学位論文要旨



No 114624
著者(漢字) 岩堀,有希
著者(英字)
著者(カナ) イワホリ,ユキ
標題(和) 延髄孤束核神経細胞の電気生理学的性質の検討
標題(洋)
報告番号 114624
報告番号 甲14624
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第885号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 荒川,義弘
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨

 延髄孤束核、Nucleus Tractus SolitariusすなわちNTSは、呼吸系や心血管系の調節など生命の維持に不可欠な生理機能を制御している脳部位である。NTSのCaudalすなわち尾側部、およびMedial、中央部には主に呼吸系と心血管系を支配する迷走神経が入力している。一方、Rostralすなわち吻側部には消化器系を支配する迷走神経や舌咽系神経の投射が存在している。このように、NTSは部位により制御する生理機能が異なるにも関わらず、神経細胞の性質の部位差についてはほとんど解明されていない。またスライス標本を用いて誘発電位を指標にNTS神経細胞の性質を明らかにしようという試みがこれまでにもなされてきたが、一定の結果が得られていない。その原因として、刺激あるいは記録している神経細胞の同定が困難であること、また薬物が目的とする細胞に直接作用しているのか、他の細胞を介して間接的に作用しているのか判断できないなどの問題点が挙げられる。そこで本研究では、NTS各神経細胞固有の特性を明らかにするために、各部位から神経細胞を単離して、個々の電気生理学的性質をに検討することにした。

1).NTS神経細胞の急性単離法

 NTS内の神経系の発達がほぼ終了している生後11-13日齢のWistar Ratより、NTSを含む厚さ500mの切片を作製し、室温下95%O2/5%CO2を通気した人工脳脊髄液中で45分間放置して安定させた。Pronase及びThermolysine(Protease Type X)で酵素処理した後、90分間回復時間をおき、加工した注射針を用いてスライスから孤束核をパンチアウトした。この手順以降にはO2ガスを充分に通気した細胞外液を使用した。Poly-L-lysineコーティングした35mm Dish(Falcon)上、顕微鏡下で先端径100-300mの単離操作用ガラスピペットを用い穏やかに組織片を解すことにより、急性単離細胞を得た。神経細胞が底面に接着するまで5-10分間静置した後、実験に用いた。

2).NTS神経細胞のCharacterization

 NTSはY字型の形状をしているため、冠状切片を作製した場合、Caudal側とRostral側では切片内でのNTSの位置が異なって見える。Caudal側ではNTSが左右に解離せずひとつにまとまって見えるが、Rostral側では、NTSが左右に分かれて見える。以下の実験では、このような切片中のNTSの位置に基づいて、Caudal、Medial、Rostralという部位分けを行った。(図1)。単離された細胞群には、双極性及び多極性の神経細胞、更に、少量の細胞体が丸く小さいグリア細胞様の細胞が混在しており、顕著な部位差は認められなかった。

図1NTSの部位分け
電気生理学的性質

 パッチ電極を用いて、Current Clamp下に電気生理学的パラメーターを比較した。活動電位は150pA、20msの脱分極パルスにより誘起した。静止膜電位、活動電位の大きさ、AHP(After Hyperpolarization)の大きさなど各種パラメーターに部位による違いは認められなかった(表1)。一方、前述の通り、急性単離操作によって神経細胞だけでなくグリア細胞も得られた。神経細胞では、脱分極パルスの通電により、オーバーシュートする大きな活動電位が観察されたが、形態的にグリアと思われる細胞では、いくら強く通電してもスパイク状の活動電位は発生しなかった。

表1各種電気生理学的パラメーターの比較
グルタミン酸誘発電流

 NTSには末梢からの求心性迷走神経などが入力しており、神経伝達物質がグルタミン酸であることが知られている。そこでVoltage Clamp下に50Mグルタミン酸に対する応答をMg2+-free、10M Glycine存在下で検討した。しかし、どの部位においても反応率は約30%であり、反応細胞の場合でも平均で30pA程度の電流しか記録できず、定量的解析は困難であった。また、AmphotericinBによるPerforated Patch Clamp法を用いても同様であった。

GABA誘発電流

 抑制性神経伝達物質、GABAについての検討を行った。扁桃体からNTSへの投射のほとんどがGABA作動性であることが知られている。また、GABAは心血管系や消化器系のNTSへの入力系にも作用することから、NTSが各種生理機能を制御する上で重要な役割を果たしていると考えられている。神経細胞を-55mVにVoltage Clampし、100MのGABAを適用したところ、いずれの部位でもほぼ100%の細胞において、内向き電流が観察された。GABAの適用により誘発される電流の波形に部位による違いは観察されなかった。更に、ピーク電流値、総電流量の平均値にも有意な差はなく、ピーク電流値の度数分布にも部位による違いがなかった。つまり、GABAに対する応答には部位差がないことが明らかになった。(表1)。一方、グリア細胞においてもGABA誘発電流が観察されたが、そのピーク電流値は神経細胞の約1/6であった。このように、グリア細胞と神経細胞の性質の違いが観察された。

3).NTSにおけるIH(Hyperpolarization-activated Current)

 Hyperpolarization-activated current、すなわち過分極により誘発される内向きチャネル電流は、神経系においてはIHと呼ばれている。IHは神経細胞では静止膜電位の維持およびペースメーカー電位の発生に関与すると考えられ、NTSでは呼吸機能との関連が報告されている。そこで、このIHの分布や性質に部位差があるか検討したPerforated Patch Clamp法を用い、細胞を-65mVにVoltage Clampし、大きさ10〜70mV、900msの過分極パルスを与えてIHを誘起した(図2)。IHの特徴としては、細胞外K+濃度の上昇に伴い増大すること、細胞外液中のCs+により完全に阻害され、Ba2+では部分的に抑制されることが挙げられる。以上の事実を元に、観察されたカレントがIHであることを確認するための実験を行った。細胞外K+濃度を通常の5mMから20mMまで上昇させた場合、IHと考えられる成分は有意に増大した。更に、細胞外液中にCs+2mMを添加すると、IHは完全に抑制され、また、Ba2+5mMによって、部分的に抑制された。以上の結果より、観察された内向き電流をIHと同定した。次に、IHが観察される細胞の割合とおよびピーク電流値の部位差について検討した。その結果、Rostralに比べてCaudalおよびMedialにおいて、IHの観察された細胞の割合が有意に高く、更に、CaudalおよびMedialでより大きなピーク電流が観察された。(図3)。

図2NTSにおけるIH図3IHの部位差(左)IHの発生率(右)Amplitude
4).5-HydroxytriptamineによるIHの増強

 5-HT神経系は、広く脳内に分布しており、例えば、NTSへのnodose gangliaからの投射が5-HT作動性であることが明らかになっている。5-HTは、呼吸リズムの制御、心血管系の調節などNTSが制御する生理機能に深く関与することが知られているため、IHに影響を及ぼす可能性が考えられた。そこで、IHに対する5-HTの作用について検討した。呼吸系の入力があるとされ、事実、より大きなIHが観察されたCaudal、Medialの神経細胞を用いて、IHに対するセロトニンの作用を検討した。右スライドのグラフに示したように、5-HTは濃度依存的にIHを増大させた(図4)。しかし、このような5-HTのIH増大作用は、Whole-cell Patch Clamp法では観察されなかった。従って、5-HTは直接IHチャネルに作用するのではなく、パッチ電極に流出してしまう細胞内可溶性成分を介して作用すると考えられた。次に、5-HTによるIH増大作用の部位による違いについて検討した。5-HT50Mを適用した際のIH増大作用はRostralと比較してCaudalおよびMedialにおいて顕著に観察された。すなわち、5-HT受容体の分布、もしくは活性化の度合いの違いなどが部位間に存在すると考えられる。更に、5-HTのIH増大作用に関与する受容体サブタイプについて検討した。5-HT1A/7受容体作動薬8-OH-DPATは5-HTと同様、濃度依存的にIHを増大させた。また、5-HT1A受容体拮抗薬NAN-190は5-HTによるIH増大作用を部分的に抑制した。よって、5-HTによるIH増大作用には5-HT1A受容体が関与すると考えられた。

図4 IHに対する5-HTの作用各濃度の5-HT存在下でIHを誘起。
【総括】

 本研究において私は、Caudal、Medial、RostralのNTSよりそれぞれ神経細胞を急性単離し、その電気生理学的性質について、以下のことを明らかにした。1.各種電気生理学的性質を示すパラメーターには部位による有意な差が存在しないことを示した。2.GABA反応性および誘発電流の大きさに部位差は存在しなかった。3.Rostralと比較して、CaudalおよびMedialにおいてより大きなIHが観察された。4.セロトニンのIH増大作用はRostralと比較してCaudalおよびMedialで顕著であり、5-HT1A受容体を介することが示された。

 これまで、スライス標本を用いた数多くの研究が行われ、それぞれ多様な生理機能と関連づけた考察がなされてきた。しかし、NTSへの神経投射およびNTS内での神経回路が未だ完全に解明されていないため、統一した見解には至っていないのが現状である。本研究は、それら多様な成果を橋渡しし、統合していく上で重要な役割を担うものと期待される。

審査要旨

 延髄孤束核(NTS:Nucleus Tractus Solitarius)は呼吸系や心血管系の調節など生命の維持に不可欠な生理機能を制御している脳部位である。NTSの尾側部および中央部には主に呼吸系と心血管系を支配する迷走神経が入力している。一方、吻側部には消化器系を支配する迷走神経や舌咽系神経の投射が存在しており、嘔吐反応などへの関与が示唆されている。このようにNTSは部位により制御する生理機能が異なるにも関わらず、神経細胞の性質の部位差についてはほとんど解明されていない。またスライス標本を用いて誘発電位を指標にした研究には種々の問題点があり、一定の結果が得られていない。本研究では、NTS各神経細胞固有の特性を明らかにするために、各部位から神経細胞を単離して個々の電気生理学的性質を検討した。

 NTS内の神経系の発達がほぼ終了している生後11-13日齢のRatラットより、NTSを含む切片を作製し、Pronase及びThermolysineで酵素処理した後に目的とするNTSをパンチアウトした。さらに顕微鏡下に小型ガラスピペットで穏やかに組織片を解すことにより、急性単離細胞を得た。単離された細胞群には双極性及び多極性の神経細胞の他に少量の細胞体が丸く小さいグリア様の細胞が混在していたが、顕著な部位差は認められなかった。

 パッチ電極を用いて、電流固定下に電気生理学的パラメーターを比較したところ、静止膜電位、活動電位の大きさ、陰性後電位の大きさなど各種パラメーターに部位による違いは認められなかった。神経細胞では、脱分極パルスの通電により、オーバーシュートする大きな活動電位が観察されたが、形態的にグリアと思われる細胞では、いくら強く通電してもスパイク状の活動電位は発生しなかった。

 NTSには末梢からの求心性迷走神経などが入力しており、その神経伝達物質がグルタミン酸であることが知られている。そこで電圧固定下にグルタミン酸誘発電流を検討した。しかし、どの部位においても反応率は約30%で、しかも小さな電流しか記録できず、定量的解析は困難であった。また、Amphotericin BによるPerforated Patch Clamp法を用いても同様であった。更に、抑制性神経伝達物質GABAについての検討を行った。扁桃体からNTSへの投射のほとんどがGABA作動性であることが知られており、GABAは心血管系や消化器系のNTSへの入力系にも作用することから、NTSが各種生理機能を制御する上で重要な役割を果たしていると考えられている。GABAの適用により、いずれの部位でもほぼ100%の細胞において誘発電流が観察された。しかし、誘発電流の波形、ピーク電流の平均値、総電流量の平均値、ピーク電流値の度数分布に部位差は認められなかった。一方、グリア細胞においてもGABA誘発電流が観察されたが、そのピーク電流値は神経細胞の約1/6であった。

 過分極活性化電流(IH:Hyperpolarization-activated current)は神経細胞では静止膜電位の維持およびペースメーカー電位の発生に関与すると考えられ、NTSでは呼吸機能との関連が推察されている。Perforated Patch Clamp法を用い、過分極パルスを与えてIHを誘起した。IHの同定は細胞外K+濃度の上昇に伴い増大すること、細胞外液中のCs+により完全に阻害され、Ba2+では部分的に抑制されることで行った。尾側部および中央部においてIHの観察された細胞の割合が有意に高く、大きなピーク電流が観察された。

 セロトニン(5-HT)神経系は広く脳内に分布しており、NTSでは呼吸リズムの制御、心血管系の調節などへの関与することが知られているので、IHに対する5-HTの作用について検討した。5-HTは濃度依存的にIHを増大させた。しかし、このIH増大作用はWhole-cell Patch Clamp法では観察されなかった。従って、5-HTはIHチャネルに直接作用するのではなく、パッチ電極に流出してしまう細胞内可溶性成分を介して作用すると考えられた。5-HTによるIH増大作用は吻側部と比較して尾側部および中央部において顕著に観察され、5-HT受容体の分布などに部位差が存在することが示唆された。更に、関与する5-HT受容体のサブタイプについて検討した。5-HT1A/7受容体作動薬8-OH-DPATは5-HTと同様に、濃度依存的にIHを増大させた。5-HT1A受容体拮抗薬NAN-190は5-HTによるIH増大作用を部分的に抑制した。従って、5-HTによるIH増大作用には5-HT1A受容体が関与することが明らかになった。

 本研究において、NTSを尾側部、中央部、吻側部に分けて神経細胞を急性単離後に、その電気生理学的性質について検討し、(1)各種電気生理学的性質を示すパラメーターには部位による有意な差が存在しないこと、(2)GABA反応性および誘発電流の大きさに部位差は存在しないこと、(3)尾側部および中央部には顕著なIHが観察され、これらの部位ではセロトニンが5-HT1A受容体を介してIHを増大させること、を明らかにした。NTSは生命維持に重要な役割を担っており、スライス標本を用いた研究から生理機能と関連させる試みがなされている。しかし、NTSへの神経投射およびNTS内での神経回路が未だ完全に解明されていないため、統一した見解には至っていない。本研究はこれらを統合する基礎となるものであり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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