学位論文要旨



No 114721
著者(漢字) 三好,潤一郎
著者(英字)
著者(カナ) ミヨシ,ジュンイチロウ
標題(和) オースティン : 言語行為の哲学
標題(洋)
報告番号 114721
報告番号 甲14721
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第260号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 高山,守
 青山学院大学 名誉教授 坂本,百大
内容要旨

 本稿は、オースティンの言語行為論をできるだけ体系的に再構成し、その思想史的形成過程および理論的意義を明らかにすることを目的とする。その論述は次の順序で行われている。

 序論で、言語行為論の歴史を短く概観し、今日の言語行為論研究におけるオースティンの位置を確認した。それを踏まえ、オースティンを取り上げるのにどのような意義があるかを論じた。

 第1章で、オースティンの言語行為論の形成過程を述べながら、その理論を概観した。まずオースティンの著作を3つの時期に区分し、言語行為論についての著作がその中でどのように現れているかを示した。次にオースティンの言語行為論を遂行的発話の理論と発語内行為の理論とに分け、それぞれの歴史的成立とその理論的内容を述べた。遂行的発話の理論にかんする著作として「他人の心」、「真理」、『言語と行為』の前半を、発語内行為の理論にかんする著作として『言語と行為』の後半を詳細に述べた。「行為遂行的発言」と「遂行的-確述的」と『言語と行為』との異同も確認した。

 第2章で、オースティンを批判する諸家の見解の中から代表的なものをあげ、それらに対してオースティンの理論的立場に立って、反論を試みた。まず、アームソンとワーノックの遂行的発話にかんする議論を検討したが、私はプリチャードとフレーゲからオースティンへの歴史的影響関係に基づいてそれに反対した。次に私は遂行的発話の理論と発語内行為の理論とは何が異なるかについて論じ、文から発話へ、そして発語行為へという流れを示した。それにかんして発語行為と発語内行為の区別についてのサールによる批判を取り上げ、それに反批判を加えた。それからオースティンとは異なる立場からの発語内行為のはたらきの説明として、レモン、ストローソン、そしてバッハとハーニッシュの理論を取り上げ、概要を述べるとともに批判した。これらはいずれも発語内行為の規範的効力を見落としている。最後に、私は文、発話、および発語行為を区別すべきことを主張し、人称別の観点から発語内行為とその慣習性を分析した。

 第3章で、オースティンの発語行為の観念を展開させ、それを真理論や存在論、そして作品論に当てはめた。そこでは発話されることと記述されることの関係と、発話性と作品性との関係が中心的に論じられた。

審査要旨

 三好潤一郎氏の論文「オースティン-言語行為の哲学」は、いわゆる「言語論的転回」として特徴づけられる今世紀の英米哲学のなかでも特筆すべき成果と目されるJ.L.オースティンの言語行為論について、詳細な発展史的考察を交えながら、その全体像と決して色あせることのない不朽の意義を独自な視点から描きな直そうと試みたものである。一般に、オースティンの言語行為論は、初期の頃の「遂行的発話」と「確述的発話」という二区分を軸にした議論から、『言語と行為』における「発語行為」・「発語内行為」・「発語媒介行為」という三区分による考察へと変化していったと考えられているが、三好氏はこうした見方に疑義を呈し、実は前者の二区分はあくまで「発話」に関する区分であるが、後者の三区分は「行為」についての区分なのであり、そうした問題設定の変化にこそオースティンの言語行為論の真の意義が見届けられるべきであるとする。こうした観点に立ちながら、三好氏は、言語行為という事象について人称の区別、すなわち、一人称観点、二人称的観点、三人称的観点、という区別を議論に持ち込むことによって、オースティンの議論の意義をきわめてユニークな仕方で析出する。それは第一に、言語行為、とりわけ発語内行為は、それを記述する三人称的観点が社会の外部ではなく、徹底して社会の内部に定位されるべき行為であること、換言すれば、徹底して一定の社会的かつ公共的な規範や慣習に依存的な行為であることであり、第二に、発語内行為は、そのように規範的効力を持つがゆえに、通常のコミュニケーションモデルである話し手の意図を聞き手が認識するという図式では十全には捉えきれないような行為であること、この二点である。さらにこの論文の特徴は、展望という形ながら、伝統的な哲学的問題や、演劇や映画や小説などの言語芸術に対しても、オースティンの議論の応用を試みている点であり、オースティンの議論が非常に豊かな展開可能性をはらむものであることが示唆されている。

 全体として、オースティンの哲学に徹底的に内在した論文であり、哲学的問題そのものへの切り込みに関して弱い部分がなくもないが、「発話」と「行為」という整理機軸を打ち出し、人称性にのっとった視点から言語行為論を分析するという独自な切り口を開いた点は十分に意義があり、博士(文学)の学位を授与するに値する論文であると判断する。

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