学位論文要旨



No 114742
著者(漢字) 小沼,晋
著者(英字)
著者(カナ) コヌマ,ススム
標題(和) 分子生物学的手法を中心としたアンモニア酸化細菌定量手法の実用性評価
標題(洋)
報告番号 114742
報告番号 甲14742
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4512号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 佐藤,弘泰
内容要旨

 排水処理系や水環境の中に生息するアンモニア酸化細菌の濃度を測定したいというニーズは絶えることがない。これに対して、これまで利用されてきた培養によるMPN(Most Probable Number)法による測定は1か月という長い培養時間を要し、このことが実際の測定では問題になってきた。

 この問題を解決すべく本研究では、近年利用可能になってきた分子生物学的手法の中でも、FISH(Fluorescence In Situ Hybridization)法とDot Blot Hybridization法を用いたアンモニア酸化細菌の定量を試みた。これらは、微生物が持つリボゾームRNAを標的とした20塩基程度のDNA(プローブ)を用いて、アンモニア酸化細菌を特異的に検出する測定手法である。この2つの測定手法に加えて、抗体法による簡易測定(以下、簡易抗体法)とMPN法をも併用し、アンモニア酸化細菌に対するこれら諸測定手法の実用性評価を行った。

 実用性評価の核となったのは、以上の利用可能な4手法を用いた、様々なサンプルに対するアンモニア酸化細菌濃度の測定である。この研究で選択したサンプルは全て懸濁液の形態を取っているものであり、アンモニア酸化細菌濃度が高い順から、実験室内アンモニア酸化細菌集積培養系、都市下水処理場曝気槽汚泥混合液、都市下水処理場放流水、河川水系サンプルに分類される。

 更に、FISH法に関しては深く掘り下げて、以下のような検討を行った。第一に、設計上はアンモニア酸化細菌の多くを検出できることになっているため、この研究にとって魅力的であるものの、原著通りの実験条件ではほとんど何も検出できないことが知られているNso190プローブ(Mobarry et al.,1996)に対して、実験条件の再最適化を行った。第二には、実際の実験において、顕微鏡観察を行う上で直面する、標的細菌からの蛍光の暗さ・サンプルそのものが持つ自家蛍光・プローブと夾雑物との非特異結合に対処する手法の開発を行った。第三には、標的細菌は存在するはずなのにFISH法で検出できない、という事実を論理的に説明するために、FISH法での観察結果とアンモニア酸化活性との相関の推定を行った。

 その結果、以下のことが判明した。まず、それぞれの測定手法の定量下限は、等しく300倍濃縮を行った場合に対して、MPN法:7×10-4個/mL、簡易抗体法:1×104個/mL、FISH法:9×103個/mL、Dot Blot Hybridization法:1×103個/mLと推定された。培養を用いるMPN法の定量下限の低さが際立つ結果となり、その他の手法は、概ね103〜104個/mLに落ち着くことが分かった。

 しかしながら、MPN法の問題点も明らかになった。様々なサンプルの中で、集積培養系のようにアンモニア酸化細菌の活性が高い系では、これらの諸方法による測定は問題なく可能であった。この場合、FISH法、簡易抗体法、Dot Blot Hybridization法のアンモニア酸化細菌計数結果は一貫しているが、MPN法はこれらの方法よりも1〜2オーダー低い結果となった。このことは主に、硝化細菌がクラスター構造を取っていることに起因していると考えられた。

 FISH法によるアンモニア酸化細菌の計数は、標的細菌由来の蛍光が非常に明るいため、集積培養系では全く問題なく可能であり、そのため、得られる定量性は極めて高いと考えられた。このサンプルにおいて、Dot Blot Hybridization法、簡易抗体法での測定結果がFISH法での測定結果とほぼ一致することから、Dot Blot Hybridization法と簡易抗体法も十分な定量性を持っていると判断された。しかし、アンモニア負荷が比較的低い都市下水処理場の放流水、河川水ではFISH法による検出は困難であった。この場合、標的細菌からの蛍光そのものが暗いこと、サンプルの持つ自家蛍光、プローブと夾雑物との非特異的な結合が障害となった。これらの問題に対処する手法を開発することで、定量を行うことが可能になったが、得られた結果の信頼性は低いと考えられた。都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液での検出の容易さはサンプルによって異なっており、FISH法の実用的な適用限界が都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液にあることを伺わせた。これと関連して、FISH法での観察結果とアンモニア酸化活性との相関の推定を行ったところ、アンモニア酸化活性が存在していてもFISH法ではアンモニア酸化細菌が検出できない状況が存在することが分かった。更に、FISH法で検出できなくなる時にアンモニア酸化細菌の菌体1個が持つアンモニア酸化速度は、文献的に知られている速度の範囲の下端近くに位置すると推定されること、また、その時に系が持つアンモニア酸化速度は、都市下水処理場での実際の処理能力と符丁していることが推定された。夾雑物が多く自家蛍光が強いサンプルに対するFISH法に関しては、サンプルの前処理や標的細菌由来の蛍光を増幅させる技術を用いて、FISH法を改善することが必要と考えられた。

 一方、Dot Blot Hybridization法では、河川水のようにアンモニア酸化細菌濃度が薄い系では測定結果が得られなかったものの、FISH法での測定が困難であった、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液や放流水サンプルからの定量が可能であった。これらのサンプルに対する測定では大きな問題は生じず、したがって、集積培養系で確認された定量性が、これらのサンプルでも維持できていると思われた。RNA抽出効率の安定性・レファレンスとなる純菌とサンプルとのRNA含量の違いに関する検討や、測定作業の煩雑さが未解決の問題点であるが、これらの事柄を解決すれば信頼性がより一層向上すると考えられた。

 抗体法を用いた簡易測定では、陽性・陰性の判定にある程度の熟練が必要であり、また河川水や都市下水処理場放流水では夾雑物との非特異的な結合のために測定値が高めに出る傾向が見られたが、集積培養系ではMPN法以外の結果と一貫性のある測定結果が得られ、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液ではDot Blot Hybridization法に近い結果が得られた。このように活性汚泥処理を行っている系では簡易抗体法は実用性が高いと判断された。

 河川水系に対しては、測定値を推定することができたのはMPN法と簡易抗体法だけであった。しかし、MPN法も簡易抗体法も結果は疑わしい。MPN法ではアンモニア酸化細菌のクラスター化などに起因する過小評価が、簡易抗体法では非特異結合が問題であるからである。この場合、真の値は、Dot Blot Hybridization法の定量下限とMPN法の測定値との間に存在すると考えられた。

 なお,Nso190プローブに対する再最適化に関しては、アンモニア酸化細菌以外でNso190プローブに最も検出されやすい細菌とアンモニア酸化細菌に対して同時にFISH法を適用した結果、プローブの結合しにくさを制御するホルムアミド濃度を25%としたときが適正であることが分かった。原著論文での報告値は55%であり、大きく異なる結果が得られた。以上に述べてきた実験のうち、FISH法を用いた測定は、ここで最適化された実験条件を用いて行った。

 以上の結果をまとめると、次のようなことが見えてくる。FISH法は、集積培養系のようにアンモニア酸化細菌の持つアンモニア酸化活性が高く標的細菌由来の蛍光がはっきり確認できる場合、強力な定量性を持っており、有効な定量手法であることが分かった。そして、都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液がFISH法の実用的な適用限界に位置していると考えられた。Dot Blot Hybridization法は、定量下限まで安定した定量性を示しており、集積培養系・都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液・都市下水処理場放流水に有効に適用できると判断された。今後、RNA抽出効率、サンプルとリファレンスでのRNA含量の違いに対する議論を行うことで、一層高い定量性が得られると思われた。簡易抗体法は集積培養系・都市下水処理場の曝気槽汚泥混合液に対して適切な方法であると判断された。MPN法はアンモニア酸化細菌のクラスター化に起因する過小評価が大きく、全般的に不適切な方法と考えられた。

 懸濁系でのアンモニア酸化細菌の定量手法に関しては、サンプルの性状に応じて、適切な測定手法を選択して利用するのが現状では妥当である。今後、各測定手法の改善を進めていくべきであると考えられるが、その中でも、有効に適用できれば高い定量性が得られるFISH法の今後の展開に関する可能性を述べた。

審査要旨

 環境中で様々な機能を果たす微生物を検出・定量するために多くの手法が使われてきた。伝統的にはそれらの手法は大きく2つに大別され、一つは顕微鏡で見て数える・コロニーを作らせて計数する・重さを量るなどの方法で実際の微生物そのものを定量する方法、もう一つは微生物が行っている反応の活性を測定し間接的に微生物の存在を確認するものである。しかし、多様な微生物群集が複合微生物系を構成している環境ではある特定の微生物を検出することは一般に容易ではない。とくに、自然界あるいは排水からの窒素除去プロセスなどにおいて窒素化合物の形態変化に重要な役割を果たしているアンモニア酸化細菌は、増殖速度が遅くその濃度も一般には低いことから、重要であるにもかかわらず定量がむずかしくその存在量に関する議論は十分に行われてこなかったのが実状であった。しかし、ごく最近いくつかの新しいアンモニア酸化細菌の検出・定量方法が開発されこのような状況は改善されつつある。本研究では、近年発展の著しい分子生物学的な手法も含め、現在利用可能なアンモニア細菌定量法を比較検討しその実用性を評価するとともに、アンモニア酸化細菌を環境中で実際に定量する場合の留意点について検討した。また、これらの手法の中で、細胞内のリボゾームRNAをターゲットとして蛍光DNAプローブを用いて目的細菌を検出するFluorescence In Situ Hybridization(FISH)法については特にその詳細を検討し、改良をおこなったものである。

 本論文は「分子生物学的手法を中心としたアンモニア酸化細菌定量手法の実用性評価」と題し7章からなる。

 第1章は「はじめに」であり、本研究の位置づけと目的が記されている。

 第2章は「研究の背景と既往の研究」であり、アンモニア酸化細菌の定量の必要性に言及した上で、現在利用できるアンモニア酸化細菌の各種定量法をレビューしている。

 第3章は「測定に用いた試料」であり、本研究で扱った生物試料の培養方法・採取方法について解説している。

 第4章は「実験方法」と題し、本研究で扱ったアンモニア酸化細菌の各種分析法の手順と使用する上での留意点を解説している。また、その他の実験手法について述べている。

 第5章「結果と考察」が本論文の結果を述べた部分であり、4つの節に分かれる。まずはじめに、FISH法を用いてアンモニア酸化細菌を検出定量する際に問題となった蛍光シグナルの暗さを克服するためにハイブリダイゼーションにおけるプローブのstringencyの最適化をおこなった。また、サンプルの持つ自家蛍光やプローブの非特異的結合を画像解析により軽減する方法を開発した。

 次に、アンモニア酸化細菌定量法として、MPN法・簡易抗体法・Dot Blot Hybridization法・FISH法の4つの方法を用いて、Nitrosomonas Europaea(アンモニア酸化細菌)の純粋培養、アンモニア酸化細菌集積培養系2種、実験室内廃水処理リアクター1種、実下水処理場2カ所の流入水・活性汚泥・放流水、河川水(多摩川から4カ所)から取得したサンプルのアンモニア酸化細菌計測を行い、それぞれの方法の実用性評価を行った。その結果としてそれぞれの方法の適用条件を明らかにした。

 また、FISH法ではアンモニア酸化細菌からの蛍光シグナルの強度が微生物の活性に依存している可能性があった。そこで、アンモニア酸化細菌の集積培養を嫌気または好気条件下に長時間放置してアンモニア酸化活性の低下を主じさせ、それに伴いFISH法での定量結果がどう影響されるかを見る実験を行った。その結果、アンモニア酸化活性が測定できてもFISH法ではアンモニア酸化細菌の存在を確認できないような状況が原理的にあり得ることを確認し、FISH法によるの測定限界を求めた。

 さらに、多種類のアンモニア酸化細菌検出用プローブを用いて6カ所の活性汚泥法プラントの汚泥中のアンモニア酸化細菌を分析した。その結果からFISH法によるアンモニア酸化細菌定量の問題点を考察しその技術的改良の可能性について提言した。

 第6章は「おわりに」であり、本研究全体を総括している。また第7章は参考文献である。

 本論文の最大の功績は、これまで用いられてきた伝統的な方法に加え、FISH法によるアンモニア酸化細菌定量手法的の実用性を評価し、それぞれの方法の適用条件を明らかにしたことにある。今後アンモニア酸化細菌を定量しなければならないケースは増えることが予想され、そのような場合に本研究で得られた知見は非常に有用であろう。以上のような観点から、本研究は都市工学とりわけ環境工学の発展に大きく寄与するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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