学位論文要旨



No 114681
著者(漢字) 孫,江
著者(英字)
著者(カナ) ソン,コウ
標題(和) 近代中国の革命と秘密結社(1895-1955)
標題(洋)
報告番号 114681
報告番号 甲14681
学位授与日 1999.06.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第225号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 並木,頼寿
 愛知大学 教授 馬場,毅
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 助教授 村田,雄二郎
 東京大学 助教授 高橋,均
内容要旨

 本論文は、中国における秘密結社と政治権力との関係を、中国共産党の革命過程に対象を限定して、実証的に考察するものである。中国の秘密結社に関する研究は数多く存在するが、秘密結社と政治権力との関係をテーマにした本格的な研究は、未だに現れていない。このテーマに言及している先行研究においても、秘密結社を先験的に反体制・反社会的なものとして、中国社会の周縁に位置づけたり、イデオロギー的な先入観から秘密結社と政治権力との関係を観察したりしている、などの問題が指摘される。

 秘密結社という言葉を文字通りに解釈すれば、その内部の構成や仕来りを外部に知られない組織のことである。中国の長い歴史において、このような秘密結社は広く存在していた。とりわけ清末以降の時期には、秘密結社のネットワークはエリート階層を含めて、次第に社会全体に広がり、さまざまな政治権力にとって、秘密結社は政治的な動員や統合を試みる場合に、避けて通れない存在となった。1949年の人民共和国建国以降、秘密結社は厳しい弾圧を受けて、公の場から姿を消したが、中国社会が脱政治的な激変を示しつつある今日、再び姿を現してきている。

 なぜ、中共の激しい弾圧によって姿を消した秘密結社が数十年後に復活し、再び表舞台に登場するに至ったのか。このことは、中共の革命の歴史および中共の政治支配において、どのような意味を持っているのか。これらの問題を解明するために、本論文は、辛亥革命から建国直後までの各時期における革命的な動員と支配の確立のプロセスを検討し、そこでの政治権力と秘密結社との関係を考察する。

 本論文は、序章、終章、および本論全五章によって構成される。序章は、先行研究の整理と問題提起に充てられる。この章において、筆者は、十九世紀前半から二十世紀末までの秘密結社の関する言及、および関鍵研究を整理し、秘密結社という概念の中立化を試みた。すなわち、秘密結社を中国社会のさまざまな人的ネットワークの一つの結節点とみる観点を提起し、社会的なネットワークとしての秘密結社と国家権力との関係は、単なる支配・反抗の構図において把握されるべきではないことを強調した。

 第一章では、本論の予備的考察として、辛亥革命前後の秘密結社と政治権力との関係を取り上げた。「革命」言説の変化、孫文をはじめとする清末革命派の秘密結社動員の実態、辛亥革命の進行過程における秘密結社の虚像と実像、および孫文と秘密結社との決別の歴史的経緯を概観し、そのうえで、従来の秘密結社革命像は、秘密結社の実像とかけ離れており、そこには革命党の歴史叙述-自らの革命戦略に合致させて、秘密結社の反体制的、反社会的側面を、秘密結社全体の性格として強調する-が投影されていることに注目する観点を強調した。また、革命党の秘密結社政治像を清朝体制のもとでの「会匪」、「教匪」言説と比べると、両者に共通点があることも指摘した。

 第二章から第五章までの本論部分では、中共革命の各時期における中共の秘密結社言説、および中共と秘密結社の現実の関係という二つの角度から、秘密結社と中共権力との関係を具体的に考察する。まず、第二章では、1920年代の労働運動、農民運動、および1930年代のソビエト時期における中共と秘密結社との関係を考察する。1920年代の労働運動における中共の青紅幇工作が中共の労働運動の起点であった。そして、1920年代の華北の農民運動における紅槍会工作を検討し、その工作失敗の原因は、通説にいう紅槍会の排他性によるものではなく、紅槍会の政治姿勢がそれぞれの地域の政治力学に左右されていたこと、各種の政治勢力と紅槍会の政治姿勢は複雑に関連しており、紅槍会が必ずしも一律に外来勢力を排斥するものではないことを明らかにした。また、1930年代のソビエト根拠地建設における中共と紅槍会・土匪との関係については、中共の秘密結社・土匪言説と、現実の秘密結社・土匪関係の間にズレがあったことを実証した。

 第三章は、西北地域に追い込まれた中共が、いかに秘密結社をその抗日統一戦線に組み入れたかという問題に注目し、中共が社会各階層を抗日戦争に動員する際、秘密結社のネットワークを利用していた事実を明らかにした。西北地域の紅軍、華北地域の八路軍、淮河流域および長江下流地域の新四軍と秘密結社との関係を通じて、この問題を分析し、抗日戦争期における中共の秘密結社言説、および具体的な事例の分析によって、中共が秘密結社・土匪の武装勢力と同盟関係を結んだり、それらを吸収ないし弾圧したりしていた事実を解明した。こうした分析によって、中共は民族-階級の言説に基づいて秘密結社に抗日ナショナリズム的な性格を付与し、動員、弾圧などさまざまな手段を駆使して、秘密結社を自らの抗日戦略に組み入れようとしたこと、しかし、中共の革命イデオロギーと現実情勢との乖離によって、紅槍会、哥老会、青幇などの秘密結社に対して、中共の認識と政策がしばしば矛盾していたことを指摘した。他方、秘密結社の政治的な態度は、中共と日本軍の力関係の消長によって左右されていたことを明らかにした。

 第四章では、中共の〈革命/反革命〉言説の分析を通じて、政治統合の視点から中共の秘密結社弾圧の理論的根拠、歴史的経過、および秘密結社組織消滅の諸原因を探る。中共が建国後に行った大規模な政治統合と社会再編のなかで、秘密結社は「反革命鎮圧」運動の対象として徹底した弾圧を受けた。その原因について、従来、秘密結社の反動的な性格と中共政権への敵対行動にあるという説明がなされてきたが、建国初期の中共の社会的・政治的統合やイデオロギー教育からみると、秘密結社に対する弾圧は不可欠な一環であったといえる。他方で、中共が秘密結社弾圧を含めた一連の政治運動を通じて政治的・社会的統合を達成した結果、中国社会は歴史上空前の高度に政治化された社会に変貌したのである。

 第五章では、西安市と湖南省における秘密結社調査に関する事例研究を通じて、各地の地方政府が把握した秘密幇会結社の状況、およびそれに対する弾圧の事実を解明した。これらは従来ほとんど知られてこなかった事柄である。また、秘密宗教結社に関する事例研究として、「反動会道門」の典型としてもっとも厳しい弾圧を受けた一貫道をめぐる事態を取り上げ、弾圧の具体的な過程を解明した。

 終章では、中共の〈革命/反革命〉の言説における秘密結社の位置付け、中国革命の歴史における秘密結社の役割、秘密結社が中共に協力、もしくは対立の政治的姿勢を取った原因という三つの視点から、論文全体を綜括し、そのうえで、清朝権力と秘密結社との関係、中華民国期における国民党権力と秘密結社との関係を視野に入れつつ、本論文の主題である中共権力と秘密結社との関係について、より広い歴史的な文脈の中での再検討を試みた。

 本論文の研究によって、秘密結社は自らの置かれた政治的状況に左右されながら、自発的もしくは受動的に「近代的な革命」、とりわけ中共の革命に巻き込まれたことが明らかとなった。そこで注目すべきことは、秘密結社の実像は、各時期の革命の言説に描かれた秘密結社の政治像とは乖離した存在であるということである。序章で指摘した秘密結社の反体制的・反社会的政治像は、秘密結社の実像を反映するものではなく、権力者あるいはその立場に立った人々が秘密結社に付与したものに過ぎない。こうした秘密結社の実像と秘密結社言説における秘密結社政治像との相違は、清朝・民国・中共の時期の政治権力の一元性と社会の多元性との矛盾に由来するものと考えられる。

 世紀末の中国では、社会は劇的に変動している。中共の強力な支配体制は、社会およびとりわけ各個人に対する従来のような拘束力を、もはや維持し得なくなってきた。一時期姿を消した秘密結社は、再び公の舞台に登場している。来るべき中国の政治的、社会的構造において、秘密結社がどのような位置を占めるか、重要な問題である。中共も、いずれ台湾の国民党政権のように、民主化のプロセスにおいて、これまで弾圧を加えてきた結社の存在を認めるのであろうか。これは、中共自体の変化、および将来の中国の政治的状況によって決定される事柄であろう。

審査要旨

 本研究は、『近代中国の革命と秘密結社(1895-1955)』と題し、近・現代中国の民間社会に広範かつ多様な形態で存在したいわゆる「秘密結社」に着目し、こうした民間結社が政治権力との間に展開した諸関係を、きわめて豊富な一次史料を駆使して、実証的に明らかにし、そのような実証作業を踏まえて、近・現代中国における民間社会および政治権力の特質を解明しようとしたものである。論文の構成は、目次5頁、序章・第一〜五章・終章という本文および注釈273頁、参考文献一覧21頁からなる(1頁400字×3枚)。

 とくに、本研究は、一次史料の公開状況および現在の政治的諸関係などの理由により、従来ほとんど解明されてこなかった中国共産党の革命運動と民間の各種団体・結社との関係に焦点をあて、中共革命の展開過程に民間結社が果たした決定的に重要な役割を明らかにするとともに、一元的な政治支配を実現しようとする中共が権力掌握後に行った秘密結社消滅作業の実態を詳細に描き出したことにおいて、画期的な意義をもつものである。

 本研究は、まず「序章 中国秘密結社政治像の再検討」の部分において、「秘密結社」という言葉の定義について詳細な歴史的検討を加えるとともに、その言葉によって表示される社会的実態に関しての同時代的認識、および現在に至るまでの社会科学的ないし歴史学的な研究蓄積を網羅的に紹介・検討した。

 ついで、「第一章 革命と秘密結社-歴史的考察」では、辛亥革命前後の秘密結社と政治権力との関係を取り上げ、「革命」言説の変化および孫文を始めとする清末の革命派による秘密結社動員の歴史的経緯を概観し、従来通説的に受け入れられてきた秘密結社革命像が、革命党の歴史叙述を反映して作り出された政治的な映像であり、社会の実態とは乖離していたことを指摘する。この部分は、以下本論で中国共産党の秘密結社像を描く予備的分析である。

 第二章から第五章までが、本研究における本論部分である。「第二章 中国共産党の革命における秘密結社」では、1920年代に開始された中共の労働運動・農民運動、および1930年代のソビエト革命時期における中共と秘密結社との関係を検討し、実証的な分析を通じて、中共の労働運動がいわゆる「青幇・紅幇」工作と不可分なものであったこと、および、華北農村部の農民運動展開過程に見られた中共の対「紅槍会」工作の実態を明らかにした。さらに、1930年代のソビエト根拠地建設における中共と紅槍会・土匪との関係において、典型的事例である「王佐・袁文才事件」に対して、地域社会の社会構造という観点からの斬新な視点を提起した。

 ついで「第三章 中国共産党の抗日戦争における秘密結社」では、西北地域に追い込まれた中共がいかに秘密結社をその抗日統一戦線に組み入れて、全体的な情勢の転換を図ったかという問題に注目し、中共が社会各階層を抗日戦争に動員する際に、秘密結社のネットワークを利用していた歴史的事実を、西北地域の紅軍、華北地域の八路軍、淮河流域および長江下流地域の新四軍について、それぞれの地域の秘密結社との関係を通じて分析した。そこで明らかにされた事柄は、中共の革命イデオロギーの形成・変容に合わせて民間秘密結社との関係が変動したこと、およびそうした事態の中で、中共が民族=階級の言説に基づく抗日ナショナリズムを秘密結社に受け入れさせようとしたこと、これに対して中共の革命イデオロギーと現実との乖離によって、紅槍会、哥老会、青幇などの秘密結社についての中共の認識と政策はしばしば相矛盾し、秘密結社の政治的態度は、中共と日本軍の力の消長に左右されていたこと、などの諸点である。

 「第四章 中国共産党の政治統合における秘密結社」では、中華人民共和国建国時期の問題に着目し、中共の革命言説の分析を通じて、国共内戦を経た後の政治的な統合過程において中共が秘密結社に加えた弾圧の理論的根拠、その歴史的な展開過程、および秘密結社組織消滅の諸原因を検討した。中共建国後に行われた大規模な政治統合と社会再編のなかで、秘密結社は「反革命の鎮圧」運動の対象として弾圧を受けたが、その原因について、従来、秘密結社の反動的な性格と中共政権への敵対行動にあると説明されてきた。この通説に対して本研究は、建国初期の中共の社会的・政治的統合やイデオロギー教育を踏まえて、秘密結社に対する弾圧は政治統合と社会再編を推進する不可欠な一環であったとし、そうした過程を通じて表現される政治権力の特質とその結果成立した社会の特質を「高度に政治化された社会」として説得的に説明することに成功した。

 つづく「第五章 中国共産党の秘密結社弾圧に関する事例研究」は、西安市と湖南省における秘密結社調査に関する豊富な一次史料を駆使して、各地の地方政府が把握した秘密幇会結社の状況とそれに対する弾圧の具体的な状況を詳細に解明し、さらに秘密宗教結社の中でもいわゆる「反動会道門」の典型としてもつとも厳しい処分を受けた一貫道に対する弾圧の具体的な展開過程を詳述する。この部分は従来の中国内・外の研究史においてほとんど知られなかった画期的成果である。

 このような本論部分の分析をうけて、「終章『革命』と『反革命』の狭間-秘密結社と中共の権力」では、中共の革命言説形成過程に占める秘密結社の位置づけ、および革命運動の展開過程での秘密結社の役割について総括するとともに、秘密結社の側からの視点として、秘密結社が中共革命に対してとった政治的姿勢の諸相を検討する。そして、そこに見られる多元的な民間社会の実像と一元的支配を志向する清朝・民国以来の政治権力の特質についての重要な指摘を行った。とくに、従来秘密結社的な民間団体について、「反体制的・反社会的」性格が強調されがちであったことに修正を加え、中国社会の人的な結びつき(ネットワーク)の結節点としての役割を明らかにし、従来の「秘密結社」概念の中立化に成功したことは、特筆すべき成果である。総じて、本論文は主題である中共権力と秘密結社との関係を豊富な一次史料を使って、具体的な過程として描くとともに、より広い歴史的文脈のなかでの展望を試みたものであり、関連研究分野に画期的な貢献をもたらす研究と認められる。

 以上、史料的制約によりいわゆる「内戦期」についてほとんど言及されないなど、なお議論を深める余地は認められるものの、これは本研究の価値と学界への貢献を減ずるものではなく、審査委員会は、論文審査の結果として、本論文を「博士(学術)」の学位を授与するに値するものと判定する。

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