多くの抗がん剤は、がん細胞にDNA損傷を誘導し、アポトーシスを起こさせることがその作用機序と考えられている。しかし実際のがん細胞は、抗がん剤の誘導するアポトーシスに耐性を示していることが多く、このことががんの化学療法の問題点の一つとなっている。このことから、DNA損傷の誘導するアポトーシスの分子メカニズムを明らかにすることが、新しいがん化学療法の標的分子を考える上で大きな手がかりを与えるものと期待される。 DNA損傷により活性化される細胞内シグナル伝達分子として、p53やJunキナーゼ(JNKl/SAPK)、c-Ablなどが挙げられる。p53は、DNA損傷後の細胞周期停止やアポトーシスに重要な役割を担っていることが示されているが、実際には多くのがん細胞は野生型のp53を欠失していることから、p53に依らないアポトーシスシグナル伝達を明らかにすることが重要である。当研究室ではこれまでに、p53を発現していないヒト白血病由来細胞株U937においてJNKl/SAPKがcaspaseの活性制御を介して抗がん剤によるアポトーシスのシグナル伝達を行っていることを明らかにしてきた。一方、c-AblはDNA損傷後のJNKl/SAPKの活性化に必須であることが報告され、アポトーシスシグナル伝達におけるc-Ablの役割が注目されていた。 本研究では、U937細胞のアポトーシスシグナル伝達におけるc-AblとJNKl/SAPK、およびcaspaseの相互関係を検討した。また、Ablチロシンキナーゼの特異的な阻害剤CGP57148を用いてアポトーシスの進行におけるc-Ablの活性化の役割を検討した。その結果、抗がん剤やTNF-によりアポトーシスを誘導した際に、c-Ablチロシンキナーゼがcaspase依存的に活性化すること、この活性化がアポトーシスの速やかな進行に寄与している可能性があることを示した。また、抗がん剤の誘導するアポトーシスの際に起こるJNKl/SAPKの活性化はc-Ablに依存しないことを明らかにした。このことは、これまで考えられていたDNA損傷によるアポトーシスシグナル伝達経路におけるc-Ablの役割に一石を投じるものであり、非常に興味深い。c-Ablの活性化はTNF-の誘導するアポトーシスの際にも起こることから、DNA損傷のアポトーシスの感受性を決定する分子ではないことが強く示唆された。 一方、本研究の後半ではK562やKYO-1といった慢性骨髄性白血病(CML)細胞株ではCGP57148を処理するだけでアポトーシスを起こすことも明らかにしている。CML細胞では染色体転座により生じた変異型のAblチロシンキナーゼ(Bcr-Abl)が発現している。Bcr-Ablは細胞に過剰発現させると細胞をがん化させたり種々の刺激によるアポトーシスを抑制させたりする能力を持っていることが知られている。CGP57148は、CML細胞で特異的に発現しているBcr-Ablチロシンキナーゼを標的にしているため、正常細胞に与える副作用が少ないことが予想され、臨床への応用が期待される。 以上のように本研究では、アポトーシスシグナル伝達におけるc-Ablチロシンキナーゼの関与とその機能に新たな知見を与えた。また、CML細胞においては、Bcr-Ablというがん細胞のアポトーシス耐性形質に直接関与する分子を標的とした新しいがん化学療法に新たな可能性を示した。この業績は高く評価されるべきものであり、博士(薬学)の学位に相当するものと認めた。 |