学位論文要旨



No 114682
著者(漢字) 芦谷,政浩
著者(英字) Ashiya,Masahiro
著者(カナ) アシヤ,マサヒロ
標題(和) 部分ゲーム完全性に関する3つの話
標題(洋) Three Tales of Subgame-Prefection
報告番号 114682
報告番号 甲14682
学位授与日 1999.07.07
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第131号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神取,道宏
 東京大学 教授 田渕,隆俊
 東京大学 教授 神谷,和也
 東京大学 助教授 松井,彰彦
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨 論文A:"Weak Entrants Are Welcomc"

 製品が差別化された市場において、「競争力の強い参入企業」と[競争力の弱い参入企業」の2社に直面している既存企業を考えよう。既存企業は弱い企業の参入を阻止できるが、強い企業の参入は自力で阻止できないとする。弱い企業が強い企業より先に行動するとき、既存企業が弱い企業の参入を阻止すると、強い企業に参入されてしまう。一方、わざと弱い企業の参入を許すと、強い企業が行動する時点では市場が既存企業と弱い企業によって満たされているので、強い企業の参入を防げるかもしれない。論文では、この様な弱い企業を利用した参入阻止が生じる必要十分条件を考察する。

 この議論を、国内産業が脆弱な発展途上国に応用してみよう。この国がすぐに貿易を自由化すると、国内産業には外国企業の進出を防ぐ力はない。しかし、政府が一定期間輸入自由化を遅らせ、その間に国内企業の参入が生じれば、輸入が自由化された時点では国内市場の競争が激しくなっている。すると、外国企業にとってこの国の市場が魅力的ではなくなるので、彼らの参入を防ぐことができるかもしれない。日本が1960年代に貿易自由化した後も外国企業の参入が成功しなかった理由は、このように説明することができる。

 さて、上述の議論には1つの疑問点がある。既存企業は、弱い企業と全く同じ工場設備や製品を追加すれば、自力で強い企業の参入を防げるのではないだろうか。Schmalensee(1978)Bell J.は、「製品が差別化された市場では、既存企業は豊富な種類の商品を供給し、他企業が参入するニッチをなくすことで、独占状態を維持できる」と主張した。これに対してJudd(1985)RAND J.は、「各商品からの退出費用が小さいときは、既存企業はこの戦略にコミットできない」と主張した。なぜなら、他企業の参入を受けた時点で考えると、競合する商品から退出した方が既存企業の利潤は大きくなるからである。

 Juddはこの点を、コーヒーと紅茶という2種類の代替財しかない産業を例にとって説明した。既存企業と参入企業は、同一の費用条件で価格競争をするものとしよう。限界費用は一定で、生産には各商品毎に固定費用が必要である。いま、既存企業がコーヒーと紅茶の両方を生産しているとき、コーヒーに参入が生じたとする。ここで既存企業がコーヒーの生産を続けると、コーヒーの価格は限界費用と一致するまで下落し、コーヒー部門からの粗利潤はゼロとなる。更に、コーヒー価格下落の影響で、紅茶部門の利益も減少してしまう。一方、既存企業がコーヒーの生産を停止すれば、コーヒー部門の粗利潤はゼロのままだが、紅茶部門の利潤はコーヒー部門の価格競争がなくなる分だけ増加する。よって、退出費用が少額であれば、既存企業はコーヒー部門から退出する誘因を持つので、これを見越した参入が生じることになる。

 このJuddの議論は、2つの点で現実と大きく異なっている。既存企業と参入企業の競争力は通常異なるし、コーヒーや紅茶にはココアやジュースなどの数多くの代替品が存在する。特に、既存企業は十分に成熟していて、幅広い種類の商品を供給可能であるのに対し、参入企業は当初限られた種類の商品しか供給できない。既存企業が数多くの類似品を販売しているとき、その一つに参入が生じると、既存企業は(Juddが指摘したように)直接競合する商品から退出するが、その他の商品の生産は続けるかもしれない。すると、十分な利潤を得られない事を見越した参入企業は、参入を止めるかもしれない。

 この論文は、距離の2乗の移動費用がかかるホテリング・モデルを用いて、退出費用がゼロのときは上述の議論が成立しないことを示す。このモデルでは商品の属性が近接するにつれ急速に競合度が高まるので、参入企業と類似の商品を生産すると激しい価格競争が生じる。すると、既存企業の生産する他の商品からの利潤も減少してしまうので、既存企業は参入企業と類似の商品から次々に退出する誘因を持つ。この結果、既存企業は任意の商品を生産できるとしても、新規参入を阻止できないのである。

 一方、退出費用が正であるときは、密接な代替財のみを選択する事で、既存企業は参入が生じた後も商品群を維持する事にcommitできる。しかし、固定費用が相対的に小さければ、既存企業の商品群から大きく離れた商品への参入を防ぐ事はできない。よって、退出費用が固定費用の半分程度であるならば、既存企業が弱い企業の助けを必要とするparameterが存在する。

 参入阻止の研究は数多くあるが、どれも「様々な企業が存在する」という現実の市場の最も重要な側面を見落としている。この論文は、「参入企業の多様性」を明示的に考慮した最初の分析である。

論文B:"Brand Proliferation Is Useless to Deter Entry"

 この論文ではGabszewicz and Thisse(1979)JETの垂直的製品差別化モデルを用いて、既存企業の参入阻止行動を分析する。既存企業が異なる品質の商品を生産しているとき、類似商品への参入が生じたとしよう。既存企業が類似商品の生産を続けると、顧客のscreeningは可能になるが、激しい価格競争が生じる。すると、顧客の好みが似通っているときはscreeningを行うメリットが小さいので、既存企業は競合商品から退出する誘因を持つ。このため、複数種類の製品を供給することは参入阻止に役立たない。

 均衡において、既存企業は常に1種類の商品を選択する。固定費用が大きく参入の脅威が小さいときには、既存企業は最も高い品質の商品を選択する。固定費用がある程度低下すると、既存企業は低品質の商品への参入を防ぐために、商品の品質を低下させてゆく。固定費用があまりに小さく参入を防ぐことができないときには、最高品質の商品を選択して利益を確保する。

 既存企業が参入を阻止するために最高品質以外の商品を選択しているときは、固定費用が減少すると既存企業の選ぶ品質も低下する。このため、参入の脅威が増すにつれて社会厚生も低下してしまう。

論文C:"Herd Behavior of Japanese Economists"

 景気予測を行うエコノミストの中で、有能な人は共通の情報を、無能な人は他人と独立の情報を得るが、誰も自分の能力を正確に知らないとしよう。このとき有能な人同士は同じ予測をするので、一人だけ異なる予測をすると、外れたときに無能扱いされる。よって、各エコノミストは他人と横並びの予測をする誘因を持つ(Scharfstein and Stein(1990)AER)。

 エコノミストが繰り返し予測を行うときは、別の誘因も働く。過去に得た情報が正確であった人は、今後も正確な情報を得る可能性が高いので、自らの情報に従って予測をする誘因を持つ。過去の情報が不正確であった人は自らの情報に従う誘因を持たないことから、高齢のエコノミストは独自の予測をすることで、過去の情報の精度をシグナルすることが出来る。

 この2つの要因を考慮すると、以下の結論が導かれる。

 1.若年期のエコノミストは自分の能力を推察する情報を持たないので、必ず横並びの予測をする。

 2.有能な人の比率が高く、有能な人と無能な人の能力差が小さいとき、つまりエコノミストが同質的であるときは、誰も独自の予測をする誘因を持たない。なぜなら、自分が有能であるとしても他人の予測と自分の情報の精度は余り変わらず、自分が有能であることをシグナルするメリットも小さいからである。この場合は、エコノミストの年齢が上昇しても予測の横並びの程度は変化しない(pooling equilibrium)。

 3.有能な人と無能な人の能力差・有能なエコノミストの比率が中程度の場合は、separating equilibriumが生じる。具体的には、過去に得た情報が正確であった高齢のエコノミストのみが独自の予測を行う。このため、エコノミストの年齢が上昇すると予測の横並びの度合いが低下する。

 4.有能なエコノミストの比率があまりに低く、有能な人と無能な人の能力差があまりに大きいときは、若年期に得た情報が不正確であったエコノミストも独自の予測をする誘因を持つので、純粋戦略均衡が存在しない。

 この分析結果をもとに、日本の実質経済成長率についての予測データを用いて実証分析を行ったところ、「エコノミストの年齢が上昇しても予測の横並びの度合いは低下しない」という結果が得られた。アメリカのデータによる先行研究は「年齢が上昇すると横並びの度合いが低下する」という結果を得ていることから、日本のエコノミストはアメリカより同質的であることが示唆される。

審査要旨

 1.本論文は、時間を通じた戦略的相互依存関係における、戦略の信頼性の問題を軸として、産業組織論・情報の経済学における応用ミクロ経済分析を行ったものである。具体的には、製品差別化が行われている市場における参入阻止の問題を理論的に扱った第一・第二の研究と、エコノミストの経済予測のばらつきを情報の経済学を使って理論的・実証的に分析した第三の研究からなるものである。

 2.第一の研究、"Weak Entrants Are Welcome"は、既存の企業が、弱い企業をあらかじめ参入させることによって、強い企業の参入を阻止する可能性を分析したものである。この研究ではとくに、以上の問題を水平的製品差別化(各消費者にとって望ましい財の属性が異なるようなケース)が行われている市場で分析する。これに対して、財の品質の高低に差があり、すべての消費者が(価格が同じなら)高い品質のものを好むケースは垂直的製品差別化と呼ばれ、これについては続く第二の研究で取り扱われている。

 水平的製品差別化が行われている市場では、既存の企業が(弱い企業を参入させなくても、独力で)たくさんの異なった財を提供して市場を飽和させておくと、新規の企業の参入を阻止できるとする考え方があり、特にSchmalensee(Bell Journal of Economics,1978)の研究が有名である。しかし、Schumalenseeの研究では、一旦参入が起こった後に、既存の企業が製品数を減らさずに営業を続けるインセンティヴがあるかどうかという、戦略の信頼性(部分ゲーム完全性)のチェックがなされておらず、その後Judd(RAND Journal of Economics,1985)によって批判を受けることになった。Juddはコーヒーと紅茶という2種類の財のみが存在するモデルを分析し、次のような理由でSchumalenseeの結論は成立しないとした。いま、既存の企業が両方の財を生産していて、新規の企業がコーヒー市場に参入したとしよう。すると、コーヒー市場では(ベルトラン的な)価格競争が起こり、既存企業のコーヒー市場での利潤はゼロになり、さらに、密接な代替財である紅茶市場での利潤もコーヒーの価格下落がひびいて落ち込んでしまう。このとき、既存企業は利潤ゼロのコーヒー市場から撤退することによって、紅茶市場の利潤を引き上げることが出来る。従って、既存の企業が異なる品質の財を作っていても参入阻止には役に立たず、一旦参入が起こると既存企業は当該市場から撤退することになる。

 この議論には、コーヒーと紅茶という2種類の財しか存在しないという極端な仮定がおかれており、これをはずして現実のように多種多様な財の提供が可能なケースを見た場合に、果たして同様の論理が成立するかどうかは自明ではない。とくに、経験を積んだ既存企業は多岐にわたる財を作れるが、新規参入企業が作れる財の数には制限があるという場合には、既存の企業は十分多くの種類の財を提供することによって、たとえ新規参入企業と直接競合する財から撤退したとしてもなお市場全体から多くの利益を吸い上げ、参入企業には(参入の誘因が無くなるような)極めて低い利潤しか与えないことが出来るかもしれない。

 本研究はこうした問題を、潜在的には無限に異なった種類の財が存在するホテリングの立地モデルを用いて分析し、一定の条件の下では、「既存の企業が多様な製品で市場を飽和させることにより、独力で参入阻止することは出来ない」という結論が、多様な属性を持つ財が存在するより現実的な設定の下でも成立することを示した。このために、既存の企業は別個の、弱い企業の参入を許さなければ強い企業の参入を阻止できないことになり、表題にある"Weak entrants are welcome"という現象が整合的に説明できることになる。芦谷氏は、この理論が国内産業保護のための段階的貿易自由化に対する理解にも役立つとしている。戦後日本の自動車やベアリング市場での既存の企業は外国企業と直接競争する力を持っていなかった。しかし、保護政策の下で国内のより小さな企業が参入し、最終的に貿易が自由化されたときには、本論文が示すように外国企業の参入が困難なほどに市場が飽和していた可能性がある、と指摘されている。

 3.第二の研究、"Brand Proliferation Is Useless to Deter Entry"は、第一研究と類似の問題を、垂直的製品差別化のある市場で検討している。これは、すべての消費者が高品質の財を好むが、人によって「品質の上昇に対して支払う用意のある金額」に差があるケースである。したがって、情報の経済学でいう逆淘汰下のスクリーニングの問題がおこり、均衡では一部の消費者に情報レントが必ず発生するという点で、第一の研究の設定とは性質が異なっている。本研究の目的は、「既存の企業が多様な製品で市場を飽和させることにより、独力で参入阻止することは出来ない」という、第一研究の結論の頑強性を検討することであり、消費者のタイプが余り分散していないという仮定の下では、同様の結論が垂直的差別化の下でも成り立つ事が示される。さらに、異なった属性をもつ財の生産を開始する際に必要な固定費用が上昇するにつれて、市場に提供される財の品質が次のように変化するという興味深い結果も導かれている。いま、既存企業一社と潜在的な参入企業一社を考える。固定費用が大きく、参入が起こらないときは、既存企業は最も高い品質の財のみを生産する。固定費が下がると、低品質な財を安価に販売するような参入を防ぐ為に、既存企業はやや品質を下げた財を(一種類だけ)提供する。さらに固定費が下がって参入阻止が不可能になると、既存企業は最高品質の財を作り、参入企業は低品質の財を作ることになる。この、2番目のケースでは、(第1番目の独占状態が維持できない為)既存企業の利潤は減り、さらに品質が低下する為に消費者余剰も減少することが示される。芦谷氏はこのことから、「参入費用を低下させる競争促進策は、実際に参入を誘発するまで行わないと、かえって効率性を損なう危険性がある」という政策的含意を導出している。

 4.最後の、"Herd Behavior of Japanese Economists"は、第一、第二の研究とは異なった問題を取り扱っているが、時間を通じた相互依存関係における戦略の信頼性(ゲーム理論でいう均衡の完全性)が分析の鍵となる点では同一の視点に立ったものと見ることが出来る。この研究は、「アメリカのエコノミストは若いときには他人と同様の予測をするが、経験を積むに従って独自の予想を立てる傾向がある」というLamont(NBER Working Paper,1995)の実証研究を説明する整合的な理論モデルを提示し、合わせてこの仮説の検定を日本のデータを用いて行ったものである。

 モデルは2期間からなり、第1期には各エコノミストの能力は(エコノミスト自身も含めて)誰にも知られていない。エコノミストの能力はそれぞれが入手する情報の質として定式化され、能力の高いエコノミストの入手する情報は(真実に近い為)強く相関している。したがって、第1期には有能と思われたいが為に他人と同じ予測をしようとする強い誘因が存在する。一方第2期になると、各エコノミストは前期に自分の得た情報と現実を対比させることにより、自分の能力について私的情報を得る。この時、有能なエコノミストは自らの情報に基づいて予測を立てる誘因を持つことになる。既存の研究との関連でいえば、このモデルでは第1期には対称的な情報下での横並び行動、いわゆるherdingが起こり、エコノミストが自分の能力について私的情報を得た第2期にはいわゆるsignalingが起こることになり、これによってエコノミストの予想のばらつきと経験の関係が説明されることになる。

 芦谷氏は、東洋経済新報社「統計月報」のデータを用いて、Lamontと同様の回帰分析を行い、アメリカと異なって日本ではエコノミストの経験の蓄積は予想のばらつきを有意にもたらさないことを示した。これらの事実は、上に述べた理論モデルを使って次のように説明される。経験の蓄積に従ってみずからの能力をシグナリングする誘因が強いのは、エコノミストの能力にかなりの差異が存在するケースであり、アメリカはこれに当てはまるものと考えられる。一方日本のエコノミストの能力が比較的同質的であるとすると、経験を積んだ後でも横並びの予測が起こる可能性がある。

 本研究は著者と同時期に本大学院経済学研究科に在籍した土居丈朗氏と共著であるが、問題の設定、データ解析、モデルの構築は芦谷氏が主に担当し、日本での実証を行う際のデータの選定を土居氏が主に行った。従って芦谷氏の貢献は十分に大きいものと認められる。(ちなみにこの研究は土居氏の博士論文には入っていない。)

 5.審査委員会は、三本の研究のいずれもが、明確でかつ現実の経済に照らして意味のあるモティヴェーションを持ち、かつ先行研究を良く踏まえた上で独自の新しい視点を提示しているものとの評価に達した。現実の興味深い現象を発見し、それを説明するアイデアをうまく定式化する点で、著者はすぐれた研究能力を持っていると認められる。一方で、審査委員会では以下のような要望も提示された。まず、第一の研究が説明する現象として言及されている日本の自動車とベアリング業界の保護育成が成功した理由は、保護期間中の既存企業の体力の増強によるものとするのが定説である。もしも実証に重きを置く研究をするならば、著者のいう国内他企業の参入がどれだけ重要かを、より慎重に検討する必要がでてくる。また、第一研究は、立地モデルにおける移動コストが距離の2次関数であるという通常の仮定に基づいており、これがどこまで一般化できるかの検討が望まれる。ただし、通常の立地モデルに関する研究でも、移動コストを一般化すると純粋戦略均衡が存在しなくなるなどの問題が指摘されており、この点に関しては将来の研究の一層の進展が望まれる。第三の研究の実証分析に関しては、全期間にわたるデータがすべてそろっていないエコノミストが存在し、この事が推定結果に与える影響を考慮する必要が指摘された。以上のような点に改善の余地があるとはいえ、全体として、本論文は博士(経済学)の学位請求論文の水準に達しており、同学位授与に値するという結論に審査委員全員が一致して到達した。なお、第一の研究"Weak Entrants Are Welcome"は、国際的専門誌International Journal of Industrial Organizationに掲載が決まっている。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54731