排水処理系や水環境の中に生息するアンモニア酸化細菌の濃度を測定したいというニーズは絶えることがない。これに対して、これまで利用されてきた培養によるMPN(Most Probable Number)法による測定は1か月という長い培養時間を要し、このことが実際の測定では問題になってきた。 この問題を解決すべく本研究では、近年利用可能になってきた分子生物学的手法の中でも、FISH(Fluorescence In Situ Hybridization)法とDot Blot Hybridization法を用いたアンモニア酸化細菌の定量を試みた。これらは、微生物が持つリボゾームRNAを標的とした20塩基程度のDNA(プローブ)を用いて、アンモニア酸化細菌を特異的に検出する測定手法である。この2つの測定手法に加えて、抗体法による簡易測定(以下、簡易抗体法)とMPN法をも併用し、アンモニア酸化細菌に対するこれら諸測定手法の実用性評価を行った。 実用性評価の核となったのは、以上の利用可能な4手法を用いた、様々なサンプルに対するアンモニア酸化細菌濃度の測定である。この研究で選択したサンプルは全て懸濁液の形態を取っているものであり、アンモニア酸化細菌濃度が高い順から、実験室内アンモニア酸化細菌集積培養系、都市下水処理場曝気槽汚泥混合液、都市下水処理場放流水、河川水系サンプルに分類される。 更に、FISH法に関しては深く掘り下げて、以下のような検討を行った。第一に、設計上はアンモニア酸化細菌の多くを検出できることになっているため、この研究にとって魅力的であるものの、原著通りの実験条件ではほとんど何も検出できないことが知られているNso190プローブ(Mobarry et al.,1996)に対して、実験条件の再最適化を行った。第二には、実際の実験において、顕微鏡観察を行う上で直面する、標的細菌からの蛍光の暗さ・サンプルそのものが持つ自家蛍光・プローブと夾雑物との非特異結合に対処する手法の開発を行った。第三には、標的細菌は存在するはずなのにFISH法で検出できない、という事実を論理的に説明するために、FISH法での観察結果とアンモニア酸化活性との相関の推定を行った。 その結果、以下のことが判明した。まず、それぞれの測定手法の定量下限は、等しく300倍濃縮を行った場合に対して、MPN法:7×10-4個/mL、簡易抗体法:1×104個/mL、FISH法:9×103個/mL、Dot Blot Hybridization法:1×103個/mLと推定された。培養を用いるMPN法の定量下限の低さが際立つ結果となり、その他の手法は、概ね103〜104個/mLに落ち着くことが分かった。 しかしながら、MPN法の問題点も明らかになった。様々なサンプルの中で、集積培養系のようにアンモニア酸化細菌の活性が高い系では、これらの諸方法による測定は問題なく可能であった。この場合、FISH法、簡易抗体法、Dot Blot Hybridization法のアンモニア酸化細菌計数結果は一貫しているが、MPN法はこれらの方法よりも1〜2オーダー低い結果となった。このことは主に、硝化細菌がクラスター構造を取っていることに起因していると考えられた。 FISH法によるアンモニア酸化細菌の計数は、標的細菌由来の蛍光が非常に明るいため、集積培養系では全く問題なく可能であり、そのため、得られる定量性は極めて高いと考えられた。このサンプルにおいて、Dot Blot Hybridization法、簡易抗体法での測定結果がFISH法での測定結果とほぼ一致することから、Dot Blot Hybridization法と簡易抗体法も十分な定量性を持っていると判断された。しかし、アンモニア負荷が比較的低い都市下水処理場の放流水、河川水ではFISH法による検出は困難であった。この場合、標的細菌からの蛍光そのものが暗いこと、サンプルの持つ自家蛍光、プローブと夾雑物との非特異的な結合が障害となった。これらの問題に対処する手法を開発することで、定量を行うことが可能になったが、得られた結果の信頼性は低いと考えられた。都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液での検出の容易さはサンプルによって異なっており、FISH法の実用的な適用限界が都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液にあることを伺わせた。これと関連して、FISH法での観察結果とアンモニア酸化活性との相関の推定を行ったところ、アンモニア酸化活性が存在していてもFISH法ではアンモニア酸化細菌が検出できない状況が存在することが分かった。更に、FISH法で検出できなくなる時にアンモニア酸化細菌の菌体1個が持つアンモニア酸化速度は、文献的に知られている速度の範囲の下端近くに位置すると推定されること、また、その時に系が持つアンモニア酸化速度は、都市下水処理場での実際の処理能力と符丁していることが推定された。夾雑物が多く自家蛍光が強いサンプルに対するFISH法に関しては、サンプルの前処理や標的細菌由来の蛍光を増幅させる技術を用いて、FISH法を改善することが必要と考えられた。 一方、Dot Blot Hybridization法では、河川水のようにアンモニア酸化細菌濃度が薄い系では測定結果が得られなかったものの、FISH法での測定が困難であった、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液や放流水サンプルからの定量が可能であった。これらのサンプルに対する測定では大きな問題は生じず、したがって、集積培養系で確認された定量性が、これらのサンプルでも維持できていると思われた。RNA抽出効率の安定性・レファレンスとなる純菌とサンプルとのRNA含量の違いに関する検討や、測定作業の煩雑さが未解決の問題点であるが、これらの事柄を解決すれば信頼性がより一層向上すると考えられた。 抗体法を用いた簡易測定では、陽性・陰性の判定にある程度の熟練が必要であり、また河川水や都市下水処理場放流水では夾雑物との非特異的な結合のために測定値が高めに出る傾向が見られたが、集積培養系ではMPN法以外の結果と一貫性のある測定結果が得られ、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液ではDot Blot Hybridization法に近い結果が得られた。このように活性汚泥処理を行っている系では簡易抗体法は実用性が高いと判断された。 河川水系に対しては、測定値を推定することができたのはMPN法と簡易抗体法だけであった。しかし、MPN法も簡易抗体法も結果は疑わしい。MPN法ではアンモニア酸化細菌のクラスター化などに起因する過小評価が、簡易抗体法では非特異結合が問題であるからである。この場合、真の値は、Dot Blot Hybridization法の定量下限とMPN法の測定値との間に存在すると考えられた。 なお,Nso190プローブに対する再最適化に関しては、アンモニア酸化細菌以外でNso190プローブに最も検出されやすい細菌とアンモニア酸化細菌に対して同時にFISH法を適用した結果、プローブの結合しにくさを制御するホルムアミド濃度を25%としたときが適正であることが分かった。原著論文での報告値は55%であり、大きく異なる結果が得られた。以上に述べてきた実験のうち、FISH法を用いた測定は、ここで最適化された実験条件を用いて行った。 以上の結果をまとめると、次のようなことが見えてくる。FISH法は、集積培養系のようにアンモニア酸化細菌の持つアンモニア酸化活性が高く標的細菌由来の蛍光がはっきり確認できる場合、強力な定量性を持っており、有効な定量手法であることが分かった。そして、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液がFISH法の実用的な適用限界に位置していると考えられた。Dot Blot Hybridization法は、定量下限まで安定した定量性を示しており、集積培養系・都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液・都市下水処理場放流水に有効に適用できると判断された。今後、RNA抽出効率、サンプルとリファレンスでのRNA含量の違いに対する議論を行うことで、一層高い定量性が得られると思われた。簡易抗体法は集積培養系・都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液に対して適切な方法であると判断された。MPN法はアンモニア酸化細菌のクラスター化に起因する過小評価が大きく、全般的に不適切な方法と考えられた。 懸濁系でのアンモニア酸化細菌の定量手法に関しては、サンプルの性状に応じて、適切な測定手法を選択して利用するのが現状では妥当である。今後、各測定手法の改善を進めていくべきであると考えられるが、その中でも、有効に適用できれば高い定量性が得られるFISH法の今後の展開に関する可能性を述べた。 |