学位論文要旨



No 114664
著者(漢字) 笹川,隆平
著者(英字)
著者(カナ) ササガワ,リュウヘイ
標題(和) 不純物ドープ量子井戸における電子状態とその制御
標題(洋)
報告番号 114664
報告番号 甲14664
学位授与日 1999.05.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4486号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨

 GaAs、AlAsなどから成る半導体超格子は、1969年にEsakiとTsuにより提唱されて以来、結晶成長技術、物理、デバイス応用の3要素において多くの研究がなされ、その結果、電子の2次元的な量子閉じ込めを利用した高電子移動度トランジスタ(HEMT)、量子井戸レーザ、光変調器など、今日の情報通信技術の基盤となるデバイスが生み出されてきた。そして、電子を1次元や0次元に閉じ込める量子細線や量子箱では、さらなるFETの高速化やレーザの分散の抑制が期待でき、今日盛んに研究が行われている。

 以上において、半導体超格子構造へのドナー、アクセプタの不純物原子のドーピングは、電子や正孔の供給手段としてのみならず、変調ドーピングなどのデバイス高性能化のための結晶成長制御技術の形でも極めて重要である。しかし、不純物ドーピングの研究は、これまでは特定の構造と関連づけて活発に行われてきているが、ドーピング濃度が低濃度から極めて高い濃度に至るまでの体系的な理解については現状ではまだ十分でない。材料技術上は、Siなどの不純物を分数原子層程度まで挿入したとき、ドーピングの極限としての結晶構造上の興味がもたれる。電子状態に関しては、(1)超高濃度ドーピングにより形成される従来になく強いドナーポテンシャルや、これを量子井戸ポテンシャルと組み合わせたときのサブバンドの変調、(2)束縛準位の大きなアクセプタ不純物による電気伝導の温度依存性など、物理とデバイス応用の両面からの重要性がある。

 本論文では、GaAs量子井戸の中央に低濃度から高濃度に至るSi原子を挿入した一連の構造(Si挿入GaAs量子井戸)を用いて、超薄膜ヘテロ構造にドープされた不純物による電子状態の体系的な理解と、その制御性に関し議論することを目的とした研究の成果を述べている。論文の本論は4章から成る。以下は、各章の要旨である。

1.GaAs量子井戸へのSi原子層の挿入

 高濃度のSi原子をGaAs量子井戸の中央に挿入すると、図1の様に、量子井戸の中央にSiドナーによるV字型のポテンシャルが形成される。ここでは、密度1012cm-2から分数原子層に至る高濃度のSiドナーを、GaAs(001)面上に形成した量子井戸の中央に挿入した一連の構造(Si挿入GaAs量子井戸)に対し、量子井戸内の電子状態のSi原子密度依存性と、結晶構造を損なわずにどこまでSi原子密度を大きくできるかを明らかにするため、電気伝導(Hall測定)、発光特性(Photoluminescence)の測定と、結晶構造の評価(X線回折、透過電子顕微鏡による断面観察)を行った。

図1 Si挿入GaAs量子井戸のポテンシャルプロファイルと量子準位のSi原子密度依存性。

 図2は電子密度と移動度のSi原子密度依存性である。Si原子密度が1×1013cm-2以下のときは、挿入したSi原子のほとんどがイオン化してドナーとなる。そして、量子井戸内のFermi準位の上昇により、井戸からの発光スペクトルが高エネルギー側に広がる。しかし、Si原子密度が1×1013cm-2を越えると、Si原子のイオン化率が低下し、Si原子近傍の化学結合状態の変化に伴い非発光再結合中心が導入されて、量子井戸からの発光が観測できなくなる。そして、Si原子密度が分数原子層程度(〜1014cm-2)に達すると、Si原子挿入位置より上のGaAs層の結晶成長が抑制され、量子井戸の平坦性や周期の減少という形で結晶品質が劣化する。一方、GaAsバルク中に同数のSi原子を挿入した構造と比べると、量子井戸では、電子が井戸内に局在化されてSiドナーとのクーロン相互作用が大きくなり、移動度が低くなる。そして、Si原子密度が1013cm-2程度に高くなると、電子が励起準位に入り、構造によってはALAsバリアのX点にも入る可能性がある。

図2 Si挿入GaAs量子井戸の電子密度と移動度のSi原子密度依存性。

 以上の様に、Si原子密度1013cm-2を境に、量子井戸の電子状態や化学結合状態が変化することを示す結果を得た。

2.Si挿入GaAs量子井戸におけるサブバンド間光吸収

 図1に示す様に、GaAs量子井戸の中央に挿入したSi原子がイオン化して形成するV字型のドナーポテンシャルはSi原子密度の増加とともに深くなる。これに伴い、各量子準位とドナーポテンシャルの重なりの違いにより、特に量子井戸の基底準位が選択的に下がり、基底準位と第一励起準位のサブバンド間隔が増大する。これを実証するため、Si原子密度を9.0X1011cm-2から6.5X1012cm-2まで変化させた一連のGaAs単一量子井戸に対し、室温でのサブバンド間光吸収スペクトルの測定を行った。図3は光吸収ピークエネルギーのSi原子密度依存性である。Si原子密度が9.0X1011cm-2から6.5X1012cm-2まで増加すると、光吸収ピークエネルギーが38meV増加する。この増加分には、ドナーポテンシャルの他に、Depolarizationなどの多体効果の寄与もある。井戸内に一様ドープしたGaAs量子井戸の測定結果との比較と多体効果の理論解析により、このエネルギーの増加にはSi原子層による静電ポテンシャルの効果が寄与していることを明らかにした。このことは、量子井戸の基底準位に、一様ドープGaAs量子井戸よりも高い密度の電子を入れられることを意味する。

図3 サブバンド間光吸収エネルギーのSi原子密度依存性。(A-D:井戸の中央に挿入、E:井戸内一様ドーピング)
3.GaAs(311)A量子井戸に挿入したSiアクセプタによる束縛準位の振る舞いと伝導特性

 GaAs(311)A面上に形成した量子井戸の中央に比較的低濃度のSi原子を挿入すると、束縛エネルギーの大きいアクセプタとなって、図4の様に電気伝導(p型)の大きな温度依存性を生じる。この束縛エネルギーは、光学的には量子井戸からの発光エネルギーと、価電子帯付近に形成される束縛準位を介した発光エネルギーの差より求められる。ドナーの場合、束縛エネルギーは量子井戸幅が狭いほど大きく、不純物挿入位置が量子井戸の中央から界面方向に変位すると小さくなる傾向にある。ここでは、アクセプタの場合も量子井戸の構造により同様に束縛エネルギーを制御でき、電気伝導の温度依存性を一意的に制御できるかを明らかにするため、量子井戸幅やSi原子の挿入位置を変えた一連の構造に対し、電気伝導の温度依存性を測定して束縛エネルギーの算出を試みた。

図4 GaAs(311)A量子井戸内のSiアクセプタによる電気伝導の温度依存性。

 その結果、ドナーの場合とは違い、求められた実効的な束縛エネルギーは、量子井戸幅を狭めてもほとんど増加せず、Si原子の挿入位置が試料表面に近いほど大きくなった。これは、電気伝導の温度依存性が、意図した束縛エネルギーのみでは一意的に決まらないことを意味する。挿入したSi原子が一部ドナー化すると、これがp型の電気伝導を補償し、束縛エネルギーが実効的に大きくなる。一方、AlAsバリア層にC原子が取り込まれてアクセプタになるならば、これが一種の変調ドーピングとなって低温領域での電気伝導特性を支配する。挿入したSi原子の拡散も、束縛エネルギーの意図した値からのずれをもたらす。

 以上の様に、GaAs(311)A面上に形成した量子井戸の中央にSi原子を挿入した構造の電気伝導の温度依存性を形成するメカニズムの要因を取り上げ、議論した。

4.不純物量子井戸を利用した熱電型赤外光検出器の設計と基礎実験

 図5の様に、結晶成長条件の制御により、GaAs(311)A面上に、高濃度のSiドナーを挿入したn型量子井戸と、比較的低濃度のSiアクセプタを挿入したp型量子井戸を形成すると、n型量子井戸が光吸収層、p型量子井戸が電気伝導層を成す熱電型赤外光検出素子が形成される。

 高電子密度のn型GaAs量子井戸を光吸収層とすると、量子井戸内の伝導帯電子によるフリーキャリア吸収に加え、サブバンド間吸収も利用でき、波長選択性のある検出素子になる。素子を長細い形状にし、GaAs基板部を取り去って薄くすると、熱抵抗が上がり、光入射による素子の温度上昇幅が大きくなる。糸で釣るなど固定方法を工夫するとさらに実効的な熱抵抗を大きくできる。p型量子井戸を用いた電気伝導層では、Si原子の一部をドナー化することにより、電気伝導の温度依存性を大きくでき、感度を上げられる。

 以上より、検出素子の設計論を示し、光応答の基礎実験を行った。

図5 赤外光検出に用いた試料の構造。

 以上の通り、GaAs量子井戸に挿入したドナー/アクセプタ不純物による特有の電子状態に関し広い知見を得、その制御性とデバイス応用の可能性について議論した。

審査要旨

 10nm級の超薄膜ヘテロ構造は、高電子移動度トランジスタや量子井戸レーザなど各種のデバイスの高性能化に不可欠の役割りを果たしている。最近では、量子井戸の準位間の光学遷移を用いた中赤外領域の光検出器やレーザなども実現されて、活発に研究されている。本論文は、「不純物ドープ量子井戸における電子状態とその制御」と題し、GaAs系の量子井戸に不純物としてSiを様々な形で導入し、この構造の伝導特性およびサブバンド間光学遷移特性を調べ、その特色を示すとともに、中赤外学領域の光デバイスへの応用可能性を探る研究を記したもので、全6章よりなっている。

 第1章は序論であり、本研究の目的と背景を述べている。

 第2章は「GaAs量子井戸へのSi原子層の挿入」と題し、厚さ10nm程のGaAs量子井戸の中央にSi原子を高い面密度で導入した時の伝導特性および結晶構造を調べた研究について記している。特に伝導特性は、Siの面密度NIを増すにつれて電子数NSは比例して増えるが、NIが表面原子の10%に達すると(NI≧5×1013/cm2)、電子数NSが減少に転じることを見出した。この傾向はGaAsバルク結晶中にSiを面状にドープした場合にも現れるが、NSの減少開始点は量子井戸の場合のほうが低い。その違いは、フェルミエネルギーの上昇が量子井戸においてより顕著に進行し、電子が伝導帯のガンマ点以外により多く分布することに起因することを示唆している。また、同時に電子移動度を評価し、電子の分布の違いを反映した差異の生じることを示している。さらに、NIが一原子層以上に達するとヘテロ界面の平坦性が劣化することも指摘している。

 第3章は、「Si挿入量子井戸におけるサブバンド間光吸収」と題し、10nm級のGaAs/AlGaAs量子井戸の中央にSiドナーを導入した構造を対象に、基底準位E1から励起準位E2へのサブバンド間の遷移に伴う光吸収スペクトルを計測し、その解釈を行った研究を記している。この系では、Siドナーの作る引力がE2よりもE1をより強く下げるため、(E2-E1)がSiの密度NIとともに増大することが予測される。計測の結果、NIが8×1011/cm2から5×1012/cm2に増すにつれて(E2-E1)が125meVから165meVまで増大することが見出された。この結果は、Siドナーの作る引力ポテンシャルの作用に加えて、depolarization効果が相乗的に作用していることで説明され、静的な交換相互作用などの寄与は比較的小さいことも判明した。

 第4章は「GaAs(311)A量子井戸に挿入したSiアクセプターによる束縛準位の振る舞いと伝導特性」と題し、10nm級のGaAs量子井戸の様々な位置にシリコンを導入した試料について、その伝導特性の温度依存性を系統的に調べた研究について述べている。その結果、量子井戸膜厚の変化に伴って束縛エネルギーが20〜40meVの範囲で大きく変化することを見出した。また、量子井戸中に、わずかなドナー不純物が併存すると、正孔の密度の温度依存性が、より強くなることを指摘するとともに、障壁層にわずかなアクセプターが存在すると、正孔の密度の温度依存性が著しく小さくなることも見出している。これらの知見は、第5章で検討する赤外検出器の設計・試作に活用されている。

 第5章は「不純物挿入井戸を利用した熱電型赤外光検出器の設計と基礎実験」と題し、適切な材料で赤外光を吸収させて試料を加熱し、これに伴う温度上昇をp型量子井戸の強い温度依存性を持つ伝導特性を利用して検出する方式の赤外検出器の研究について述べている。特に、赤外吸収層として、金属膜の他にn形量子井戸を用いた場合を検討している。量子井戸を吸収体とする場合には、自由キャリア吸収に加えて、波長の選択性の強いサブバンド間吸収過程を用いることができる。このため特定波長にのみ応答する検出器となることや赤外吸収部と温度検出部の一体化のできることなどを指摘している。この原理で動作する素子を試作し、その基礎実験を行い、特性改善の方向を示している。

 第6章は「結論」であり、本論文で得られた主要な知見を記している。

 以上これを要するに、本論文は、半導体量子井戸にドナーやアクセプタ不純物となるシリコンを導入する際に、その位置や濃度に独特の工夫を加えることで、量子井戸の電子状態や伝導特性が制御できることを実証するとともに、中赤外光検出器への応用可能性を探索したもので、電子工学に貢献するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認める。

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