学位論文要旨



No 114680
著者(漢字) 川口,博之
著者(英字)
著者(カナ) カワグチ,ヒロユキ
標題(和) 心筋細胞死における一酸化窒素合成酵素の考察
標題(洋)
報告番号 114680
報告番号 甲14680
学位授与日 1999.06.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1521号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 小室,一成
内容要旨

 【背景】ガス状物質の一酸化窒素(nitric oxide、NO)は生体内において情報伝達や組織での機能調節・維持に多彩な役割を持つ。心筋組織においても多くの因子により複雑な制御・代謝を受け、心機能維持・心筋保護の役割を担うが、逆に心筋障害をもたらす場合がある。しかし心臓におけるNOとその反応産物であるperoxynitriteの詳細な役割はまだ不明な点が多い。従って心筋組織内で恒常的に発現し、NOを産生する内皮型一酸化窒素合成酵素(endothelial constitutive nitric oxide synthase,ecNOS)の機能解析は、病態生理的に重要である。また最近、不全心筋に腫瘍壊死因子(tumor necrosis factor-;TNF-)と誘導型一酸化窒素合成酵素(inducible NOS;iNOS)の発現が指摘され、アポトーシスによる心筋細胞喪失が心機能低下に関与する可能性が提起されている。

研究1:生体心筋への内皮型一酸化窒素合成酵素遺伝子導入

 【目的】この様な背景のもとに、ヒトecNOS遺伝子を生体心筋に強制導入し、心筋の生理及び代謝制御に重要なecNOSが局所で強制過剰発現した時に如何なる組織変化が生じるかを、免疫組織学的手法を用いてin situで検討する。

 【方法】遺伝子導入の高効率性と組織に対する低障害性を重要視してHVJ(Hemagglutinating Virus of Japan)-リポソーム法を用いた。導入遺伝子の核内移行を良好にする核蛋白(High mobility group-1)を、目的遺伝子(レポーター遺伝子の-galactosidase(-gal)遺伝子単独及び-gal遺伝子とヒトecNOS遺伝子)を一定の割合で混合し、リン脂質とコレステロールからなるリポソーム内に封入した。次に遺伝子の細胞内導入を良好にする細胞融合能を持ったセンダイウイルスを、紫外線で不活化し、このリポソームの表面に付加してベクターを作成した。雄ウイスター系ラットを用い、麻酔したラットの前胸壁からエコーガイド下で、経皮的にHVJ-リポソーム液を左心室壁内に直接注入した。遺伝子導入後、経時的(3・7・10・14日目)に心筋を採取し、組織学的所見を光顕及び電顕で観察した。導入遺伝子の蛋白発現効率と時間経過は-gal遺伝子により検討を行い、ecNOS遺伝子の発現は特異抗体を用いた免疫染色で検出し、アポトーシス診断指標のひとつとなるDNA断片化の組織学的な有無をTUNEL(terminal deoxynucleotidyl transferase-mediated dUTP-biotin nick end labeling)法で確認した。またNOSの阻害薬のL-NAME(-nitro-L-arginine methylester、12mg/kg体重)を1週間前投与したラットに同様の導入を行い、NOの関与について比較検討した。

 【結果】(I)-gal遺伝子単独導入例で、その蛋白発現は導入後3日目より確認され、7日目に最大となり、その後漸減して14日目まで認められた。最大発現時のX-gal染色範囲は左室自由壁横断面の12%に達した。ecNOS遺伝子と-gal遺伝子をco-transfectionした場合も発現のピークと範囲は同様であった。(II)光顕による組織学的所見では、-gal遺伝子のみ導入した場合、心筋細胞の介在板間に限局して発現し、蛋白の発現部位と非発現部位が介在板を境として明瞭に区別された。ベクターによる組織障害は炎症細胞の浸潤程度から、従来のアデノウイルスベクター法による報告と比較して軽微であった。ecNOS遺伝子と-gal遺伝子をco-transfectionした部位では、光顕で広範囲に心筋細胞の縮小化・変性・壊死・線維化が示された。この心筋障害部位と正常部位の境界は明瞭であった。縮小した心筋細胞にはco-transfectionした-gal活性染色がされる細胞とされない細胞が存在し、その形態は紡錘型を呈した。co-transfectionするecNOS遺伝子量を1/10にすると、用量依存性に心筋細胞の縮小化・変性・壊死所見ともに減少した。特異抗体を用いた免疫組織染色でecNOS蛋白は心筋細胞障害部位の周辺に確認され、-gal遺伝子の発現同様、介在板間に限局し細胞質全体が均質に染色された。また障害部位にマクロファージの浸潤とTUNEL陽性細胞が検出された。(III)L-NAMEの前処置ラットではecNOS遺伝子を導入しても心筋障害は出現しなかった。(IV)電顕ではecNOS遺伝子導入部位で筋原線維はひ薄化し、ミトコンドリアの著明な集ぞくと、膨化・変形が認められた。アポトーシスに典型的な核の断片化やクロマチンの凝縮像は認められず、細胞膜の形態は保持されていた。また電顕観察でも光顕における所見に一致して、ecNOS遺伝子が導入された心筋細胞と隣接する心筋細胞の介在板を境とした形態変化が著明であった。

 【結論】以上の結果から、ヒトecNOS遺伝子の心筋内強制発現により、NOとNO反応産物(peroxynitrite)が局所で過剰産生され、アポトーシス様細胞死を含む特異な心筋細胞死が出現した。その細胞障害作用はオートクライン効果として発現細胞自身のみならず、パラクライン効果により隣接する細胞にまで及んだ。この事実はNOを介した細胞障害、細胞死の存在を強く示唆した。

研究2:イソプロテレノール負荷心筋障害における誘導型一酸化窒素合成酵素の関与

 【目的】NOがいかに生体心筋内で細胞死に関わるのか、NO及びNO反応産物であるperoxynitriteの生体心筋に対する細胞障害作用を、本研究では炎症性サイトカインのTNE-と誘導型のiNOSに注目し、イソプロテレノール負荷による急性心筋障害モデルを用いて、免疫組織学的にin situで経時的に検討する。

 【方法】アドレナリン受容体刺激薬のイソプロテレノール(10mg/kg体重)を雄ウイスター系ラット(体重100g)の腹腔内に投与して、急性心筋障害心を作成し、8時間後・16時間後・24時間後に心摘出した。特異抗体による酵素抗体法でED-1陽性マクロファージの浸潤・TNF-・iNOSの誘導・peroxynitrite産生を示すニトロチロシン・アポトーシスに関与するCPP-32/Caspase3の障害組織での局在をin situで同定した。アポトーシス診断指標のひとつとしてTUNEL法を用い、産生されたニトロチロシンとTUNEL陽性心筋細胞の局在を免疫二重染色で検出した。またイソプロテレノール負荷1週間前よりNOSの阻害薬(L-NAME;12mg/kg体重)を前投与したラットに同様の負荷を行い、NOの関与を比較検討した。またアポトーシスを含む心筋障害の超微形態を電顕で観察した。

 【結果】イソプロテレノール負荷により、心内膜下に局所的な心筋障害が出現し、多数のED-1陽性マクロファージ浸潤を認めた。TNF-・iNOS・ニトロチロシンは、免疫組織学的にマクロファージを含む浸潤細胞と周辺の心筋細胞に観察された。また心筋障害部位にはDNA断片化の存在を示すTUNEL染色陽性細胞を認め、CPP-32陽性浸潤細胞の出現も確認した。免疫二重染色法により、心筋及びマクロファージのTUNEL陽性細胞はニトロチロシン陽性マクロファージの周囲に観察された。TUNEL陽性心筋細胞は壊死部位と正常心筋細胞の境界領域に散在し、細胞膜の破壊は認めず正常細胞形態を保ち、アポトーシス様心筋細胞死と考えた。ニトロチロシン陽性心筋細胞数とTUNEL陽性心筋細胞数は、イソプロテレノール負荷後8時間で最高値を示した。これらの組織学的変化はマクロファージの浸潤も含め、L-NAMEの前投与により抑制された。電顕観察上、典型的なクロマチンの凝縮やアポトーシス小体は心筋細胞では観察されず、心筋細胞間に存在した微小血管内の白血球系細胞でのみ認めた。

 【結論】イソプロテレノール負荷による急性心筋障害では、TNF-を含むサイトカインによりiNOSがマクロファージ及び心筋細胞に誘導され、その結果NO或いはNO反応産物を介して心筋細胞に壊死をきたし、その周辺部にアポトーシス様心筋細胞死が出現した。

 【まとめ】研究1及び2の結果から、生体心筋内で恒常的に存在するeNOSの局所における過剰な発現や、心筋障害部位でサイトカイン等により誘導されるiNOSは、心筋の細胞障害に関与し、NOを介した心筋細胞死の存在を示唆した。その細胞死の形態は古典的な壊死のみならずアポトーシス様細胞死をも含まれた。

審査要旨

 本研究は心筋組織において多彩な役割を持つ一酸化窒素(NO)を産生する一酸化窒素合成酵素(NOS)が心筋細胞死と如何に関わるかを、研究1では遺伝子導入のモデルで、研究2ではイソプロテレノール負荷による心筋障害モデルで解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1、HVJ-リポソーム法を用いて、ラットの生体心筋にレポーター遺伝子(-gal遺伝子)のみならず、病態生理的に意味のある内皮型一酸化窒素合成酵素(ecNOS)遺伝子の導入に成功し、蛋白発現の局在が免疫組織学的に示された。その蛋白発現は導入後3日目より確認され、7日目に最大となり、その後漸減して14日目まで認められた。最大発現時のX-gal染色範囲は左室自由壁横断面の12%に達した。

 2、ecNOS遺伝子と-gal遺伝子をco-transfectionした部位では、光顕で広範囲に心筋細胞の縮小化・変性・壊死・線維化が示された。この心筋障害部位と正常部位の境界は明瞭であった。縮小した心筋細胞にはco-transfectionした-gal活性染色がされる細胞とされない細胞が存在し、その形態は紡錘型を呈した。co-transfectionするecNOS遺伝子量を1/10にすると、用量依存性に心筋細胞の縮小化・変性・壊死所見ともに減少した。特異抗体を用いた免疫組織染色でecNOS蛋白は心筋細胞障害部位の周辺に確認された。同様の心筋細胞障害はecNOS遺伝子単独導入でも観察され、L-NAMEの前処置ラットではecNOS遺伝子を導入しても心筋障害は出現しなかった事より、ecNOS過剰発現によるNOを介した心筋細胞死が示唆された。

 3、ecNOS遺伝子導入で出現した心筋細胞障害部位では、縮小細胞やTUNEL陽性細胞が検出され、電顕では細胞膜や核膜の形態は保持されていたが、アポトーシスに典型的な核の断片化やクロマチンの凝縮像は検出されなかった。

 4、イソプロテレノール負荷により、心内膜下に局所的な心筋障害が出現し、多数のED-1陽性マクロファージ浸潤を認めたが、この障害部位では免疫組織学的にTNF-・iNOS・ニトロチロシンが、マクロファージを含む浸潤細胞と周辺の心筋細胞に観察された。

 5、同障害部位でDNA断片化の存在を示すTUNEL染色陽性細胞を認め、CPP-32陽性浸潤細胞を確認し、更に免疫二重染色法により、心筋及びマクロファージのTUNEL陽性細胞はニトロチロシン陽性マクロファージの周囲に観察された。TUNEL陽性心筋細胞は壊死部位と正常心筋細胞の境界領域に散在し、細胞膜の破壊は認めず正常細胞形態を保ち、アポトーシス様心筋細胞死と考えた。これらの組織学的変化はマクロファージの浸潤を含めてL-NAMEの前投与により抑制され、NOを介した心筋細胞死が示唆された。

 以上、本論文はラットの生体心筋内に効率良くecNOS遺伝子を導入してecNOSの過剰発現を伴った心筋細胞死の存在を示し、更にイソプロテレノールによる心筋障害でiNOSの誘導を伴った心筋細胞死の存在を示した事により、生体心筋への遺伝子導入と、NOを介したアポトーシス様細胞死を含む心筋細胞死の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値する。

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