延髄孤束核(NTS:Nucleus Tractus Solitarius)は呼吸系や心血管系の調節など生命の維持に不可欠な生理機能を制御している脳部位である。NTSの尾側部および中央部には主に呼吸系と心血管系を支配する迷走神経が入力している。一方、吻側部には消化器系を支配する迷走神経や舌咽系神経の投射が存在しており、嘔吐反応などへの関与が示唆されている。このようにNTSは部位により制御する生理機能が異なるにも関わらず、神経細胞の性質の部位差についてはほとんど解明されていない。またスライス標本を用いて誘発電位を指標にした研究には種々の問題点があり、一定の結果が得られていない。本研究では、NTS各神経細胞固有の特性を明らかにするために、各部位から神経細胞を単離して個々の電気生理学的性質を検討した。 NTS内の神経系の発達がほぼ終了している生後11-13日齢のRatラットより、NTSを含む切片を作製し、Pronase及びThermolysineで酵素処理した後に目的とするNTSをパンチアウトした。さらに顕微鏡下に小型ガラスピペットで穏やかに組織片を解すことにより、急性単離細胞を得た。単離された細胞群には双極性及び多極性の神経細胞の他に少量の細胞体が丸く小さいグリア様の細胞が混在していたが、顕著な部位差は認められなかった。 パッチ電極を用いて、電流固定下に電気生理学的パラメーターを比較したところ、静止膜電位、活動電位の大きさ、陰性後電位の大きさなど各種パラメーターに部位による違いは認められなかった。神経細胞では、脱分極パルスの通電により、オーバーシュートする大きな活動電位が観察されたが、形態的にグリアと思われる細胞では、いくら強く通電してもスパイク状の活動電位は発生しなかった。 NTSには末梢からの求心性迷走神経などが入力しており、その神経伝達物質がグルタミン酸であることが知られている。そこで電圧固定下にグルタミン酸誘発電流を検討した。しかし、どの部位においても反応率は約30%で、しかも小さな電流しか記録できず、定量的解析は困難であった。また、Amphotericin BによるPerforated Patch Clamp法を用いても同様であった。更に、抑制性神経伝達物質GABAについての検討を行った。扁桃体からNTSへの投射のほとんどがGABA作動性であることが知られており、GABAは心血管系や消化器系のNTSへの入力系にも作用することから、NTSが各種生理機能を制御する上で重要な役割を果たしていると考えられている。GABAの適用により、いずれの部位でもほぼ100%の細胞において誘発電流が観察された。しかし、誘発電流の波形、ピーク電流の平均値、総電流量の平均値、ピーク電流値の度数分布に部位差は認められなかった。一方、グリア細胞においてもGABA誘発電流が観察されたが、そのピーク電流値は神経細胞の約1/6であった。 過分極活性化電流(IH:Hyperpolarization-activated current)は神経細胞では静止膜電位の維持およびペースメーカー電位の発生に関与すると考えられ、NTSでは呼吸機能との関連が推察されている。Perforated Patch Clamp法を用い、過分極パルスを与えてIHを誘起した。IHの同定は細胞外K+濃度の上昇に伴い増大すること、細胞外液中のCs+により完全に阻害され、Ba2+では部分的に抑制されることで行った。尾側部および中央部においてIHの観察された細胞の割合が有意に高く、大きなピーク電流が観察された。 セロトニン(5-HT)神経系は広く脳内に分布しており、NTSでは呼吸リズムの制御、心血管系の調節などへの関与することが知られているので、IHに対する5-HTの作用について検討した。5-HTは濃度依存的にIHを増大させた。しかし、このIH増大作用はWhole-cell Patch Clamp法では観察されなかった。従って、5-HTはIHチャネルに直接作用するのではなく、パッチ電極に流出してしまう細胞内可溶性成分を介して作用すると考えられた。5-HTによるIH増大作用は吻側部と比較して尾側部および中央部において顕著に観察され、5-HT受容体の分布などに部位差が存在することが示唆された。更に、関与する5-HT受容体のサブタイプについて検討した。5-HT1A/7受容体作動薬8-OH-DPATは5-HTと同様に、濃度依存的にIHを増大させた。5-HT1A受容体拮抗薬NAN-190は5-HTによるIH増大作用を部分的に抑制した。従って、5-HTによるIH増大作用には5-HT1A受容体が関与することが明らかになった。 本研究において、NTSを尾側部、中央部、吻側部に分けて神経細胞を急性単離後に、その電気生理学的性質について検討し、(1)各種電気生理学的性質を示すパラメーターには部位による有意な差が存在しないこと、(2)GABA反応性および誘発電流の大きさに部位差は存在しないこと、(3)尾側部および中央部には顕著なIHが観察され、これらの部位ではセロトニンが5-HT1A受容体を介してIHを増大させること、を明らかにした。NTSは生命維持に重要な役割を担っており、スライス標本を用いた研究から生理機能と関連させる試みがなされている。しかし、NTSへの神経投射およびNTS内での神経回路が未だ完全に解明されていないため、統一した見解には至っていない。本研究はこれらを統合する基礎となるものであり、博士(薬学)の学位に値すると判断した。 |