学位論文要旨



No 114631
著者(漢字) 旦,慎吾
著者(英字)
著者(カナ) ダン,シンゴ
標題(和) アポトーシスシグナル伝達におけるAblチロシンキナーゼの関与
標題(洋)
報告番号 114631
報告番号 甲14631
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第892号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨

 化学療法剤や放射線照射などのDNA損傷により、がん細胞はアポトーシスを起こして死ぬことが明らかにされてきているが、その分子機構は十分には理解されていない。DNA損傷により、c-AblやJunキナーゼ(JNKl/SAPK)、p53などのシグナル伝達分子が活性化される。p53は、DNA損傷後の細胞周期停止やアポトーシスに重要な役割を担っていることが示されているが、実際には多くのがん細胞は野生型のp53を欠失している。このことからp53に依存しないアポトーシスのシグナル伝達を解明することががんの化学療法を考える上で重要であるものと考えられる。本研究では、p53を発現していないヒト白血病細胞U937を用いて、抗がん剤の誘導するアポトーシスのシグナル伝達におけるc-AblとJNKl/SAPKの活性化を検討した。また、Ablチロシンキナーゼの特異的な阻害剤CGP57148を用いてアポトーシスの進行におけるc-Ablの活性化の役割を検討した。

1.caspase依存的なc-Ablチロシンキナーゼの活性化

 ヒト単芽球白血病細胞株U937は、p53を発現していないが、さまざまな抗がん剤や腫瘍壊死因子(TNF-)の刺激により速やかにアポトーシスを起こす。U937の変異株UK711は、抗がん剤の誘導するアポトーシスに抵抗性を示す一方、TNF-の誘導するアポトーシスには感受性を示す。抗がん剤の誘導するp53非依存的なアポトーシスのシグナル伝達におけるc-Abl、JNKl/SAPKの関与を検討するために、U937細胞を抗がん剤エトポシドで処理し、c-Abl、JNKl/SAPKおよびcaspase-3の活性化とアポトーシスの進行を経時的に検討した。その結果、caspase-3の活性化やアポトーシスの進行に伴ってc-Ablのチロシンキナーゼ活性の上昇が認められた。一方、JNKl/SAPKの活性化はcaspase-3やc-Ablの活性化より先に起こることがわかった(図1)。エトポシドの誘導するアポトーシスに耐性を示すUK711細胞では、親株U937と比較してJNKl/SAPK、c-Abl、caspase-3のすべての活性化が抑制されていた。

図1 U937、UK711細胞におけるエトポシド処理によるc-Abl、JNKl/SAPK、caspase-3の活性化とアポトーシスの進行の検討(A)U937、UK711細胞をエトポシド10g/mlで処理した後、細胞質分画、核抽出液を調製し、それぞれGST-Jun、GST-Crkを基質としてJNKl/SAPK(上)、c-Abl(中)のキナーゼ活性を測定した。(下)DNA断片化によりアポトーシスの進行を検討した。(B)Aで調製した細胞質画分を用いてcaspase-3の活性化をDEVDテトラペプチドの切断を指標に検討した。

 次にc-Ablの活性化とcaspase活性化の相関を明らかにするために、caspase阻害剤Z-Aspのc-Abl活性化に与える影響を検討した。その結果、Z-Asp処理によりアポトーシスは抑制され、同時にc-Ablの活性化は完全に阻害された。これらの現象は、他の抗がん剤カンプトテシンやTNF-の誘導するアポトーシスの際も再現された(図2中・下)。UK711細胞はTNF-刺激によりアポトーシスを起こした際にはc-Ablの活性化が認められ、またこの活性化はZ-Aspにより抑制された(データは示さず)。これらの結果から、c-Ablの活性化がアポトーシスに伴っておこること、またこの活性化はcaspase依存的であるものと結論された。一方、抗がん剤刺激によるJNKl/SAPKの活性化はZ-Aspによって全く影響を受けなかった(図2上)。

図2 様々な刺激によるアポトーシスにおけるJNKl/SAPK、c-Ablの活性化と、caspase阻害剤Z-Aspの影響U937細胞をZ-Asp存在下・非存在下、エトポシド、TNF-、シクロヘキシミド(CHX)、カンプトテシン(CPT)で処理し、JNKl/SAPK(上)、c-Ablの活性化(中)、DNA断片化(下)を検討した。
2.アポトーシス進行におけるc-Ablチロシンキナーゼ活性化の役割の検討

 アポトーシスの進行におけるc-Ablのチロシンキナーゼ活性の役割を検討するために、エトポシドやTNF-の誘導するアポトーシスに対するAblチロシンキナーゼ阻害剤CGP57148の影響を検討した。その結果、CGP57148によってアポトーシスの進行が50%以下に抑制された(図3A)。この際、c-Ablの自己リン酸化は完全に抑制されていることから(図3B)、c-Ablのチロシンキナーゼ活性が確かに細胞内で抑制されていることが示された。以上のことからc-Ablはアポトーシスの進行に伴ってcaspase依存的に活性化され、この活性化がアポトーシスの速やかな進行に寄与することが強く示唆された。これまでに、c-Ablをノックアウトした細胞を用いた実験ではDNA損傷によるJNKl/SAPKの活性化にc-Ablが不可欠であることが報告されていたが、本研究においては、エトポシド処理によるJNKl/SAPKの活性化がc-Ablの活性化より早く起こることから、JNKl/SAPKの活性化にはc-Ablは関与しないものと予想された。この可能性を検証するために、CGP57148によりc-Ablのチロシンキナーゼ活性を抑制した際のJNKl/SAPKの活性化を検討したところ、全く影響が見られなかった(図3C)。このことから、U937細胞を用いた本実験系においては、DNA損傷によるJNKl/SAPKの活性化はc-Ablのキナーゼ活性には依存しないことがわかった。他の白血病細胞HL-60を用いても同様な結果が得られた。

図3 Ablチロシンキナーゼ阻害剤CGP57148によるc-Ablの自己リン酸化の阻害とアポトーシスの抑制(A)CGP57148存在下・非存在下にてエトポシドまたはTNF-処理により誘導されるアポトーシスをPl染色・FACScanにより定量した。(B)各サンプルから核抽出液を調製し、抗Abl抗体で免疫沈降し、抗Abl抗体(上)、抗リン酸化チロシン抗体(下)でウェスタンプロットを行った。(C)CGP57148存在下・非存在下にてエトポシド処理し、JNKl/SAPKの活性化を抗リン酸化JNK抗体を用いて検討した。
まとめ

 本研究において私は、抗がん剤やTNF-の誘導するU937細胞のアポトーシスにおいてc-Ablチロシンキナーゼがcaspase依存的に活性化すること、またこの活性化がアポトーシスの速やかな進行に寄与している可能性があることを示した。これまでにも、c-Ablがアポトーシスを正に制御していることが報告されているが、その作用点は、DNA損傷によるJNKl/SAPKの活性制御であるものと考えられていた。しかし本実験系においては、c-Ablによるアポトーシスの制御は、JNKl/SAPKの上流ではなく、caspaseの活性化より下流のものであることが示唆された。

 本研究では、U937やHL-60細胞においてはCGP57148により抗がん剤やTNF-の誘導するアポトーシスを抑制することを示した一方、K562やKYO-1といった慢性骨髄性白血病(CML)細胞株ではCGP57148を処理するだけでアポトーシスを起こすことも明らかにしている(データは示さず)。CML細胞では染色体転座により生じた変異型のAblチロシンキナーゼ(Bcr-Abl)が発現している。Bcr-Ablは細胞に過剰発現させると細胞をがん化させたり種々の刺激によるアポトーシスを抑制させたりする能力を持っていることが知られている。c-Ablの生体内の機能については未だ不明な点が多いが、c-Abl過剰発現により増殖阻害を引き起こすことや、アポトーシスを起こすことが報告されている。このように正常型のc-Ablと変異型(活性型)のBcr-Ablは細胞内で異なった挙動を示しており、非常に興味深い。Bcr-Ablによるアポトーシス抑制機構は研究が進んでいるが、正常型c-Ablのアポトーシス進行における役割については、c-Ablの活性化機構・c-Ablの標的分子など未だ不明な点が多く、今後明らかにしていかなくてはならない課題である。

参考文献Dan S.et al.(1999)Activation of c-Abl tyrosine kinase requires caspase activation and is not involved in JNKl/SAPK activation during apoptosis of human monocytic leukemia U937 cells. Oncogene(in press)Dan S.et al.(1998)Selective induction of apoptosis in Philadelphia chromosome-positive chronic myelogenous leukemia cells by an inhibitor of BCR-ABL tyrosine kinase,CGP57148. Cell Death & Differ.5,710-715
審査要旨

 多くの抗がん剤は、がん細胞にDNA損傷を誘導し、アポトーシスを起こさせることがその作用機序と考えられている。しかし実際のがん細胞は、抗がん剤の誘導するアポトーシスに耐性を示していることが多く、このことががんの化学療法の問題点の一つとなっている。このことから、DNA損傷の誘導するアポトーシスの分子メカニズムを明らかにすることが、新しいがん化学療法の標的分子を考える上で大きな手がかりを与えるものと期待される。

 DNA損傷により活性化される細胞内シグナル伝達分子として、p53やJunキナーゼ(JNKl/SAPK)、c-Ablなどが挙げられる。p53は、DNA損傷後の細胞周期停止やアポトーシスに重要な役割を担っていることが示されているが、実際には多くのがん細胞は野生型のp53を欠失していることから、p53に依らないアポトーシスシグナル伝達を明らかにすることが重要である。当研究室ではこれまでに、p53を発現していないヒト白血病由来細胞株U937においてJNKl/SAPKがcaspaseの活性制御を介して抗がん剤によるアポトーシスのシグナル伝達を行っていることを明らかにしてきた。一方、c-AblはDNA損傷後のJNKl/SAPKの活性化に必須であることが報告され、アポトーシスシグナル伝達におけるc-Ablの役割が注目されていた。

 本研究では、U937細胞のアポトーシスシグナル伝達におけるc-AblとJNKl/SAPK、およびcaspaseの相互関係を検討した。また、Ablチロシンキナーゼの特異的な阻害剤CGP57148を用いてアポトーシスの進行におけるc-Ablの活性化の役割を検討した。その結果、抗がん剤やTNF-によりアポトーシスを誘導した際に、c-Ablチロシンキナーゼがcaspase依存的に活性化すること、この活性化がアポトーシスの速やかな進行に寄与している可能性があることを示した。また、抗がん剤の誘導するアポトーシスの際に起こるJNKl/SAPKの活性化はc-Ablに依存しないことを明らかにした。このことは、これまで考えられていたDNA損傷によるアポトーシスシグナル伝達経路におけるc-Ablの役割に一石を投じるものであり、非常に興味深い。c-Ablの活性化はTNF-の誘導するアポトーシスの際にも起こることから、DNA損傷のアポトーシスの感受性を決定する分子ではないことが強く示唆された。

 一方、本研究の後半ではK562やKYO-1といった慢性骨髄性白血病(CML)細胞株ではCGP57148を処理するだけでアポトーシスを起こすことも明らかにしている。CML細胞では染色体転座により生じた変異型のAblチロシンキナーゼ(Bcr-Abl)が発現している。Bcr-Ablは細胞に過剰発現させると細胞をがん化させたり種々の刺激によるアポトーシスを抑制させたりする能力を持っていることが知られている。CGP57148は、CML細胞で特異的に発現しているBcr-Ablチロシンキナーゼを標的にしているため、正常細胞に与える副作用が少ないことが予想され、臨床への応用が期待される。

 以上のように本研究では、アポトーシスシグナル伝達におけるc-Ablチロシンキナーゼの関与とその機能に新たな知見を与えた。また、CML細胞においては、Bcr-Ablというがん細胞のアポトーシス耐性形質に直接関与する分子を標的とした新しいがん化学療法に新たな可能性を示した。この業績は高く評価されるべきものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと認めた。

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