学位論文要旨



No 114619
著者(漢字) 松下,武史
著者(英字)
著者(カナ) マツシタ,タケフミ
標題(和) ショウジョウバエ精巣に特異的に発現する新規遺伝子male-specific IDGFに関する研究
標題(洋)
報告番号 114619
報告番号 甲14619
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第880号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 堀越,正美
内容要旨

 精子形成は、種の保存という観点から生物にとって非常に重要な生命現象であるばかりでなく、細胞生物学的にも非常に興味深い現象を含んでいる。そしてそのメカニズム解明は、不妊治療や発生工学に新たな道を開く可能性を秘めており、大きな意義を持つものと考える。しかしながら、精子形成の分子メカニズムには不明な点が多く残されており、特に、その分化を制御する細胞外情報伝達因子についてはほとんど明らかにされていないのが現状である。

 修士課程において私は、センチニクバエ胚由来細胞から構造的に全く新しい細胞増殖因子、insect-derived growth factor(IDGF)を精製、単離した。博士過程では新たに、ショウジョウバエからIDGFと相同性を有するタンパクをコードする新規な遺伝子の単離に成功した。この遺伝子がコードするタンパクは、分泌性タンパクであるIDGFとは異なり、膜貫通ドメインを有していたことから、IDGFの新しいファミリー遺伝子と位置づけ、解析を進めた。その結果この遺伝子が、蛹後期から成虫にかけて、オス特異的に発現することを見出し、male-specific IDGF(ms-I)と命名した。さらに、ms-I mRNAが成虫精巣内において、減数分裂直前の一次精母細胞に蓄積されていることを明らかにし、ms-Iが減数分裂以降におこる精子完成過程において機能する可能性を示唆したので、以下に報告する。

1.male-specific IDGF cDNAの単離

 まず、遺伝学的手法が導入できるショウジョウバエにおいて、IDGFのホモローグ、もしくは、その類似体遺伝子の同定を試みた。ショウジョウバエgenome DNAに対して、IDGFのアミノ酸配列の情報をもとに作成したprimerを用いてPCRを行い、得られた遺伝子断片をprobeとして成虫cDNA libraryに対してスクリーニングを行った。その結果、561個のアミノ酸をコードする新規のcDNAが得られた。シークエンス解析の結果、その予想アミノ酸配列は全長に渡りIDGFと約35%の相同性を示したが、分泌タンパクであるIDGFとは異なり、N末端付近に膜貫通ドメインと考えられる疎水性に富む領域を有していた。従ってこのタンパクは、膜結合型の細胞増殖因子、もしくは、細胞間情報伝達因子である可能性が予想された。同じ昆虫類としては低い35%という相同性や膜貫通ドメインと思われる領域の存在から、同定した遺伝子は、ショウジョウバエにおけるIDGFホモローグそのもではないものの、膜結合型のIDGFファミリーの新しい一員と考え、以降の解析を進めることとした。

2.male-specific IDGFの細胞内局在の決定

 膜貫通ドメインと思われる領域を有するms-Iタンパクが、実際に、膜タンパクとして、細胞膜上に存在しているのか否かを知る目的で、ショウジョウバエ胚由来培養細胞Schneider’s line 2 cellに遺伝子導入してms-Iタンパクを強制発現させた。抗ペプチド抗体を用いてイムノブロットを行ったところ、ms-Iは膜画分に検出された。次に、生細胞に対し非固定条件下で蛍光免疫染色を行った結果、transfection依存に陽性細胞が検出されたことから、ms-Iが細胞外ドメインを持った膜タンパクとして、実際に細胞膜上に存在することが明らかとなった。これらの結果は、ms-Iが膜結合型のリガンドとして細胞間の情報伝達を担う分子であることを示唆するものである。

3.male-specific IDGFの遺伝子発現解析

 次に、ms-Iの機能を考察するため、その遺伝子発現解析を行った。

 まず、ショウジョウバエの生活環における遺伝子発現をノザンブロット法により解析したところ、ms-Iの発現は、蛹後期から成虫にかけてのオスにのみ限局されていることを見出した。そこでms-Iの発現組織がオスの生殖器官であると予想し、生殖器官とそれ以外とに分けてRNAを抽出してRT-PCRを行ったところ、生殖器官由来のRNAにのみ発現が検出された。このことから、ms-Iは、オス特異的、生殖器官特異的に発現することが明らかとなった。

 次に、生殖器官の中で、どの組織、細胞種に発現が見られるかin situ hybridization法により解析した。その結果、ms-Iは、精巣に発現していることを見出した。さらに、そのmRNA発現細胞が、減数分裂直前の成熟一次精母細胞であることが明らかとなった。

 ショウジョウバエの精子形成では、減数分裂以降に翻訳される遺伝子群の転写は成熟一次精母細胞内で完了することが知られていることから、ms-Iも一次精母細胞以降のいずれかの分化段階で翻訳され、機能するものと考えられる。また、同一の生殖幹細胞に由来する精子形成細胞群は、体細胞系列のcyst cellに包まれた状態で分化が進行することから、ms-Iは精子形成細胞間、あるいは、cyst cellへの情報伝達を担う分子である可能性が考えられる。

4.精子形成不全変異体でのmale-specific IDGFの発現

 ms-Iの遺伝子発現が、どのような遺伝子の制御下にあるか検討する目的で、オス不妊変異体aly、can、mia、saにおけるms-Iの発現を調べた。その結果、これら変異体全ての精巣でms-I mRNAの発現が抑制されていた。このことから、ms-Iの遺伝子発現は、aly、can、mia、saの全ての遺伝子の制御下にあることが明らかとなった。

 aly、can、mia、sa各遺伝子による転写レベルでの遺伝子発現制御機構には、次のようなモデルが描かれている。すなわち、aly遺伝子は、twineやbouleを含む減数分裂に機能する遺伝子群と、fuzzy onionやdon juanなどの精子完成過程で働く遺伝子群の転写を、直接的、あるいは、間接的に、制御する。一方、can、mia、sa遺伝子は、精子完成過程で働く遺伝子群の転写のみを制御していると考えられている。

 従って、mRNAの発現が、4種の変異体全てで抑制されていた結果から、ms-Iは、減数分裂よりはむしろ、精子完成過程で働く遺伝子であることが示唆された。

5.male-specific IDGFの遺伝子座の決定

 最後に、遺伝学的解析に不可欠な情報である染色体上の遺伝子座の決定を行った。その結果、ms-I遺伝子の遺伝子座は、常染色体である3番染色体左腕の75Aと決定さた。この領域には、ms-I遺伝子の影響のみを評価し得る欠失変異体や、オスの妊性に異常が見られる変異体は報告されていないが、今回遺伝子座を決定したことは今後の解析の基盤になるものと期待される。

まとめと考察

 本研究により私は、ショウジョウバエ精巣に特異的に発現する新規遺伝子ms-Iを同定した。

 ms-Iタンパクは、その細胞増殖因子様の構造から考えて、隣の生殖細胞、あるいは、取り囲むシストセルに対して何らかの情報を伝達していると思われる。この際、膜結合型という構造は、閉じた空間を移動しながら分化が進行する精子形成過程において機能する上で目的にかなっていると言うことができる。そして、オス特異的、精巣特異的という発現特異性を考えると、ms-Iは、精子が精子としての性格を獲得する、精子完成という、非常に特殊な舞台において細胞間情報伝達因子として重要な役割を担っていることが予想される。

 精子形成過程のなかで、このような精子完成時に特異的な機能を持つ情報伝達因子は、これまで、動物種を問わずほとんど報告例がなく、このステージでの分化メカニズムは全く解明されていないのが現状である。

 今後、ms-Iの機能解析を進めることにより、これまで不明な点が多く残されていた精子形成のメカニズム解明に大きな知見が得られるものと期待される。

参考文献1.Homma,K.,Matsushita,T.,and Natori,S.J.Biol.Chem.271,13770-13775(1996)
審査要旨

 精子形成は、種の保存という観点から生物にとって非常に重要な生命現象であるばかりでなく、細胞生物学的にも非常に興味深い問題を含んでいる。しかしながら、精子形成の分子メカニズムには不明な点が多く残されており、特に、その分化を制御する細胞外情報伝達因子についてはほとんど明らかにされていないのが現状である。

 この論文は、センチニクバエ由来の構造的に新しい細胞増殖因子、insect-derived growth factor(IDGF)の精製、およびそのcDNAの解析結果を基にして、新たにショウジョウバエからIDGFと相同性を有するタンパクをコードする新規な遺伝子の単離に成功し、その構造と精子形成過程における機能の解析を行ったものである。

 まず、遺伝学的手法が導入できるショウジョウバエにおいて、IDGFのホモローグ、もしくは、その類似体遺伝子の同定を試みた。その結果、単離したcDNAから予想される561個のアミノ酸配列は全長に渡りIDGFと約35%の相同性を示したが、分泌タンパクであるIDGFとは異なり、N末端付近に膜貫通ドメインと考えられる疎水性に富む領域を有していた。従ってこのタンパクは、膜結合型の細胞増殖因子、もしくは、細胞間情報伝達因子である可能性が予想された。次にms-Iタンパクが、実際に、膜タンパクとして、細胞膜上に存在しているのか否かを知る目的で、ショウジョウバエ胚由来培養細胞Schneider’s line 2 cellに遺伝子導入してms-Iタンパクを強制発現させた結果、実際に細胞膜上に存在することが明らかとなった。これらの結果は、ms-Iが膜結合型のリガンドとして細胞間の情報伝達を担う分子であることを示唆するものである。

 次に、ms-Iの機能を考察するため、その遺伝子発現解析をノザンブロット法、RT-PCR、in situ hybridization法により解析した。その結果、ms-I mRNAが、精巣において減数分裂直前の成熟一次精母細胞で特異的に発現されることが明らかとなった。

 さらにms-Iの遺伝子発現が、どのような遺伝子の制御下にあるか検討する目的で、オス不妊変異体aly、can、mia、saにおけるms-Iの発現を調べた。その結果、mRNAの発現は、4種の変異体全てで抑制されていた。これら不妊変異体の原因遺伝子は精子完成過程に関与する遺伝子群を制御することから、ms-Iは、減数分裂よりはむしろ精子完成過程で働く遺伝子であることが示唆された。

 最後に、遺伝学的解析に不可欠な情報である染色体上の遺伝子座の決定を行い、ms-I遺伝子の遺伝子座が、常染色体である3番染色体左腕の75Aと決定した。

 以上、この研究は、ショウジョウバエ精巣に特異的に発現する新規遺伝子ms-Iを同定し、この遺伝子のコードするタンパクが、膜貫通ドメインを有するIDGFの新しいファミリータンパクであり、精子完成過程において機能する可能性を示した。精子形成過程のなかで、このような精子完成時に特異的な機能を持つ情報伝達因子は、これまで、動物種を問わずほとんど報告例がないことから、ms-Iの機能解析を進めることにより、これまで不明な点が多く残されていた精子形成のメカニズム解明に大きな知見が得られるものと期待される。よって、博士(薬学)の学位に相当するものと判定した。

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