<結果と考察>1.M5転写産物の一次構造解析 キノコ体のmRNA(5g)を用いて、ノザンブロット法によりM5遺伝子転写産物の検出を行った結果、M5遺伝子の転写産物のサイズは約8.6kbであることが分かった。
M5遺伝子の全長cDNAの塩基配列を決定する目的で、キノコ体のrandom-primed cDNA libraryを作成し、cDNAクローニングを行った。最初は、DD法によって得られたM5遺伝子のcDNA断片(743bp)をプローブに用いた。その後、得られたクローンの5’末端領域、または3’末端領域を再びプローブにしてcDNA walkingを繰り返し行った。計10回のスクリーニングを行い、54個のcDNAクローンを単離した結果、約10kbpのcDNAの塩基配列が決定した。決定した塩基配列には典型的なmRNAに見られるようなファーストメニオニンに続く長いORFが見つからなかったことから、M5遺伝子は蛋白に翻訳されずにRNAとして機能している可能性がある。またデーターベース中には高い相同性を示す遺伝子は存在しなかった。
そこで、M5cDNAの配列の特徴を調べたところ、グアニンの後にAストレッチが続く配列とTストレッチがシトシンで終わる配列が頻繁に見出され、これらの配列は合計で全体の約20%に達する。これらの配列の意味は現在不明だが、両者が相補的な配列であることから、M5RNAの2次構造に関わるものかもしれない。
Xistなどの既知の非翻訳性のRNAの幾つかは核に局在する。そこで、M5転写産物の細胞内局在を調べる目的で、in situ hybridizationを行った結果、M5転写産物は主に細胞質に局在していることが分かった。従ってM5RNAは既知の非翻訳性のRNAとは異なり、細胞質で機能する可能性が考えられる。
2.M5遺伝子のゲノム構造解析 ミツバチゲノムDNAを3種類の制限酵素で切断した後、M5cDNAのサブクローンを用いて、サザンブロット解析を行った。その結果、いずれのレーンにおいても単一なバンドが検出された。よって、M5遺伝子はsingle geneであることが明らかになり、M5転写産物は単一の遺伝子座(locus)から発現すると考えられる。
次にM5の遺伝子構造を明らかにする目的で、ゲノムクローニングを行った。その結果、単離したcDNAの両端を含む10.0kbpのゲノムクローンが存在することが分かった。10kbpゲノムクローンはこれ自身がコードするcDNAとほとんど長さはほとんどかわらないことから、M5遺伝子はイントロンをほとんど含まないコンパクトな遺伝子であることが分かった。
3.M5転写産物の発現解析 最初に働き蜂の全身におけるM5遺伝子の発現組織を同定する目的で、頭全体と全身の切片を用いて、in situ hybridizationを行った。成体の頭全体切片を用いた結果、M5遺伝子は、キノコ体のLarge type Kenyon cellに限局して発現し、脳の他の部位や、複眼、食道、下咽頭線などの組織には発現していないことが明らかになった。
全身の切片を用いたときは、アンチセンスではセンスプローブと比較して、同程度のシグナルしか得られなかった。このことから、M5遺伝子は胸部を占める飛翔筋や、腹部の消化管や表皮などには発現しないことが分かった。以上の結果からM5遺伝子は、Large type Kenyon cellに限局して発現していることが強く示唆された。
次に、M5遺伝子産物が、ミツバチのカーストや性差に応じた行動の制御に働く可能性を考えて、女王蜂や雄蜂のキノコ体における発現を解析した。その結果、このように女王蜂や雄蜂においてもM5遺伝子のLarge type Kenyon cellの神経細胞体が密集するカップの周辺部に限局して発現することが明らかになった。このことは、M5遺伝子産物がカースト分化や性差とは関係がなく、Large type Kenyon cell固有のコンポーネントとして機能することを示唆している。またM5遺伝子はLarge type Kenyon cellの分化マーカーとして利用できる可能性を考えた。
そこで、キノコ体形成過程におけるLarge type Kenyon cellの細胞系譜を解析する目的で、変態期の頭部におけるM5遺伝子の発現をin situ hybridizationにより解析した。蛹後期の働きバチの頭全体の切片を用いて、実験を行った結果、M5遺伝子は将来のキノコ体になる領域に特異的に発現しており、発生途中の脳の他の領域や、将来複眼や口になる部分では発現していなかった。次は、この時期、これより初期の蛹、および成虫のキノコ体におけるM5遺伝子の発現を比較した。蛹の時期では成虫のキノコ体に見られるような2つの傘の構造が観察できない。しかし、M5遺伝子発現細胞はすでに存在しており、将来キノコ体を形成する脳の皮質の4ヵ所にクラスターを形成することが分かった。ショウジョウバエのキノコ体は最近相同なユニットが4回繰り返す構造を持つことが報告されたが、ミツバチのキノコ体も、蛹におけるM5遺伝子の発現パターンから、4つの相同なユニットから構成されていると考えられる。ミツバチでは1つの繰り返し構造が、それぞれLarge typeと、Small typeの2種類のKenyon cellから構成されており、シナプスを形成する部分の構造が発達することにより、ミツバチに特徴的な傘型構造が形成すると考えられる。
<まとめと展望> cDNAwalkingにより約10kbpのM5cDNAの塩基配列を決定した結果、M5cDNA中には、典型的mRNAに見られるようなファーストメニオニンに続く長いORFが見つからなかった。このことから、M5遺伝子は非翻訳性のRNAをコードする可能性が考えられる。今後、M5遺伝子の転写産物が非翻訳性のRNAとして機能することを示すためには、まず、M5cDNAの全一次構造を決定し、さらにショウジョウバエやマウスなどの遺伝学的手法を用いることのできる動物種でM5遺伝子のホモログ遺伝子を同定して、機能解析をする必要がある。
当教室では、Small type Kenyon cellに限局して発現するKs遺伝子が単離されている。Ks遺伝子のcDNA(16kbp)も長いORFが含まれずRNAとして機能していることが示唆されている。このことから、神経細胞の中でRNAが翻訳されずに機能し、サブタイプ固有の機能を担っている可能性が考えられる。
また、変態過程におけるM5遺伝子の発現解析の結果、ショウジョウバエとミツバチのキノコ体の構造に共通点が存在することが分かった。ミツバチの脳の進化の過程で、一つのユニットにおいてKenyon cellが機能分担し、その数が増大したことが、ミツバチ固有のキノコ体の構造を発達させて、ミツバチの社会性を支える高次行動を可能にしたのかもしれない。
今後、ミツバチとショウジョウバエの両者でその機能を解析することによって、神経細胞におけるRNAの機能やキノコ体のKenyon cellによる機能分担の様式が明らかになると期待している。