学位論文要旨



No 114743
著者(漢字) 島崎,大
著者(英字)
著者(カナ) シマザキ,ダイ
標題(和) コメットアッセイを用いた環境水に含まれるDNA損傷性の検出
標題(洋)
報告番号 114743
報告番号 甲14743
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4513号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 迫田,章義
 東京大学 助教授 浦瀬,太郎
内容要旨

 都市における循環的な水利用の現況において、都市活動を通じて水環境系中に放出され続けている既知ないしは未知のさまざまな微量化学物質が、はたして人の健康に対してどの程度のリスクを与えうるのか。可能な限り明確に提示しておくことが必要であり、また急務である。このような問題を解明する試みとして、水環境中を対象としたバイオアッセイにこれまでAmes testやumu testといった試験法が広く適用されており、また細菌類を用いた試験法以外にも高等生物の細胞を用いた染色体異常試験や小核試験などが積極的にとりおこなわれ、様々な成果をあげるに至っている。

 有核細胞のDNA損傷検出法として、近年開発されたコメットアッセイ(Singlc cell gel electrophoresis assay)が90年代において急速に広まっている。それ以前の検出法と比較して損傷の検出感度が非常に高い、簡易で短時間に行える、微量の細胞で実施できる等の利点を持ち、これまでにDNA損傷に関わる様々な分野の研究に適用されている。水環境への適用例は環境中に生存する水生生物の細胞を用いたバイオモニタリングが主であるが、過去に工場排水の未濃縮河川放流水を対象としてヒト培養細胞に接触させ有意なDNA損傷が検出されたとの報告がなされており、人への健康リスクを評価する上でのDNA損傷性検出法としても適用できる可能性は大きいものと思われる。また、既存の遺伝毒性試験と比較して、検出可能な感度や検出される損傷性の特性面でどのような相違がみられるのか、たいへん興味深い。

 本論文においては、まずコメットアッセイの実験手法について各過程ごとに概観したうえ、操作上の著しい非効率となるゲル剥離の問題、および検出精度の信頼性を損なう擬陽性の問題について明らかにした。問題を引き起こす要因の推定と改善策について検討を行い、最終的に相当部分を解消することができた。加えて、コメットアッセイの擬陽性ないしは擬陰性、検出感度や再現性に影響を与える項目をとりまとめて提示した。

 また本研究の試験手法において陽性対照物質4NQO(代謝活性化なし)およびB(a)P(代謝活性化あり)に対する用量-反応関係が適切に検出できていることを確認した。最小投与濃度の1.0g-B(a)P/mLおよび0.03g-4NQO/mLにおいて、有意と判定される(2標本のコルモゴロフ=スミルノフ検定・危険率5%以内)DNA損傷が検出され、これ以下の濃度においても検出できる可能性が示唆された。一方、遺伝毒性試験umu testにおいて陽性と判定された(-ガラクトシダーゼ活性値が陰性対照の2倍以上)投与濃度は3.3g-B(a)P/mLおよび0.3g-4NQO/mLであった。陽性判定の方法が両者の間で異なるためこれらの数値をもっての比較には注意を要するが(コメットアッセイの判定基準を危険率1%以内まで厳しくするとB(a)Pの最小検出濃度は5.0g-/mLとなり、umu testと同程度であると判断できる)、このような感度面での差異は、ヒトリンパ球とサルモネラ菌類との応答性の違いに加えてコメットアッセイが発生頻度の高いDNA1本鎖切断を主たる検出対象としているために生じているものと推定された。

 次に、実際の環境水試料に含まれるDNA損傷性の検出を行った。試料水中に含まれるDNA損傷物質を広範囲に回収するべく、高性能吸着樹脂カートリッジ(CSP800)を用いた固相抽出法により試料水の濃縮を用いた。河川水を対象とした試験として、多摩川河川流域の4地点(羽村堰、関戸橋、多摩川原橋、丸子橋)にて採水を行い500倍に濃縮してコメットアッセイに供した。S9mixを添加した場合において、羽村堰および多摩川原橋から採水した濃縮試料では陰性対照と同様ほとんどDNA損傷を生じなかったが、関戸橋および丸子橋については有意と判定されるDNA損傷が観察された。一方、S9mix未添加の実験系においてはまったくDNA損傷が生じておらず、多摩川河川水に含まれるDNA損傷性は、代謝活性化によって初めて損傷性を発現する間接変異原に由来するものが大部分であることが示された。これらの結果はAmes試験および小核試験による既往の研究結果と同様であり、また主に被験生物種や検出原理の違いにより高感度にDNA損傷を検出できることが推察された。

 下水処理場流入水では、10倍以上の濃縮倍率に相当する試料において有意と判定されるDNA損傷が検出された。DNA損傷に寄与する物質群が生下水中に多量に含まれている可能性が示された。

 廃棄物埋立処分場から採取した浸出水では、S9mix添加で3倍濃縮相当の試料に対して、有意と判定されるDNA損傷を検出できた。遺伝毒性試験umu testでは200倍濃縮試料を用いても有意なSOS応答は検出できなかった。またAmes testによる往来の研究においても100倍程度の濃縮倍率を設定していることより、コメットアッセイはこれら細菌類を用いた遺伝毒性試験と比較して相対的に低い濃縮倍率でDNA損傷を検出できる可能性が示唆された。

 また浸出水試料については、濃縮時のpHや代謝活性化の有無、抗酸化剤メラトニンの添加による応答性の違いを観察し、コメットアッセイにおいて検出されるDNA損傷の特性とその推定される由来について考察を行った。S9mixを添加した系では酸性濃縮試料・中性濃縮試料ともに対照と比較して明らかに有意なDNA損傷を生じており、特に酸性濃縮試料には中性濃縮試料よりも強いDNA損傷性が観察された。一方S9mix未添加の系においては、10倍濃縮の試料と接触させてもほとんどDNA損傷を生じなかった。濃縮倍率を50倍まで上げてはじめて陽性と判定される有意差が認められた。

 既往の浸出水を対象とした研究によれば、埋立処分場浸出水の濃縮試料はS9mix添加、未添加にかかわらずAmes testにより検出される遺伝毒性に差を生じない、あるいはS9mix添加時には毒性が減少するとの結果が得られており、代謝活性化によらず損傷性を発現する直接変異原として作用することが示されている。一方コメットアッセイではこれらの知見とは異なり、10倍濃縮試料ではS9mix添加系のみに損傷が見られ、代謝活性化によって初めて損傷性を発現する間接変異原が主であった。廃棄物焼却灰を対象としたAmes testにおいて同様にS9mix添加時で多くの変異原性が認められたとの報告があり、今回の研究で用いた浸出水に含まれるDNA損傷性物質についても、埋立処分される廃棄物の数十パーセントを占める焼却灰の寄与する部分が多いものと推察された。

 また浸出水試料に抗酸化剤メラトニンを添加することで、試料中に含まれる酸化的DNA損傷因子のふるい分けを試みた。Tail DNA%の平均値や中点値などは各々減少したが、未添加の系とのコルモゴロフ=スミルノフ検定上の有意差は生じていなかった。

 以上、本研究で用いたヒトリンパ球細胞株によるコメットアッセイは、環境水に含まれるDNA損傷性を高感度に検出でき、またその特性についての情報も提供しうる、可能性に富む手法である。

 将来の課題としては、第一にさまざまな環境水を対象としたケーススタディの蓄積が挙げられる。近年のコメットアッセイの変法では、操作条件の調整や修復酵素の添加などにより特定種類のDNA損傷のみを検出することが可能となっている。本研究で試みたような、環境水中のDNA損傷因子の推定といった方面での発展、すなわち精密なスクリーニング手法としての適用にも興味深い面がある。微量物質分析と組み合わせて精密な解析に供することができれば、より有用な情報が得られるものと考える。

 また本法は、従来の細菌類を用いた遺伝毒性試験法とは異なる生物種およびDNA損傷機構に基づいており、直接的なDNA鎖切断に加えてアルカリ易溶出部位やDNA切除修復部位なども一様に検出対象となっている。従来の遺伝毒性試験との総合的な比較検討に加え、これらの各事象でスクリーニングを行うことの妥当性なども含めた、毒性学的な評価についても検討が必要であると思われる。

審査要旨

 本論文は、「コメットアッセイを用いた環境水に含まれるDNA損傷性の検出」と題し、有核細胞のDNA損傷検出法として近年開発されたコメットアッセイ(Single cell gelelectrophoresis assay)をヒト培養細胞を用いた水環境中のDNA損傷性検出に適用し、人への健康リスクを評価する上での環境水中のDNA損傷性検出法としてその有効性を明らかにした研究である。また、既存の遺伝毒性試験と比較して、検出可能な感度や検出される損傷性の特性面でどのような相違がみられるのかを検討している。

 第1章は「緒論」である。研究の背景を述べた後、水環境を対象としたバイオアッセイについてまとめ、また論文の構成を示している。

 第2章「コメットアッセイにおける既往の研究」では、コメットアッセイに関する最新の文献レビューを行っている。

 第3章「コメットアッセイの実験手法における問題点と改善策」では、まずコメットアッセイの実験手法について各過程ごとに検討したうえ、操作上著しく非効率となるゲル剥離の問題、および検出精度の信頼性を損なう擬陽性の問題について明らかにしている。問題を引き起こす要因の推定と改善策について検討を行い、問題の解決に成功し、加えて、コメットアッセイの擬陽性ないしは擬陰性、検出感度や再現性に影響を与える項目をとりまとめて提示している。また本研究の試験手法において陽性対照物質4NQO(代謝活性化なし)およびB(a)P(代謝活性化あり)に対する用量-反応関係が適切に検出できている。

 第4章「環境水中でのDNA損傷性」では、実際の環境水試料に含まれるDNA損傷性の検出を行っている。河川水を対象とした試験として、多摩川河川流域の4地点(羽村堰、関戸橋、多摩川原橋、丸子橋)にて採水を行い500倍に濃縮してコメットアッセイに供した結果、S9mixを添加した場合において、羽村堰および多摩川原橋から採水した濃縮試料では陰性対照と同様ほとんどDNA損傷を生じなかったが、関戸橋および丸子橋については有意と判定されるDNA損傷が観察された。一方、S9mix未添加の実験系においてはまったくDNA損傷が生じておらず、多摩川河川水に含まれるDNA損傷性は、代謝活性化によって初めて損傷性を発現する間接変異原に由来するものが大部分であることが示された。これらの結果はAmes試験および小核試験による既往の研究結果と同様であり、また主に被験生物種や検出原理の違いにより高感度にDNA損傷を検出できることを明らかにしている。

 下水処理場流入水では、10倍以上の濃縮倍率に相当する試料において有意と判定されるDNA損傷が検出され、DNA損傷に寄与する物質群が生下水中に多量に含まれている可能性が示された。廃棄物埋立処分場から採取した浸出水では、S9mix添加で3倍濃縮相当の試料に対して、有意と判定されるDNA損傷を検出している。遺伝毒性試験umu testでは200倍濃縮試料を用いても有意なSOS応答は検出できず、またAmes testによる既往の研究においても100倍程度の濃縮倍率を設定していることより、コメットアッセイはこれら細菌類を用いた遺伝毒性試験と比較して相対的に低い濃縮倍率でDNA損傷を検出できることが示されている。

 第5章「DNA損傷因子の特性とその推定」では、浸出水試料について濃縮時のpHや代謝活性化の有無、抗酸化剤メラトニンの添加による応答性の違いを調べ、コメットアッセイにおいて検出されるDNA損傷の特性とその推定される由来について考察を行っている。S9mixを添加した系では酸性濃縮試料・中性濃縮試料ともに対照と比較して明らかに有意なDNA損傷が生じており、特に酸性濃縮試料では中性濃縮試料よりも強いDNA損傷性が検出された。コメットアッセイでは、10倍濃縮試料でS9mix添加系のみに損傷が見られ、代謝活性化によって初めて損傷性を発現する間接変異原が主であること、また廃棄物焼却灰を対象としたAmes testにおいても同様にS9mix添加時で多くの変異原性が認められたとの報告があり、今回の研究で用いた浸出水に含まれるDNA損傷性物質についても、埋立処分される廃棄物の数十パーセントを占める焼却灰の寄与する部分が多いものと推定している。

 第6章は「結論」である。

 以上要するに、ヒトリンパ球細胞株によるコメットアッセイは環境水に含まれるDNA損傷性を高感度に検出でき、またその特性についての情報も提供しうる有効な手法であることが明らかにされ、本論文により得られた知見は都市環境工学の学術の進展に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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