学位論文要旨



No 114647
著者(漢字) 伊丹,一浩
著者(英字)
著者(カナ) イタミ,カズヒロ
標題(和) 19世紀前半フランス農村社会における相続と家族戦略
標題(洋)
報告番号 114647
報告番号 甲14647
学位授与日 1999.04.05
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2066号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,学
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 谷口,信和
 東京大学 助教授 小田切,徳美
 東京大学 助教授 岩本,純明
内容要旨

 本論文は伝統的農村が最も繁栄した19世紀前半フランスを対象とし、相続とそれをめぐる家族戦略の歴史具体的様相を明らかにした。

 第1章において民法典相続法の性格について再検討した。ゴワの民法典相続法を南北フランスの妥協の産物とする論に対して、むしろそれは南北フランスの農村家族にある程度共通した家族経営の一体性と子供の間の平等を守るという目的を達成するために、彼らに柔軟な戦略の可能性を与えるものであったと捉えるのがより適当であることを示した。子供の間の相続財産の価値的な平等を保ちながら不動産の分割をできるだけ回避することが可能となるような法制度により、農村家族においてそうした戦略を採ることが可能となったのであった。具体的には、民法典第826条及び第832条において相続人間の協議において相続分を自由に形成できることが規定されており、また第1075条において尊属に相続分の具体的形成の自由が与えられた。

 ただし、これまでにも強調されてきたように19世紀前半の破毀棄院判決は現物分割の志向を見せ、こうした家族戦略の可能性を狭めた。ただしこうした効果を誇張することはできないように思われる。特に尊属分割における相続財産形成の自由に関しては破毀院判決も動揺を見せており、1845年になってようやく尊属分割に対して現物分割の強制を要求する判例が確立する。もっとも、こうした判例も1860年代に至るや早くも動揺を見せ始め、1870年代には実質的にフランス民法典相続法は現物均分主義から価値的均分主義へと転換したのであった。

 このように従来の民法典相続法の現物分割の原則を強調する見解は誇張を含んでいると考えられる。実際には、民法典相続法はより柔軟な法体系を持っていたのであった。そして農村家族はこうした法体系の枠内において、そして場合によってはその枠外において、家族経営の保持と子供の間の平等という2つの目的を達成するために戦略をめぐらしたのであった。

 第2章において19世紀フランスの相続形態の分布について1866年農業アンケートを利用して明らかにした。そこでは従来言われてきた相続形態の南北の対立が確認できたが、同時に、相続形態のニュアンスについても見逃さなかった。例えば、一括相続が優勢とされる南部山岳地域においても均分相続が浸透しつつある地域が存在することを確認した。また、このアンケートによる調査時においてすでに均分相続が優勢となっていた地中海沿岸諸県においても、それは平野部の小土地所有において中心的に行われているのであり、山岳地の特に大・中土地所有においては依然として一括相続が行われていることを確認した。

 また均分相続が優勢な地域においても大・中土地所有を中心として土地の一体性を保持するために家族協議が行われ一括相続がなされているとの報告が存在することが確認された。それは特にパリ盆地と東部の山地を中心として見られるものであった。

 こうした一国レベルで行われた調査史料を使用することにより、従来言われてきた南北フランスの相続形態の対立は修正されざるを得ないと考えることができよう。そこでさらに詳しく北部、西部、南部の農村地域における相続をめぐる家族戦略・家族関係を検討したのであった。

 第3章において北部フランスの一農村シェロワを例に取りつつ農村家族の相続をめぐる戦略について検討した。シェロワにおいては均分分割相続がすでに革命以前より優勢であったが、一方で家族の土地の一体性を守るために様々な戦略が駆使されていた。人口増加局面において均分相続制は土地の細分化を促すが、シェロワにおいては本論文において研究対象とする19世紀前半にはすでに人口は停滞気味であった。そうした局面においてもなお大・中土地所有を中心として不動産の一体性を守ろうとする戦略が見られた。均分相続制社会においては結婚が不動産の再構成に資するものと考えられていたが、本論文においてシェロワの家族の資産集積を検討したところ、すべての家族が結婚によって土地所有を再構成することができたわけではなかった。それは、配偶者の親が不動産を持っているかどうかにもよっていたし、さらに結婚期間中に夫婦双方が相続財産を取得することが家族サイクルとの関係で必ずしも可能であるとは限らなかったからである。そこで、家族経営を守るために不動産の分割をできる限り回避することが必要となった。しかし、一方で子供の間の平等を守る必要も生じた。そこからシェロワの家族は価値的均分相続を志向することとなった。もっとも、完全に不動産を一体として相続することはまれであり、相続人のうちの一部の間で土地分割をすることによってその過度の細分化を回避するに過ぎなかったのではあるが。しかし、従来想定されていたのとは異なり、北部フランス均分相続社会においても不動産の分割回避への志向は存在していたのであり、場合によっては、本論文においてコタンソ一家の例によってみたように相続排除さえ行われることがあったのであった。同様にシャルティエ家のように自由分が使用され価値的均分さえも保てないこともあったのであった。

 北部パリ盆地と同様、均分相続が優勢であった西部フランスにおいても不動産不分割の傾向が存在したことを第4章において確認した。ここでは家族経営の一体性の保持と子供の間の平等とを保つために土地の交換分合と親族婚について検討した。前者は土地の分散を回避するのに有効であるものの適当な交換相手を見いだすことが必ずしも可能ではなく、従来考えられているよりは実際的ではないこと、親族婚においても、その土地の再併合の効果は確認できるものの人口増加局面においてはその効果も限定的なものであると考えなければならないことから、実際の農村家族において経営の一体性を保ちつつ平等相続を行うための別の戦略があるものと考えられた。そして、セガレンの事例を引きつつ西部フランス農村社会においても一括相続への傾向が見られることを明らかにしたのであった。

 第5章においてピレネー地方の一家族メルーガ家を例に取りながら一括相続地域の相続戦略と家族関係について検討した。そこでは「家」が社会的基盤となっており、その永続が農村家族にとって重要な目的となっていた。そこには「家」相続人が存在し、財産相続においては他の子供よりも多くを受け取った。一方、他の子供たちについては、結婚して家を出てゆくものは婚資を受け取ったが、独身のまま相続財産を受け取ることなく一生、生まれた家で過ごす者もいた。こうした相続に関してこれまで強調されてきた不平等性は疑い得ない。しかしながら、不平等に扱われた子供に全く配慮がなされなかったわけではなかった。例えば家から出てゆくものでも結婚するものには婚資としてなにがしかの動産が、時には多額のものが与えられたし、聖職者となるものにも同様に動産が与えられた。また独身で家に残るものに対しても一片の土地の所有を認めたり、若干の家畜の所有を認めたのであった。

 こうした配慮は「家」の不安定性によるものと考えられる。ともすれば伝統的農村社会における「家」を非常に強固なものとして考えがちであるが、実際には「家」は不平等に扱われた子供によって動揺にさらされうるものであり、特に相続時においてはその危険は重大なものであった。そうしたことは本論文において見たメルーガ家の裁判の例において明確に読みとれるであろう。よって家長及び「家」の相続人は他の子供に対して配慮を怠ることができなかった。そこに見られる家族成員間の権力関係は、家長と「家」相続人にアドヴァンテージが認められるものの絶対的なものではなかったのであった。そうしたことにより、一括相続制社会においても子供の間の平等を何らかの形で考えざるを得ない。そこで土地所有の一体性を保ちつつ子供の間の平等を達成するために価値的均分相続への傾向が見られることとなるのであった。

 以上のように北部、西部フランス均分相続制社会においても南部フランス一括相続制社会においても純粋な形で現物分割相続、もしくは一括相続が行われていたわけではなかった。均分相続制社会においては不動産の一体性を保とうとするために一括相続への傾向が存在したし、他方、一括相続制社会においては子供の平等を守るために「家」相続人以外の子供に対しても配慮が与えられていた。実際には純粋な現物分割相続と一括相続との2つの極の間に存在する中間的な相続が行われていたのであった。それは双方の社会での家族経営の存続と子供の間の平等を目的とする家族戦略の結果であった。そして双方の社会の実際的な相続の傾向を押し進めてゆくと価値的均分相続となるであろう。そこでは家族経営の一体性を保持するために相続人のうちの1人が不動産を一体で継承し、他の子供には価値的平等を保ちつつ動産で相続分が与えられるのである。しかしながら、実際にはこの2つの社会における相続制度は一致したものとはならなかったのであるが、いずれにせよ、従来のようにこの2つの社会を両極端の性格を持つものと規定することは許されないであろう。いずれの社会においても家族経営の存続は農村家族において重要であったし、同じく子供の間の平等もまた達成されるべきものであったのである。

審査要旨

 本論文は19世紀前半のフランス農村社会における相続慣行を、相続にかかわる地域規範ならびに家族戦略と関連させつつ検討したものである。

 フランスの農家相続慣行は、均分相続の支配的な北部地域と一括相続の支配的な南部地域を対比させる形でこれまで論じられてきた。相続慣行のこうした地域対比は、大まかに言えば間違っていないが、ややもすれば現実の相続実態がもつ多様性が捨象され、過度の単純化がなされる傾向がみられた。本論文は、フランス各地の相続慣行の歴史具体的姿を、当該地域の家族戦略-家族経営の一体性の保持と子供たちの境遇への配慮の実現-との関わりで描き出そうとするものである。フランス農家相続史研究の再検討をせまる意欲的論考だと評価できる。

 全体は7章からなる。上記のような本論文の問題意識を述べた序章に続き、第1章ではフランス民法典の性格が分析され、通説的理解とは異なり、民法典のもとでも家族戦略に応じて柔軟な相続形態の採用が可能となっていた点が強調される。

 第2章では、1866年農業アンケートを利用して、19世紀フランスの相続形態の地域分布が検討されている。その結果、確かに相続形態の南北差は認められるものの、同時にそのニュアンスをも見逃すべきでないとする。一括相続が優勢とされる南部山岳地域においても均分相続が浸透しつつある地域が存在するのであり、また均分相続が優勢な地域においても、大・中土地所有を中心として土地所有の一体性を保持するための家族協議が行われ一括相続がなされていることが確認される。南北フランスの相続形態の相違を過度に強調してきた従来の見解は再検討されなければならないのである。

 第3章では均分相続が優勢であった北部フランスの一農村をとりあげ、土地台帳や公証人証書などの一次資料を駆使して相続慣行の歴史的実相が復元される。その結果、均分相続地帯に分類される当該農村でも、均分相続の影響を緩和するような家族戦略が採用されていたことが明らかにされている。具体的には、(1)跡継ぎとそれ以外の者との間で分与する資産を区別すること,(2)清算金支払いによる現物分割の回避、(3)共同相続人間での相続財産の売買、(4)特定家族成員の相続対象からの排除、などである。むろんこうした手段によっても相続財産の一体性が完全に守られたわけではないが、均分相続地域においても、経営の一体性が保持されるべきだとする規範意識が働いていたことが重要なのである。

 第4章では北部と同様に均分相続が優勢であるとされてきた西部フランスが分析され、土地所有の再集中に重要な役割を果たすとされてきた親族婚(いとこ婚)の意義が検討される。その結果、親族婚の意義は従来評価されてきたほどには機能していないことが強調され、前章でみたような多様な資産分割回避の手段が採用されている点がより重視されている。

 第5章においてはピレネー地方の一家族を事例として、一括相続が優勢な地域における相続戦略と家族関係について分析がなされる。当地域では「家」の永続が農村家族にとって最重要の目的であり、「家」の継承者が資産の大部分を継承する不平等相続が支配的だとみなされてきた。この傾向はむろん広く確認できるが、しかし仔細に観察すると、跡継ぎ以外の子供たちに対しても配慮がなされていることがわかる。結婚して家を出てゆく者に対しては相応の婚資が与えられたし、独身のまま家に残る者にもある程度の土地・家畜の所有が認められていたのである。このように、一括相続が優勢な地域においても子供への配慮を怠ることはできず、平等への指向性が存在したのであった。

 以上の分析を受けて終章では、現実の農村社会においては、均分相続と一括相続という対極的な相続類型の間に位置する多様な中間的形態が存在したのであり、こうした多様な相続形態は、家族経営の存続と子供の間の平等確保という2つの目的を達成しようとする農村家族の戦略の結果なのだと総括されている。

 以上本論文は,19世紀前半フランス農村社会における相続慣行を一次資料に基づいて鮮明に描き出し、それを家族戦略という新しい概念の下に再構成することによって多くの新しい知見をもたらした。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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