学位論文要旨



No 114616
著者(漢字) 竹内,秀明
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,ヒデアキ
標題(和) ミツバチ脳のキノコ体で大型Kenyon細胞に特異的に発現するM5遺伝子の解析
標題(洋)
報告番号 114616
報告番号 甲14616
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第877号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 久保,健雄
内容要旨 <序論>

 ミツバチは社会性昆虫であり8の字ダンスという象徴的言語を用いて個体間コミュニケーションを行うが、このような高度で多彩な行動を支える脳の分子機構は全く不明である。キノコ体は昆虫の脳の高次中枢であり感覚刺激を統合し、学習・記憶の中枢として機能する。ミツバチのキノコ体は他の昆虫と比較して格段に発達しており、キノコ体の機能の発達がミツバチの高次行動を可能にしたと考えられる。またキノコ体は固有な介在神経であるKenyon cellから構成される。ミツバチのKenyon cellは神経細胞体の大きさによって、Large typeとSmall typeの二つに分類され、それぞれ固有の神経接続様式を持つ。よって、キノコ体はKenyon cellのサブタイプによって機能分担していると考えられている。

 私は修士課程において、ミツバチのキノコ体の機能を分子レベルで解析する目的で、キノコ体特異的に発現する遺伝子をDifferential Display(DD)法によって検索した。その結果、脳の中Large type Kenyon cellに限局して発現するM5遺伝子のcDNA断片を単離した。本論文では、M5遺伝子のcDNAクローニング、発現解析を行った結果を報告する。

<結果と考察>1.M5転写産物の一次構造解析

 キノコ体のmRNA(5g)を用いて、ノザンブロット法によりM5遺伝子転写産物の検出を行った結果、M5遺伝子の転写産物のサイズは約8.6kbであることが分かった。

 M5遺伝子の全長cDNAの塩基配列を決定する目的で、キノコ体のrandom-primed cDNA libraryを作成し、cDNAクローニングを行った。最初は、DD法によって得られたM5遺伝子のcDNA断片(743bp)をプローブに用いた。その後、得られたクローンの5’末端領域、または3’末端領域を再びプローブにしてcDNA walkingを繰り返し行った。計10回のスクリーニングを行い、54個のcDNAクローンを単離した結果、約10kbpのcDNAの塩基配列が決定した。決定した塩基配列には典型的なmRNAに見られるようなファーストメニオニンに続く長いORFが見つからなかったことから、M5遺伝子は蛋白に翻訳されずにRNAとして機能している可能性がある。またデーターベース中には高い相同性を示す遺伝子は存在しなかった。

 そこで、M5cDNAの配列の特徴を調べたところ、グアニンの後にAストレッチが続く配列とTストレッチがシトシンで終わる配列が頻繁に見出され、これらの配列は合計で全体の約20%に達する。これらの配列の意味は現在不明だが、両者が相補的な配列であることから、M5RNAの2次構造に関わるものかもしれない。

 Xistなどの既知の非翻訳性のRNAの幾つかは核に局在する。そこで、M5転写産物の細胞内局在を調べる目的で、in situ hybridizationを行った結果、M5転写産物は主に細胞質に局在していることが分かった。従ってM5RNAは既知の非翻訳性のRNAとは異なり、細胞質で機能する可能性が考えられる。

2.M5遺伝子のゲノム構造解析

 ミツバチゲノムDNAを3種類の制限酵素で切断した後、M5cDNAのサブクローンを用いて、サザンブロット解析を行った。その結果、いずれのレーンにおいても単一なバンドが検出された。よって、M5遺伝子はsingle geneであることが明らかになり、M5転写産物は単一の遺伝子座(locus)から発現すると考えられる。

 次にM5の遺伝子構造を明らかにする目的で、ゲノムクローニングを行った。その結果、単離したcDNAの両端を含む10.0kbpのゲノムクローンが存在することが分かった。10kbpゲノムクローンはこれ自身がコードするcDNAとほとんど長さはほとんどかわらないことから、M5遺伝子はイントロンをほとんど含まないコンパクトな遺伝子であることが分かった。

3.M5転写産物の発現解析

 最初に働き蜂の全身におけるM5遺伝子の発現組織を同定する目的で、頭全体と全身の切片を用いて、in situ hybridizationを行った。成体の頭全体切片を用いた結果、M5遺伝子は、キノコ体のLarge type Kenyon cellに限局して発現し、脳の他の部位や、複眼、食道、下咽頭線などの組織には発現していないことが明らかになった。

 全身の切片を用いたときは、アンチセンスではセンスプローブと比較して、同程度のシグナルしか得られなかった。このことから、M5遺伝子は胸部を占める飛翔筋や、腹部の消化管や表皮などには発現しないことが分かった。以上の結果からM5遺伝子は、Large type Kenyon cellに限局して発現していることが強く示唆された。

 次に、M5遺伝子産物が、ミツバチのカーストや性差に応じた行動の制御に働く可能性を考えて、女王蜂や雄蜂のキノコ体における発現を解析した。その結果、このように女王蜂や雄蜂においてもM5遺伝子のLarge type Kenyon cellの神経細胞体が密集するカップの周辺部に限局して発現することが明らかになった。このことは、M5遺伝子産物がカースト分化や性差とは関係がなく、Large type Kenyon cell固有のコンポーネントとして機能することを示唆している。またM5遺伝子はLarge type Kenyon cellの分化マーカーとして利用できる可能性を考えた。

 そこで、キノコ体形成過程におけるLarge type Kenyon cellの細胞系譜を解析する目的で、変態期の頭部におけるM5遺伝子の発現をin situ hybridizationにより解析した。蛹後期の働きバチの頭全体の切片を用いて、実験を行った結果、M5遺伝子は将来のキノコ体になる領域に特異的に発現しており、発生途中の脳の他の領域や、将来複眼や口になる部分では発現していなかった。次は、この時期、これより初期の蛹、および成虫のキノコ体におけるM5遺伝子の発現を比較した。蛹の時期では成虫のキノコ体に見られるような2つの傘の構造が観察できない。しかし、M5遺伝子発現細胞はすでに存在しており、将来キノコ体を形成する脳の皮質の4ヵ所にクラスターを形成することが分かった。ショウジョウバエのキノコ体は最近相同なユニットが4回繰り返す構造を持つことが報告されたが、ミツバチのキノコ体も、蛹におけるM5遺伝子の発現パターンから、4つの相同なユニットから構成されていると考えられる。ミツバチでは1つの繰り返し構造が、それぞれLarge typeと、Small typeの2種類のKenyon cellから構成されており、シナプスを形成する部分の構造が発達することにより、ミツバチに特徴的な傘型構造が形成すると考えられる。

<まとめと展望>

 cDNAwalkingにより約10kbpのM5cDNAの塩基配列を決定した結果、M5cDNA中には、典型的mRNAに見られるようなファーストメニオニンに続く長いORFが見つからなかった。このことから、M5遺伝子は非翻訳性のRNAをコードする可能性が考えられる。今後、M5遺伝子の転写産物が非翻訳性のRNAとして機能することを示すためには、まず、M5cDNAの全一次構造を決定し、さらにショウジョウバエやマウスなどの遺伝学的手法を用いることのできる動物種でM5遺伝子のホモログ遺伝子を同定して、機能解析をする必要がある。

 当教室では、Small type Kenyon cellに限局して発現するKs遺伝子が単離されている。Ks遺伝子のcDNA(16kbp)も長いORFが含まれずRNAとして機能していることが示唆されている。このことから、神経細胞の中でRNAが翻訳されずに機能し、サブタイプ固有の機能を担っている可能性が考えられる。

 また、変態過程におけるM5遺伝子の発現解析の結果、ショウジョウバエとミツバチのキノコ体の構造に共通点が存在することが分かった。ミツバチの脳の進化の過程で、一つのユニットにおいてKenyon cellが機能分担し、その数が増大したことが、ミツバチ固有のキノコ体の構造を発達させて、ミツバチの社会性を支える高次行動を可能にしたのかもしれない。

 今後、ミツバチとショウジョウバエの両者でその機能を解析することによって、神経細胞におけるRNAの機能やキノコ体のKenyon cellによる機能分担の様式が明らかになると期待している。

審査要旨

 ミツバチは社会性昆虫であり、ダンス言語によるコミュニケーションを行うなど多彩な社会性行動を示す。ミツバチの脳では、感覚統合や記憶、学習の高次中枢と考えられるキノコ体が他の昆虫と比較して発達している。ミツバチのキノコ体の介在神経細胞(ケニヨン細胞)は、神経細胞体の大きさにより、大型と小型の2種類に分類されるという特徴を持ち、それぞれ機能分担していると考えられている。しかしながら、こうしたケニヨン細胞の機能分担を含め、ミツバチの高次行動を支えるキノコ体の神経回路の分子的基盤については不明であった。この論文は、ミツバチのキノコ体の機能を分子レベルで解析する目的で、キノコ体特異的に発現する遺伝子としてDifferential Display法により同定されたM5遺伝子(PCR断片)について、そのcDNAクローニングと発現解析を行ったものである。

1.M5cDNAと遺伝子の解析

 キノコ体RNAを用いたノザンブロット解析の結果、M5遺伝子の転写産物のサイズは8.6kbであることが分かった。M5遺伝子の全長cDNAを単離する目的で、キノコ体cDNAライブラリーのウォーキングを行い、合計54個のcDNAクローンを単離した結果、約10kbpに及ぶ塩基配列が決定できた。この配列には典型的なmRNAに見られるような、ファーストメニオニンに続く長いORFが含まれないことから、M5転写産物は非翻訳性RNAとして機能する可能性がある。またデータベース中には高い相同性を示す遺伝子が存在しないことから、新規な遺伝子と考えられた。この配列にはGの後にAが続く配列とTストレッチがCで終わる配列が頻繁に存在し、全体の約20%に達するという特徴を持っていた。またin situ hybridizationの結果、M5転写産物は主に細胞質に局在することが分かった。従ってM5転写産物はXistなどの既知の非翻訳性RNAとは異なり、細胞質で機能する可能性が考えられた。

 またサザンブロット解析の結果、M5遺伝子は単一であることが明らかになった。さらに、遺伝子構造を解析する目的で、ゲノムクローニングを行った結果、M5遺伝子はイントロンをほとんど含まないコンパクトな遺伝子であることが示された。

M5転写産物の発現解析

 In situ hybridizationの結果、M5遺伝子は、キノコ体の大型ケニヨン細胞に限局して発現し、脳の他の部位や、他の組織には発現しないことが明らかになった。また働き蜂のみならず、女王蜂や雄蜂でも、大型ケニヨン細胞特異的に発現していた。このことは、M5遺伝子産物がカースト分化や性差には依存せず、大型ケニヨン細胞に固有な構成成分として機能することを示唆している。

 次に、変態過程での大型ケニヨン細胞の細胞系譜をM5遺伝子の発現を指標に解析した。その結果、M5遺伝子発現細胞は、蛹では将来キノコ体になる脳の皮質の4ヵ所にクラスターを形成して存在することが分かった。一方、小型ケニヨン細胞は、Ks遺伝子を特異的に発現することが示されている。ショウジョウバエのキノコ体は最近、4つの相同なユニットから構成されることが報告されたが、今回の結果からミツバチのキノコ体も基本的に同様なユニット構造を持ち、ミツバチでは、1つのユニットがそれぞれ固有な遺伝子を発現する2つの領域を含むことが判明した。

 以上本研究では、ミツバチのキノコ体に特異的に発現するM5遺伝子構造を解析するとともに、その発現解析からキノコ体の相同ユニットの内部構造を解析した。ミツバチなどの社会性昆虫の脳を分子レベルで解析した例はほとんどなく、動物の社会性行動の分子的基盤を探る上で重要な知見であると思われる。本研究は、比較神経生物学、神経分子生物学などの領域に大きく寄与するものであり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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