学位論文要旨



No 114723
著者(漢字) 須崎,友文
著者(英字)
著者(カナ) スサキ,トモフミ
標題(和) 高分解能光電子分光による近藤絶縁体の研究
標題(洋) High-Resolution Photoemission Study of Kondo Insulators
報告番号 114723
報告番号 甲14723
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3660号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 十倉,好紀
内容要旨 1.はじめに

 Ce化合物、Yb化合物等のf電子近藤格子系の中には低温で非常に大きく増強されたパウリ常磁性と電子比熱を示す「重い電子系」が数多く存在し、典型的な強相関電子系として多くの研究がなされてきた。一方、近年、Ce3Bi4Pt3、CeNiSn、CeRhSb、YbB12などの温度下降にともない非磁性絶縁体状態が形成される「近藤絶縁体」と呼ばれる物質群が注目を集めている。これらの物質の高温での物性は、磁化率がキュリー・ワイス則に従い、電気抵抗が近藤効果により-log T依存性を示すという点で、金属的な重い電子系と共通しているが、低温では磁化率は広いピークを示した後大きくおちこみ、電気抵抗はギャップの形成に対応して熱活性型の大きな上昇を示す。本論文では、典型的な近藤絶縁体と考えられているYbB12およびd電子系であるにもかかわらず近藤絶縁体と類似の物性を示すFeSiの光電子分光による研究成果を報告する。光電子分光は占有状態側の電子状態をとらえる手段であるので、YbB12においては4f準位の占有数の少ないCe化合物と対照的に4f電子状態の大部分を観察することができる。励起光のエネルギーを変えることによりプローブする軌道を選ぶことができるため、f電子とspd軌道からなる伝導電子の共存する希土類化合物に対しては光電子分光は特に有効な手段である。FeSiは近年になって4f系近藤絶縁体との関連が指摘されたが、我々は占有状態側にほとんど分散を示さないバンドを持つというFeSiとYbB12の電子状態の類似性にも着目し、両者の結果を相互参照しつつ近藤絶縁体の電子状態について考察を進めた。

2.実験装置

 光電子分光実験は、励起光源と電子エネルギー分析器を備えた超高真空チェンバーを用いておこなわれる。ヘリウム放電管を光源とした光電子分光装置においては、真空排気系に注意が必要であり、特にYbB12、FeSi試料の表面は反応性が高く、不純物の混入を最小限におさえなければならなかった。我々は、ヘリウム放電管を通じて不純物がチェンバーに混入する可能性を検討し、不純物混入をさけるための独自のトラップを作製した。

3.複数の励起光によるYbB12の光電子分光

 Yb4f電子とB 2sp-Yb 5d伝導電子を分離して観察するために、様々なエネルギーの励起光源を用い、多結晶YbB12試料について30Kにおいて光電子分光実験をおこなった。放射光(125eV)でとらえたYb 4fスペクトル中の4f14→4f13遷移と4f13→4f12遷移のシグナル強度比から、Ybの価数を〜2.86と見積もった。これは磁化率から見積もった値と一致する。フェルミ準位直下の4fピーク(近藤ピーク)の位置(〜23meV)と磁化率のピークの関係は近藤金属と同様であり、近藤絶縁体においても近藤温度が特徴的なエネルギースケールとして存在することがわかった。さらに、4f光電子スペクトルをバンド計算による状態密度と比較し、両者の違いから4f電子の自己エネルギーを定量的に導いた。得られた自己エネルギーは、フェルミ準位から〜30meV程度の範囲で大きく変化し、エネルギーに依存した電子相関の様子が明らかになった。特に、求まった自己エネルギーは非常に狭いバンドがギャップ端に形成されることを示しており、以前にYbB12の物性を説明するために導入された現象論的なモデルを裏付けることになった。

4.合金系Yb1-xLuxB12における電子状態の変化

 Lu置換がYbB12の4fスペクトルおよびB 2sp-Yb 5d伝導電子スペクトルに及ぼす影響を多結晶試料を用い30Kにおいて観察した。Yb0.5Lu0.5B12とLuB12のスペクトル形状との比較から、フェルミ準位から40meV程度広がったYbB12伝導帯の擬ギャップが明らかになった。この擬ギャップは、Lu置換によりしだいに埋められていく。4fスペクトルに関しては、Lu置換によりYb価数が〜2.86(YbB12)から〜2.82(Yb0.5Lu0.5B12)に減少し、近藤ピークの位置が〜23meV(YbB12)から〜31meV(Yb0.5Lu0.5B12)へと高結合エネルギー側にシフトする様子が観察された。さらに、伝導電子状態の変化が4fスペクトルの変化にどのように反映されるかを調べるため、アンダーソン不純物モデルによるスペクトル計算をおこない、広いエネルギー領域での伝導電子状態密度の上昇が、この系の4fスペクトルの変化の起源であることを明らかにした。

5.YbB12の高分解能光電子スペクトルの温度依存性

 単結晶YbB12試料を用い、7Kから室温までの伝導電子状態の温度変化を高分解能(E=7meV)で観察した。異なる温度間でのスペクトルの比較は、光電子スペクトルをフェルミ-ディラック関数で割ることで求めたスペクトル状態密度について詳細に議論した。その結果、100meVにもおよぶ広く浅い擬ギャップ構造のなかに、〜75K以下で10meV程度の鋭いギャップが現れることがわかった。低温でのギャップの大きさは、低温での熱活性エネルギー(〜6meV)とほぼ対応している。また、狭いギャップが〜75K以下で現れることは、電気抵抗、磁化率において低温でのみ半導体的ふるまいが見られることと対応している。

6.Yb1-xLuxB12の伝導バンドの置換および温度依存性

 Yb1-xLuxB12(x=0.25,0.50,0.75,1.00)の伝導電子状態の温度変化を、高分解能光電子分光により単結晶試料を用いて観察した。YbB12の伝導電子のスペクトル形状がLu置換した試料のスペクトルと比較することでさらに明らかになり、-80meV付近に幅広いピーク構造が存在することがわかった。幅広いピークと擬ギャップのいずれも、x=0.75(Lu過剰側)の試料においても観察された。これらの構造は低温において顕著であるが、〜200K以上においては目立たなくなり、近藤温度以上においてf電子と伝導電子が独立にふるまっていることが示唆された。温度下降にともない形成される鋭い(〜10meV)擬ギャップは、Yb過剰側の試料においてのみ(x=0.00,0.25)観察された。Yb量に比例しない擬ギャップのふるまいがから、YbB12のギャップ形成には一サイトでの現象を超えた機構が働いていることが明らかになった。

7.FeSiの光電子スペクトルの温度およびCo置換依存性

 Co置換および温度上昇によるFeSiの擬ギャップの変化を、多結晶Fe1-xCoxSi(x=0.00,0.05,0.10)試料を用いて観察した。広い(〜10eV)エネルギースケールで見ると、FeSiの光電子スペクトルは温度上昇にも微少Co置換にも依存しなかった。フェルミ準位から50meVにわたって広がるFeSiの擬ギャップは、温度上昇により〜200K程度で完全に消滅することがわかった。一方、Co置換によっても状態密度の上昇が観察されたが、微量Co置換の効果はフェルミ準位近傍のみに現れ、フェルミ準位から30meV離れたエネルギー領域には及ばないことがわかった。これは、Co置換の効果が電気抵抗や光学伝導度にあらわれた効果と同様に、低エネルギー・低温の物性にのみ大きく寄与することを示している。

8.FeSiの光電子スペクトルの温度およびAl置換依存性

 FeSi1-xAlx(x=0.00,0.02,0.05,0.10,0.30)の光電子スペクトルの温度変化測定を多結晶試料を用いて行った。光電子スペクトルの温度上昇、Al置換による変化は、エネルギー領域によって違ったふるまいが観察された。Fe1-xCoxSiでも観察されたように、フェルミ準位近傍(〜20meV)は微量なAl置換、微少な温度上昇により敏感に状態密度が上昇する。フェルミ準位から〜50meV程度まで広がる擬ギャップについては、温度上昇により消滅するものの、置換に対してはそれほど敏感ではない。スペクトルの幅広いピーク(〜-400meV)の肩付近(〜100meV)は、Al置換により状態密度が減少していくが、減少の度合は室温付近で顕著であった。

9.結論

 近藤絶縁体YbB12およびFeSiの光電子分光測定をおこない、温度変化を含むそれぞれの電子状態について議論した。両者の温度変化には、FeSiの方が約一桁大きい近藤温度を持つことが反映された大きな違いが観察された。擬ギャップの構造は、3d近藤絶縁体と4f近藤絶縁体でのギャップの繰り込みの強さの違いを反映し、YbB12の方が低温で鋭い落ち込みを示した。

審査要旨

 Ce、Ybなどの希土類の化合物には、4f電子の強い相関効果に起因する特異な物性を示すものがあり、興味がもたれている。「重い電子系」はその代表例で、温度の低下とともに伝導電子の有効質量が異常に増大する。一方、最近「近藤絶縁体」として注目されているCe3Bi4Pt3、CeNiSn、YbB12などの物質は、比較的高温では「重い電子系」と同様の異常な金属の振舞いを示すが、低温では非磁性絶縁体状態に変化する。

 本論文は、YbB12を主な対象として、近藤絶縁体の電子状態を高分解能光電子分光により研究したものである。

 本論文は9章から構成されている。第1章は序論で本研究の目的と背景が述べられ、第2章では光電子分光法についての説明がなされている。第3、4章には、この研究の比較的初期の段階でなされたYbB12およびYb1-xLuxB12合金に対する研究成果が示されている。第5、6章は本論文の中心部分で、高分解能光電子分光により測定されたYbB12とYb1-xLuxB12合金の伝導電子状態密度の温度依存性とLu濃度依存性について、詳細な記述がなされている。第7、8章は同様な研究をFeSi、Fe1-xCoxSi、FeSi1-xAlxに対して行ったものであり、第9章はまとめである。

 本研究から得られた主な成果は次の通りである。

 第3、4章では、放射光(125eV)やHe I光源(21.2eV)など、異なったエネルギーの光源を使い分けて、Yb4f電子とB2sp-Yb5d電子(以下、伝導電子と呼ぶ)の部分状態密度を観測している。これは、光源のエネルギーによってこれらの電子の光電子放出効率が異なるという光電子分光の特色を利用したものである。試料は多結晶で、測定温度は30Kに固定されている。4f電子状態密度からは、YbB12のバルクの近藤共鳴エネルギーが約25meV,Ybの平均原子価が約2.86であることが導かれている。また現象論的な自己エネルギー補正の方法や不純物アンダーソン模型を用いた解析を実行し、自己エネルギーの振舞いや4f-伝導電子間の混成相互作用に関する情報を得ている。一方、伝導電子状態に関しては、実験の分解能(23meV)が不十分なため、輸送現象の熱活性化エネルギー(約6meV)から推定される絶縁体ギャップを観測することは不可能であった。しかし、フェルミ準位から40meV程度広がった擬ギャップ(状態密度の窪みが0にまで達しないものを擬ギャップと呼ぶ)の存在が明かになり、Lu置換とともに擬ギャップが埋められることが示された。

 第4、5章では、伝導電子状態をさらに精密にしらべるために、He I光源による高分解能(7meV)光電子分光装置を用い、単結晶試料に対して約300Kから6Kまでの温度依存性とLu濃度依存性を測定した。その結果、幅広い擬ギャップの中に、10meV程度の鋭い擬ギャップが約75K以下の温度で出現することが判明した(真のギャップが観測されない理由として、表面状態の影響と分解能の不十分さが考えられる)。この鋭い擬ギャップはLu置換とともに埋められていくが、フェルミ準位から約80meV離れたあたりの状態密度は逆にLu濃度とともに減少することも見い出された。これらの擬ギャップの形状変化はLu濃度に対して一様ではなく、サイト間の相関が微妙にはたらいていることが示唆された。これまで、近藤絶縁体の機構を定性的に説明する試みはなされているが、定量的な理論にまでは発展していない。本論文で得られた成果は、定量的な理論が作られる際にその妥当性をチェックする貴重な実験事実となるであろう。

 第6、7章では、FeSiとその合金に対して同様な実験が行われ、温度変化や置換元素濃度に敏感な擬ギャップの存在がここでも認められた。FeSiはd電子系であるにもかかわらず、近藤絶縁体と類似の物性を示すことから、本実験の結果には興味がもたれる。しかし、残念ながら擬ギャップの窪みがYbB12と比較してあまりにも浅く(ちなみに、光学伝導度の実験では真のギャップが観測されている)、表面状態の影響を抑えることが今後の課題になると思われる。

 以上の研究は、現在最高水準の光電子分光装置を用い、その分解能が絶縁体ギャップの大きさと同程度というきびしい状況のもとで、光電子の表面敏感性というハンディキャップとも闘いながら進められた意欲的なものである。データ整理においても、光電子強度の温度依存性を電子のフェルミ分布に由来する部分と電子状態密度の温度変化に由来する部分に分離する過程などにおいて、細心の工夫が払われている。そこから得られた最先端の成果は、装置開発や試料作成における論文提出者の寄与が希薄であるという事情を差し引いても、なお、十分高く評価すべきものである。よって、本論文は博士(理学)の学位論文として合格であると審査員全員が認めた。

 なお、本研究は、藤森淳教授(指導教官)らとの共同研究となる部分を含むが、研究計画から実験の遂行、結果の考察まで、論文提出者が主体となって行ったものであることが認められた。

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