学位論文要旨



No 114701
著者(漢字) 佐野,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) サノ,テツロウ
標題(和) 脳腫瘍における新規癌抑制遺伝子MMAC1/PTENの検討
標題(洋) Analysis of MMAC1/PTEN in Brain Tumors
報告番号 114701
報告番号 甲14701
学位授与日 1999.09.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1523号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 助教授 小田,秀明
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨

 MMAC1/PTENは1997年に我々のグループおよびコロンビア大学のグループにより脳腫瘍(glioblastoma)細胞株、乳癌細胞株から同定された新規の癌抑制遺伝子である。その遺伝子座やその塩基配列は同定されたものの、各種組織における発現や、正常組織におけるMMAC1/PTENの機能、信号伝達経路など未解決の問題が多い。そこで本論文の第1章「MMAC/PTEN:multiple debuts,mutations and possible functions」ではMMAC1/PTENの発見から現在に至るまでの研究の総括をするとともに、その問題点を明らかにした。第2章「Differntial expression of MMAC1/PTEN in glioblastomas:relationship to localization and prognosis」では、gliomaでのMMAC1/PTENの発現をRT-PCRと免疫組織化学的手法を用いて検討、さらにそれらと生存時間との関係を統計学的手法にて明らかにした。以下に要旨を述べる。

第1章

 Glioblastomaにおいて第10番染色体の欠損は高率である。約75%の検体に欠損がある一方で、high-grade gliomaやlow-grade gliomaでの欠損は少ない。このことはhigh-grade gliomaやlow-grade gliomaからglioblastomaへ悪性化する段階で第10番染色体の遺伝子が不活化しているということを示すものである。また各種癌組織においても第10番染色体の欠損は高率である。小細胞癌(肺癌)では80%に、前立腺癌では50%に認められる。このことは第10番染色体の遺伝子がglioblastomaばかりでなく、多くの癌で悪性化に関与していることを示す。

 1995年までに我々のグループはこの悪性化に関与すると考えられる遺伝子座を10pter-q11と10q24-26の2点に絞った。そして1997年に10q23.3に存在するMMAC1を報告するに至ったのである。

 MMAC1/PTENとはmutated in multiple advanced cancers 1およびphosphatase and tensin homolog deleted on chromosome tenの略である。この遺伝子は、第10番染色体の長腕10q23.3に存在し、403アミノ酸をコードし、9つのexonを持つ。MMAC1/PTENのmRNAは5.5kbで分子量は47kDaである。MMAC1/PTENはprotein tyrosine phosphatase、細胞骨格タンパクのtensin、auxilinと相同性を持つ。

 我々のデータならびに1998年7月までに渉猟しえた文献を検討したところ、約400の細胞株、約2400の腫瘍検体、約180家系の癌関連遺伝病(Cowden病やBannayan-Zonana syndrome)でMMAC1/PTENの検索がなされていた。約2400の腫瘍検体中244検体(10%)にmutationが報告されており、特にglioblastoma(21%)と子宮癌(38%)に高率に認められた。一部の例外を除いてmissense mutationはtensin、auxilinと相同性を持つ塩基配列の部分に多く認められる傾向にあった。Glioblastomaではmissense mutationやframeshiftが多かった。第129番アミノ酸のmissense mutationや第233番アミノ酸のnonsense mutationなどが高率に認められた。Low-grade gliomaやhigh-grade gliomaではMMAC1/PTENのmutationが希にしか認められないことから、MMAC1/PTENはglioblastomaへの悪性化の最終段階で不活化しているものと考えられた。

 MMAC1/PTENは、その相同性から、protein tyrosine kinaseに抗して細胞の増殖を抑制するとともに、細胞骨格タンパクとして細胞接着や細胞間の情報伝達に関与し、細胞浸潤や転移を抑制する癌抑制遺伝子であると予想される。

 現在までのところ、MMAC1/PTEN導入細胞株が細胞増殖抑制するのに対し、mutated MMAC1/PTEN導入株ではこの傾向が認められないこと、MMAC1/PTEN導入細胞株はtyrosine phosphatase substrates(p-NPP,OMFP)を実際に脱リン酸化すること、この信号伝達経路にはPI3-kinase/Aktpathwayが関与し、MMAC1/PTENを強制発現させた場合、PtdIns(3,4,5)P3が減少して、この経路を抑制することが明らかになっている。また細胞骨格タンパクとしてFAKに抗し、細胞浸潤を抑制することが知られている。さらにMMAC1/PTEN knockout miceの検討では、Cowden病様の症候を示す病理組織変化が認められ、直腸癌などの発癌が観察されている。この他にもMMAC1/PTENはPDZ domainやSH2 domainを持つがその機能は不明である。

 Mutational analysisからMMAC1/PTENは発癌の過程で重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。しかしその機能、信号伝達経路についてはその全体像がまだ捉えられていないのが現状である。

第2章

 腫瘍検体においてMMAC1/PTENの検討を行なう場合、検体からDNAを抽出した後、10q23.3を挟む数種類(最低3種)のmicrosatellite markerを用いてLoss of Heterozygosityの有無の検索を行ない、sequence analysisにてmutationの有無を検討する。しかしこの方法は手技が煩雑であるばかりでなく、その結果を得るまでに最低でも2週間、通常では1ヶ月の時間を要する。Mutational analysisにてMMAC1/PTENの重要性は証明されたが、これでは臨床の場で診断的価値を検討するのは困難である。そこで我々は、RT-PCRと免疫組織化学的手法を用いてMMAC1/PTENの発現を検討した。

 今回115例のgliomaにおいてRT-PCRの検討を行なった。115例の内訳はglioblastoma73例、high-grade glioma24例、low-grade glioma18例であった。また脳腫瘍近傍の形態学的に正常な組織15例も得られたのでこれも比較検討に加えた。Primer setsはMMAC1/PTENのうち約600塩基を増幅するが、pseudogene of MMAC1/PTENの検出を避けるため、PCR productをNsiIで処理したのち電気泳動を行なった。また半定量的検討を行なうため、enolaseのprimerも同時に加え、競合的PCRを行なった。MMAC1/Enolase比にて半定量化を行なうと、正常組織、low-grade glioma、high-grade gliomaではその値が0.520、0.444、0.445と比較的高値なのに対して、glioblastomaでは0.293と低値であり、その差は統計学的に有意であった(p<0.001)。すなわち、Mutational analysisの結果と同様に、MMAC1/PTENはその悪性化の最終段階で不活化されていると考えられた。

 MMAC1/PTENの免疫組織化学的検討は50例のgliomaについて行なった。GST fusion protein法にてMMAC1/PTEN抗原の精製を行ない、rabbitに免疫、得られた血清をProtein Aカラムを用いて精製しMMAC1/PTEN抗体を得た。パラフィン包埋腫瘍片を脱パラフィンの後、MMAC1/PTEN抗体を1:1000に希釈して加え、ABC peroxidase法にて検出した。Glioblastoma42例中13例がMMAC1陽性であった。Relative RT-PCRと比較すると概してこれと同様の傾向を示した。

 前述の115例の脳腫瘍症例中、その後のfollow upが可能であった症例は89例であった。Relative RT-PCR法と生存時間との関係をKaplan-Meier法にて検討した。0.460をcut pointとすると2群間に生存時間の差が認められた(hazard ratio 3.3:95% CI1.6,4.3:p=0.0003)。すなわちRelative RT-PCR値が0.460以上場合、生存時間がそれ未満に比べて長いことを示す。

 以上の結果から、MMAC1/PTENをRT-PCR法および免疫組織化学法にて検討する方法は臨床検体において極めて有用であり、かつMMAAC1/PTENはglioblastomaの予後因子ともなりうると考えられた。

審査要旨

 Glioblastoma(神経膠芽腫)は最悪性型の脳原発腫瘍である。現在までの分子病理学的知見では、第10番染色体の広範囲の欠失や第7番染色体上に存在するEGFRの増幅が高頻度に認められる。第10番染色体のloss of heterozagosity(LOH)は実に80-95%で認められ、glioblastomaの最も特徴的な分子病理学的所見と考えられている。

 MMAC1/PTEN(主論文ではMMAC/PTENと標記、以下同様にMMAC/PTENと標記する)は第10染色体長腕上に存在する新規の癌抑制遺伝子で、phosphatidylinositol triphosphate phosphataseとして作用し、細胞の増殖とapoptosisに関与すると考えられている。各種の癌組織においてMMAC/PTENのsomatic mutationが報告され、特にglioblastomaでは約10-35%にmutationが見出されている。今回、外科的手術により摘出されたglioma組織において半定量的RT-PCR法と免疫組織化学的手法によりMMAC/PTENの発現の検討を行った。

 検体はすべてThe University of Texas,M.D.Anderson Cancer Centerにおいて外科的手術施行時に得られたものである。Modified Ringertz grading systemにより組織学的に分類された。120例の腫瘍検体中、glioblastomaが78例、それ以外のastrocytomaやoligodendrogliomaなどのlower grade gliomaが42例であった。また腫瘍近傍の組織学的に正常な15例も検討に加えた。

 凍結切片よりMacro-fast track isolation kitによりmRNAを抽出した。MMAC/PTENのPrimer setsは約550塩基を増幅するようにデザインした。Pseudogene of MMAC/PTENの検出を避けるため、PCR productをNsiIで処理した後、電気泳動を行なった。またenolaseのprimerも同時に加え、競合的PCRを行なった。MMAC/enolase比にて半定量化を行なうと、正常組織、lower-grade gliomaが0.52、0.44と比較的高値なのに対して、glioblastomaでは0.30と低値であり、その差は統計学的に有意であった(Figure 1b,p<0.001)。すなわち、MMAC/PTENはその悪性化の最終段階で不活化されていると考えられた。さらにLOHがすでに検索されている50例について、LOHの有無とRT-PCR値との関係を検討すると、LOHのあるものはRT-PCR値も低い傾向にあるという結果が得られた(Figure 1c)。

 次にMMAC/PTENのC terminal側のアミノ酸配列をGST fusion protein systemに導入してpeptideを合成、これをrabbitに免疫してpolyclonal抗体BL-72.4を得た。この抗体の特異性を検証するため、adenovirusによりMMAC/PTENを導入したhuman glioma cell(ad-MMAC U251)を用いて、Immunoprecipitation(IP)とwestern blotting(WB)を行った。Ad-MMAC U251ではIP、WBとも55kD付近に特異的なbandを示した(Figure2a、2b)。

 さらに免疫組織化学的検討を計50例のgliomaについて行なった。BL-72.4抗体を1:1000に希釈して加え、ABC peroxidase法にて検出した。Glioblastoma42例中29例(69%)は陰性かわずかに染色されるのみであったのに対して、13例(31%)は陽性であった。今回の検討では核が特徴的に染色された。代表的な症例をFigure3に示した。また8例のlower grade gliomaについても同様の傾向を示した。

 また前述の腫瘍検体120例中、その後のfollow upが可能であった症例は89例であった。このうち61例はglioblastomaであった。Kaplan-Meier法により相対的RT-PCR値と生存時間との関係を検討した。0.460をcut pointとすると2群間に生存時間の差が認められた(hazard ratio 3.3:95% CI 1.6,4.3:p=0,0003)。また患者の年齢や悪性度を考慮に入れたmultivariate analysisでも同様の結果を得た(hazard ratio 2.4:95% CI1.4,4.6:p=0.02)。すなわちRT-PCR値が0.460未満場合、生存時間がそれ以上に比べて短いという結果を得た(Figure 4b)。

 以上、本論文は脳腫瘍検体、特にgliomaにおいて、MMAC/PTENの発現をRT-PCRと免疫組織化学的手法を用いて検討、さらにそれらと生存時間との関係を統計学的手法にて明らかにした。そしてMMAC/PTENがgliomaの予後因子ともなりうろことを初めて示したものである。このことはgliomaにおいてMMAC/PTENが癌抑制遺伝子として重要な役割を果たしていることを示唆するものであり、本分野の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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