学位論文要旨



No 114666
著者(漢字) 真嶋,隆一
著者(英字)
著者(カナ) マシマ,リュウイチ
標題(和) 血漿脂質過酸化物の生成と還元
標題(洋)
報告番号 114666
報告番号 甲14666
学位授与日 1999.05.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4488号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 山本,順寛
内容要旨

 近年,脂質のフリーラジカル依存的な酸化反応が動脈硬化,がん,老化など種々の病態の発症と進行に深く関与していると考えられてきている.脂質ヒドロペルオキシドは脂質過酸化反応の第一生成物であるが,これは遷移金属の存在下でアルコキシラジカルを生じてさらなる脂質過酸化反応を引き起こすため,速やかに還元される必要がある.

 血漿中で脂質は種々のアポリポタンパク質と複合体を形成しリポタンパク質として存在している.このリポタンパク質中の脂質のうちで特に酸化を受けやすいのはコレステロールエステルとホスファチジルコリンである.これらの脂質の酸化を評価するため,脂質ヒドロペルオキシドの超高感度定量法として化学発光法とHPLCを組み合わせた方法が開発され,健常人血漿中にはコレステロールエステルヒドロペルオキシドが未酸化コレステロールエステルの100万分の1程度存在することが知られている.この結果から生体内で脂質の非酵素的なラジカル酸素酸化反応が進行していることが推定されていたが,確実な証明はなされていなかった,そこで本研究ではまず,血漿中に検出されるコレステロールエステル酸化生成物の異性体分布を分析し,これらがフリーラジカル依存的な酸化反応で生成していることを証明した.

 また,前述の化学発光法では健常人血漿中にホスファチジルコリンヒドロペルオキシド(PC-OOH)は検出されない.現在,血漿グルタチオンペルオキシダーゼが還元型グルタチオン(GSH)の存在下でPC-OOHを還元する機構が重要であると考えられている.しかし,血漿中で還元可能なPC-OOHレベルは血漿GSHレベル以上であることから,未知の還元機構の存在も示唆されている.検討の結果,血漿中のアポリポタンパク質がPC-OOHを還元することが明らかになった.

 まずコレステリルリノレート(Ch18:2)の酸化生成物の立体異性体に注目して健常人の血漿中に検出されるCh18:2酸化生成物がフリーラジカル依存性の酸化反応で生成していることを示した.健常人よりヘパリン採血して得た血漿から,脂質を抗酸化剤であるbutylated hydroxytolueneの存在下,メタノール/ヘキサン抽出で回収した.トリフェニルホスフィンで還元後,固相抽出(順相)と逆相HPLCで試料を精製し,順相HPLCで分析した.Cholesteryl 6-hydroxy-7-cis,9-trans,12-cis-octadecatrienoateを内部標準物質として使用した.各異性体は標準物質とのスパイキングから確認した.

 本分析法の正当性を検討する目的で,分析を妨害するピークが検出されないことを,血漿の代わりに水を用いたブランク操作を行って確認した.次に操作中に人為的な酸化が起きていないことを,血漿中に存在せず,Ch18:2と酸化反応性が等しいCh20:2を血漿に添加して分析操作を行い,Ch20:2の自動酸化生成物がほとんど生成しないことにより確認した.リノール酸のフリーラジカル酸素酸化反応では4種の異性体(13-cis,trans-,13-trans,trans-,9-cis,trans-,および9-trans,trans-体)が生成するのに対し,リポキシゲナーゼによる酵素的な酸化では13-cis,trans-体のみが生成することが知られている.3人の健常人血漿中に再現性よく自動酸化で生成するCh18:2-OHの4つの異性体が検出された.特に13-trans,trans-および9-trans,trans-体のいずれも生成していること,また,9-cis,trans-体の量が13-cis,trans-体の量より多かったことから,血漿中に検出されるCh18:2酸化生成物は自動酸化で生成したと結論された.

表1.健常人血漿中のCh18:2-OH幾何異性体レベル

 健常人血漿中にPC-OOHは検出されない.これはPC-OOHが生成したとしてもGSHの存在下で血漿グルタチオンペルオキシダーゼにより還元されるためと考えられている.この酵素は活性中心にセレン原子を含み,1分子の過酸化水素や脂質ヒドロペルオキシドを2分子のGSHを補酵素として還元する.血漿中のGSHレベルは5M程度と報告されているので,2.5MのPC-OOHが単離した血漿中での血漿グルタチオンペルオキシダーゼにより還元可能なPC-OOHレベルである.ところが血漿が還元可能なPC-OOHレベルは少なくとも20M以上である.

 そこで血漿グルタチオンペルオキシダーゼの補酵素を検討した.血漿中に豊富なチオールとしてアルブミン中のシステイン残基が考えられるが,このシステイン残基は血漿グルタチオンペルオキシダーゼの補酵素として作用しなかった.さらに本酵素と血漿中のPC-OOH還元活性の関係をより明らかにするため,セレン欠乏ラット血清中のPC-OOH還元活性を検討した.セレン欠乏ラット血清は食餌中のセレン濃度を下げて飼育したラットから得た.セレン欠乏ラット血清中の血漿グルタチオンペルオキシダーゼ活性はセレン投与ラットの約1/100に低下していた.これに対してセレン欠乏ラット血清に添加されたPC-OOHは,セレン投与ラット血清中と同じ速度で還元された.このことから,血漿中に血漿グルタチオンペルオキシダーゼと異なるPC-OOH還元活性が存在していることが示唆された.

 このPC-OOHの還元活性は健常人血漿の高分子量画分にのみ検出されたため,この還元反応がタンパク質に依存し,低分子量の還元剤が不要であることが確認された.ついで健常人血漿からこのPC-OOH還元タンパク質を各種クロマトグラフィーを用いて精製した(表2).還元活性はそれぞれの画分と大豆PC-OOH(5M)をPBS中37℃で1時間反応させ,減少したPC-OOH量で評価した.PC-OOH還元タンパク質はヘパリンカラムで2つのピーク(フラクションAとB)に分かれて溶出した.アミノ酸配列分析でフラクションAはアポリポタンパク質A-I,フラクションBはアポリポタンパク質B-100であることが明らかになった.さらにメチオニンの酸化剤として知られるクロラミンT処理でともに還元活性が消失したことから,この反応がメチオニン依存的な還元反応であることが示唆された.

表2.PC-OOH還元タンパク質の健常人血漿からの精製

 そこでアポリポタンパク質A-Iのタンパク質側の変化を検討した.アポリポタンパク質A-Iを脂質ヒドロオペルオキシド処理後,トリプシン消化し,得られたペプチド混合物を逆相HPLCで分析した.この処理で3つのピークが消失し,新たに2つのピークが生成した.これらの3つのペプチドのアミノ酸配列を解析したところ,すべてのペプチドにメチオニンが含まれていることが確認された.さらに,3つのメチオニンを含む酵素消化断片相当のペプチドを調製し,これらをそれぞれ脂質ヒドロペルオキシド処理すると,アポリポタンパク質A-Iの脂質ヒドロペルオキシド処理により生成した2つのペプチドの保持時間に一致する生成物が得られた.この保持時間の変化は,メチオニンをロイシンに置換すると観察されなかったので,この反応はメチオニンに特異的な反応であることが分かった.さらにアポリポタンパク質A-Iに3個存在するメチオニンの脂質ヒドロペルオキシドに対する反応性はMet112>Met86>Met148の順に低下した.また生成したヒドロキシド量と,減少したメチオニン量が同量であったことから,この反応が化学量論的であることが確かめられた.反応生成物としてメチオニンスルホキシドがヒドロペルオキシド処理したペプチド中に検出され.この結果は標準品と反応生成物のGC/MS上の保持時間およびマススペクトルが一致することにより確認された.また,反応に伴いメチオニンが減少していたこと,およびメチオニンスルホンの生成が検出されなかったこともメチオニンスルホキシドが単一生成物であることを支持している.以上の結果から,HDLのアポリポタンパク質A-Iによる脂質ヒドロペルオキシドの還元はメチオニンのスルフィドの酸化に共役していることが確認された.

結論

 1.健常人血漿中のCh18:2酸化生成物の異性体分布を測定し,4つの異性体がすべて検出されたことから,これらが自動酸化生成物であることが分かった.

 2.血漿中から脂質ヒドロペルオキシド還元タンパク質を精製した.アポリポタンパク質A-Iとアポリポタンパク質B-100にこの活性があり,メチオニンに依存して脂質ヒドロペルオキシドを還元することが明らかになった.

 3.アポリポタンパク質A-Iに3個存在するメチオニンの脂質ヒドロペルオキシドに対する反応性はMet112>Met86>Met148の順に低下することが分かった.

 以上の結果より,生体脂質がフリーラジカルによる酸化を確実に受けていることと,脂質ヒドロペルオキシドは血漿グルタチオンペルオキシダーゼ以外にアポリポタンパク質A-Iとアポリポタンパク質B-100で還元されていることが考えられる.

審査要旨

 近年,脂質のフリーラジカル依存的な酸化反応が動脈硬化,がん,老化など種々の病態の発症と進行に深く関与していると考えられてきている.脂質ヒドロペルオキシドは脂質過酸化反応の第一生成物であるが,これは遷移金属の存在下でアルコキシラジカルを生じてさらなる脂質過酸化反応を引き起こすため,生体内では速やかに還元される必要がある.

 第1章では.酸素分子と脂質との酸化反応メカニズム,反応生成物,およびこの生成物の還元機構について詳細に述べられている.

 第2章において,論文提出者は,健常人血漿に含まれているコレステリルリノレート(Ch18:2)の酸化生成物の立体異性体の定量を行っている.まず,健常人よりヘパリン採血して得た血漿から,脂質を抗酸化剤存在下,メタノール/ヘキサン抽出で回収し,トリフェニルホスフィンで還元後,固相抽出(順相)と逆相HPLCで試料を精製し,最後に順相HPLCで分析を行っている.また,Ch18:2と酸化反応性が等しいCh20:2を血漿に添加し,ほとんどCh20:2の自動酸化生成物が生成しないことを示し,操作中に内因性のCh18:2が酸化しないことを確認している.このような方法で分析操作中の酸化を評価することは非常に重要である.リノール酸のフリーラジカルによる酸素酸化反応では4種の異性体(13-cis,trans-,13-trans,trans-,9-cis,trans-,および9-trans,trans-体)が生成するのに対し,リポキシゲナーゼによる酵素的な酸化では13-cis,trans-体のみが生成することが知られている.本分析により,3人の健常人血漿中に再現性よく自動酸化で生成するCh18:2-OHの4つの異性体が検出されている.特に13-trans,trans-および9-trans,trans-体のいずれもが検出され,13-cis,trans-体が主生成物でなかったことより,血漿中に検出されるCh18:2酸化生成物は自動酸化で生成したと結論している.

 第3章においては,血漿中の脂質過酸化物の還元メカニズムが再検討されている.血漿にホスファチジルコリンヒドロペルオキシド(PC-OOH)を添加して,その還元量を検討したところ,血漿グルタチオンペルオキシダーゼの補助因子である血漿グルタチオン濃度以上のPC-OOHの還元が観察された.血漿グルタチオンペルオキシダーゼの酵素活性を低下させたセレン欠乏ラット血清の還元活性は,セレン投与ラット血清の還元活性と同レベルであったことから,論文提出者は,血漿中にグルタチオンペルオキシダーゼ以外の還元活性が存在すると指摘している.そこで脂質ヒドロペルオキシド還元タンパク質の分離を試み,アポリポタンポク質A-I(apoA-I)とアポリポタンパク質apoB-100(apoB-100)の二つのタンパク質に活性があることを明らかにしている.

 第4章において,論文提出者は,apoA-Iと脂質ヒドロペルオキシドの反応性を詳細に検討している.ApoA-Iと脂質ヒドロペルオキシドの反応性は,PC-OOH>リノール酸ヒドロペルオキシド>コレステロールエステルヒドロペルオキシドの順に低下した.このapoA-Iの脂質ヒドロペルオキシド還元活性は,メチオニンに対する酸化剤であるクロラミンTでapoA-Iを前処理することにより阻害されたことから,メチオニンがヒドロペルオキシドの還元に重要であることを示している,さらに,apoA-Iのペプチドマッピングを行い,apoA-Iに3個存在するメチオニンがすべて脂質ヒドロペルオキシドと反応すること,脂質ヒドロペルオキシドに対する反応性はMet112>Met86>Met148の順に低下することを明らかにしている.また.過酸化水素とapoA-Iを反応させたところMet112のみが反応したことから,脂質ヒドロペルオキシドのように疎水的なヒドロペルオキシドとapoA-Iがよく反応すること,水溶性の高い過酸化水素と反応しない疎水的な環境にあるメチオニンも,脂質ヒドロペルオキシドとは反応することが考察されている.また生成したヒドロキシド量と,減少したメチオニン量がよく一致したことから,この反応が化学量論的であることが明らかにされている.さらに,メチオニンを含むペプチドをヒドロペルオキシドと反応させたところ,メチオニンスルホキシドがメチオニンの酸化生成物として生成することが確認されている.

 第5章では,上記の結果をまとめた結論が述べられている.

 以上より,生体脂質がフリーラジカルによる酸化を確実に受けていることと,脂質ヒドロペルオキシドは血漿グルタチオンペルオキシダーゼ以外にapoA-IとapoB-100に含まれるメチオニンで還元されることが示されており,生体内フリーラジカル反応の解明に貢献すること大である.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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