学位論文要旨



No 114674
著者(漢字) バラトール・トーマス ジョン
著者(英字)
著者(カナ) バラトール・トーマス ジョン
標題(和) 富栄養化防止のための排出権取引制度に関する研究 : 理論的な課題と琵琶湖へのシステム設計
標題(洋) TRANSFERABLE DISCHARGE PERMITS FOR EUTROPHICATION CONTROL : THEORETICAL ISSUES AND SYSTEM DESIGN FOR LAKE BIWA
報告番号 114674
報告番号 甲14674
学位授与日 1999.06.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4489号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 山本,和夫
 滋賀県琵琶湖研究所 所長 中村,正久
内容要旨

 これまでアメリカで行われてきた研究により、ある決まった空間の中で環境汚染物質を効率的・経済的にコントロールするためには、直接的に規制を行うより排出権取引制度(Transferable Discharge Permit System)が優れているということがわかってきている。しかし、これまでの研究で用いられてきた排出権取引プログラムでは、理論上予想される経済性が十分に達成されていない。その原因として、ある研究者は取引のための事務的経費(transaction cost:以下、取引費用とする)の高さや法律上の障害、行政による支援が不足していることなどを挙げている。加えて環境汚染物質のモニタリングにかかる費用も原因として考えられるが、この評価に関する研究はまだ行われていない。さらに、排出権取引制度の日本への導入可能性についての研究は行われていない。

 そこで、本研究の目的は以下の2点にある。まず第一に、環境汚染を制御するための制度を評価するため、取引や監視についての線形計画法による予測方法を発展させることである。つぎに、琵琶湖の富栄養化を防止するためのリン負荷削減を目的とし、製造業における排出権取引制度モデルと微調整型排水基準直接規制(Fine-tuned command-and-control)モデルを提案し、第一の項目で確立された方法を用いて評価をした。

 環境汚染物質の行政的な制御手法としては、以下の4つのモデルが考えられる;1)理論的最小費用(Least-cost)モデル、2)画一的排水基準直接規制(uniform command-and-control)モデル、3)微調整型排水基準直接規制(fine-tuned command-and-control)モデル、4)排出権取引制度モデル、である。1)の理論的最小費用モデルは、対象領域全体からの環境汚染負荷を一定量削減するために、全体でかかる費用が最小となるようにするものである。ただし、このモデルは現実的には不可能である。逆に考えれば、このモデルで達成できる最小費用が、理論上の最小費用であり、それ以上費用を削減することができないと言う値を示すものである。2)の画一的排水基準直接規制は、基本的には画一的に排水中の水質基準を定めるものである。ただし、琵琶湖水域におけるリンについての現行の排水規制は、業種や排水量により基準に多少の違いがあるため、それも考慮に入れた。3)の微調整型排水基準直接規制モデルとは、各業種における排水からのリン除去限界費用に違いがあることを考慮して、できるだけ経済的にリン負荷が削減できるような水質基準を定めたものである。

 まず、滋賀県や環境庁による調査結果に基づき、さまざまなリン除去法について、除去にかかる費用と除去量との関係を推定した。つぎに、滋賀県の職員や製造業者からの聞き取り調査を行い、現行の規制状況や業者としての廃水対策の考え方、さらに取引制度導入の可能性について調べた。最後に、排出権取引制度モデルと微調整型排水基準直接規制モデルの比較を、線形計画法を用いて行った。

 本研究により、以下のような結果が得られた。まず、リン除去にかかる費用と除去量との関係、すなわちリン除去における限界費用は、業種別、規模別で非常に大きなばらつきがあることが分かった(図1)。また、現行の規制方法、すなわちモデル2の画一的排水基準直接規制では、このような限界費用のばらつきを考慮していないために、全く効率的とは言えなかった。

図1 リン除去限界費用の対数分布

 さらに、排出権取引は理論的には可能であることが示された。ただし、排出権取引制度を導入するためには、現行のシステムに加えて排水中の濃度を監視する費用(監視費用、monitoring cost)がかかる。また日本において特徴的である、行政指導や地方の公害防止協定が排出権取引制度の導入において障害となる可能性がある。排出権取引においてかかる全体の費用は、除去限界費用と取引費用が等しいときに最小となることが示された。また、微調整型排水基準直接規制と排出権取引制度を比較した場合、費用削減効果にはあまり大きな違いは見られなかった。

 これらの結果に基づき、結論は以下の2点に集約される。まず、除去限界費用だけを配慮したこれまでの研究は、直接規制の制度と比べた時の排出権取引制度の効率性を過大評価しているといえる。つぎに、微調整型排水基準直接規制は排出権取引制度と同様な効果が得られることが示されたものの、現実には本研究で示したほどの微調整を行うことは不可能に近い。なぜなら、除去費用に非常に大きなばらつきがあるため、政府がそのばらつきに対応した細かい規制基準を定めることは不可能に近いからであり、基準が大まかになればなるほど、最小費用から遠ざかっていくことになるからである。従って、最小費用により近づくことができる排出権取引制度がもっとも効率的な制御方法であるということが示された。琵琶湖の富栄養化を防止するためには、より大きなリン排出源をしめる農業に対する制御と併せ、こうした製造業者間の排出権取引制度を行っていくことが重要であると考える。

表1 本研究で評価した4つのモデルの結果
審査要旨

 環境汚染をコントロールする手法として現在国際的に注目されている手法として、汚染物質にかかわる排出権取引制度がある。この手法は気候変動に関する国際連合枠組み条約締結国会議等においても、国際社会での温室効果ガスの排出削減作の一つとして検討が始められているものである。本手法の先例はアメリカにおける大気汚染の規制に関連して適用され、一定の成果を上げていると言われるが、なお、多くの課題を残しており、確立した手法とはなっていない。

 しかし、我が国の環境基本法においても、規制手段として経済的手法の導入の必要性は明記されているように、今後の環境管理の手法としてはその適用性についての研究を深めていくことは重要な課題となっている。本研究はアメリカにおいても経験の少ない分野である水質汚濁の問題、特に湖沼の富栄養化防止の観点からのリンの規制に対する排出権取引の適用性とそのための条件を、琵琶湖を例として、検討を行った成果をまとめたものである。我が国の従来の規制の手法にな無かった排出権取引の適用性を明らかにした成果は高く評価される。

 本論文は「Transferable Discharge Permits for Eutrophication Control:Theoretical Issues and System Design for Lake Biwa(英文)(富栄養化防止のための排出権取引制度に関する研究:理論的な課題と琵琶湖へのシステム設計)」と題し、7章よりなっている。

 第1章は「Introduction(イントロダクション)」である。排出権取引制度に関する概括的な紹介と琵琶湖における富栄養化の進行と規制の現状を述べ、本論文の目的と概要をまとめている。

 第2章は「Review of Literature and U.S.Experience(文献ならびにアメリカにおける経験についてのレビュー)」である。文献レビューにおいては排出権取引制度におけるコスト増の要因となる事務的経費(Transaction Cost)の問題を整理し、現実的な規制のモデルの必要性を明らかにしている。また、アメリカの経験のレビューにおいては、5つの事例を解説し、その経験として、排出権取引制度を成功させるための条件を7項目にまとめている。リンのような保存性の物質については排出権取引はなじみやすいことを示し、併せて事務的経費の目安を与えている。

 第3章は「The Analytical Model(解析モデル)」である。本章においては、解析の対象となるモデルの提示を行っている。モデルとしては、(1)理論的最小費用モデル(2)画一的排水基準直接規制モデル、(3)微調整型排水基準直接規制モデル、(4)排出権取引モデル、に関する数式モデルを示し、各モデルの解法について説明している。(3)、(4)において事務的経費に相当する項を取り込んだモデルを提示していることは興味ある成果である。

 第4章は「Current Regulation System for Lake Biwa(現行における琵琶湖の水質規制システム)」である。本章では滋賀県を中心として取り組まれている琵琶湖の水質保全にかかわる規制のシステムの現状を整理している。琵琶湖には国の一律基準に上乗せされた排水基準が適用されている上に、市町村のレベルでは負荷量規制が導入されていることを確認し、負荷量規制の導入は排出権取引制度の導入にとっては、やりやすい条件を与えるものであることを述べている。また、水質監視の問題では、よりきめ細かな測定が必要であり、排出者の管理データを規制に使う方法も考慮すべきことを指摘している。

 第5章は「Industrial Phosphorus Control:Technologies and Costs(工場排水のリン規制に対する技術と費用)」である。滋賀県による工場排水にかかわる調査データを詳細に解析し、滋賀県に所在する各工場の現行の廃水処理施設とそれにかかわる費用の関係を明らかにすることに成功している。この種の費用関数を求めることは各種の検討の基礎的データともなるもので、この作業の成果は高く評価される。

 第6章は「Simulation Analyses(シミュレーション解析)」である。本章では3章で示した各モデルに5章で得られた、処理程度と費用関数のデータを使って、規制手法の違いが全体の費用にどのような影響を与えるかの検討を行っている。結果として、微調整型のモデル、排出権取引モデルは現行の画一的規制モデルよりはるかにコストのかからない規制手法となることを明らかにしている。排出権取引による規制は、微調整型の規制より公明性の高い手法となるなど、その優位性を明らかにしている。

 第7章は「Concluding Remarks(結論)」である。排出権取引制度の優位性をまとめるとともにその問題点も整理し、今後の課題を明らかにしている。

 以上のように本論文は、我が国における研究が遅れていた、経済的手法による環境管理のあり方のについて、排出権取引の手法を導入する適用事例を示すことに成功したものである。特に琵琶湖の水質保全計画にかかわる具体的な事例に即した検討結果は、今後の水質規制のあり方を考えていく上で大きな影響を与える成果となると評価される。このように本論文は都市環境工学の分野、特に水質規制行政の発展にとって大きな貢献をするものであると認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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