの反応性が高いために、TMPDAによっても一部リチウムエノラートが活性化されて非選択的反応が進行してしまい、化学量論量の不斉源を用いた場合の高い選択性は、この場合実現できなかった。更に、ラクトン(10)に対する触媒的不斉アルキル化反応の検討を行ったところ、その触媒回転効率に問題が残るが、81%eeという高い不斉収率をもって目的とするアルキル化体を得ることができた(Scheme5)。したがって、ラクトンのリチウムエノラート程度の反応性ならば、十分にこの考え方によって触媒的不斉アルキル化反応を行えることが分かった。

図表Scheme4 Scheme5

 第三章では、単純な鎖状化合物のエナンチオ選択的アルキル化反応について述べた。単純な鎖状構造の基質では、リチウムエノラートの二つの幾何異性体が生成することが予想される。そこで、最初にE(trans)-エノラートを優先して生成すると報告されている鎖状エステルを基質として検討を行った(第三章、第二節)。これは、第二章におけるラクタムやラクトンのアルキル化反応で、9b-LiBrを用いることにより高い不斉誘起を起こすことができたためである。しかし、9b-LiBrでt-Buthyl propionateのリチウムエノラートを生成させると、その幾何異性の生成比はE(trans):Z(cis)=3:1であることが分かり、十分なエナンチオ選択性を実現するのはこの場合困難であると判断した。そこで、配位子の構造または反応条件等の変化に影響を受けずに、ほぼ単一のZ-エノラートが生成する傾向のある鎖状アミド(12)を基質として検討を行った(第三章、第三節)。まず、キラル外部配位子として六員環ラクトン、ラクタムに対して有効であった9b-LiBrを用いて不斉アルキル化反応を検討したが、満足できる結果は得られなかった(18%ee)。そこで、類似の構造を有する不斉五座配位子について検討したところ選択性が40%eeにまで向上したが、これ以上の選択性を実現することはできなかった。そこで、固相合成法を用いて迅速に不斉五座配位子合成を行い、新たな骨格の不斉配位子探索を行った。その結果、プロリン由来の五員環構造が五座配位子の構造の中で適切な位置に配置されると、12に対するアルキル化反応において選択性が見られるようになった。更に、その不斉五座配位子の構造から各種アミノ酸由来の置換基の効果を検討した結果、中程度のエナンチオ選択性(47%ee)を実現する配位子14を見出した。この構造を基に、液相合成法にて新たに不斉五座配位子(15)を合成したところ、62%eeというこの検討の中で最も高い不斉誘起を起こす配位子を見出すことができた(Scheme6)。この結果より、固相合成を用いる不斉配位子探索の有効性を示すことができたと考えている。

Scheme6

 以上、リチウムエノラートのエナンチオ選択的反応は、非配位性溶媒でリチウムエノラートの反応性を抑え、そしてキラルな多座配位子によって反応を加速して立体選択性を発現させるという機構で行えることを明らかにした。高い選択性を発現するには、適切な構造を有するキラルな多座配位子が必要となる。これまでE-エノラートに対しては極めて優れた不斉四座配位子(9a)が見出されていたが、この研究により、Z-エノラートに対する有効な不斉五座配位子(15)を見出すことができた。今後の研究において、それぞれの不斉配位子がリチウムエノラートに対してどのような不斉空間を形成しているのかを明らかにできれば、より優れたキラルな多座配位子を見出すことができるものと期待される。

審査要旨

 高い立体選択性を有する炭素-炭素結合形成反応の開発は、現代有機合成化学における最重要課題の一つである。中でもリチウムエノラートを用いる反応は、多くの反応様式が可能で頻繁に用いられている。しかしながら、一般に反応性が高いため立体制御が困難である点が問題となってきた。本論文はこの問題に取り組み、有用性は高いが最も困難とされている、キラルな外部配位子を用いるリチウムエノラートの立体選択的反応の開発を行ったものである。論文全般を通じて、リチウムエノラートの溶液構造とその反応性の関係に着目し、キラルな外部多座配位子によるエナンチオ選択的反応の開発を行っている。すなわち、低配位性溶媒中でリチウムエノラートを生成させることにより、溶液中での会合度の高い状態で反応性を抑制し、そこへ多座配位型キラルリガンドを加えることによりその会合度を低下させ、反応性の高い真の活性種を生成させてエナンチオ選択的反応を行うものである。

 リチウムエノラートを用いる一連の反応では、生成するエノラートの幾何異性体の割合が生成物の不斉収率に大きく影響することが予想される。そこでまず、第一章では単一のエノラートが生成すると考えられるリチウムカルボン酸ジアニオンに対するエナンチオ選択的アルキル化反応の検討を行っている。この反応ではカルボン酸ジアニオンの溶解性の問題から、トルエンなどの非配位性溶媒中では円滑に反応が進行しないことを明らかにする一方、配位性溶媒であるテトラヒドロフラン(THF)中では、二座配位型リチウムアミドを不斉配位子として用いることにより、中程度の不斉収率をもって目的とするアルキル化体が得られることを見出している。

 続いて第二章では、リチウムエノラートの幾何異性がE体に定まる環状構造を有するラクタムについて検討を行っている。キラルな四座配位型リチウムアミドによりラクタムのエノラートを形成させた後ベンジル化反応を行い、非配位性溶媒であるトルエン中では低いながらも選択性が発現し(24%ee)、さらにリチウムブロミドを添加することにより大幅に選択性が向上すること(94%ee)を見い出している。この結果から、高いエナンチオ選択性を与える活性種は、リチウムエノラート、リチウムブロミド(LiBr)、キラルアミンの三者錯体であることを推定している。また、リチウムジイソプロピルアミド(LDA)-LiBrを用いて反応を行った場合反応が進行しないことから、四座配位子による顕著な反応加速効果を明らかにしている。さらに溶媒を検討し、2,2,5,5-テトラメチルテトラヒドロフラン(TMTHF)を用いた場合、最も高い選択性(98%ee)を実現できることを見い出している。また、ベンジル化以外のアルキル化反応においても高い選択性をもって反応は進行する一方で、基質の窒素上の置換基がメチル基からベンジル基に変わると選択性が低下し、基質として五員環ラクタムを用いた場合も収率、選択性ともに低下することも明らかにしている。さらに、触媒的不斉アルキル化反応への展開についても検討している。

 一方、ラクタムと同様のエノラート構造を有するラクトンについて検討を行い、エノラート構造が安定なラクトンについてはラクタムと同様高い選択性をもってアルキル化反応が進行するが、リチウムエノラートの安定性が低いラクトンについては副反応が起き、収率、選択性ともに低下することを明らかにしている。さらに、ラクトンの触媒的不斉アルキル化反応の検討を行い、81%eeという高い不斉収率をもって目的とするアルキル化体が得られることを見い出している。

 第三章では、これまで立体制御が極めて困難であることが知られている鎖状構造の基質に対するエナンチオ選択的アルキル化反応を検討している。一般に鎖状化合物をエノール化した場合、エノラートの二つの幾何異性体が生成してくることが予想される。そこでこの問題を回避する目的で、リガンドの構造または反応条件等の変化に影響を受けずに、ほぼ単一のZ-エノラートが生成することが予測される鎖状アミドを基質として選定し、検討を行っている。ここでは、新たな骨格の不斉配位子を迅速に探索する目的で固相合成法により五座不斉配位子を種々合成し、エナンチオ選択的ベンジル化反応における不斉配位子としての評価を行いこれまでにないユニークな構造を有するリガンドを見い出し、鎖状化合物の不斉アルキル化反応において中程度のエナンチオ選択性を実現している。

 以上、本論文は種々のリチウムエノラートの不斉アルキル化反応を実現したもので、有機合成化学、医薬品化学の分野に貢献するところ大である。よって博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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