映画における空間の表象について述べる時、人は、映画というメディアの形態的な限界を反映した最大のパラドックスに否応なくぶつかる。つまりそれは、映画の画像が映し出されるスクリーンが平面に他ならないということだ。そこには奥行きはない。それゆえに、観客に対してスクリーンに奥行きを知覚させることこそが監督の課題なのである。そして平面的なスクリーンの中に奥行き、高さそして広がりを創り出すことが映画における空間の表象なのである。成瀬映画において、観客は、自らの視点が置かれている「場所」が分からなくなったり、腑に落ちない移動をその「場所」の中でさせられたりすることはない。何故なら、成瀬のカメラは常に建物の姿を提示するために移動し、登場人物の動きに合わせてアングルや位置を変えているからである。成瀬は大抵の場合、通常の3方向の壁を持つセットよりさらに費用がかかるにも係わらず、4方向の壁を持つセットを使い、全てのアングルからの撮影を可能にしている。成瀬作品では、室内を映す最初のショットは、隣接する部屋から撮影される場合が多く、襖で仕切られた日本の部屋の空間を充分に活用している。 フィクション映画の監督とは、つまりは空間の創造者である。そして多くの要素が映画的「世界」の創造に関わっている。そこには照明、演技、音楽、セットデザイン、カメラワークといった技術的要因も含まれるが、しかしそれらに限定されているわけではない。全てはドラマが起きるにふさわしい「場所」を監督が作り上げるための要素である。この研究は、成瀬巳喜男監督(1905-1969)が、『銀座化粧』(1951)から『女が階段を上る時』(1960)までの10年間に創造した「場所」に焦点を置いている。筆者が特にこの時期を選んだ理由は、それが監督の一貫した作品作りのために集結した技術スタッフの能力のすべてが見事に発揮された時期であるからだ。作品の物語自体はそれぞれに異なるが、組み込まれた空間の形態は比較的統一性がある。筆者は、この手法についてより詳しく分析することが、成瀬が映画的空間を創造する名人であることを確認させる一貫したパターンを明らかにする、そう確信している。 これまでに成瀬の全作品における空間を分析したものはほとんど存在していない。つまり、成瀬の空間の使い方を充分に考慮した研究はないということである。この論文は、そうした大きなギャップを埋めることを目的とする。 映画とは結局は視覚媒体であることから、この論文は成瀬の作品からのスチール写真を多く掲載している。それらは、映画館で観客が目にするものとは異なる場合がある、いわゆるプロダクションスチールではない。ここで使用されるスチールは映画から切り取られたものである。(プロダクションスチールも数枚含まれるが、その旨記載されている。)監督や製作スタッフによって書かれた図画等も参照として掲載されている。また、筆者自身によって作成された日本映画産業についてのデータを含む表は、今回初めて英語にされたものである。さらに、筆者と成瀬恒子夫人、岡本喜八監督、俳優の小林桂樹、香川京子、他関係者とのインタビューの内容も記載されている。 他の歴史的研究と同様、いくつかの資料はすでに失われてしまっている。この論文で主に言及する対象の範囲を1951年から1960年の10年間に製作された作品に限定しているもう1つの理由はそこにある。この期間はしばしば「日本映画の第2の黄金時代」と形容される(一般には1930年代が「第1時黄金時代」とされている)。こうして分析の範囲を限定することには利点がある。つまり、成瀬の全98作品を扱おうとするよりも、特定の時期に分析を集中させることで、成瀬とその製作チームとの細かい編み目のような緊密な連係の素晴しさを見ることができる。セットデザイナーの中古智、音楽担当の斎藤一郎、カメラマンの玉井正夫はその一員で、この時期の成瀬のキャリアに捧げた彼等の貢献は計り知れず、特筆すべきものである。 この論文の主文の中で検証されたそれぞれの作品の筋書きや、出演者およびスタッフの情報について、不必要な説明を繰り返す繁雑さを省くために、最後に一覧表を設けている。 イントロダクション イントロダクションでは、成瀬自身について、彼の仕事に対する方法論について、及びこの論文で取り上げる時代における彼を取り巻く環境についてを、読み手に分かりやすく紹介している。また、この時代を対象として選んだ理由についてここで説明している。 第1章成瀬のテーマ 個々の作品について具体的に分析する前に、1950年代の成瀬作品が持つ基本的なテーマについて述べる。まず初めに、「時間の構成」について述べ、基本的に成瀬のストーリーは第1幕、第2幕で構成されていることを検証する。「天気」では、要素に忠実であるという成瀬のユニークな特徴について分析している。そして「昼と夜」では、成瀬が映画の中でどのように昼と夜を並置しているかについて説明する。 -何故1950年代なのか。1950年代の日本映画とハリウッド映画の比較。 -女性の声 -時間の構成 -物語の周期的展開 -天気 第2章家/庭家 ここでは、断片的な提示の積み重ねによって物語の舞台となる建物の全体を表象するその仕方について述べ、垂直及び平行についての例を挙げている。そして成瀬が創り出した以下のような室内の空間について説明している。 -家屋の周辺 -断片的な撮り方 -二間ショット -屋内/屋外 -どんでん -障子と襖 そして『山の音』で中古智氏が構築した2つの室内セットについての詳細を述べている。成瀬作品における空間構築上のメロドラマ性についても分析している。また、成瀬が彼の作品で使用した日本家屋とセットについて、玄関、襖/障子、二階の空間、階段、縁側のそれぞれの「場所」における表現を分析している。そして大映でのセットと東宝でのセットの空間の表象の違いについていくつか説明する。 庭 ここでは、雨戸、中庭などをめぐって、成瀬映画の中での庭の特徴について述べている。庭でのどんでんが、屋内でのどんでんとどのように異なり、また相似しているかについて、『晩菊』を例として説明している。続いて『山の音』と『杏っ子』を取りあげ、室内の様子が庭越しに撮影されている場面を検証している。『お国と五平』の例では、被写界深度について、また樹木や柱を画面に取り入れることによってショットに空間的な深みを生み出す監督の方法について論じている。さらに『稲妻』の中での、庭で聞かれる屋内からの音楽や音について説明している。 第3章 この章では、成瀬の1950年代の全ての映画の始まりが、道路や路地、水の流れや空などの公共の場のショットであることを証明している。また、成瀬が屋内の空間とのコントラストをつけるために、どのようにして道路、路地及びその他の公共の場を利用しているかについて述べている。『晩菊』からは、成瀬の公共の場における空間表現の技法が見られるシーンを例として挙げている。さらに橋について、何故成瀬が頻繁にそれを利用するのか探っている。また、女性が家の中から飛び出す時、外出先には、ぐらぐらと揺れる手持ち(ハンドヘルド)カメラが同行し、揺れる映像が画面に現れることについて、そして成瀬映画におけるチンドン屋の役割について述べている。 この章では、成瀬の特徴である、店の中から外の風景を撮影する方法、また、歩道の通行者を撮影する方法について説明している。そして、行動の問題点と自由について、男女が仕事中や職場にいる時と家にいる時を比較している。また、成瀬がいかに職場(特にバー)をその他の「場所」と趣きの異なる空間として撮ったかについて、『銀座化粧』から例を挙げている。そして、成瀬の映画に頻繁に使われる通勤のモチーフについても述べている。 結論 ここでは結論として、これまでに述べた全ての分析をまとめている。そして、成瀬と彼の空間的ダイナミックスについての考えを完成させる。さらに、この論文では、成瀬映画の特異な要素についてその一部分を取り上げたに過ぎないことから、今後の成瀬研究者のために、研究意義のある論題をいくつが指摘しておきたいと考えている。 |