学位論文要旨



No 114693
著者(漢字) 宝田,徹
著者(英字)
著者(カナ) タカラダ,トオル
標題(和) 希土類イオンによるペプチドの加水分解
標題(洋)
報告番号 114693
報告番号 甲14693
学位授与日 1999.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4497号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 助教授 八代,盛夫
 東京大学 助教授 石井,洋一
内容要旨 1.緒言

 タンパク質は生体中においてその構造と機能を担う重要な生体物質である。そのタンパク質やペプチドを効率的に加水分解する人工材料が開発されれば、次世代のタンパク質工学の新しい手法となることが期待できる。しかし、タンパク質を構成するペプチド結合は極めて安定な結合であり、生理的条件下での半減期はおよそ350年と見積もられている。したがって非酵素的にペプチド結合を加水分解するには、通常、強酸または強アルカリ存在下で長時間高温加熱する必要があり、生理的条件下で有効に作用する触媒の開発が強く求められている。

 これまでにペプチド結合を切断する触媒として、Co(III),Fe(III),Pd(II),およびCu(II)の錯体が報告されているが、中性条件で高い活性を示すものはないのが現状である。本研究では、希土類イオンおよび希土類-シクロデキストリン複合体が温和な条件でかつ効率的にペプチドを加水分解することを明らかにし、その反応機構について検討を行った。

2.Ce(IV)によるジペプチドの加水分解2-1Ce(IV)によるGly-Pheの加水分解

 Ce(NH4)2(NO3)6(10mM)存在下におけるジペプチドGly-Phe(10mM)の加水分解のHPLCチャートをFig.1に示す。アミノ末端に蛍光物質を結合させて検出するo-phthalaldehyde(OPA)法を用いたところ、分解生成物として、等量のGlyおよびPheが得られた(Fig.1(a))。さらに、酸化的開裂によって生じる副生成物が反応溶液中に存在しないことを1H-NMRにより確認した。Ce(IV)は酸化剤として知られているが、pH7.0,50℃の反応条件では切断反応は完全に加水分解として進行することが明らかになった。また、検出方法としてUV吸収を用いた場合は、分解生成物以外にジペプチドの環化反応によるcyclo(-Gly-Phe)の生成が確認された(Fig.1(b))。これは末端のカルボキシル基とアミノ基間での分子内縮合により生成したものである(Scheme1)。しかしcyclo(-Gly-Phe)の生成量は分解して生成するアミノ酸の生成量に比べてはるかに少なく、pH7.0,50℃という温和な条件でGly-PheはCe(IV)によって効率的に加水分解されることが明らかになった。

Fig.1 HPLC patterns for the hydrolysis of Gly-Phe catalyzed by Ce(IV)at pH 7.0 and 50℃ for 1 day(a)and 2 days(b).Scheme 1
2-2Ce(IV)によるジペプチドの加水分解における基質特異性

 種々のジペプチドもGly-Pheと同様にCe(IV)により加水分解された(Table 1)。反応速度はアミノ酸の種類に顕著には依存しないが、正電荷を側鎖に有するアミノ酸(Arg,Lys)を含むジペプチドの場合は加水分解が抑制される傾向にある。また、全ての基質において切断反応は加水分解で進行し、環化反応はほとんど起こらなかった。

Table 1 Rate constants for the dipeptide hydrolysis catalyzed by Ce(IV)at 50℃ and pH7.0a.

 Ce(IV)によりGly-Pheの加水分解が温和な条件で効率的に進行したのに対して、末端のアミノ基およびカルボキシル基を保護したジペプチド(CBZ-Gly-Phe,Gly-Phe-NH2,CBZ-Gly-Phe-NH2およびcyclo(-Gly-Phe)は同じ条件下ではいずれも加水分解は全く起こらなかった。ゆえに、Ce(IV)による効率的なジペプチドの加水分解においては末端のアミノ基とカルボキシル基が重要な働きをすることが明らかになった。

 一方、Gly-Phe-NH2と同じく末端のカルボキシル基を保護したAsp-Phe-NH2の加水分解は促進され、pH8.0,50℃において72時間後には40%が分解された。ゆえに主鎖のカルボキシル基の役割は側鎖のカルボキシル基によって代わりうることが示唆された。

2-3ペプチド加水分解の金属イオン依存性

 種々の金属イオンの加水分解活性を比較した結果をFig.2に示す。希土類イオン(La(III)〜Y(III))はいずれも高い切断活性を示し、その中でもCe(IV)の切断活性が顕著に高いことが明らかになった。また、Ce(IV)と同じく高電荷であるZr(IV),Hf(IV)も高い加水分解活性を示すが、これらは環化反応も著しく促進させた。Ce(IV)での環化反応の転化率は金属イオン非存在下とほぼ同程度に低いため、加水分解の触媒としてCe(IV)が優れた性質を有することが明らかになった。

Fig.2 Catalytic activities of various metal ions for the hydrolysis(the open bars)and cyclization(the closed bars)of Gly-Phe at pH7.0 and 80℃ for 24 h:[Gly-Phe]0=[metal salt]0=10mM.The corresponding metal chlorides were used,except for Ce(NH4)2(NO3)6.
2-4Ce(IV)によるペプチド加水分解反応の活性種と動力学的検討

 中性以上の水溶液中ではCe(IV)は水酸化物ゲルとして沈殿する。反応の活性種を判定するため、不均一溶液を遠心分離し、上澄みと沈殿のそれぞれにおける加水分解活性を調べた。すると、上澄み溶液に基質を添加しても反応は全く進行せず、逆に沈殿に基質溶液を添加すると反応が進行した。これより、反応の活性種は上澄みに溶存するイオンではなく、Ce(IV)の水酸化物ゲルであることが明らかとなった。

 また、pH7.0においてCe(NH4)2(NO3)6(50mM)の水酸化物沈殿にGly-Phe(10mM)を加えたところ,70%の基質が沈殿に取り込まれることがHPLCにより分かった。これは基質のジペプチドがCe(IV)水酸化物沈殿に取り込まれることによって反応が進行することを示している。

 このようにCe(IV)による加水分解反応は不均一系で進行するが、反応の経時変化は擬一次速度式に良好に適合した。また、Ce(NH4)2(NO3)6を2mM、Gly-Pheを10mMで反応させたところ、48時間後に転化率が44%になり(turnover 2.2)、Ce(IV)が触媒として作用していることが明らかになった。さらに、反応速度のpH依存性を検討したところ、pH6.5〜8.0の領域で反応速度はpHに依存せず一定になった(Fig.3)。

Fig.3 The pH-rate constant profile for the hydrolysis of Gly-Phe(10mM)by Ce(NH4)2(NO3)6(10mM)at 50℃.
2-5ランタニド誘導シフトを用いたジペプチドとPr(III)の相互作用の検討

 反応機構についての知見を得るために,ジペプチドがPr(III)と相互作用することによって生じるランタニド誘導シフトを1H-NMRで測定した。Pr(III)はペプチド加水分解活性を有しながら中性条件でも均一系となるため、反応機構の検討に適している。Gly-Phe(20mM)とPrCl3(20mM)の系において得られたランタニド誘導シフトをFig.4に示す。pDが2.0から5.7に上がるにつれて主にカルボキシル基側のPheの-CH,-CH2のピークが低磁場側にシフトした。続いてpDを5.7から6.8に上げると、さらにアミノ基側のGlyの-CH2のピークが低磁場シフトした。またpD>6.8の領域ではpD6.8で得られたシフトとほぼ同じシフトのままであった。これらの結果は中性領域でGly-Pheが希土類イオンに主鎖のアミノ基とカルボキシル基の両方で配位することを示す。また、中性条件におけるランタニド誘導シフトのPr(III)濃度依存性のグラフより、Gly-PheとPr(III)の錯生成定数K=1.3×103M-1が得られた。

Fig.4 Lanthanide-induced 1H-NMR shifts(ppm)(D2O270MHz)of Gly-Phe(20mM)by Pr(III)(20mM).pD=2.0(a),5.7(b)or 6.8(c).

 同様に、pD3.0においてAsp-Phe-NH2,Gly-Phe-NH2,Asp-Phe,Gly-Pheについて得られたランタニド誘導シフトをFig.5に示す。酸性条件では主鎖のアミノ基がプロトン化するため、Gly-Phe-NH2,Gly-PheにおけるGlyの-CH2にシフトはわずかしか見られない。一方、Asp-Phe-NH2,Asp-PheにおいてはAspの-CH,-CH2に大きなシフトが見られた。これは、Aspの側鎖のカルボキシル基がPr(III)と相互作用をしていることを示している。Ce(IV)によりAsp-Phe-NH2がGly-Phe-NH2よりも効率的に加水分解されたのは、主鎖のカルボキシル基の配位能が失われても側鎖のカルボキシル基で相互作用して、切断されるペプチド結合の近傍にCe(IV)が固定されたからと考えられる。

Fig.5 Lanthanide-induced 1H-NMR shifts(ppm)of the dipeptides(20mM)by Pr(III)(20mM)at pD3.0.
2-6Ce(IV)によるジペプチド加水分解の反応機構

 ジペプチドが主鎖のアミノ基とカルボキシル基とでCe(IV)に配位することにより、ジペプチドとCe(IV)水酸化物ゲルの複合体が生成する(Scheme2)。基質がAsp-Phe-NH2の場合は主鎖の代わりに側鎖のカルボキシル基が配位する。その結果、反応中心のカルボニル炭素がCe(IV)の近傍に固定される。次にCe(IV)の配位水酸基がこれを求核攻撃し、四面体中間体が生成する。Ce(IV)の大きな正電荷がカルボニル基を効率的に立ち上げ、かつ負電荷をもつ遷移状態を静電的に安定化する。ペプチド結合の加水分解における律速段階は、四面体中間体からのアミノ基の脱離である。このとき、Ce(IV)が一般酸触媒として働き、脱離基を安定化して反応を加速していると考えられる。

Scheme 2

 Ce(IV)が顕著に高い活性を示す理由として、配位座がフレキシブルで多数(8〜9個)であることと、大きな正電荷を有するために強い酸触媒となることが挙げられる。

3.Ce(IV)--シクロデキストリン複合体によるジペプチドの加水分解

 上述のように中性以上の水溶液中においてCe(IV)は迅速に水酸化物ゲルを形成し系は不均一になる。将来の応用やより詳細な反応機構の解明には系を均一化させることが必要となる。種々の配位子を検討したところ、Ce(IV)水酸化物ゲルに-シクロデキストリンを添加することにより系が均一化し、かつ加水分解活性が保持されることが明らかになった。加水分解の反応結果をTable2に示す。シクロデキストリンの環状に並んだ多数の水酸基とCe(IV)が相互作用し、水酸化物ゲルの生成を抑制していると考えられる。

Table2 Extent of hydrolysis of dipeptides catalyzed by Ce(IV)--cyclodextrin complexa at 60℃ and pH 8.0 after 24h
4.希土類イオンによるアミノ酸エステルおよびアミドの加水分解

 Ce(IV)の触媒作用についてさらに基礎的な情報を得るためにアミノ酸エステルおよびアミドの加水分解について検討した。基質がアミノ酸エステル(Phe-Me)の場合はいずれの希土類イオンもほぼ同程度の活性を示したが(Table3)、アミノ酸アミド(Phe-NH2)の場合はジペプチドの場合と同様にCe(IV)が顕著に高い触媒活性を示した(Table4)。一般に加水分解の律速段階は、エステルは求核攻撃による四面体中間体の生成であり、アミドは四面体中間体からのアミンの脱離である。ゆえにCe(IV)は脱離過程で強い酸触媒として作用することが明らかとなった。

図表Table 3 Rate constants for the hydrolysis of Phe-Me by lanthanide ions at pH7.0 and 50℃a / Table 4 Rate constants for the hydrolysis of Phe-NH2 by lanthanide ions at pH7.0 and 50℃a
審査要旨

 タンパク質は生体中においてその構造と機能を担う重要な生体物質である。これまでに、タンパク質工学は、目的のタンパク質をコードする遺伝子を天然酵素を用いて組み換えることによって多くの新規有用タンパク質を生み出してきた。しかし一方で、改変されたタンパク質が元のタンパク質と類似の立体構造をとって機能を発現するとは限らない。ゆえに、生理的条件下で立体構造を保持したままでタンパク質を直接に切断・再結合して新規有用タンパク質を生み出す技術は、次世代のバイオテクノロジーの有力な手法となることが期待できる。ところが、ペプチド結合は極めて安定な結合であり、生理的条件下での半減期はおよそ350年と見積もられている。したがって非酵素的にペプチド結合を加水分解するには、通常、強酸または強アルカリ存在下で長時間高温加熱する必要があり、生理的条件下で有効に作用する触媒の開発が強く求められている。これまでにペプチド結合を切断する触媒として,Co(III),Fe(III),Pd(II),およびCu(II)などの錯体が報告されているが、中性条件で高い活性を示すものはほとんどないのが現状である.

 本研究では、希土類イオンおよび希土類-シクロデキストリン複合体が温和な条件でかつ効率的にペプチドを加水分解することを明らかにした。

 第1章は序論である.本研究の背景にあるこれまでの経緯を述べ、さらに本研究を行う目的、意義について記述した。

 第2章では、希土類イオンが、種々のペプチドを温和な条件で効率的に加水分解することを明らかに、さらに分光学、および動力学的に検討した。なかでも希土類イオンの1つであるCe(IV)はpH7.0、50℃の反応条件で、ジペプチドを半減期が数時間のオーダーで加水分解する。加速効果は10万倍以上である。ここで見い出された触媒活性はこれまでに報告された人工触媒のなかで最も高い.

 また同章において、反応機構の検討と高活性発現の要因について考察した。ペプチドの主鎖アミノ基とカルボキシル基、および切断されるアミド結合のカルボニル基がCe(IV)に配位し、カルボニル炭素を配位水酸基が求核攻撃して反応が進行する。その際、Ce(IV)は3価でも安定に存在できるため、高い電子受容性によりカルボニル基が効率的に活性化される。また、8〜9個の多数の配位座を有するので、基質と配位水酸基が立体的に有利な配向がとれる。さらに、ハードな希土類イオンは窒素より酸素との親和性が高いので、アミド結合の窒素原子でなくカルボニル酸素に配位する。そのために他の金属イオンで観測されるアミドの脱プロトンが中性条件でおこらない。このような要因のために、Ce(IV)は高い切断活性を生理的条件下で発現する。

 さらにAsp側鎖のカルボキシル基とCe(IV)の相互作用を利用することにより、より効率的に加水分解が進行することを発見した。この知見に基づいて、タンパク質中のAspとGluの側鎖カルボキシル基がCe(IV)に配位することを利用して、タンパク質を位置選択的に加水分解できることを示唆した。

 第3章では、Ce(IV)とシクロデキストリンの複合体が均一系でペプチドを加水分解することを示した。Ce(IV)は中性水溶液中で迅速に水酸化物の沈澱を形成し、系が不均一となる。これは反応機構の解明と将来の応用に重大な障害となっていた。このCe(IV)-シクロデキストリン複合体は、人工タンパク質分解酵素の活性部位に現在の時点で最も有望な金属触媒の1つであり、将来の大きな発展の可能性を持つ。

 第4章では、種々の希土類イオンのアミノ酸エステルとアミノ酸アミドの加水分解活性を比較し、Ce(IV)のみがアミノ酸アミドを顕著に加速することを明らかにした。アミノ酸アミドの加水分解の律速段階は四面体中間体からのアミンの脱離であり、Ce(IV)がこの段階を酸触媒として効率的に加速する。ここで得られたCe(IV)の触媒作用についての基礎的知見は今後の触媒設計に大きな指針を与える。

 第5章は総括である。ここまでの各章で述べた結果をまとめ、今後への展望を述べている。

 以上のように本研究で示した希土類イオンのペプチド加水分解に対する有効性、ならびに反応機構の解明は,分子生物学、タンパク質工学の分野に大きく寄与し、他方面への工学的応用も期待できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク