10nm級の超薄膜ヘテロ構造は、高電子移動度トランジスタや量子井戸レーザなど各種のデバイスの高性能化に不可欠の役割りを果たしている。最近では、量子井戸の準位間の光学遷移を用いた中赤外領域の光検出器やレーザなども実現されて、活発に研究されている。本論文は、「不純物ドープ量子井戸における電子状態とその制御」と題し、GaAs系の量子井戸に不純物としてSiを様々な形で導入し、この構造の伝導特性およびサブバンド間光学遷移特性を調べ、その特色を示すとともに、中赤外学領域の光デバイスへの応用可能性を探る研究を記したもので、全6章よりなっている。 第1章は序論であり、本研究の目的と背景を述べている。 第2章は「GaAs量子井戸へのSi原子層の挿入」と題し、厚さ10nm程のGaAs量子井戸の中央にSi原子を高い面密度で導入した時の伝導特性および結晶構造を調べた研究について記している。特に伝導特性は、Siの面密度NIを増すにつれて電子数NSは比例して増えるが、NIが表面原子の10%に達すると(NI≧5×1013/cm2)、電子数NSが減少に転じることを見出した。この傾向はGaAsバルク結晶中にSiを面状にドープした場合にも現れるが、NSの減少開始点は量子井戸の場合のほうが低い。その違いは、フェルミエネルギーの上昇が量子井戸においてより顕著に進行し、電子が伝導帯のガンマ点以外により多く分布することに起因することを示唆している。また、同時に電子移動度を評価し、電子の分布の違いを反映した差異の生じることを示している。さらに、NIが一原子層以上に達するとヘテロ界面の平坦性が劣化することも指摘している。 第3章は、「Si挿入量子井戸におけるサブバンド間光吸収」と題し、10nm級のGaAs/AlGaAs量子井戸の中央にSiドナーを導入した構造を対象に、基底準位E1から励起準位E2へのサブバンド間の遷移に伴う光吸収スペクトルを計測し、その解釈を行った研究を記している。この系では、Siドナーの作る引力がE2よりもE1をより強く下げるため、(E2-E1)がSiの密度NIとともに増大することが予測される。計測の結果、NIが8×1011/cm2から5×1012/cm2に増すにつれて(E2-E1)が125meVから165meVまで増大することが見出された。この結果は、Siドナーの作る引力ポテンシャルの作用に加えて、depolarization効果が相乗的に作用していることで説明され、静的な交換相互作用などの寄与は比較的小さいことも判明した。 第4章は「GaAs(311)A量子井戸に挿入したSiアクセプターによる束縛準位の振る舞いと伝導特性」と題し、10nm級のGaAs量子井戸の様々な位置にシリコンを導入した試料について、その伝導特性の温度依存性を系統的に調べた研究について述べている。その結果、量子井戸膜厚の変化に伴って束縛エネルギーが20〜40meVの範囲で大きく変化することを見出した。また、量子井戸中に、わずかなドナー不純物が併存すると、正孔の密度の温度依存性が、より強くなることを指摘するとともに、障壁層にわずかなアクセプターが存在すると、正孔の密度の温度依存性が著しく小さくなることも見出している。これらの知見は、第5章で検討する赤外検出器の設計・試作に活用されている。 第5章は「不純物挿入井戸を利用した熱電型赤外光検出器の設計と基礎実験」と題し、適切な材料で赤外光を吸収させて試料を加熱し、これに伴う温度上昇をp型量子井戸の強い温度依存性を持つ伝導特性を利用して検出する方式の赤外検出器の研究について述べている。特に、赤外吸収層として、金属膜の他にn形量子井戸を用いた場合を検討している。量子井戸を吸収体とする場合には、自由キャリア吸収に加えて、波長の選択性の強いサブバンド間吸収過程を用いることができる。このため特定波長にのみ応答する検出器となることや赤外吸収部と温度検出部の一体化のできることなどを指摘している。この原理で動作する素子を試作し、その基礎実験を行い、特性改善の方向を示している。 第6章は「結論」であり、本論文で得られた主要な知見を記している。 以上これを要するに、本論文は、半導体量子井戸にドナーやアクセプタ不純物となるシリコンを導入する際に、その位置や濃度に独特の工夫を加えることで、量子井戸の電子状態や伝導特性が制御できることを実証するとともに、中赤外光検出器への応用可能性を探索したもので、電子工学に貢献するところが少なくない。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。 |