学位論文要旨



No 114603
著者(漢字) 渡辺,静枝
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,シズエ
標題(和) 希土類-BINOL誘導体触媒を用いるエノンの触媒的不斉エポキシ化反応
標題(洋)
報告番号 114603
報告番号 甲14603
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第864号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 樋口,恒彦
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨

 オレフィンの触媒的不斉エポキシ化反応は、重要な合成反応の一つであり、その研究も広く行われている。Sharpless、香月らによりアリルアルコール類の、また、Jacobsenら、香月ら、後に向山らにより単純オレフィン1,-不飽和エステル2のエポキシ化に優れた触媒が見いだされている。一方エノン(,-不飽和ケトン)類の不斉エポキシ化反応についても、これまでに多くの方法が知られている。しかしながらこれまでに報告されているエノンの不斉エポキシ化反応は、カルコン誘導体以外のエノンには有効な触媒でなかったり、不斉源を化学量論量以上用いるなどいずれも汎用性・実用性が高いとは言えない。ところで、hydroperoxideによるエノンのエポキシ化反応はマイケル付加を経て進行する。そこで共同研究者の坊ケ内らは、既に当研究室で開発したマイケル反応に有用な触媒をエノンのエポキシ化にも適用できるのではないかと考えた。その結果、希土類イソプロポキシドとBINOL(1)より調製した希土類-BINOL触媒3(Ln-1、Scheme1)がtrans-エノンのエポキシ化における優れた触媒であることを見いだした。しかしながらLn-1を用いても、一部のエノンについては高い不斉収率を得ることができなかったので、筆者はより優れた触媒の開発を検討した。

Scheme 1.Catalytic Asymmetric Epoxidation of Enones Using Ln-BINOL Complexes.

 研究を進めていく中で、厳密に無水条件下でYb-1を調製して反応を行うと、エポキシ体の不斉収率が著しく低下することがわかった。これまで83%eeであった4(Figure1)の不斉収率が無水条件下では20%ee前後まで低下した。そこで、調製後の触媒に水を添加してから反応を行うと、添加量に応じて不斉収率が向上した(Figure1)。水の効果が顕著であったので、これまでの触媒調製法について再検討した。その結果、Yb:1=1:1よりも2:3で調製した触媒に水を添加するという手法が不斉収率も高く、再現性にも優れていた。この方法で4の不斉収率は93%eeに向上し、このほかベンザルアセトン(5)のエポキシ化においても6(Figure2)は88%eeから94%eeに、6-phenyl-3-hexen-2-one(7)のエポキシ体8も53%eeから62%eeに向上した。なおLa触媒ではLa:1=1:1の方が反応性の点で優れており、水による不斉収率の向上も認められなかった。

Figure 1.Effect of Water on ee of 4.Figure 2.

 Yb-1によるエポキシ化では水を添加するにもかかわらず、MS4Aも使用する。そこで、MS4Aの役割について検証した4。通常はエノン1mmolに対し200mgのMS4Aを使用している。3のエポキシ化において通常の反応条件では収率82%、93%eeでエポキシ体4が得られた(Table1,entry1)。MS4Aを使用しないと、反応はほとんど進行しなかった(entries3,4)。さらに、通常通りに触媒調製後MS4Aをろ別し、MS4A無しでエポキシ化を行った場合も反応はほとんど進行しなかった(entry5)。これに対し、MS4Aを加えずに触媒を調製し反応時にMS4Aを加えた時は、entry1に比べると収率、不斉収率とも若干低下しているが反応は進行した(entry6)。これらの事実からMS4Aは触媒調製時よりも反応時に重要な役割をしていることがわかる。即ち、反応遷移状態を模式的に示すとFigure3のようにYbに配位している水のいくつかをMS4Aが吸着することによりYbが配位不飽和となり、触媒がbaseとしてだけでなくLewis酸としても機能している、即ち多機能な触媒として機能していると考えている。一方、水についてはTBHPとYb-1とのメディエーターとしての働きをするためにある程度必要なのではないかと考えている。

Table 1.Role of MS 4A on the Epoxidation of 3.Figure 3.

 Yb-1の改良調製法と並行して、不斉配位子についても再検討し、3-ヒドロキシメチルBINOL(2)を希土類に対し少過剰に用いて調製した触媒(Ln-2)が有望なことがわかった。Ln-2を用いると様々なエノンでLn-1を用いた時の不斉収率を上回った(Table2)5。カッコ内の数字がLn-1を用いた時の不斉収率である。カルコン(9)のように反応性の高いエノンでは触媒量を1mol%に減らしても不斉収率はほとんど低下しなかった(entry5)。7のように、Yb-1では62%eeのエポキシ体しか得られていないエノンについてもYb-2を用いると不斉収率は94%eeまで向上した(entry3)。

Table 2.Catalytic Asymmetric Epoxidation of Enones Using Ln-2.

 また、ジエノンのエポキシ化についても検討した。ジエノン13(Scheme2)のエポキシ化はラセミ体の合成でも比較的困難で、エポキシ体は全く得られないか(NaOH-H2O2)、20%以下の低収率でしか得られなかった(BuLi-TBHP)。ところがYb触媒を用いると反応はスムーズに進行し最高98%eeと、高い不斉収率で,-エポキシ体14を得ることができた。このように、希土類-BINOL誘導体触媒を用いると、ラセミ体でも合成の難しいエポキシ体を得ることができる。そこで次にcis-エノンのエポキシ化について検討した。

Scheme 2.Catalytic Asymmetric Epoxidation of the Dienone 13.

 鎖状cis-エノンのエポキシ化は反応条件下で異性化が起こりやすく、主としてtrans-エポキシケトンを与えることが知られている。まず、15を用いて検討した(Table3)。初めにラセミ体の合成を試みたが、塩基性条件下ではcis-エポキシ体を得ることは難しく、cis-16は最高でも8%しか得ることができなかった。希土類触媒を用い検討したところ(Table3)触媒としてYb-2、酸化剤としてTBHPを用いた時にcis-16が収率74%で得られ、その不斉収率は94%eeであった(entry4)。この時対応するtrans-16は少量しか生成していなかった。そこで他のcis-エノンについても検討した。Table3に示したどのエノンについても触媒としてYb-2、酸化剤としてTBHPを用いた時に82〜96%eeのcis-エポキシ体を得ることができた(entries5〜8)6。脂肪族ケトンのエノンからは収率80%前後でcis-エポキシ体を得ることができた(entries4-6)。しかしながら特に芳香族ケトンのエノンではtrans-エポキシ体の生成比が増加したため(entries7,8)その生成機構について検討した。

Table 3.Representative Results for the Catalytic Asymmetric Epoxidation of cis-Enones

 まず、cis-エノン17はYb-14(10mol%)との共存下で異性化を起こしtrans-17が生成した。また、cis-18は反応条件下においてtrans-18へ異性化しなかった。一方、cis-エポキシケトンの絶対配置、さらにcis-エノンおよびtrans-エノンから生成するそれぞれのtrans-エポキシ体の絶対配置等からtrans-エポキシ体の生成にはエノンの段階での異性化と、酸化剤が付加した中間体(Scheme3,II)を経由した異性化の二通りの経路があることがわかった。

Scheme 3.Proposed Mechanism for the Epoxidation of cis-Enones.

 希土類-BINOL錯体(Ln-1)の構造はこれまでのところ明らかにできていなかった。そこで、構造解明を目指し、まず13C-NMRの測定を試みた。しかしLa-1、La-14のどちらも、THF以外にはほとんどピークが観測されなかった。Ybは常磁性でNMRの測定は困難であるので、イオン半径が近く反磁性のY錯体について測定した。なお、Y-1(Y:1=2:3、5mol%)とTBHPを用いて5のエポキシ化を行うと77%eeの6が得られた。しかしながらY-1の13C-NMR測定においても、trace程度の遊離の1が観測されるのみであった。このようにNMRによる解析は困難であることがわかった。これは、錯体が会合して緩和時間が長くなっているためではないかと考えられる。次にLDI-TOF MSの測定により構造情報を得られるのではないかと考えた。各触媒についてカチオン・アニオン両モードでの測定を行った。Figure4はアニオンモードでのYb-1のスペクトルである。740というフラグメントピークは、Yb:1=1:2の構造の質量と一致する。さらに矢印で示した規則的なピーク間の質量差は、Yb:1=2:3に相当する構造の質量(1199)とほぼ一致する。また、1673のフラグメントピークはYb:1:酸素原子=3:4:1に相当する構造の質量(1672)とほぼ一致する。La-1でも同様な解析ができた。カチオンモードではやや複雑なスペクトルが得られた。しかしLn:1=1:1に相当するピークといくつかの規則的なピークが観測され、これらのピーク間の質量差はLn:1=2:3或いはLn:1:酸素原子=2:2:1に相当する構造の質量と一致した。

Figure 4.LDI-TOF MS Spectrum of Yb-1(Anion Mode).

 以上のように、NMR、TOF MSの測定結果は、希土類の高配位性を考えると、本触媒が強く会合していることを示している。そこで、分子量の測定を行った。測定には減圧下乾燥した触媒をTHFに溶解し、蒸気圧降下法を用いた。測定結果はLa-1で71000、Yb-1で38000、Y-1では32000となり、いずれも非常に強く会合していることが示唆された。La-1およびYb-1については、触媒調製時の比率とTOF MSのスペクトル等を考慮すると、希土類:1=2:3の比率の構造が主要な単位構造となって複雑な会合状態にあるのではないかと推定している。いずれの触媒も分子量を考えると構造解明は極めて困難であると予想される。しかし、この過程から触媒の乾燥保存が可能なことがわかった。乾燥保存したYb-1を用いて5のエポキシ化を行うと24時間で収率91%、89%eeの6が得られた。要時調製した触媒と比べてもわずかに不斉収率が低くなっているだけで、その触媒活性は5週間後でもほぼ保たれていた。

 以上まとめると、Yb-1における水の添加効果を見出し、再現性の高い触媒調製法を確立した。また、3-ヒドロキシメチルBINOLが本触媒的不斉エポキシ化反応における優れた配位子であることを見出した。さらに、鎖状cis-エノンの触媒的不斉エポキシ化に初めて成功した。

1a)Zhang,W.;Loebach,J.L.;Wilson,S.R.;Jacobsen,E.N.J.Am.Chem.Soc.1990,112,2801.b)Irie,R.;Noda,K.;Ito,Y.;Matsumoto,N.;Katsuki,T.Tetrahedron Lett.1990,31,7345.c)Yamada,T.;Imagawa,K.;Nagata,T.;Mukaiyama,T.Chem.Lett.1992,2231.2Jacobsen,E.N.;Deng,L.;Furukawa,Y.;Martinez,L.E.Tetrahedron 1994,50,4323.3Sasai,H.;Arai,T.;Shibasaki,M.J.Am.Chem.Soc.1994,116,1571.4Watanabe,S.;Kobayashi,Y.;Arai,T.;Sasai,H.;Bougauchi,M.;Shibasaki,M.Tetrahedron Lett.1998,39,7353.5Bougauchi,M.;Watanabe,S.;Arai,T.;Sasai,H.;Shibasaki,M.J.Am.Chem.Soc.1997,119,2329.6Watanabe,S.;Arai,T.;Sasai,H.;Bougauchi,M.;Shibasaki,M.J.Org.Chem.1998,63,8090.
審査要旨

 オレフィンの触媒的不斉エポキシ化反応は、重要な合成反応の一つであり、その研究も広く行われている。Sharpless、香月らによりアリルアルコール類の、また、Jacobsenら、香月ら、後に向山らにより単純オレフィンや,-不飽和エステルのエポキシ化に優れた触媒が見いだされている。一方エノン(,-不飽和ケトン)類の不斉エポキシ化反応についても、これまでに多くの方法が知られている。しかしながらこれまでに報告されているエノンの不斉エポキシ化反応は、カルコン誘導体以外のエノンには有効な触媒でなかったり、不斉源を化学量論量以上用いるなどいずれも汎用性・実用性が高いとは言えない。ところで、hydroperoxideによるエノンのエポキシ化反応はマイケル付加を経て進行する。そこで共同研究者の坊ケ内らは、既に柴崎研究室で開発したマイケル反応に有用な触媒をエノンのエポキシ化にも適用できるのではないかと考えた。その結果、希土類イソプロポキシドとBINOL(1)より調製した希土類-BINOL触媒(Ln-1、Scheme1)がtrans-エノンのエポキシ化における優れた触媒であることを見いだした。しかしながらLn-1を用いても、一部のエノンについては高い不斉収率を得ることができなかったので、渡辺静枝はより優れた触媒の開発を検討した。

Scheme 1.Catalytic Asymmetric Epoxidation of Enones Using Ln-BINOL Complexes.

 その結果、H2Oの様々な効果さらにはMS4Aの役割等をはっきりと観察することに成功し、Table1,Table2,Scheme2に記すごとく、非常に優れた,-不飽和ケトンの触媒的エポキシ化反応の開発に成功した。

Table 1.Catalytic Asymmetric Epoxidation of Enones Using Ln-2.Scheme 2.Catalytic Asymmetric Epoxidation of the Dienone 13.Table 2.Representative Results for the Catalytic Asymmetric Epoxidation of cis-Enones

 以上、渡辺静枝の研究は医薬あるいは生物活性物質の合成で、今後重要な貢献をすることが期待され、博士(薬学)に相当するすると判断した。

UTokyo Repositoryリンク