Ce、Ybなどの希土類の化合物には、4f電子の強い相関効果に起因する特異な物性を示すものがあり、興味がもたれている。「重い電子系」はその代表例で、温度の低下とともに伝導電子の有効質量が異常に増大する。一方、最近「近藤絶縁体」として注目されているCe3Bi4Pt3、CeNiSn、YbB12などの物質は、比較的高温では「重い電子系」と同様の異常な金属の振舞いを示すが、低温では非磁性絶縁体状態に変化する。 本論文は、YbB12を主な対象として、近藤絶縁体の電子状態を高分解能光電子分光により研究したものである。 本論文は9章から構成されている。第1章は序論で本研究の目的と背景が述べられ、第2章では光電子分光法についての説明がなされている。第3、4章には、この研究の比較的初期の段階でなされたYbB12およびYb1-xLuxB12合金に対する研究成果が示されている。第5、6章は本論文の中心部分で、高分解能光電子分光により測定されたYbB12とYb1-xLuxB12合金の伝導電子状態密度の温度依存性とLu濃度依存性について、詳細な記述がなされている。第7、8章は同様な研究をFeSi、Fe1-xCoxSi、FeSi1-xAlxに対して行ったものであり、第9章はまとめである。 本研究から得られた主な成果は次の通りである。 第3、4章では、放射光(125eV)やHe I光源(21.2eV)など、異なったエネルギーの光源を使い分けて、Yb4f電子とB2sp-Yb5d電子(以下、伝導電子と呼ぶ)の部分状態密度を観測している。これは、光源のエネルギーによってこれらの電子の光電子放出効率が異なるという光電子分光の特色を利用したものである。試料は多結晶で、測定温度は30Kに固定されている。4f電子状態密度からは、YbB12のバルクの近藤共鳴エネルギーが約25meV,Ybの平均原子価が約2.86であることが導かれている。また現象論的な自己エネルギー補正の方法や不純物アンダーソン模型を用いた解析を実行し、自己エネルギーの振舞いや4f-伝導電子間の混成相互作用に関する情報を得ている。一方、伝導電子状態に関しては、実験の分解能(23meV)が不十分なため、輸送現象の熱活性化エネルギー(約6meV)から推定される絶縁体ギャップを観測することは不可能であった。しかし、フェルミ準位から40meV程度広がった擬ギャップ(状態密度の窪みが0にまで達しないものを擬ギャップと呼ぶ)の存在が明かになり、Lu置換とともに擬ギャップが埋められることが示された。 第4、5章では、伝導電子状態をさらに精密にしらべるために、He I光源による高分解能(7meV)光電子分光装置を用い、単結晶試料に対して約300Kから6Kまでの温度依存性とLu濃度依存性を測定した。その結果、幅広い擬ギャップの中に、10meV程度の鋭い擬ギャップが約75K以下の温度で出現することが判明した(真のギャップが観測されない理由として、表面状態の影響と分解能の不十分さが考えられる)。この鋭い擬ギャップはLu置換とともに埋められていくが、フェルミ準位から約80meV離れたあたりの状態密度は逆にLu濃度とともに減少することも見い出された。これらの擬ギャップの形状変化はLu濃度に対して一様ではなく、サイト間の相関が微妙にはたらいていることが示唆された。これまで、近藤絶縁体の機構を定性的に説明する試みはなされているが、定量的な理論にまでは発展していない。本論文で得られた成果は、定量的な理論が作られる際にその妥当性をチェックする貴重な実験事実となるであろう。 第6、7章では、FeSiとその合金に対して同様な実験が行われ、温度変化や置換元素濃度に敏感な擬ギャップの存在がここでも認められた。FeSiはd電子系であるにもかかわらず、近藤絶縁体と類似の物性を示すことから、本実験の結果には興味がもたれる。しかし、残念ながら擬ギャップの窪みがYbB12と比較してあまりにも浅く(ちなみに、光学伝導度の実験では真のギャップが観測されている)、表面状態の影響を抑えることが今後の課題になると思われる。 以上の研究は、現在最高水準の光電子分光装置を用い、その分解能が絶縁体ギャップの大きさと同程度というきびしい状況のもとで、光電子の表面敏感性というハンディキャップとも闘いながら進められた意欲的なものである。データ整理においても、光電子強度の温度依存性を電子のフェルミ分布に由来する部分と電子状態密度の温度変化に由来する部分に分離する過程などにおいて、細心の工夫が払われている。そこから得られた最先端の成果は、装置開発や試料作成における論文提出者の寄与が希薄であるという事情を差し引いても、なお、十分高く評価すべきものである。よって、本論文は博士(理学)の学位論文として合格であると審査員全員が認めた。 なお、本研究は、藤森淳教授(指導教官)らとの共同研究となる部分を含むが、研究計画から実験の遂行、結果の考察まで、論文提出者が主体となって行ったものであることが認められた。 |