学位論文要旨



No 114715
著者(漢字) 溝井,浩
著者(英字) Mizoi,Yutaka
著者(カナ) ミゾイ,ユタカ
標題(和) 多重飛跡測定用ガス検出器を用いた、天体核反応8Li(α,n)11Bの測定
標題(洋) Measurement of the 8Li(α,n)11B Reaction with the Multiple-Sampling and Tracking Proportional Chamber for Astrophysical Interest
報告番号 114715
報告番号 甲14715
学位授与日 1999.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3656号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 教授 永嶺,謙忠
 東京大学 教授 片山,一郎
 東京大学 教授 大塚,孝治
 東京大学 助教授 森松,治
内容要旨

 ビッグバン直後に起きたとされる元素合成過程で生成された、7Liまでの軽い元素に関しては、標準ビッグバン模型による計算によって、観測されている量を良く再現できる。標準ビッグバン模型によると、宇宙のバリオン密度(B)は、宇宙の臨界密度を単位に取った時に、

 

 予想される。一方、最近のクラスター銀河からのX線の観測等から、

 

 いう値が示唆されている。

 このバリオン密度の違いを説明するための一つの理論として、不均一ビッグバン模型が提唱されている。標準ビッグバン模型では、陽子と中性子は均一に分布していると仮定しているが、不均一ビッグバン模型では、クオーク・グルーオンから、ハドロンへの相転移の際に、バリオンの分布密度に大きな偏りが生じると仮定している。不均一ビッグバン模型に従って、観測されている軽い元素の量を再現するためには、高いバリオン密度

 

 必要になるため、観測値をもよく再現する。

 不均一ビッグバン模型のもとでは、バリオン分布密度の偏りのため、陽子と中性子の分布に大きな偏りが生じ、バリオン密度の低い中性子過剰な領域と、バリオン密度の高い陽子過剰な領域が生じる。このため、中性子過剰な領域では中性子過剰核が生成され、元素合成過程で重要な役割を果たすようになる。特に、中性子過剰核を経由して12C以上の元素を合成する経路が可能になるため、12C以上の元素の生成量は、標準ビッグバン模型に比べて、数桁以上大きくなる。特に、重要な反応経路として、下記の反応が挙げられている。

 

 この反応経路の中でも特に、半減期800ミリ秒で崩壊する中性子過剰核8Liが関与する8Li(α,n)11B反応が重要であることが理論計算から示唆されている。

 不均一ビッグバン模型の正しさを検証するためには、12C以上の元素の生成量を正確に見積もる必要がある。生成量の計算には、元素合成に関与する反応の断面積を知る必要があるが、8Liが不安定核であるため、測定により8Li(α,n)11B反応の断面積を求めることは困難であった。

 一般に、寿命の短い不安定核を、十分な強度を持った低エネルギーのビームとして得ることは難しい。従って、宇宙での元素合成に関わるような低エネルギー領域の核反応を、実験によって測定するためには、効率の高い検出器と、効率の良い測定方法を新たに開発する必要がある。我々は、この困難を解決するために、効率的に精度良く測定をするための検出器「多重飛跡測定用ガス検出器(Multiple-Sampling and Tracking Proportional Chamber、以下MSTPCと略す)」を開発し、MSTPCを用いた実験方法を確立した。

 MSTPCは、ガス検出器の一種である「多重サンプル型電離箱(Multiple-Sampling Ionization Chamber、以下MUSICと略す)」と、「タイム・プロジェクション・チェンバー(Time-Projection Chamber、以下TPCと略す)」の機能を合わせ持つもので、核反応で発生する複数の荷電粒子について、それぞれの3次元的な軌跡(TPCの機能)と、軌跡に沿った単位長さ辺りの電離損失を測定することが出来る(MUSICの機能)。MUSICやTPCは、それぞれ別個に高エネルギーの素粒子や重イオンの実験で使われているが、我々はこれらの検出器の特徴に注目し、低エネルギーの原子核反応を効率良く測定できるように、それらの特徴を採り入れたMSTPCを開発した。また、合わせて、MSTPCを用いた一連の実験技術も開発した。

 通常、十分な強度のビーム量が得られない場合の実験では実験の効率を上げるために、標的を十分に厚くして事象を稼ぐという操作を行なうが、標的が厚くなる分だけ、ビームのエネルギー損失が大きくなり、反応点でのエネルギー情報が失われてしまう。また、反応断面積をエネルギーの関数として求める時には、入射ビームのエネルギーを変えながら測定を行なう必要があるため、ビーム強度が弱い場合には、時間がかかってしまう。

 これらの困難を解決するために、我々の実験では、強度の弱いビームを効率良く使えるように、MSTPCに封入された検出用のガスを、同時に、核反応の標的として用いている。これにより、入射ビームがガス中で電離損失によりエネルギーを失いながら減速していく様子や、核反応に伴って生じる電離損失の変化、および核反応に伴う粒子の軌道の変化を、逐一検出することができる。従って、核反応が起きた空間的な位置と、核反応が起きた時点でのエネルギーも同時に決定できる。これにより、十分に厚いガス標的で事象の数を稼ぎながら、反応時のエネルギーを定めることができると同時に、核反応の断面積をエネルギーの関数として一度に測定できる。さらに、反応後の粒子の軌跡とその電離損失も追跡できるので、反応で生じた粒子の種類を特定して、運動学的に核反応の中間状態や終状態を精度良く計算することができる。

 我々は、MSTPCを用いて、8Li(α,n)11B反応を測定するための実験を、理化学研究所の二次粒子ビームコースにて行なった。12Cのビームから、入射核破砕反応を使って、8Liビームを生成し、エネルギー減衰板を通過させて、核子当たり数MeVの低エネルギー8Liビームとして、MSTPCへ入射させた。入射ビームのエネルギーは、飛行時間測定法によって定めている。MSTPCに検出用ガスとしてHeガスを400torrの圧力で充填し、Heを標的核としても用いた。MSTPCで、反応が起きたエネルギーと11Bの生成を検出する一方で、反応の運動学を決定するために中性子を検出するための、中性子検出器を併用し、事象の終状態を排他的に決定できるように測定した。この実験により、11Bの生成断面積を反応エネルギーの関数として測定することができた。また、反応の終状態である11Bの各励起状態の特定とそれぞれの状態への分岐比を求めることができた。同時に、我々の実験方法を検証するために、9Be(α,n)12C反応の測定も行ない、従来の測定結果を良く再現できることが確かめられた。この反応は、8Li(α,n)11B反応に類似していること、また、既に十分な測定データが揃っていることから、我々の実験方法を検証するために最適である。

 8Li(α,n)11B反応の断面積については、過去に2例の測定例がある。一例目は、逆反応11B(n,α)8Liを利用した間接的な測定で、これにより11Bの基底状態への反応断面積が求められている。他の一例は、8LiビームをMUSIC型の検出器に入射して測定した、直接測定である。この実験では中性子を測定していないため、11Bの終状態を特定できない包括的な測定となっている。

 我々の測定結果と、他の2例の測定結果を、平均の反応断面積で比較すると、基底状態への反応断面積に関しては、我々の結果(=55±31mb)と、逆反応を利用した測定の結果(=74.1±0.3mb)は、誤差の範囲で良く一致している。一方、11Bの終状態を特定しない包括的な測定では全ての終状態を含んだ全断面積(=418±27mb)が得られているが、我々の測定結果(=228±47)と大きく異なっている。我々の測定は事象の選別能力が優れていること、基底状態への断面積が再現できていること、9Be(α,n)12C反応の断面積が再現できていること、これら3つの理由により、我々の測定結果の方が、信憑性が高いと考えられる。

 さらに、我々の求めた8Li(α,n)11B反応断面積を使って、不均一ビッグバン模型のもとで合成される元素の量に、どの程度の影響がでるか、元素合成の計算を行なった。12Cの合成量を、宇宙に存在する全バリオンの質量に対する割合として求め、それぞれの場合について比較した結果を表1に示す。これによると、我々の求めた反応断面積を使って計算した結果は、包括的な測定によって求められた断面積を使って計算した結果に比べて、20〜30%程度小さくなることがわかる。また、バリオン密度が大きい程、この差が大きくなることがわかる。しかし、8Li(α,n)11B反応が元素合成に全く関与しなかった場合と比較すると、12Cの合成量は30〜200%も増加することから、不均一ビッグバン模型のもとでは、依然として、8Li(α,n)11B反応が重要であることがわかる。

表1:12Cの合成量をバリオン質量の総量に対する割合で示した。A列は、我々の測定結果を用いた計算結果。B列は、包括的な測定で得られた結果を用いた計算結果。C列は、8Li(α,n)11B反応が全く関与しない場合の計算結果。それぞれについて、2種類のバリオン密度について計算して、比較している。h50は、ハッブル定数Hから、H=50×h50Km/Mpc/secと定義される。

 本研究によって、8Li(α,n)11B反応の断面積は、今までに測定された値よりも小さいことが見い出されたが、依然として、不均一ビッグバン模型のもとでは、重要な反応であることが、計算によって示された。また、本研究では、新しい検出器と実験方法の開発を試み、8Li(α,n)11B反応の排他的な測定に成功した。元素合成過程において、不安定核が関与する重要な反応の多くが、今だに、測定されていない。本研究で開発した方法を用いることで、従来は測定が困難であった反応も、測定することが可能になった。今後、宇宙における元素合成過程を解明するための、新しい情報を提供していくことができるであろう。

 以上

審査要旨

 本論文は、低いエネルギー領域での、8Li(4He,n)11B反応の反応断面積を求めるため、12Cから入射核破砕反応により不安定原子核8Liビームを生成し、多重飛跡測定用ガス検出器(以下MSTPC)に詰められたHeガスを標的として用い、反応が起きたビームエネルギーと11Bの生成を検出する一方、中性子を同時測定することで反応の終状態を排他的に決定する実験を行ない、反応断面積を求め、初期宇宙における元素合成過程での上記反応の役割を確認したものである。

 本論文は6章からなる。第1章Introductionでは、本研究の動機、不安定原子核ビーム実験の為の新しい検出器の必要性、及び研究の概要が述べられている。第2章"Details of the experiment"では、不安定原子核ビームの生成方法、各測定装置、回路系等、実験の詳細が、又、第3章"Design and Construction of Multiple Sampling and Tracking Proportional Chamber-MSTPC-"では、本実験の主要検出器である多重飛跡測定用ガス検出器(MSTPC)のの詳細が述べられている。第4章"Simulation and Estimations"では、シミュレーションとバックグラウンド評価について、第5章"Analysis"では、実際の解析の手順が述べられている。第6章"Results and Discussions"において、解析結果が示され、既存データとの比較が行なわれ、又、モデル計算によって初期宇宙における元素合成過程での役割が評価された。

 本研究の動機は、宇宙初期における元素合成過程にある。標準ビッグバン模型は、7Liまでの軽い元素について、観測量を良く再現するが、宇宙のバリオン密度については、観測値と良い一致をみていない。バリオン密度が不均一で、中性子過剰領域と陽子過剰領域の存在を仮定する、不均一ビッグバン模型は、軽い元素量と高いバリオン密度の両方をうまく説明する。不均一ビッグバン模型では、中性子過剰領域で生成される中性子過剰核が元素合成過程で重要な役割を果たす。12C以上の重い元素合成の主たる反応経路、

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 において、特に、中性子過剰核8Li(半減期800ミリ秒)が関与する8Li(α,n)11B反応の断面積の測定が重要である。

 一般に、十分な強度を持った低エネルギー短寿命不安定核ビームを得ることは難しいため、核反応断面積の測定には、効率の高い検出器、実験方法が必要とされる。本研究では、このために、高効率な検出器「多重飛跡測定用ガス検出器(Multiple-Sampling and Tracking Proportional Chamber-MSTPC-)」を新たに開発・製作した。MSTPCは、複数荷電粒子について、3次元軌跡と電離損失の測定を行なうことで、反応点の同定、反応のトポロジー情報を与える。低エネルギー領域での原子核反応実験では、ターゲットの厚さが厳しく制限されるが、MSTPCに封入されたガス(ヘリウムガス)を、同時に、核反応標的として用いることで、事象の数を稼ぎ、実験条件を変えずに反応断面積をエネルギーの関数として測定することを可能とした。

 本研究の基になる実験は、理化学研究所の二次粒子ビームコースに於て行なわれ、基底状態への反応断面積=55±31mb、全断面積=228±47を得た。主に中性子との同時計測により、統計量が制限されていることは惜しまれる。このことは審査委員の間でも議論となった。当反応断面積測定は過去に二例ある。一例は、逆反応[11B(n,α)8Li]による間接測定で、11Bの基底状態への反応断面積=74.1±0.3mb、は本研究の結果と誤差内で一致している。他の一例は、本研究と類似した直接測定で、全断面積=418±27mbは本研究の結果と異なる。この実験では、中性子との同時計測を行なっていないため、弾性散乱等の反応の同定ミスの可能性があり、それらの評価・差っ引きの曖昧さは、大きな系統誤差となりうる。本論文では、この辺りの重大さを十分に理解し、中性子計測により終状態を押さえることで、系統誤差の小さなデータを得ることを意図したわけであるが、その意図は達成されたものと判断した。又、本研究用に開発された検出器を含む新しい実験方法を確立したことは、今後の不安定核を用いた低エネルギー原子核反応研究への大きな寄与と考えられる。

 なお、本論文は、福田共和、青井考、宮地岳彦、平井正明、米田健一郎、渡辺裕、石原正恭、桜井博儀、吉田敦、渡辺康、野谷将広、福田直樹、松山芳孝、宮武宇也、小日向秀夫、中野譲、との共同研究に基づくが、論文提出者は、本論文のデータ収集に用いられた主要装置である"Multiple-sampling and tracking proportional chamber"のデザイン・建設を、中心となって進めた。又、論文に用いられているデータの解析、まとめは、論文提出者本人が行なったものであり、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54734