学位論文要旨



No 114655
著者(漢字) 杉本,和寛
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,カズヒロ
標題(和) 宝永・正徳期浮世草子研究
標題(洋)
報告番号 114655
報告番号 甲14655
学位授与日 1999.04.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第246号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 助教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 助教授 安藤,宏
内容要旨

 浮世草子の歴史は天和二年の『好色一代男』以来、天明三年まで約100年間あり、その間には、約600点もの新刊作品が生み出されている。本論文でとり上げた元禄末年から正徳に至る約20年の間には、その3分の1にあたる200余りの作品が書かれている。それはこの時期が、一風・菊屋 対 其磧・八文字屋 という作家と本屋を巻き込んでの主導権争いの時期であり、またその後、主導権を握った其磧と八文字屋が今度は抗争状態に入るなど、つねに有力作者・有力書肆に争いがあり、その結果として趣向・ジャンル等に関して、読者に受け入れられるためにつねに新しいものを求める動きが盛んであり、また、上記の作者以外にも、都の錦・青木鷺水・月尋堂・北条団水・錦文流ら有力な作者が多数いたことなども、その要因と考えられる。いわばそれぞれの作者達がさまざまな方向性を模索して大量の作品を輩出していた、浮世草子の歴史にとっては混沌の時期といってもよいであろう。

 本論文ではそうした数多くの作品群のうち、まず第1章においては町人物に焦点を当て、その変遷について考察した。

 第二章では、まず第一節では、『好色一代男』における源氏物語摂取について、これまでに論じられた来たさまざまな議論を整理し、この議論における曖昧さの生じる原因を検討した。『曽我物語』や、『義経記』とは違った『源氏物語』そのものの江戸時代における受容のあり方に大きな問題があると思われるからである。また、第二節では、『御前義経記』がその主人公の造型において、徹底的に弱い主人公を造型した意味について考察した。新しい好色物を模索する一風と、当時の商家をめぐる社会情勢、一貫して弱い主人公を要求し、それが一風の「やつし」の方法の確立と深く結び付いているのである。

 第三章では、赤穂浪士事件の3年後に作られた『傾城武道桜』が、おそらくはすでにかなり固定していたであろう、赤穂事件に関する風聞をそのままとりいれ、際物の事件でありながら、古典のテキストのように固定した内容であることによって一風の「やつし」の方法がいかされたことを、『介石記』などとの比較を通じて論証した。

審査要旨

 本論文は、井原西鶴の『好色一代男』(1682年)にはじまる浮世草子の歴史の中で、多くの作者が様々な趣向を模索していた西鶴没後の宝永・正徳期(1704〜1716)を中心とする作品に光を当て、この時期の浮世草子の特質を明らかにしたものである。 従来、宝永・正徳期の町人物は、西鶴からの影響ばかりが強調される傾向にあったが、本論文は唯楽軒『立身大福帳』、月尋堂『子孫大黒柱』、江島其磧『渡世商軍談』、作者未詳『手代袖算盤』等の作品を詳細に分析し、西鶴作品とは異なって、知恵・才覚と倫理意識が乖離していること、致富譚でありながら立身出世の経緯に眼目のある話がむしろ少ないこと、それまで脇役的な存在にすぎなかった手代が、主人公や重要人物として活躍する「手代物」というべき作品群が成立してくることを指摘する。また、浮世草子の古典利用を西沢一風『御前義経記』を例に論じ、「やつし」の方法が浮世草子の長編化を支えていることを論証し、さらに赤穂浪士事件に取材した一風『傾城武道桜』を取り上げ、「やつし」の方法が、古典作品のみならず時事的な事件や話題をも対象とし、それを虚構化する上で重要な役割を果たしていることを指摘する。

 町人物と気質物との関係、時代物における世話の要素の意味の検討など、今後の課題とすべき点も残るが、其磧と八文字屋の提携と確執にのみ興味が集中していた従来の研究に対し、この時期の浮世草子の多様なあり方を明らかにしたことは高く評価できる。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク