内容要旨 | | この論文の主要な目標は、インド・オリッサで話されるインド・アーリア語、オリヤ語の関係代名詞と疑問代名詞はそれぞれに固有の意味によって特徴づけられることを明らかにし、その知見の一般言語学的な意義を考察することである。同時に、関係代名詞と疑問代名詞およびそれに関わる諸要素に関して体系的な・詳細な記述を提供することを意図する。オリヤ語のこれら二単語には、ヨーロッパの諸言語や南アジアの比較的知られた諸言語の対応する単語には見られない現象が見られ、それらに関して言語間の対照を行いオリヤ語の特性や言語間の変異を浮き彫りにしていく。 第1章では、導入である。この論文が認知言語学的な言語観を記述・説明の枠組みとして採用することを述べ、その考え方の概要を解説する。また、データ採集のために主にインド・オリッサで、また一部東京で行った現地調査の概略を述べた。 第2章では、本体の議論に必要な、オリヤ語についての情報-この言語の地理的・歴史的な位置づけ、文法的特徴-を概説する。 第3章では、関係代名詞の統語的側面をあつかう。諸用法を構文の統語的な特徴によって分類しながら記述し、そのデータに基づいて、関係代名詞は考えられる統語的用語のどれによってもそれを特徴づけれられないと主張する。言語学では伝統的に、関係代名詞は関係節を作るものだと統語的な定義がなされている。この定義には次の3つが含意されている。(i)名詞・形容詞などの実質的な語の現れる位置に現れる。(ii)従属節を必要とする。(iii)同一指示の名詞句を必要とする。しかし、オリヤ語の関係代名詞には、3つのどれかが当たらない用法や、3つのどれも当たらない用法がある。これら3つの統語的特徴は諸用法が構成する「家族的類似」(family resemblance)を構成しているにとどまるのである。 オリヤ語の関係代名詞と、他の言語の関係代名詞とを統語上の分布に関して対照する。前者に可能な用法の多くが後者では不可能であり、この事実から後者に特有の諸制約があることが明らかになる。また、そのような諸制約が存在する動機づけを述べる。 第4章は、関係代名詞と疑問代名詞の意味的な側面をあつかう。これら二単語は、次のような固有の意味を持っていると論ずる。関係代名詞は「その指示物が談話世界に存在することが前提とされる」ことを示す。疑問代名詞は「その指示物が談話世界に発話に先立って存在しない」ことを示す。両単語のほか、これと共起するいくつかの小辞も、それぞれに固有の意味を持っていると論ずる。例えば、日本語の「も」の諸用法を包含する小辞biは「考慮する領域を拡大する」ことを表す。取り扱う各単語にはさまざまな解釈がえられるが、それは単語自体の意味と、共起する表現の意味との相互作用から派生するものであると論じた。 第5章は、関係代名詞の照応上の性格を記述しそれを説明する。照応関係に適用する諸制約(これには生成文法で言う束縛条件も含まれる)は文中に現れる要素の意味的解釈に関わるものであり、また、その解釈は要素に固有の意味的実質に由来するものだと論ずる。 第6章では、関係代名詞に関する変異を扱う。オリヤに特徴的な関係代名詞の一用法についての話者間の判断の違いを記述し説明するほか、この用法が成立した歴史的過程を再建する。また、オリヤ語にはないが他のインド・アーリア語に見られる関係代名詞の用法についても触れる。 |
審査要旨 | | オリヤ語はインド東部オリッサ州の公用語として約3,000万人の人々によって話されているインド・アーリヤ系の言語である。ヒンディーやベンガーリーに比べれば研究されることの少なかったこの言語について,著者はインド留学期間とその後の現地調査に基づいて,特に関係代名詞と疑問代名詞の用法を網羅的に扱い,他の現代インド諸語には見られない興味深い特徴を見いだした,と主張する。 全体的な方法論に関する第1章,オリヤ語の文法概観である第2章に続いて,第3章から第6章(58-404頁)が本論文の主要部である。「関係代名詞の統語論」と題する第3章では,相関構文(Correlative)・不定構文(Indifference)・分裂構文(Cleft)と著者が名付ける構文における関係代名詞の用法について,それぞれをI,II,IIIのタイプに分類して詳細に記述する。第4章は「関係代名詞と疑問代名詞の意味的側面」と題して,意味の面からこれら2種類の代名詞の用法を記述する。英語などの一部の言語と違ってオリヤ語では関係代名詞と疑問代名詞がはっきりと異なる外形を持つ。にもかかわらず,両者は同一の構文でほぼ同じ意味を表すために用いられることがあり,また場合によっては関係代名詞か疑問代名詞かのどちらか一方のみが文法的に許容されることもある。このような用法の対比から,「関係代名詞は、談話的世界に存在することが前提とされる概念を表すのに対して,疑問代名詞は同じく前提とされない概念を表す」という意味の定式化を導く。関係代名詞の照応的(anaphoric)性質」と題する第5章では,オリヤ語の関係代名詞と指示代名詞(先行詞)との照応関係の諸条件を扱う。特に倒置された語順が許容される条件および生成文法等でいう「束縛条件CおよびB」が働いている場合の条件を,意味的側面から解明しようとする。「相関構文の変異と歴史」と題する第6章では、関係代名詞の代表的な用法である相関構文(Correlative)に特徴的な前半部と後半部の形式的対照性が,プロトタイプを形成しており、この構文の様々なヴァラエティの個々の話者による受容可能性に影響していることを論ずる。さらに、オリヤ語に特徴的な相関構文のタイプIIが、どのような過程でより一般的なタイプIから発生したかを推定しようと試みている。 著者は事実上の国際語といえる英語をあえて表現手段としたが,英語表現に充分熟達しているとはいえず,誤りも少なくない。また個々の議論の論述も、深く考えていることは理解されるが、考えた結果を明晰な形に整理して提出しているとは必ずしも言いがたい。このような欠陥にも関わらず,オリヤ語という比較的研究されることが少ない言語の興味深い文法現象について、さまざまなインフォーマントから得られたデータを相互にチェックし、一貫した枠組みの下に提示しようとしたことは十分評価される。本論文の欠陥は将来克服されるべき課題であり,提出された成果の肯定的評価を妨げるものとはいえない。以上の点から本論文は博士(文学)の学位を授与するのにふさわしいものと認められる。 |