学位論文要旨



No 114713
著者(漢字) 雋,雪艷
著者(英字)
著者(カナ) セン,セツエン
標題(和) 藤原定家「文集百首」についての研究
標題(洋)
報告番号 114713
報告番号 甲14713
学位授与日 1999.09.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第228号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 義江,彰夫
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 助教授 黒住,真
 東京大学 教授 川本,皓嗣
内容要旨

 中国と日本は一衣帯水の隣国であり、歴史と文化において切っても切れない関係にある故に、かえって互いに客観的に見ることができない面があると言えよう。中日間の比較文学・比較文化という分野の研究現状について言えば、中国側も日本側も両国の間に存在している共通点に注目し、相手の影響を受けたがために現れた相似点を論ずるものが多いと思われる。

 本稿はこのような問題意識から「白居易と日本文学」を研究課題とし、その一環として十三世紀初期の建保六年(一二一八)にできた和歌の作品群「文集百首」を取り上げ、中国と日本との間に見られる文化の異同に重点を置いて日本における中国文学受容の実態について考察をしているものである。

 研究対象とした「文集百首」が句題和歌であるという特質により、考察の内容は主に歌の注釈と比較文化論的分析という二つの部分からなっている。

 歌の注釈においては、言葉のレベルから詩歌の表現を検討した。本百首の漢詩題となっている白詩句の受容史をおさえた上で定家詠の特色を見いだすことにつとめ、また、詩語と歌語のイメージの異同に重点を置いて題と歌との関連を分析した。さらに、白詩と定家詠を通して中国と日本それぞれの詩的世界に展開する両民族の感情・美意識・価値観・思想などの問題を考察した。

 比較文化論的研究に関しては、主に以下の問題について詳論した。

 第一章においては、「文集百首」が世に出る以前の、中国と日本における白居易のイメージ、および「文集百首」における白氏文集受容の特徴・新しさを明らかにした。すなわち、

 1、白居易文学の内容の豊富さについては多くの論証があるが、本論文では、さらに「天下を済う」という志と「独り其の身を善くす」る生き方、および「繊艶にして逞しからず」の性質などの多面性を有する白居易文学は、多様性を内容とする中唐文芸の具体的かつ代表的事例であり、文化史的に重要な位置を占めていることを指摘した。

 2、平安時代における白居易像は、繊細な心と詩才の持ち主で、貴族的で華やかな生活を送り、身の処し方は賢く、仏教的色彩が強い人物、というイメージである。こうしたイメージは、日本の王朝人が自らが好む白居易の側面を強調し、理想の白居易像として形成したものである。

 3、「文集百首」の先行文学である慶滋保胤の「池亭記」および鴨長明の『方丈記』と白居易の作品との関連について、金子彦二郎氏を代表とする日本人研究者はその三者の共通性を強調し過ぎる嫌いがある。本論文では、隠者の精神は三者の作品を貫いているけれども、その「隠」の出発点・方法・目的などは、おのおの異なっていることを具体的に論証した。

 4、これまで「文集百首」が企画された経緯や漢詩題の採句傾向と出典については諸論考があるが、しかし、「文集百首」に託された慈円の心は一体どのようなものであり、百首の題に選ばれた白居易詩はどうのような特徴を持つか、また、中世日本の文芸史における「文集百首」の意義はどこにあるかなどの重要な問題については、まだ、はっきりしていない点がある。本論文は「文集百首」の漢詩題には「無喜無憂」「不厭不戀」「無生無滅」という境地への傾斜が見られ、それこそ「文集百首」に託された慈円の志向ではないかと考えた。また、生と死あるいは現世に対して「厭はず」また「戀はず」という思想と、平安時代以来、盛んであった「厭離穢土」「欣求浄上」の志向との間には大きな開きがあり、そこには、慈円における白居易ないし仏教思想の受容の新しさがうかがえると指摘した。

 5、定家の「文集百首」は大江千里の句題和歌と比べると、題を訳すような感じはほとんどなく、本歌取りの方法と似たような方向で題と関わっていると指摘されている。本論文はさらに、多くの実例を分析し、定家の句題和歌詠の創造性およびその句題和歌史における画期的な意味を論じた。

 6、佐藤恒雄氏は定家にみえる「雖非和歌之先達、時節之景気、世間之盛衰、為知物由、白氏文集第一第二帙常可握翫。深通和歌之心」という歌論は「文集百首」の創作によって啓発を受けたと指摘しているが、その論証の内容に混乱が見られる。本論文は、右の結論を支持しつつ、論証の内容を正した。

 第二章においては、主としてつぎのようなことについて論証した。

 1、劉若愚氏は、中国人にとって自然は「慈悲もなければ、敵意もない」といった自然の存在である、という見方を提出しているが、裏付けとしての論考がない。本論文はその見方を支持しつつ、白居易という実例によってさらに詳論した。

 2、中国文学には自然の永遠さと人事のはかなさを対立させる表現様式がある、という点は一般的に認識されているが、本論文は、中国文学には永遠さと儚さという両面について自然と人事は同じである、という一体観も見られ、それは無常観を超克するという思想史的意義を持つものであると指摘した。同時に、白居易は自然より人間が優位に立つ自然観を持っている、という菅野禮行説を批判した。

 3、中国でも日本でも、自然と触れ合うことによって心を澄ますという心理的現象があるが、中国人の場合は、「静か」とすべてを「忘れる」ところを指向して、人間の感動が静められる傾向が強く感じられる。ところが日本人の場合、

図表

 に示されるように、「物のあはれ」が重要な役割を果たしている。

 5、「文集百首」には「雪月花』が代表している自然に対する慈円なりの態度が示されており、「雪月花」は厭世者がそこに逃げこむ世界を表すものから、現世に立脚する生活姿勢や価値観を意味するものへと変化している。

 第三章では、これまでの『文集百首』研究では触れられていない点について、一つの想定を提起した。

 「文集百首」に先行した「長恨歌」の句題和歌には、「長恨歌」のストーリー全体の内容が大体反映されているのに対して、「文集百首」の「恋五首」は、独り寝のつらさという点に集中して表現されており、そこには、撰者の特別な心情が託されているように思われる。つまり「恋五首」には慈円と後鳥羽院との関係を象徴する寓意性があり、慈円が後鳥羽院との意思疎通をはかったものであり、王法と仏法の一体化の主張につながっているのではないかと推定される。

 第四章では中国と日本それぞれの隠遁文化のあり方を探って、「文集百首」における「中隠」思想受容の本質およびその史的意義を考えた。具体的には、つぎのような見方を提出した。

 1、日本には、白居易の「閑適」を「隠棲」と同じような意味で捉える研究や、あるいは「閑適詩」の特質を生の儚さの認識とする研究が見られる。本論文は、下定雅弘氏の研究をふまえ、白居易の「閑適詩」に見える「閑」と「適」の用例を考察し、その諸概念は主に老荘思想に基づくものであると論証した。また、「文集百首」が選んだ「閑適詩」の句題には無常思想が感じられるとは言え、それは必ずしも『白氏文集』の「閑適詩」の本質的内容とは限らず、あくまでも「文集百首」の作者の思想的傾向であり、中世日本の思想状況の反映でもあると指摘した。

 2、「文集百首」は白居易の中隠思想と深く関わっているが、そうした内容は主に心のあり方が大事であるという点に限られており、白居易が重視した「中」の具体的な意義には無頓着なようである。「文集百首」にみえる、真の解脱は山里にあるのではなく、自分自身の心のありかたにこそあるという主張は、日本の隠遁文化の歴史の流れにおいて見れば西行・長明らの達した境地とは異なる新たな展開を見せていると評価した。

 3、中国文学にみえる閑居生活は心の波瀾を静め、「無」に帰着する心構えで現実と出合うということを志向するのに対して、日本の隠遁者は世をすてて山に入っていても、「もののあはれ」という心の持ち方は変わらない。そこには日本における隠遁の特色が見られる。

 第五章は「文集百首」研究において以下のような新見解を提出した。

 1、白居易の「無喜無憂」「不厭不戀」「無生無滅」といった主張の根底には老荘思想と禅の考え方があり、また、白居易が強く影響を受けた「洪州禅」は日本の中世に盛んであった本覚思想と通じるものがある。「文集百首」の漢詩題にみえる「無喜無憂」「不厭不戀」「無生無滅」という境地への傾斜は、本覚思想の隆盛を背景に生まれたものであり、慈円の作品に頻繁に見られる「二諦一如」観と合致する。

 2、定家詠には無常の詠嘆のみならず、漢詩題の気持ちを吸収し、無常への対処を表すものも感じられる。仏教者である慈円と違う特徴を持ちながら、定家と慈円においてはいずれも白氏文集を媒介にして無常観を出発点とする歌の道を形成した。

 最初に設定した課題に対して、本論文は以上のような研究をしたが、十分展開できなかったところが多い。例えば、白居易の閑適の生き方について、これまでの研究では「古人云く、窮すれば則ち独り其の身を善くす、達すれば則ち兼ねて天下を済ふ。僕、肖にあらずと雖へども、常に此の語を師とす」という白居易自身の言葉によって説明されているが、彼の作品を詳細に検討すれば、その「閑適」の生活内容は、すでに「独り其の身を善くす」という儒家的な規範を超えて、極めて個人の生命を大事にし、生きていることを楽しむように見受けられる。この点については、さらに、中国知識人の精神世界の展開および中国文化全体の発展の趨勢と関連させて論じる必要がある。また、中国と日本の両方に見える「心を澄ます」という心理現象について、その異同には中・日両民族の心の持ち方および価値観・美意識などが反映されており、さらに掘り下げて研究しなければならない。

 全体から見て、本論文は「文集百首」の部立に即して研究を進めるという設定によって研究範囲を広げすぎたこともあり、個々の問題点について深く論証する余裕はなかった。残された問題は今後の課題とする。

審査要旨

 本論文は、日本文学にもっとも大きな影響を与えた『白氏文集』と、新古今歌人の慈円が白詩から百の句題を選び、その句題で慈円と藤原定家が和歌を詠出した「文集百首」について比較考察したものである。

 雋雪艶氏は、「白居易詩と日本文学」について五世紀の間に及ぶの展望をもち、白居易詩の思想的特質を深く理解したうえで、新古今歌人藤原定家の「文集百首」の一首一首に踏み込んで、丁寧な表現の分析と歌意の理解につとめ、白詩の趣意や主張と定家詠の描き出す和歌世界を比較して、定家における句題和歌の特徴や白詩の日本的享受の相を読み定めていく。

 従来はもっぱら「文集百首」の成立事情や句題選定の傾向についての究明が主で、近年ようやく久保田淳により略注と現代語訳が付けられるという研究段階にあったので、本論文は「文集百首」についての初の本格的な作品研究であると高く評価される。

 論文の構成は、「序章 課題と方法」ののち、「第一章「文集百首」を産出した文化的・歴史的土壌」ではまず詩人白居易の人物像につき、中国と日本とでの理解の相違を明らかにし、日本でも王朝期と中世初期とではイメージが変化していくと指摘する。四節にわたって対比・分析した成果は少なくなく、通説を修正する見解もあるが、ここでは深く立ち入らず、とりあえず本論のための予備作業の結果が着実に示されていると概括しておくことにする。

 ただし、日本における白居易像の分析についてのみ簡略に触れるならば、王朝期の例として都良香の「白楽天讃」と『千載佳句』所載の詩句の約半数に及ぶ白詩535聯の分析があり、後者のデータ処理は鮮やかで強い説得性をもっている。

 また従来、二者の間に精神の継承をうかがう論調が顕著であった、白居易「草堂記」「池上編」と慶滋保胤「池亭記」と鴨長明『方丈記』について、老荘思想と三教の調和と仏道のように拠点の相違を強調しているのは、とりたてて新しい観点を打ち出したものではないが的確で、現今の和漢比較研究が陥りがちな影響関係の指摘に終始する風潮に風穴をあけたと評してよいであろう。

 第二章から第五章までが本論で、それぞれ「文集百首」にみえる自然観、恋の感情、隠遁思想、仏教思想を論じる。日・中の自然観の相違を論じる第二章においては、唐詩の流れの中に白詩を据えて具体的に分析し、「慈悲もなければ、敵意もない」自然と対比して人事を見すえ、感慨を詠じると例証するとともに、日本の和歌では、花の色の移ろいや月の永遠性を前にして世のはかなさを詠嘆する段階から、仏教的に無常を克服する方向へ進んでいくと論じる。彼我の比較から、「澄心」の問題が浮かび上がってきたことは適切であり、今後の課題として深めていくことが望ましい。

 恋の感情について考察する第三章においては、白居易の「長恨歌」の句を題とする和歌の伝統を展望し、「文集百首」の句題の設定が独り寝のつらさを描くものに集中していることを指摘し、題を選定した慈円の当時の心境、すなわち倒幕に傾く後鳥羽院との疎隔を嘆き、かつての親密な関係を追慕する心情のあらわれととらえる。それなりの説得性をもつ新説である。ここでは、定家の五首の和歌の分析にもとづく考察が置き去りにされ、物足りない。

 第四章の隠遁思想をめぐる論においては、竹林の七賢の高潔な隠遁と対比して白居易の老荘思想にもとづく中隠の思想を明確化したのち、日本の詩歌における閑居、山家のイメージを分析して変遷をたどり、西行・長明にあっては、出家の身で山に入り閑寂美を見いだすというものであったが、「文集百首」では「不厭朝市」中隠の生活を受け継いで、受容の新しい展開を示しているとする。本章の比較考察は、この範囲内では深く掘り下げた優れた指摘であると評価してよいが、日本における隠遁思想という一大テーマの考察にあたっては、仏教の側面から『摩訶止観』の二十五方便の-「閑居静処」の影響を考慮する必要がある。その点、今後に課題が残されている。

 第五章においては、白居易の「無喜無憂」「無生無滅」などの思想が老荘思想と禅宗によつていることを確認し、日本における白詩の仏教的受容の展開をおさえたうえで、慈円がこれらを受け入れたのは天台本覚思想の隆盛が背景にあったからであり、慈円が頻繁にもちいる「二諦一如」観と合致するといい、定家の無常、法門題の詠作についても、句題に触発されて確かに仏教的な観想の世界のあることに注意をうながす。かならずしも、たとえば定家の死生観はこのようなものであると取り出して見せてくれたわけではないが、十五首の丁寧な注釈的読解そのものは貴重な成果である。なお、定家詠の若干について誤読が指摘されたが、まったく論旨に差し障るものではなかった。

 結語は、おもに本論文の各章の成果を要約し、今後の展望を述べたものであるので、あらためて論評するのは省略する。

 以上、白詩の分析や定家詠の注釈と、自然観、仏教思想などの観点からの比較考察とがじゅうぶん有機的・発展的に結びつけられていないところに不満はあるが、漢詩と和歌それぞれの表現分析は精細かつおおむね妥当で、特に藤原定家の「文集百首」の注解は初の快挙といってよく、句題和歌による日・中の文学の比較研究において多くの新見が掘り起こされた点で、本論文は優れており、高く評価される。

 よって、当論文審査委員会は、本論文を全員一致で博士(学術)にふさわしいと判断し、その旨をここに報告する。

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