学位論文要旨



No 114671
著者(漢字) 東島,誠
著者(英字)
著者(カナ) ヒガシジマ,マコト
標題(和) 公共圏の歴史的創造 : 江湖の思想へ
標題(洋)
報告番号 114671
報告番号 甲14671
学位授与日 1999.06.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第248号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 花田,達朗
 東京大学 助教授 新田,一郎
内容要旨

 本研究は、「公共圏の歴史的創造」を主題とし、素材を「日本」史に求める。第一部「社会的交通と権力」は≪公共圏≫を基礎づける他者との≪交通≫、その可能性を担う≪結社≫的関係としての「勧進」を論じ、この中間団体的結社と公権力の関係を問う。第二部「結界と越界-自己像と他者像」は、国家が<自己同一性>を調達するためだけに<他者像>を構成する機制、その表象を、≪結界≫という王権のかたちの中に探る。そして第三部「江湖の思想」では、以上に見たパブリックとオフィシャルの二つの意味空間のせめぎ合う関係を踏まえながら、≪公共圏≫としての「江湖」を発見し、その可能性と不在性とを論じる。

 第I章「前近代京都における公共負担構造の転換」は、中世的勧進の近世化、構造変動を論じた。中世末期に見られる勧進の変質(利権化と賎視化)にともなって町共同体から排除され、公共負担の<媒介的受皿>を喪失した結果、この領域は出挙の復活など国家による再編と、都市住人自らの負担領域の形成へと≪分離≫していく。そこに負担意識を引き出すメディアとして棧敷から出版物への転化が見られるが、この公共的なものの萌芽も、閉じた共同体的なものへと還流されていくのであった。

 第II章「戦国大名と勧進・御用商人-領国支配の間隙における集財システムと交通圏-」は、中世的勧進における宗教という<意味性>の剥奪=<脱呪術化>という問題を端的に示す事例として、商人が渡し船の修理費用を不特定多数から徴収するにいたる過程に注目したものであり、それを可能にしたのが<間隙>という商業交通圏であったことを明らかにした。

 付論1「近世都市災害のメディエーションと権力」は、都市災害という苛酷な状況が産出した、個と個の公的精神のつなぎ目の形成と、権力作用との関係とを論じた。

 第III章「都市王権と中世国家-畿外と自己像-」は、王権の自己同一性の要請によって<他者>として構成される「東国」問題を論じた。そこではまず平安末期の王権の実態が、中国-四方国という、畿内政権的な自己認識の構造になお強く掣肘された「都市王権」であったことを明らかにし、ひいては、列島内における国家の複数性、内なる華-夷秩序の成立までを浮彫りにした。

 第IV章「中世神泉苑と都城の結界性」は、王権を表象する同心方形空間として、神泉苑-都城の中世的展開を論じた。その際、この空間の≪結界≫性を維持する装置として、後醍醐によって創出された律宗長福寺の分析を中心に据え、≪越界≫者への転化を論じた。

 付論2「存在被拘束性としての洛中洛外-瀬田勝哉著『洛中洛外の群像』によせて」は、中世史家の研究姿勢のうちに、<存在被拘束性と対象化>、<自己同一性と他者>の問題を見たものである。

第三部江湖の思想

 第V章「公共性問題の輻輳構造」は、問題論的構制そのものを取り扱った。ここでは「公共性」という<日常的概念>の輻輳関係を説き明かすことを通じて、従来の共同体<自治>論が、かえってオフィシャルな権威・権力を強化する言説を産出してしまっていることを批判し、根源的なパラダイム・シフトを提起した。

 第VI章「明治における江湖の浮上」は、<論議する公衆>としての「江湖諸賢」を見出だしたものである。「江湖」は少なからぬ言説媒体の呼称として用いられ、万人に開かれた<批評>空間を産み、そこに明らかに≪公共圏≫構築の可能性があった。しかるに「江湖」は今日死語となっており、ここに日本における≪公共圏≫の不可能性という問題が立ち現れているのである。

 第VII章「『江湖之義』、あるいは不在の公-中世禅林と未完のモデルネ-」は、「江湖」概念の未完の源流を中世禅林世界に探究したものである。

 中世の「江湖」は脱中心的な≪交通≫空間であるとともに、反共同体的規範として立ち現れ、かつ『瓢鮎図』に代表されるごとく≪オホヤケ≫からの逃走の場として認識されていた。一方、禅刹住持公選の場では、中国起源の叢林の法としての「公」が日本的≪オホヤケ構造≫を相対化し得る可能性を持っていたが、「『江湖』の公挙など行なわれていない」として、中世においてすでに日本社会に不在のものと認識されていた。ここに、日本社会独自のパブリックなるものの存在を見出だそうとする既往の議論は、破産したと言える。

 全体として本研究が、過去の研究よりさきに踏み出した点があるとするなら、それは、<かつてあったもの>を掘り起こすことによって自己像を正当化する営みから訣別して、<かつてにおいても不在と認識されたもの>を抉り出したことであろう。

審査要旨

 本論文は、近年になって注目を集めている公共性の問題について、対象を日本の中世から近代の歴史に絞り、公共圏という視角から考察を加えたものである。

 全体は三部からなる。第一部では「社会的交通と権力」と題して、中世の勧進の在り方とその変質の問題を論じている。

 中世後期において勧進が公共負担の構造をもっていたことを明らかにするともに、末期には利権化することによって、国家による再編と都市住人の負担への参入という分裂をもたらしたことを論じている。その際、住人の負担意識を喚起したのは中世では桟敷であり、近世では出版物であった、と説き、公共圏を基礎づける交通の問題と、その可能性を担った結社としての勧進集団の問題、それらと公権力との関係を明らかにしている。

 第二部は「都市王権と中世国家」と題して、京都の都市を背景とした王権(朝廷)の性格について考える。まず、交通の問題を軸にして、東国(鎌倉幕府)との関係を論じ、さらに京都の神泉苑をめぐる相論から、王権の性格を論じている。

 第三部は「江湖の思想」と題して、「公共性」の概念の整理と、その歴史的な変遷を批判的に検討して、近代における公共圏の可能性をはらんでいた「江湖」の存在を発掘し、その源流が中世の禅林の世界にまでさかぼることを指摘するとともに、実はそれが不在のものとして認識されていたことを論じる。

 全体は、万人に開かれた領域としての公共圏の歴史的創造を目指そうという力作であり、勧進や王権の問題について、新たな視点から鍬を入れ、また江湖の存在を抽出して、それを初めて本格的に論じた点は高く評価される。

 また日本史学の領域を越え、かつ日本の歴史についても、意欲的に中世・近世・近代の歴史に踏み入って、歴史の史料と格闘して独自の論点から問題をとらえている点も評価に値する。

 個別の史料解釈や論理の運び方などに問題はなくないが、新たな視角から論点を鋭く提出した点は今後の研究に大きく寄与するものであり、審査委員会は博士(文学)に値するものと判断した。

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