学位論文要旨



No 114705
著者(漢字) 日向,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒュウガ,タロウ
標題(和) ウェルギリウス『アエネーイス』における造形芸術作品描写
標題(洋)
報告番号 114705
報告番号 甲14705
学位授与日 1999.09.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第256号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 逸身,喜一郎
 東京大学 教授 片山,英男
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 助教授 浦,一章
 東京都立大学 助教授 大芝,芳弘
内容要旨

 造形芸術作品描写(エクフラシス)は、『イーリアス』以来伝統的技法としてギリシャ・ローマの叙事詩に定着してきた。とくに、ウェルギリウス(紀元前70年-同19年)は、ローマの建国叙事詩『アエネーイス』において、この技法に対する際立った愛着を示しており、全編中十箇所で用いている。本論考は『アエネーイス』において、造形芸術作品描写がどのような機能を担っているかを考察し、その独自性を明らかにすることを目的とする。

 古典後期の修辞学文献に見い出される「エクフラシス」の定義を手掛かりに、造形芸術作品描写の機能は三つに分類できる。すなわち、(一)描写対象の外観を視覚的に再現する機能(視覚的特徴の報告機能)、(二)図像主題にかんして非視覚的あるいは時間的な要素を伝えたり、造形芸術作品の成立を解題する機能(図像の解釈・解題機能)、(三)叙事詩全体に自らを関連づける機能、である。(三)の機能については、さらに二つの場合に分類できる。一つは作中鑑賞者が存在し、造形芸術作品が登場人物たる鑑賞者に何らかの影響を及ぼす(それゆえ筋立てにも影響が及ぶ)場合である。もう一つは、作中鑑賞者とは無関係に、図像主題と叙事詩が何らかの関わりを帯びる場合である。

 本論においては、上記の各機能を章立ての枠組みとして、第一章、第二章、第三章のそれぞれにおいて(一)、(二)、(三)の機能を取り扱った。第三章は二つの節で構成され、第一節では鑑賞者を前提する場合を、第二節では前提しない場合を問題にした。それぞれの機能に即して、『アエネーイス』の造形芸術作品描写を伝統的な技法や先行詩人の描写手法と比較検討した結果、ウェルギリウスは一世代前の代表的ラテン詩人であるカトゥッルス(第六十四歌)に比べ、ギリシャの詩人(ホメーロス、「ヘーラクレースの盾』の作者・アポッローニオス、テオクリトス、モスコス)が示した伝統的な造形芸術作品描写技法に忠実に従っている、と結論づけることができる。しかし、ウェルギリウスは自己の創作巨的に応じて、従来の伝統的な技法には認めることのできないような独自性をも示している。それは、以下の三点にまとめることができる。

 第一に、詩人は伝統的な表現様式の拡張を実践している。たとえば、鑑賞者と図像との緊密な結び付きを表現するために、ホメーロスがヘーパイストスの武器作りを描写するために用いた「制作を表す動詞+図像の題材」を「視覚動詞+図像の題材」に変換している。また、図像中の人物の動作表現が細かなニュアンスを帯びるように、ギリシャの詩人よりも幅広い時制のヴァリエーションを採用している。

 第二に、一貫性への志向が顕著に現われている。第三章でも考察したように、造形芸術作品が登場人物の鑑賞を介して筋立てに関わる、あるいは図像の主題が叙事詩の主題と呼応しているという意味においての描写部分の一貫性は、当然ながら保たれている。しかし注目すべき点は、たとえば第二章(3)でも考察したように、造形芸術作品の成立事情を述べる箇所においてさえも詩人は単なる解題に留まるのではなく、解題を通して『アエネーイス』を貫く中心主題を顕在化していることである。

 第三に、先行文学の特定箇所、とりわけ叙事詩の背景となる歴史への暗示を通して、詩人は描写が多重な意味を帯びるように工夫を凝らしている。もちろん、こうした工夫には、『アエネーイス』の図像がトロイア戦争(ユーノー神殿の装飾)やローマの歴史(アエネーアースの盾)を主題としているという事情が大いに関係している。しかし、見逃してはならないのは、暗示が、例えば図像主題の陳述とは本来無関係に行われてきた色彩や素材への言及に際しても、含まれているということである(第一章2.3及び3.2)。ウェルギウスは、効果的な文彩を用いて、同時代の読者の歴史的・文学的知識や共同体意識に訴える。そうすることで、描写対象ないし鑑賞場面は叙事詩内部の造形芸術作品としてばかりではなく、歴史的あるいは文学的な文脈のなかで意味づけられることになる。

 造形芸術作品描写を自作に盛り込んだ後代のラテン叙事詩人と比較すると、三つの特徴のなかでも際立っているのは第三の点である。後代の造形芸術作品描写においては、描写対象がどれほど表現上の限界を克服し、現実に肉迫しているかを印象づけるための新しい表現様式が考案された。また、半ば形式化されて必然性は失われたとはいえ、図像主題と叙事詩との関連づけにも配慮はなされた。だが、作品の外にある歴史的・文学的な要素への暗示をウェルギリウスほど巧みに行った作家は、以後ラテン文学史上に輩出しなかったのである。

審査要旨

 ギリシャ・ローマの叙事詩の伝統技法のひとつに造形芸術作品の克明な描写がある。日向氏の論文はこの技法が、ウェルギリウスの『アエネーイス』においていかに用いられており、かつそれが作品全体とどのように連関しているのか、という問題意識に基づき、該当個所を網羅し、それらを「機能」という観点から調べあげた労作である。

 この技法を近代の研究者は、古代末期の修辞学者の文献に見いだされる単語に基づいて「エクフラシス」と称している。日向氏は序論においてこれらの修辞学文献から、本論のみっつの章の題名となっている機能を抽出する。

 第一章は「視覚的特徴の報告機能」を扱う。ここでは特にウェルギリウスの語法の特徴が、ホメーロス以来の先行作品と比べることによって明らかにされる。一例をあげれば、たんに造形物の材質を描写しているようにみえる箇所にあっても、ウェルギリウスはそこに象徴性を帯びさせている。伝統的な表現様式の拡張である。

 第二章は「図像解釈の機能」と題される。しかしこの章での分析はそれにとどまることなく、意図的に省かれている図柄(神話の知識からすれば当然あってしかるべきにもかかわらず落とされてしまっているモチーフ)にまでふみこむ。その結果、ウェルギリウスという詩人は、むしろ省略によって、『アエネーイス』という作品全体の主要テーマを浮かび上がらせる、という工夫をも用いていることが明らかになる。

 第三章では「造形芸術作品の描写部分とそれを包括する叙事詩本体との関連」が考察の対象となる。作中人物が当該作品を眺めることによって、どのような反応をするか(「劇的機能」)、それがそのあとの行動にどう影響するか、といったことへの分析である。あるいは『アエネーイス』の場合、物語に設定されている時代よりもはるか後代の出来事、すなわちローマの現代史までもが主人公が贈与される盾に刻まれている、という先行作品にはみられない特徴がある。そのことの意味が、図柄ひとつひとつに即して、事件と作品全体の主題の両方に着目することで考察される。

 論文全体としては個々のパッセージの綿密な解釈に最大の利点が見いだせよう。ただし解釈はときに個々の描写と作品全体とのあいだに連関を認めようとする余り、ややもすると連想に走りすぎるきらいがある。また全体の章わけ・結論の提示の仕方など、論述の構造に不備なしとはしえない。しかしながら膨大な二次文献を整理して、なおかついくつかの重要な知見に到達しえたことは賞賛に価する。よって博士(文学)を授与するにふさわしい論文であると判断する。

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