学位論文要旨



No 114621
著者(漢字) 山路,顕子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマジ,アキコ
標題(和) スフィンゴミエリン特異的プローブを用いた膜リン脂質の動態と機能の解析
標題(洋)
報告番号 114621
報告番号 甲14621
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第882号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 新井,洋由
 東京大学 講師 加藤,晃一
内容要旨 1.

 生体膜における脂質・蛋白質組成は、オルガネラによってあるいは脂質二重膜の内層と外層によって異なっており、さらに同一膜面上でもその分布は偏っている。哺乳動物細胞の総リン脂質の約10%を占めるスフィンゴミエリン(SM)は形質膜外層に多く存在し、コレステロールや糖脂質などと共にマイクロドメインを形成していると考えられている。このマイクロドメインはトランスゴルジ領域で形成され、小胞輸送により形質膜上の特異的な領域(上皮細胞のアピカル膜・神経細胞の軸策など)に輸送されることが知られている。しかし、SMがこのような特異的な小胞の形成や輸送にどのように関わっているのか、また形質膜上の特定の領域でどのような分子と相互作用し、どのような細胞機能の制御に関与しているのかなどについてはほとんど明らかになっていない。そこで本研究において私は、SMの細胞内動態が細胞機能にどのように関わっているかを分子レベルで解明することを目的として、まず生体膜上のSMを特異的に検出できるプローブ(lysenin)を作製した。次にそれを用いてSMの細胞内分布に異常がある培養上皮細胞変異株を樹立し、その解析を通してSMの機能を探った。

2.SM特異的プローブの作製

 Lysenin(ライセニン)はシマミミズ体腔液より単離された分子量41kDaの蛋白質で、血管平滑筋収縮作用、心筋の陽性変力・変時作用、溶血作用などを示す。心筋への作用が受容体遮断薬では阻害されないこと、ウェスタンブロッティングにおいて膜蛋白質への結合が検出できないこと、lyseninの作用が様々な細胞に及ぶことなどから、私はlyseninの標的分子が膜脂質ではないかと考え、その同定を行った。

 各種動物の赤血球に対するlyseninの溶血活性を検討したところ、ヒツジ赤血球はヒト・ラットよりも約20倍低いlysenin濃度で50%の溶血が起こった。哺乳動物の赤血球の膜脂質組成には種差があり、ヒツジでは他の動物に比べてSM含量が高く50%にも達することが知られている。赤血球におけるlysenin感受性の種差とSM含量の種差が一致することから、lyseninの標的分子がSMである可能性が考えられた。そこで、各種リン脂質およびスフィンゴ脂質の精製標品を用いて、lyseninとの結合性をELISA法・TLC-immunoblotting法により検討した。その結果、lyseninはSMに極めて特異的に結合し、その認識にはスフィンゴシン骨格・脂肪酸・リン酸基・コリン残基からなるSMの全体構造が必要であることが明らかとなった。次に各種脂質の人工膜を用いてlyseninの作用を検討したところ、SMを含む膜のみがlyseninにより崩壊した。以上の結果より、lyseninは膜中のSMに特異的に結合して膜崩壊を引き起こすことが明らかとなった。これまでにSM特異的に結合する分子は報告されていない。LyseninはSM特異的に結合する初めての分子であり、今後SMの分布と機能を解析していくうえで有用なプローブとなる可能性が示された。

 生体膜中および人工膜中でSMはコレステロールと相互作用しやすく、SMの少なくとも一部はコレステロールと挙動を共にすることが知られている。そこで次にlyseninとSMの結合にコレステロールがどう影響するかを解析した。その結果、SMの膜中にコレステロールが共存する場合にはlyseninの膜への結合量が増大することが明らかとなった。これはコレステロールの膜流動化効果によりSM分子が分散し、lyseninによってその全体構造が認識され易くなったためと考えられる。

3.Lyseninによる膜崩壊のメカニズム

 Lyseninによる溶血は温度依存的であるが、lyseninのSMへの結合は温度非依存的であることが明らかとなった。そこで次にlyseninによる膜崩壊の温度依存性について解析した。その結果、SMを含む人工膜とlyseninを混和すると、lyseninは温度依存的に不可逆的な複合体を形成することが明らかとなった。以上の結果より、lyseninは膜中のSMに温度非依存的に結合した後、温度依存的な過程(恐らくコンフォーメーション変化を伴うと考えられる)を経て複合体を形成し、膜崩壊を引き起こすものと考えられる。このような機構をもつ溶血毒はこれまでにもいくつか報告されているが、lyseninの場合この複合体は1%SDSで可溶化してもモノマーにはならず、その点でユニークな分子であると言える。

4.Lyseninによる生体膜上のSMの検出

 Lyseninを用いて生体膜上のSMの分布を検出する系を確立した。ニーマンピック病タイプA(NP-A)は酸性スフィンゴミエリナーゼ活性の欠損によりSMがライソソームに異常蓄積する遺伝病である。NP-A患者由来の繊維芽細胞をホルマリンで固定した後lyseninによる細胞染色を行った。その結果、形質膜全体が染色され、さらにジギトニンにより膜透過性にすると細胞内にドット状の強い染色が見られた。この染色像は、培地中に添加して細胞に取り込ませたデキストランの蛍光像と一致することから、ライソソームであることが確認された。このようにlyseninを用いることにより生体膜上のSMを検出することが初めて可能となった。

 そこで、様々な細胞について細胞染色を行った結果、神経細胞はlyseninにより全く染色されないことを見いだした。SM含量は他の細胞と変わらないことや、ジギトニンにより膜透過性にしても染色されないことから、神経細胞では形質膜表層のSMの存在状態が他の細胞とは異なっているために、lyseninにより認識されないものと考えられる。このようにlyseninは生体膜上のSM分布だけではなくその存在状態の違いも検出できることから、SMの動態と機能を解析していくうえで極めて有用なプローブになると考えられる。

5.Lysenin耐性培養上皮細胞変異株の樹立と解析

 Lyseninは形質膜のSMに結合することにより膜崩壊を引き起こし、細胞を死に至らしめることから、lysenin耐性変異株では形質膜表層のSMの量あるいは存在状態に異常があると考えられる。その変異株についてSMの細胞内動態を解析し、さらにどのような細胞機能の変化が起きているかを解析することで、SMの細胞機能を解明できるのではないかと考えた。

 上皮細胞の形質膜はタイトジャンクション(TJ)によって組成も機能も異なる2つの領域(アピカル膜と基底膜)に仕切られており、それぞれの膜成分はトランスゴルジ領域から選別輸送されることが知られている。したがって上皮細胞はSMの分布の違いによる細胞機能の変化を検出しやすい細胞であると考えられる。

 ブタ腎臓由来培養上皮細胞LLC-PK1について、lysenin感受性が親株の約5倍低下している耐性株を樹立した。耐性株についてlyseninによる細胞染色を行ったところ、細胞表面はほとんど染色されず、細胞内にドット状の染色が見られた。これが何であるかはまだ同定できていないが、ゴルジ体やライソソームの染色像とは一致せず、何らかの輸送小胞ではないかと考えている。また、SM含量や合成活性には異常が認められないことから、この耐性株はSMの細胞内輸送に異常をもつ変異株である可能性が考えられる。

 さらに私は、SMの細胞内分布に異常をもつlysenin耐性株における細胞機能の変化を検索し、細胞間接着に異常があることを見いだした。電子顕微鏡観察の結果、耐性株ではTJが正常に構築されていないことが明らかとなった。現在のところ耐性株におけるSM分布の異常とTJ構築の異常にどのような関係があるのかは不明である。しかし、上に述べた耐性株の特徴は無血清培地で培養した場合に見られるものであり、耐性株を通常の血清存在下で培養した場合にはSM分布もTJ構築も正常になる。したがって、血清中に耐性株の形質を復帰させる因子(例えばリポプロテイン中のSMなど)があると考えられ、今後その同定が待たれる。

 一方、TJの膜貫通蛋白質occludinを過剰発現させた細胞の免疫電顕を行った結果、TJ様構造にSMが濃縮して存在することが明らかとなった。これらの結果を考え合わせると、SMの細胞内動態が上皮細胞におけるTJの構築・維持に関与する可能性が考えられる。現在のところ、SMがどのように関与しているのかは全く不明であるが、次の2つの可能性を考えている。1つめは、TJの構築分子の特異的な小胞輸送に関与する可能性である。2つめは、その両側の脂質や蛋白質の移動を遮断するTJの強固な構造の維持に関与する可能性である。

 今後lysenin耐性株でSMの細胞内動態のどこに異常があるかを詳細に解析し、さらにTJの構築との関連を解析することで、その分子機構が解明できるのではないかと考えている。

審査要旨

 本研究はスフィンゴミエリン(SM)の細胞内動態が細胞機能にどのように関わっているかを分子レベルで解明することを目的として、1)生体膜上のSMを特異的にできるプローブを探索、構築して、2)それを用いてSMの細胞内分布に異常のある培養細胞変異株を樹立し、膜機能を解析したものである。

SM特異的プローブの作製

 シマミミズ体腔液から単離された41kDaのタンパク質、ライセニンがSMに特異的に結合することをELISA法、TLC-immunoblotting法により発見した。その認識にはスフィンゴシン骨格、脂肪酸基、リン酸基、コリン残基からなるSMの全構造が必要であることが明らかとなった。さらに各種脂質よりなる人工膜を調製してライセニンと反応させたところ、SMを含む膜のみが障害をうけた。本タンパク質の溶血性など膜障害活性は膜中のSMと結合して、脂質二重層を崩壊することによることが分かった。ライセニンはSMと特異的に結合することの判明した初めての分子であり、SMの膜における分布や機能解析上有用なプローブとなる可能性が示された。

ライセニンによる生体膜上のSM検出

 ニーマンピック病タイプA(NP-A)は酸性スフィンゴミエリナーゼ活性の欠損によりSMがライソソームに異常蓄積する遺伝病である。このNP-A患者由来の繊維芽細胞をライセニンで染色したところ、インタクト細胞では形質膜全体が、ジギトニン処理細胞では細胞内にライソソームと推定されるドット状の強い染色が観察された。細胞内のSMの分布を本タンパク質プローブは有効に検索し得ることが判明した。さらにさまざまな細胞について染色をしたところ、神経細胞ではSMが十分検出されるにもかかわらず、形質膜は染色されなかった。ジギトニン処理してもなお染色に抵抗性を示した。この事実は神経細胞膜上のSMの存在状態が他の細胞とは異なっている可能性を示している。

ライセニン耐性培養上皮細胞変異株の樹立

 ブタ腎臓由来培養上皮細胞LLC-PH1について、ライセニン耐性株を樹立した。この耐性株の細胞表面は染色されず、細胞内の輸送小胞と思われる未同定の小胞のみが染色された。合成活性、SM総量には異常が認められず、SMの輸送の異常である可能性が高い。この細胞では細胞間接着に異常が、またタイトジャンクションの構築に異常が認められる事より、SMがタイトジャンクションの構築・維持に関わる可能性も示された。

 以上、本研究はSMの高等動物における動態、機能を解明する手がかりを、特異的プローブを発見し、それを利用することにより与えたもので細胞生物学への貢献が認められ、博士(薬学)の学位に値すると判断された。

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