学位論文要旨



No 114695
著者(漢字) 李,市じゅん
著者(英字)
著者(カナ) イ,シジュン
標題(和) 『今昔物語集』本朝部の研究 : その構成と論理を中心に
標題(洋)
報告番号 114695
報告番号 甲14695
学位授与日 1999.07.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第226号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 助教授 岩本,通弥
内容要旨

 本論考は『今昔物語集』(以下『今昔』と略称)本朝部の構成とそれを支える論理を探ろうとしたものである。具体的には書承の方法を踏まえた上、構成とそれを支える理念を究明し、さらに各構成との有機的関連を考察し、最終的には各構成の本朝部全体における総合的な位置づけを試みた。考察の結果を各章ごとに整理すると以下のものとなる。

1、仏法部の構成と論理

 本朝仏法部を「仏法史」(巻十一〜巻十二・10話)と霊験譚・因果応報譚(巻十二・11話以後)に分けて考察したが、従来の研究と異なる本稿の見解を列挙すると以下の通りである。

 『今昔』は特定の一宗派に肩入れすることもなければ、特定の一信仰を特に強調することもない。まさに、説話を通して仏法に関するありとあらゆる事象とそれを信仰する多様な階層の人々、地域を網羅し、すべての仏法の世界を具現し体系化しようとする積極的な企図がなければ『今昔』の仏法部は成り立たない。網羅と体系化はそもそも一種の秩序意識に由来するのであって、問題はこの秩序意識を根底から支えるものが何であるかに尽きる。この問いに対する答えは以下の二つの点から求められる。第一は、王権が保護・嚮導し、国家の安寧と天皇の安穏を祈願する理想的な国家仏教を描こうとしたのが「仏法史」を支える第一の理念であったことである。筆者は、寺院間の確執が絶えず、その対策に腐心していた王権、さらに仏法王法相依理念が唱えられた院政期当時の時代的背景を念頭に置くなら、上記の理念による王権の権威こそ、全宗派の網羅、客観的記述、仏法隆盛の宣言、構成の体系化が可能であったと考える。こう考えることで「仏法史」の根本理念を「自国意識」(前田説)、「末法時代における仏法隆盛の確認」(森説)とする従来の説の欠を補足しえたと思う。そして、第二は、従来ほとんど論じられなかった「仏法史」とそれ以後の霊験譚・因果応報譚との関係であって、後者が、仏法隆盛を宣言する「仏法史」に続く仏法隆盛の証(=具体相)であり、救済(霊験の利益)を蒙る人々は信者であると同時に、国家体制に組み込まれた社会の構成員でもある点で、また国家仏教の体系化(仏法、宗派、寺院、塔、法会)に続いて三宝に即した信仰の具体的諸相によって仏法の世界の具体相を体系化している点において、「仏法史」の下部に位置づけられ、それを補完するものであると論証したことである。従って、「仏法史」は本朝仏法部の構成において根幹を成しているといえようが(この点は霊験譚以後を仏法部の読みの中心とする小峯説と相違する)、それを根底から支え、規定するのは国家・王権に他ならないのである。

 理想的な国家仏教の構想は王権を頂点とする統合と秩序回復の希求の表出に他ならず、以上の理解を総合すれば、「国家=王権=公」による全仏法世界の秩序維持こそ、本朝仏法部を貫く『今昔』の論理だったのである。

2、<王法>部の構成と論理I-巻二一〜巻二五を対象に-

 従来の研究と異なる本稿の見解を列挙すると以下の通りである。第一に、巻二二、巻二五の歴史叙述の特徴と巻二五の位置づけの問題である。巻二二における歴史叙述は収録説話の取捨選択、系譜重視の傾向が強い本文及び話末評語などの記述形式を根底から規定していることが確認され、また、巻二五の場合は説話配列において年代順より世代順の原則に重きが置かれていることが確認された。他方、巻二五の位置づけであるが、『今昔』の原初構想において「皇室史」を頂点にして「兵史」が後に配置される技芸譚の性格と重なりながらも、「藤氏史」と共に「王朝史=本朝史」を成していたと捉えるべきであることを、「天下の堅め(『中外抄』)」という認識があった他に、「兵ノ家」とは桓武平氏・清和源氏の二つの流れであった点に着目して、武士の棟梁としての権門的側面から論証した。第二に、「公」という理念が各説話の中においてどのように具体化されているかの問題である。まず巻二二は藤原列伝であるという性格に着目し、同じく列伝の形式を取り、藤原北家の栄華を語る『大鏡』との比較を試み、両作品に見られる王権に対する立脚点の相違を通じて巻二二の「公」中心主義をより浮き彫りにした。すなわち、血縁関係(藤原氏→天皇)の記述によって天皇の権威を相対化し藤原家の権威だけを強調する方向性が孕まれた『大鏡』に対して、『今昔』は藤氏と天皇家の血縁関連記事を排除しようとし、その代わりに「身ノ才」によって「公」に仕えるという論理を前面に出しているのである。

 他方、巻二五・兵譚の「公」中心主義は以下の点をもって論証した。『将門記』 『陸奥話記』の出典および同文的同話との比較から『今昔』は「公」の語を軸として抄出する傾向が見られる点、巻二五における「兵ノ家」とは「公」によって認定され、それに仕えた兵の家系であった点、源平両家のうち、朝廷(公)に貢献の多かった清和源氏が説話の配列上で重んじられた点、「兵」に対する『今昔』の叙述をみると、「公」に対する叛乱(謀反)者とそれを平定する鎮定者という対立の構造が明確に浮き彫りになり、反乱者・鎮定者の両者ともに「公」に収斂しようとした意図が読み取れる点、などがあげられる。

 第三に、巻二一から巻二五までの意図である。巻二二・藤原列伝、巻二五・兵譚には「于今・・・・栄ユ」という表現が多く見受けられる。両巻の意図(主題)について従来の研究は藤氏、兵の個別的な家柄の「繁栄の由来」に止まってしまう傾向があったが、筆者は『今昔』成立の院政期前半の状況とは齟齬があることに着目し、巻二一の皇室史を頂点にそれを共に支えるように構想された両社会集団の繁栄は、究極的に王法の繁栄と無関係ではないと論証した。他方、巻二三・巻二四の肉体的技芸譚・知的文化的芸道譚といった構成そのものが巻二一〜二五を支える理念が「公」であることを雄弁に語ってくれるが、構成からだけではなく、表現レベルにも顕著にそれを認めることができ、両巻の諸芸能は、各々の持っている芸能をもって「公」に奉仕することによって「公」を頂点とする社会機構の中に職能として組み込まれていたのである。最終的に巻二一〜巻二五における『今昔』の意図は王権を頂点として秩序化された理想的な王法の姿(あり方)を描こうとしたと結論づけられる。

3、<王法>部の構成と論理II-巻二六〜巻三一を対象に-

 従来の研究と異なる本稿の見解を簡単に列挙すると、仏法への傾斜を巡って小峯・森両氏の説のうち、筆者は森説を押し進め、仏法部にもみえる話末評語の逸脱、仏法部の関連説話に着目し、それとの比較を試み、本文の受け取り方(話末評語)の考察を通じて仏法への傾斜は巻の主題や構成を覆うほどのものではない点を明らかにした点、巻二六・宿報譚においては、本文内の「宿報」の語の機能(第19話「東下者宿人家値産語」の宿報的寿命観)や「奇異」・「希有」の語と共に「宿報」が発せられること、昔話の「運定め話」との類似に着目して、巻二六は人の運命としか理解できない不思議な出来事を説明し合理化しようとしたのであり、ありとあらゆる事象をできるだけ集め、秩序付けようとする点において王法の世界に参加すると提示した点、巻二八・笑話においては小峯・森・説を継承・批判しながら笑いは改善と予防を促す性格を持っていること、笑われる人への『今昔』の批評が一個人に向けられるに止まらず当時の社会一般が認識している彼らが属する集団のあり方に立脚していることなどに着目して、巻二八は社会秩序の安定に寄与し、そのような意味で<王法>部に位置づけられると論じた点、巻二九・悪行譚においては、悪行が「公ノ御敵」「反王法的存在」であることを再確認し、配列と文章・表現の考察を通じて、王法への収斂と制圧の意図が巻の中でとのように体現されているかを明らかにした点、などである。結局、巻二六以後は「王法」の全世界を描き秩序づけようとした意図の一環であって、巻二五までとは矛盾せず、<王法>部の中で統合されているといえる。『今昔』の非仏教説話群、いわゆる世俗部は、<王法>部と定義してこそ『今昔』の本質に近づくことができると判断される。

4、仏法部・世俗<王法>部を貫く論理と編纂の意図

 仏法王法相依理念を作品の構成に適用する点において、仏法王法相依理念と構成の両者は無縁であるという反論(前田説)か注目されるが、前田氏の説く如く「無縁」だとは必ずしもいえない。なぜなら第一に、仏法王法相依理念は寺院だけではなく、朝廷・王権の方からも唱えられた理念であって、貴族や王権の唱えた「仏法」は、国政・国家的統治と関わっている彼らの職能上、仏法の全体を客観視しつつ一宗派に肩入れしなかった点、第二に、仏法部の「仏法史」(は、王権と仏法の調和的な関係が描かれ、特に仏法減尽の末法が王権が主導する国家仏教によって「仏法隆盛」と捉え返されるなど、仏法王法相依理念に基づく特徴が底流する点、第三に、仏法部、王法部の区分はすなわち全世界を仏法の世界、王法の世界と分割し捉えたことになり、これは仏法王法相依理念における仏法・王法の二元論が院政期当時の人々の世界観であったのと通底する点、第四に、仏法と王権(王法)の対立・葛藤語る説話が『今昔』の膨大な量を考慮に入れると非常に少ない点、第五に、仏法部・王法部の根幹となる「仏法史」「王朝史」が両方とも歴史叙述であり、さらに各々国家仏教の「仏法隆盛」、藤氏や兵、職能の体系の頂点に立つ「公」の繁栄が各々宣言されていて-筆者はこの類似点が偶然とは思えない-、これこそ不安定な現実に対する「仏法」「王法」による秩序回復意識の表れだと理解される点、などが考えられるためである。

 以上が仏法王法相依理念の適用に対する筆者の見解であるが、さらなる問題は『今昔』を仏法部・王法部と二分して捉えるにせよ、両者の併置をどのように理解するかである。例えば、併置の意図を編者の人間の捉え方に帰着する見解(池上説)や、巻二六以後の仏法的要素が<王法>部の編成自体を無効にし、<王法>部は仏法の流布定着すべき世界であるという点ををあげ、<王法>部に対して仏法部を優位とすみ見解(小峯説)がある。<王法>部における巻二六以後の位置づけは前述した通りだが、筆者は以下の点によって以上の見解に従いがたいのである。筆者は本朝部の構成上、仏法部の「仏法史」の方が表現レベルから構成のレベルに至るまで王権との関連が強く、その「仏法史」が仏法部の根幹を成し、霊験譚・因果応報譚がそれを補完している点、他方、<王法>部の根幹といえる巻二一から巻二五までには仏法との関連がほとんど見受けられない点、さらに<王法>の世界に統合される巻二六以後の特徴、などを考慮に入れると、かえって<王法>部の方が構成のレベル上で優位と判断するのが妥当ではないかと考える。従来の研究のように仏法(部)を中心に据えてその周辺として<王法>(部)を解釈するのではなく、その逆の視点も可能ではないかと、筆者は-試論として提示するのである。

 次に『今昔』編纂の意図に関して触れておきたいが、様々な視点から論じられてきた従来の見解(特に、啓蒙、三国仏法史の構成を重視した説)は『今昔』の一側面の説明に留まると判断される。筆者が注目したのは、構成の根幹を成す「仏法史」「王朝史」において、院政期の現実に対する認識と齟齬をきたすにもかかわらず、おのおの理想的な世界が描かれていることである。『今昔』の如上の構想こそ、不安定な現実に対する「仏法」「王法」による秩序回復の希求の表れである。不安定な現実に対する秩序回復の希求は、包括的には、伝統的な身分秩序や価値観-以前の旧体制の担い手によって維持しつづけられた-の流動化と崩壊から引き起こされた社会的事象と群像への凝視・体系化を促し(義江説)、詳しくは「仏法史」において社会不安と政局の破綻をもたらす末法説や寺院間の確執・葛藤を無化し、「王法史」において摂関家である藤氏に対する王権への収斂の試み、新しく台頭した兵の収斂、「公」を頂点とした諸道の体系化により具体的に体現されたのである。そして、ここで看過してはならないのは、以上の仏法部、<王法>部の構成を支え、諸権門(中央貴族、寺社、武士なと)や諸身分の人々、諸事象(話題)の頂点に立ち、秩序の求心力となっているのが王権である点である。<王法>部においては当然であるが、本朝仏法部が「国家=王権=公」による全仏法世界の秩序維持への希求に基づいて構想されたというのは前述の通りである。仏法王法相依理念が語るように仏教と国家体制は運命共同体であるという認識が定着してゆく中、宗派(寺院〉間の亀裂が深刻であればあるほど、体制の危機意識が深まれば深まるほど、王権を頂点とする統合と秩序回復への希求は切実となるわけである。以上のように、『今昔』は院政期という時代の桎梏から抜け出すために、全ての新興世界と群像、そして多極化した価値観を、ありとあらゆる説話を通して、王権を頂点に体系化することを試みたのである。

 最後に編者について述べよう。諸説あるが、『今昔』の企画者を白河法皇とし、その近臣と僧侶筆記者との合作作品であるとする見解(国東説)がもっとも妥当な見解であると判断される。仏教説話集の編纂は説話の編纂と成立圏が密接な関係にあって、多くの場合、特定の宗派の教理(信仰)や宗派・寺院の影響が強く見られ、編纂の動機においても一個人の信仰心、特定の信仰の宣伝の場合が多い。『今昔』の諸特徴を考慮に入れると、従来の説話集の編纂と『今昔』を同列に考えることはできない。『今昔』はあくまで編纂の具体的な過程、例えば書承の方法、説話の配列に、-宗派(寺院)、-信仰に偏らず全ての仏法世界を集めており、仏法とは関係の遠い非仏教説話を網羅しているのである。説話の編纂行為とは資料の収集・配列・叙述など、ある意味で現実的かつ具体的な行為であって、特に主義主張がどの説話集より明確である『今昔』の手法を考慮に入れると、もし特定の寺院(宗派)によって編纂されたならば、『今昔』にみる一宗派に偏らない編纂行為および構成から表現に至るまで王権を中心に据えた作品にはならなかったであろうと考える。

審査要旨

 本論は、その題目が示すとおり、『今昔物語集』本朝部が、どのような構成と論理で成り立っているかを、テキストの徹底的な解読をもとに、同書が、編纂された12世紀初頭の院政時代という時代の状況をも考慮して、全面的に解明しようとした意欲的、かつ画期的な研究である。

 従来この問題は、編者論と一体の形で、王権(院)か寺社(南都)かに論者の意見が分かれ、長年にわたって論じられてきた。しかし、編者を具体的に特定できる具体的・決定的史料がいまだに見出されていないこともあって、甲論乙駁、いずれの主張も万人を説得できる結論を出せていない。

 李市氏は、このような研究状況を招いた大きな原因のひとつに、いずれの立場の研究も本朝部各巻各語のすべてを各立場から検証する作業を行っていない研究の甘さがあると判断し、編者を特定する史料が現れていない現状では、この作業を徹底的に行うことが不可欠と決断し、本朝仏法部およびいわゆる世俗部両部にわたり、各巻の主題と構成を、各巻所収の全説話に即してどのような観点で収録され、位置ずけられているかを丁寧に吟味することを通して把握する作業を敢行した。その結果いわゆる世俗部は王法部と見るべきものであり、巻21から巻31に至るすべての巻と説話は、王法を支え、それに収斂されるべきものとして収録・編纂されており、それに先立つ仏法部(巻11〜巻20)も王権による仏法の保護と体系化の論理で構成されており、結局本朝部全体が王法を支え、又王法によって体系化され、それに収斂されるという構成と論理で貫かれているとの結論に達し、それを踏まえて、編者を同時代の院政臣と僧侶郡と推定し、あわせて、新興諸勢力の台頭する古代末期固有の社会状況が王権に与える危機感が、仏法を駆使しての王権による全社会再統合の意欲を王権に与え、『今昔物語集』本朝部を上述の構成と論理で編纂させる歴史的契機をつくったと論じる。

 以上のような李氏の本研究は、『今昔物語集』本朝部をめぐる研究の上述の如き現状に鑑みると、まさに正攻法で研究のゆきづまりを打開し、この領域の研究水準を一変させ、研究の活性化を促す、極めて説得力ある、雄大な試論と評価することができる。むろん氏の論証に問題点がないわけではない。例えば王法による体系化・収斂という構成と論理をすべて意図的なものと断じうるのか、王法部の各巻タイトルの吟味の不充分、天竺・震旦部の構成と論理との関係など、いずれも再検討すべき、あるいは未解決の問題である。

 しかし、これらの問題点は、本論文が上記の達成を得たところから、必然的に生じる課題であって、本論文の上述の成果を根本的に否定するものではない。

 よって、当論文審査委員会は、本論文を全員一致で博士(学術)にふさわしい論文と判断し、その旨をここに報告する。

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