学位論文要旨



No 114699
著者(漢字) 朴,承榮
著者(英字)
著者(カナ) バク,スンヨン
標題(和) イネワラのアルカリ系蒸解における脱リグニン及び脱シリカの挙動に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 114699
報告番号 甲14699
学位授与日 1999.09.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2069号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 飯山,賢治
 東京大学 助教授 鮫島,正浩
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 序論

 全世界の木材パルプ生産量は約1.6億トン(FAO,1997)である。一方,農業副産物として得られるパルプ化可能なイネ科植物の総量は(ムギワラ,イネワラ)約13億トンである。実に莫大なものであることが分かる。このことは,非木材資源によって木材資源のパルプ化を代替することが可能であることを示唆する。すなわち,非木材のパルプ化利用技術の開発は地球環境の保全,森林資源の保護,あるいは二酸化炭素の固定化に対する寄与が極めて大きいことを意味する。

 通常,ムギワラパルプの収率は38-40%,イネワラのパルプの収率は30-33%である。もし,パルプ収率を30%から70%に上げることが可能ならば,パルプ生産量1t当たりの原料成分の破棄物となる量は2,333kgから428kgに激減させることが可能となることを示し,パルプの高収率化は環境負荷量を激減するのに非常に有効であることが分かる。特に,イネワラのシリカの含量は15-23%であり,シリカの保持はパルプ収率の増加ばかりでなく環境負荷を抑制するのに,非常に重要であると考えられる。アルカリ系蒸解の際,シリカは蒸解排液中に溶出し蒸解薬品の回収に問題を引き起こす。

 本研究では,イネワラの脱リグニンを行う条件によって,シリカの溶出挙動がどのように異なってくるかを詳細に検討した。特に,水酸化ナトリウムによる脱リグニンに焦点をあて,脱リグニン挙動と脱シリカ挙動を反応速度論的に解析し比較した。これにより,アルカリ(NaOH)を用いる限りでは,脱シリカを抑えて脱リグニンを進めることは不可能であることを明らかにした。また,脱シリカに対する他の細胞壁成分の影響についても速度論的な検討を行った。次いで,脱シリカを極力抑制したイネワラのパルプ化法として,酸素・弱アルカリ系蒸解法の可能性に注目し,この蒸解法によるイネワラのパルプ化において,脱リグニン,脱シリカ,炭水化物収率などがどのようになるかを詳しく検討した。これにより,酸素・サルファイトパルプ化法を脱シリカ,ヘミセルロースの分解を抑えたまま脱リグニンを達成できる非常に有効なパルプ化法として提案した。

材料及び方法

 実験1.イネワラをWiley Mill磨砕機で粉砕して得た40-80mesh粉末を80%エタノールで抽出し,供試試料とした。本研究で用いた試料ではシリカが23%,リグニンが13%であった。基本的な蒸解条件は,イネワラ粉末2.0g,液比20:1,反応温度120℃,反応時間2時間である。ソーダ蒸解(一段蒸解,多段蒸解),酸素アルカリ蒸解,アンモニアによる蒸解,中性亜硫酸ナトリウム蒸解,亜塩素酸塩を用いた脱リグニン処理等を行った後,蒸解前後のpH測定,灰分及びシリカの定量,リグニンの定量及び中性糖分析を検討した。

 実験2.イネワラのエターノル抽出した粉末試料を用いて,1段アルカリ処理では,水酸化ナトリウム濃度は0.1Mとし,液比1:100,反応温度を30℃,50℃,70℃の3段階に設定した。イネワラの2段アルカリ処理では,一度アルカリ処理(80℃で120分)した試料について,水酸化ナトリウム水溶液を加えて,シリコンオイルバス中で蒸解温度を100℃,120℃,140℃で再蒸解した。ホロセルロースならびに,二段階にキシラナーゼ(Megazyme社,8000U/1ml)処理したホロセルロースという三つの試料(Xylose:18.6%試料,Xylose:12.1%試料,Xylose:9.2%試料)を調製した。アルカリ処理,及び脱シリカは1段アルカリ処理に示したのと同様に行った。

 実験3.イネワラのチップを用いて,酸素・亜硫酸ナトリウム蒸解,酸素・アンモニア蒸解を行い,比較のために,酸素・水酸化ナトリウム蒸解および単独の水酸化ナトリウム蒸解を検討した。基本的な蒸解条件は,イネワラのチップ5.0g,反応温度120℃,反応時間2時間,酸素圧1.0MPa,液比40:1とした。

結果イネワラのアルカリ系蒸解における脱シリカ反応に影響する因子

 イネワラを原料としてパルプ生産を行う上で最も大きな問題となるのが,イネワラ中に著量に含まれるシリカである。イネワラの蒸解過程において,パルプ中にシリカをできる限り保持すべきなのか,あるいは,除くべきなのかは,イネワラパルプから作られる紙の使用目的によると考えられる。パルプにシリカを保持した場合,水浸透性,インクジェット記録性,不透明度,地合い,紙の剛性が向上することが知られている。一方,パルプに含まれる非繊維細胞のうち,シリカが富む表皮細胞は紙の強度を低下させる。いずれにせよ,蒸解条件によって脱シリカ反応がどのように影響されるのかをを詳細に検討することは重要な課題であると考えられる。

 本研究では,蒸解液の液性を酸性からアルカリ性まで幅広く変え,脱リグニン反応として酸化反応とイオン反応の両者を検討の対象として各蒸解条件を比較した。

 ソーダ蒸解及び酸素・アルカリ蒸解では脱リグニンの進行とともに脱シリカも進行するが,亜硫酸ソーダ蒸解及びアンモニア蒸解で高度の脱リグニンを達成したパルプには,比較的多くのシリカが保持されることが見出された。

 シリカをなるべく保持する蒸解法としては,亜硫酸塩蒸解とアンモニア蒸解,あるいは,酸性下での蒸解を挙げることができ,シリカを除去する蒸解法としては,ソーダ蒸解と酸素・アルカリ蒸解などを挙げることができる。

 蒸解後の各蒸解液のpHと脱シリカおよび脱リグニンとの関係の分析結果から,脱シリカが蒸解液のpHに依存していることは明らかである。アンモニアあるいは中性亜硫酸塩蒸解では,pHが低いことがシリカの脱離を抑えていると考えられる。脱シリカを進めるには,蒸解後pH11.5以上での蒸解を行い,脱シリカを抑えるにはそれ以下のpHでの蒸解を行えばよいことが示唆される。ここで注目したいのは,約30%までの脱シリカは,アルカリ性下でも,中性下でも,酸性下でも,脱リグニンに伴って進行するが,それ以上の脱シリカは反応系のアルカリの強さと温度に強く依存しているという点である。すなわち,脱リグニンの進行と強い相関を持って脱離するシリカと,脱リグニンとは無関係にアルカリの強さに依存して脱離するシリカが存在する。なお,酸素・アルカリ蒸解では,pHが比較的低くても高度の脱リグニンが達成できるため,同程度の脱リグニンを与えるアルカリ単独での蒸解よりも,シリカの保持率が高くなるが,同程度のpHの履歴で比較すると,酸素・アルカリ蒸解の方がアルカリ単独での蒸解よりもシリカの脱離が大きいことがわかった。

イネワラのアルカリ蒸解過程における脱シリカと脱リグニン挙動との速度論的比較

 イネワラのパルプ化の蒸解過程における脱リグニンと脱シリカの関係あるいは細胞壁の成分(炭水化物)間の反応速度論的関係をを明らかにすることは,イネワラのパルプ原料としての利用を促進する上で重要な課題であると考えられる。アルカリによる脱リグニン処理に焦点を当て,その過程での脱リグニン挙動と脱シリカ挙動を反応速度論的に解析し比較した。イネワラのアルカリ処理を第1段(初期から中期にかけての脱リグニン)及び第2段(後期の脱リグニン)に分けて,速度論的な解析を行った。なお,予備実験において,30℃,50℃,70℃,80℃では,チップと粉末でほとんど同様な脱リグニン度を与えたが,本実験においてはより均一な反応の進行が期待できる粉末試料を用いて脱リグニン速度を検討した。アルカリを消費する成分としてイネワラ中にはリグニン,多糖類など木材と共通する成分の他に,著量のシリカが存在する。本実験の測定範囲では,これらの成分によってアルカリが消費された場合アルカリ濃度の変化は最大で約30%に達すると見積られたが,70℃で30分蒸解した場合でもpHの変化はわずかであった(pH12.85→12.74)。したがって,取り扱いを容易にするために擬一次反応として計算した。まず,各温度における脱リグニンの擬一次反応速度定数を求め,それを用いて速度式から計算でえた曲線が実際の脱リグニンの進行とどの程度一致するかを確かめた。次いで,各温度における速度定数からアレニウスの式{K=(A)exp(-Ea/RT)を用いることによって反応速度パラメーター(前指数因子と活性化エネルギー)を求め,さらに,これらの反応速度パラメーターを用いて計算した値が,速度定数の温度依存性についての実測値と一致するかどうかを確認した。イネワラの脱リグニンは異なった反応速度定数を持つ二つ以上のフェーズに分けられる。第一フェーズは,リグニン分解反応などが起こり得ない温和な条件であるが,少なくとも50%以上の脱リグニンが達成される。低温アルカリ処理でイネワラの各部位の脱リグニン反応速度定数は節間,葉鞘と葉身ではほぼ同一であるが,穂では反応速度が小さいことが分かった。全体としてイネワラの脱シリカは脱リグニンよりも反応速度が大きく,反応温度の上昇に伴う反応速度の増加も大きい。したがって,水酸化ナトリウムを用いる限りでは,脱シリカを抑えて脱リグニンを進めることは不可能であることがわかった。キシラナーゼ処理したホロセルロース等を用いた実験より,脱シリカ反応は単なるアルカリへの溶解反応であり,他の細胞壁成分の溶出挙動によってはほとんど影響されないことが示唆された。

脱シリカを抑制したイネワラの酸素・弱アルカリ系パルプ化法に関する研究

 これまでの検討結果から,亜硫酸ソーダ単独,あるいは,アンモニア単独での蒸解では脱シリカを抑えることができるが,濃度,温度及び時間を増加させても効率的な脱リグニンを達成することは出来なかった。そこで,これらの試薬を酸素圧下で用いる酸素・弱アルカリ系蒸解法の可能性に着目して検討を行った。イネワラの脱シリカを極力抑制したパルプ化法として,酸素・弱アルカリ系蒸解法による脱リグニン,脱シリカ,炭水化物収率などについて詳しく検討した。アルカリ(NaOH)を用いる場合は,酸素圧下でもそうでない場合でも,シリカが除去された。これに対して,酸素-亜硫酸ソーダ蒸解と酸素-アンモニア蒸解では,脱リグニンが95%まで進行した場合でも,シリカの保持率は非常に高く,約70%程度であった。分子量分布測定結果から,酸素-亜硫酸ソーダ蒸解のパルプはヘミセルロース区分の割合が高いことが分かった。すなわち,ヘミセルロースが分解せずに保持されていることが炭水化物収率の高かった原因であると考えられた。このことは,中性糖分析の結果とよく一致した。一方,酸素・アンモニア蒸解では他の酸素・アルカリ系蒸解に比べ,ヘミセルロースの保持率が低くセルロースの低分子化も認められたが,その機構は不明である.

 従って,酸素・サルファイト法によるイネワラパルプ化では高度の脱リグニンができ,パルプ収率も高く(約70%),シリカ及び炭水化物の保持も良好であった。

審査要旨

 全世界の木材パルプ生産量は約1.6億トン(FAO,1997)である。一方、農業副産物として得られるパルプ製造原料として利用可能なイネ科植物の総量は(ムギワラ、イネワラ)約13億トンに達しており、その量が極めて膨大であることが分かる。このことは、非木材資源によって木材資源のパルプ化を代替することが、少なくとも量的には可能であり、そのための技術開発は、地球環境の保全、森林資源の保護の観点からも大きな意義を有するといえる。

 イネワラのパルプ化における最大の問題は、原料中に15-23%含まれるシリカが蒸解排液中に溶出し、薬品回収に深刻な影響を及ぼすことである。イネワラのパルプ化におけるリグニン及びシリカの挙動を詳細に検討する事によって、シリカをパルプ中に保持した状態で、リグニンを選択的に除去しうるパルプ化法を見出すことができるならば、今後のイネワラ資源の有効利用を計る上で極めて有益であるといえる。本論文の目的も、まさにこの点にある。本論文は五編からなっており、第一編においては、既往の研究から、ワラ類の木材資源との相違を、組織構造的、化学成分的に比較するとともに、ワラ類のパルプ化に関連した既往の研究について概括するとともに、第五編において本論文を総括している。

 第二編では、イネワラ各部位の化学的性状に関する詳細な分析を行うとともに、イネワラ全体の約40%を占める葉鞘部を試料(以後、とくに断らない限りイネワラと略記する)として、そのアルカリ系蒸解における脱シリカ反応に影響する因子について、酸性からアルカリ性までの多様な条件について詳細に検討している。その結果、約30%のシリカが、蒸解液の液性に関係なく、アルカリ性下でも、中性下でも、また酸性下でも、脱リグニンに伴って脱離するのに対して、それ以上の脱シリカは蒸解液のアルカリの強さと蒸解温度に強く依存しており、pH11.5以上の蒸解液では脱リグニンの進行とともにシリカのほぼ全量の脱離が確認された。このことから、水酸化ナトリウムを蒸解薬品として使用するソーダ蒸解ではパルプ中にシリカを保持した状態でのパルプ化を達成することは困難であり、この目的には亜硫酸塩蒸解あるいはアンモニア蒸解が有効であることが明らかとなった。とくに、170℃という高温での亜硫酸塩蒸解ではシリカの脱離を約30%に抑えながら、98%以上もの脱リグニン度を達成することが可能である。

 イネワラの脱シリカと脱リグニンの速度論的比較を行った第三編では、ソーダ蒸解系における脱リグニン反応を第一段(初期から中期にかけての脱リグニン)及び第二段(後期の脱リグニン)の二段に分けて解析し、脱シリカが脱リグニンよりも反応速度が大きく、反応温度の上昇に伴う反応速度の増加も大きいため、強アルカリである水酸化ナトリウムを蒸解薬品として使用する限り、脱シリカを抑えて脱リグニンを進めることが困難であるとする前編の結論を確認している。また、ホロセルロースに対するキシラナーゼ処理の結果から、シリカの保持とヘミセルロースの存在の間には直接的な関係はなく、シリカの溶出は単なるアルカリに対する溶解反応であるとした。

 第四編では、前編までの結果を踏まえて、脱シリカを抑制した蒸解法としての酸素・弱アルカリ系パルプ化法の可能性について検討している。酸素・亜硫酸ソーダ蒸解及び酸素・アンモニア蒸解では、亜硫酸塩あるいはアンモニアを単独で使用した場合に比較して速やかに脱リグニンを進めることができ、脱リグニンが95%まで進行した場合においても、シリカの保持率は約70%と非常に高い値であった。さらに、前者においてはヘミセルロースを含む炭水化物の収率が高いことも大きな特徴であった。一方、酸素・アンモニア蒸解ではヘミセルロースの保持率が低く、セルロースの低分子化も認められたが、その反応機構については不明である。以上の結果から、シリカをパルプ中に保持したイネワラのパルプ化法として、酸素・亜硫酸ナトリウム蒸解法が有効であると結論される。本法は酸素・アルカリ蒸解法の持つ優れた脱リグニン特性と、弱アルカリ系の持つシリカ保持特性を兼ね備えたものであり、イネワラのみならずシリカ含有量の高い他の非木材資源のパルプ化に広く適用が可能であると考えられる。

 以上、要するに本研究はイネワラを中心とした非木材資源の有効利用にとって不可欠の技術であるシリカの制御について、非常に重要な知見を明らかにしたものであり、この成果が関連する学問分野の今後の研究に寄与するところが極めて大であることは言うまでもない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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