学位論文要旨



No 114690
著者(漢字) 佐々木,啓子
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ケイコ
標題(和) 戦前期女子高等教育の量的拡大過程 : レジティマシーの構造
標題(洋)
報告番号 114690
報告番号 甲14690
学位授与日 1999.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第64号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 教授 土方,苑子
 東京大学 助教授 広田,照幸
 東京大学 教授 矢野,眞和
内容要旨

 本研究は第一次世界大戦後から昭和初期に焦点をあて、日本の近代化過程のなかでわが国の女子高等教育がいかに量的拡大を果たしたか、その拡大のメカニズムを明らかにすることを目的とした。

 日本の女子高等教育は大正後期から昭和初期にかけて急激な拡大期をむかえる。すでに初等教育は全国的に普及し、中等教育も制度的確立期に入って教員需要を作り出していた。高等女学校では一定数が、「上級学校」へと進学し、高等教育の潜在的需要を作りだしていた。(第一章)また第一次世界大戦後の資本主義経済の進展は産業構造と就業構造を変え、第二次産業に続く第三次産業の拡大は「公務・自由業」と称される専門職、事務職を拡大させ、そうした職業に従事する人々、すなわち新中間層を出現させた。この種の職業は中等以上の教育を受けた女性に活動領域を提供し、経済変動による生活不安とあいまって、高学歴女性の労働市場への参入を促した。(第二章)しかし、中等教育の拡大、新中間層の出現、あるいは産業化の進展や所得の上昇といった要因は女子高等教育拡大の環境を整えるが、急激な量的拡大には実際の拡大を演出する主体、すなわち「政府」「生徒・家族」「教育機関」といった重要な三つのアクターの存在があった。

 まず、一つ目のアクターである「政府」は、実際には女子のために積極的な高等教育政策を画策したわけではなかった。女子高等教育が始めて本格的に審議に付された臨時教育会議でも、明確な方針は打ち出されず、女子大学は時期尚早をして見送られたのであった。しかし明治後期から大正初期にかけての私学の官立並の権利要求と高等教育拡張計画のなかで「専門学校令」と「中等教員無試験検定資格」という、男子の官立の高等教育機関にも与えられる同等の資格を私立の女子の教育機関にも付与したということは、それらの機関を国家の制度として承認する(チャーターリング)という重要な意味をもっていたのであった。(第三章)

 次のアクター「生徒・家族」は、女子高等教育拡大の原動力でもあるが、その多くは、特に第一次世界大戦直後に急増した新中間層であった。新中間層でも、その比較的下層においては職業資格取得を求める動きが顕著であったが、上層では、資産家をはじめとする旧中産階級と同様に、その階層に相応しい文化の形成を高等教育に求めていたのである。しかしこうした進学の動機を明確にした生徒・親はごく一部であって大部分の生徒にとってこのふたつの動機はしばしば混在するし、また全ての生徒をどちらか一方に分類できるものでもない。さらに戦前期の女子にとって高等教育への進学はいずれの階層においても依然として困難を伴った。こうした状況下で生徒・親に何らかの意味付与して進学を正当化(レジティマシー)し実際の進学行動を発動させる機能をはたすのが進学インセンティブである。なかでも中等教員無試験検定資格は多くの「生徒・親」に高等教育への進学を正当化し強力な進学インセンティブとなった。しかし昭和期に入ると高等女学校における進学熱の高まりがそれを表すように、制度化された学校教育が必然的に内在する学問の即自的な価値が社会的に認知され、さらに学校制度のもつ効力が社会的評価を得ることによって、女子の高等教育は多数の生徒・親を進学行動へと巻き込んだ。(第四章)

 こうした「生徒・家族」の進学への価値を実現させる仕組みは、三つ目のアクターである「教育機関」が担っていた。戦前期において政府が女子に提供した唯一の高等教育機関は女子高等師範学校であった。すでに明治中期より全国規模で中等教員を供給していた女高師は、カリキュラム、教員、指導方法にいたるまで強力な範型を示し、女子高等教育と中等教員資格を結び付けるという重要な役割を果たした。女高師と同等以上の教育を条件とし、厳しい審査を要する「中等教員無試験検定」の資格が私立の女子専門学校にも付与されることは、その教育機関の教育レベルが保証され、国家の高等教育機関として位置づけられるということになる。これによって中等教員養成を目的とした女子専門学校は勿論のこと、その存立に社会的承認を必要としたキリスト教主義の女学校や、その財源を地方自治体に依存しなければなかった公立女子専門学校でも、この資格の取得はクリティカルな問題となった。こうして昭和初期には殆ど全ての女子専門学校がこの無試験検定資格を軸とした組織編成をとったことにより、そうした相同的な組織形態をとることがその教育機関の信頼を高め、さらには女子専門学校全体を制度として強固なものとした。(第五章)

 では、これら三つのアクターはどのように相互関連して拡大をもたらしたのか。まず、「政府」の「教育機関」に対する統制は、「専門学校令」による設置申請に対して認可を与えることと、無試験検定の認定に際してその教育水準を厳密に設定することにほぼ限られていた。女子高等教育は私立主導によって展開したのである。中等教員無試験検定資格の認定は各教育機関がこの職業資格の基準を満たす一定の質のプログラムを提示し、国家がこれに対してチャーターを授けることによって成り立っていた。しかし政府のこの統制はあくまでも特権に対しての監督であり私学そのものの自由な発展を統制しようとしたわけではなかった。こうして、政府は積極的に女子高等教育機関を設置したり制度的に整備しようとはしなかったが、「専門学校令」と「無試験検定」という二つのチャーターリングによって個々の教育機関を国家の制度に組み込むメカニズムを作ったのであった。一方、教育機関はこの職業資格によって教育需要を拡大させ、個々の学校の組織基盤を固めていった。こうして女子高等教育は私学セクターで急激に拡大したが、それは必ずしも政府が意図していたわけではなかった。すなわち政府の最小限の基準設定と、チャーターリングにより市場メカニズムが機能し、予期せぬ拡大という状況が作り出されたといえる。

 ところで、このようにわが国の近代化過程において、女子高等教育は中等教員資格と強く結びついて展開したが、そこには学歴と職業と社会的地位の対応関係がある。師範学校あるいは一部高等女学校でも取得可能であった初等教員資格に比べて、はるかにそれ以上のレベルと教育期間を要求される中等教員資格を取得するということは、その生徒がそのような教育を受けるに値する能力とそれを支える家庭の相当の経済力があることを証明するものであった。こうして中等教員資格を付与する学校が、ある階層の文化を教え込む機能も同時に引受けていったことがここでは重要である。すなわち中等教員資格取得者が必ずしも就業するわけではなかったが、そこでの教育が確かに高等教育であり国家に承認された教育であるということを証明するという、就業という本来の目的と離れたところで意味付与されていたということである。こうして教養主義的女子専門学校においても、この職業資格付与が重要な意味をもつこととなった。女子高等教育は男子の高等教育のように国家的人材養成という明瞭なる目的を見出せず、ともすれば私的領域に止まり、その正当性の基盤を見いだすことがしばしば困難である。しかし私的な領域である「文化資本形成」の教養主義的教育が、近代的な学校制度のなかで、まさにそれとは対角線上にある「職業資格」を媒介することによって正当性が付与されるというダイナミックな過程が展開されたのであった。

 このように「生徒・親」に進学を価値あるものとして意味付与する役割を担ったのは個々の「教育機関」であった。その大部分を私学セクターで担っていたわが国の女子高等教育は、経営基盤の脆弱な機関が多く、そうした機関にとって組織存続のために多数の生徒を確保することは最重要課題であった。したがって大多数の私立学校にとって中等教員無試験検定資格の認定を受けることはその学校の公的承認と名声を高める上で必要不可欠であった。まず、先駆的な女子専門学校がこうした無試験資格を組織戦略とし、安定的組織運営を実現したならば、次にはそれに競合する学校がこれを獲得し、さらに多くの学校がその模倣によりこうした組織形態をとる。しかも、それは単なる模倣にとどまらず、政府の認定基準を満たすために査定を受け入れることによって内容的にも同質化を促す。こうして同質的形態の学校が増えれば、それだけ一層、同質的であることによって学校の価値は保証され、そうした相同的組織は強化される。そしてそれはやがて趨勢となり、後発の学校にとっては規範となり、時には強制的意味をもつ。この範型は次第に地理的に拡散し、下位学校をも引き込み相同的な組織が拡大する。さらにその教育が卒業生を通して社会的に認知されれば、その情報は生徒・親に還元され、女子高等教育は自己強化的な拡大に向かう。

 こうして政府による明確な位置づけが示されなかったわが国の女子高等教育も、中等教員無試験検定資格という職業資格と女子専門学校という、国家の制度として承認(チャーターリング)されることによってレジティマシーを獲得し、急激な拡大へとむかった。

審査要旨

 本論文は、日本における女子高等教育の拡大の構造を、その始動期である第一次大戦後の1920年代に焦点をあてて、高等教育政策、生徒とその家庭、そして高等教育機関、という三つのアクターの相互関連の中に解明したものである。

 序章で課題と分析の枠組みを設定したうえで、第1章では女子高等教育の発展の経緯を概観し、1920年代がその量的拡大の始動期として重要な転回点であることを示し、第2章ではこの時期の社会経済的状況を、女子高等教育に対する需要という視点から整理する。

 第3章では、第一のアクターである政府は、女子高等教育を推進する意図をもたなかったものの、私立専門学校に職業資格なかんずく中等教員免許の無試験授与の特権を与える(チャータリング)政策によって、結果として女子高等教育機関に国家による認知を与えたことが指摘される。第4章では各種の手記、アンケート調査に基づく生徒・家庭の進学動機の分析によって、女性の高等教育の職業的あるいは文化的価値は多くの家庭にとって自明ではなかったこと、需要が顕在化するためにはその価値が何らかの形で社会から示されることが必要であったことが示される。そして第5章では学校史などをもとに、多くの女子高等教育機関の発足にあたって教員資格の無試験認定がきわめて重要な意味を与えられていたことを示し、それは無試験認定が女子の高等教育に社会的正当性(レジティマシー)を与え、進学需要を顕在化させることが意識されていたからであったとする。こうして三者の相互関係の円環は閉じるのであり、そうして形成されたプロセスを通じて、一定の入学者さらに卒業生が生み出されれば、それは自己拡大的な過程を生み出していくことが第6章における卒業生の就職状況の分析によってさらに確認される。さらに第7章は、この高等教育拡大のメカニズムを改めて図式化して整理している。

 視野を広くとったためにきわめて多様な領域をカバーし、結果として個々の事実についての厳密な発見・論証手続きに十分といえない部分が残ったこと、また個人の進学動機を論ずる際に各種調査によっては実証的に証明し得ない点もあることなどが指摘された。しかし実証的な中核となる女子専門学校の動向に関しては現在の段階で可能と思われる史料を精力的に渉猟している点、三つのアクターを同時に視野に入れることによって、個別の事項の分析によっては説明し得ない相互作用が存在した可能性を示した点、総じてこれによって教育機会の需要と供給の市場的な相互関係、そしてそれを媒介する政府の役割という、きわめて現代的な視点から女子高等教育拡大の原初的メカニズムを解明したことは、今後の高等教育研究の発展にとって重要な寄与をなすものと評価された。従って本論文は、博士(教育学)の学位にふさわしいものと判断される。

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