学位論文要旨



No 114752
著者(漢字) 韓,奉勲
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ボンフン
標題(和) 急速圧縮機によるノッキングの燃焼特性に及ぼす直流電界の効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 114752
報告番号 甲14752
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4522号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 助教授 畔津,昭彦
 東京大学 助教授 土橋,律
内容要旨

 近年,地球環境問題の高まりとともに,自動車から排出される有害排気ガスや燃費に対してその規制は一段と厳しくなってきた.有限な地球エネルギー資源の効果的な利用とCO2などの温室効果ガスの排出抑制の要求に対応しながら自動車の商品価値の一つである高出力化を図るためには,エンジンの圧縮比の向上が必要である.しかしながら,火花点火機関の圧縮比が高くなると,理論熱効率が上昇する反面,ノッキング(またはノック)という異常燃焼が生じ,圧縮比の上限値は制限されている.ノッキングの問題を解決するためノッキングに関して従来から多くの研究がなされてきた.

 一方,電界が燃焼に影響を及ぼすことはかなり昔から知られており,その機構究明に関する数多くの研究が行われている.炭化水素の火炎にはH3O+,C3H3+,CHO+などの正イオンや負イオンおよび電子といった荷電粒子が存在していることが知られており,火炎に電界を印加すると,その様子が変化する.そのような変化にはイオンや電子が重要な役割を果たす.また電界印加による火炎のイオン電流の変化が,火炎伝ぱや点火遅れが重要な意味を持つと考えられる火花点火機関のノッキングの燃焼特性に影響を及ぼす可能性があることを示唆している.しかしながら,電界とノッキング強度との関連性についての研究は見られない.そこで,本論文では,炭化水素の火炎にはイオンや電子といった荷電粒子が存在していることに注目し,直流電界がノッキングの燃焼特性に及ぼす効果を把握することを目的として,急速圧縮機を用いノッキング燃焼特性に及ぼす直流電界の効果について実験的に調べた.さらに,イオン電流を測定することで,ノッキングの燃焼特性に及ぼす直流電界の影響を明確にすることとした.

 火花点火機関のノッキング燃焼に及ぼす直流電界の効果について調べるため,本研究では,燃焼室の壁面から3.5mm離れたところに設けた点火プラグにより,急速圧縮装置によって圧縮された混合気を火花点火させ,火花点火機関のノッキング燃焼を模擬した.

 燃焼室内に直流電界を印加するため,燃焼室ヘッド部には直径28mmの銅製の円板電極をシリンダヘッドの中心に配置した.なお,リング状の絶縁材を燃焼室内に配置し,絶縁材の円周の中央に設けた溝に沿って直径1.0mmのニクロム線を埋め込み,それを電界印加用の電極として用いた.接地されている金属部分とニクロム線との間にに-6kVから+6kVの電圧を印加し,電界の強度を変化させた.ニクロム線の電極にプラス電圧を印加する場合,その極性はプラスになる.逆に,電極の極性がマイナスになる場合は,その反対にする.これらの電極電極間の距離が短ければ短いほど電界が支配する領域が増加するため,電界の効果という面では有利である.しかしながら,電極間の距離を短くすると電極の近傍で放電が発生してしまう.また自続放電が生じると,活性化学種が生成され点火遅れが減少することが知られており,これが実験に何らかの影響を及ぼすことが考えられる.そのため自続放電が生じないようにする必要がある.特に混合気が点火プラグによって点火し,火炎伝ぱが進行する途中で電極の近傍で放電が発生してしまうと,その時のノッキング燃焼はかならずしも未燃ガスの自発点火によるとは言えない.放電により電極が加熱され,熱面点火によってノッキング燃焼の発生する恐れがあり,実験結果の解析が困難となる.したがって電極間の距離はある程度維持する必要があり,本研究において電極間の最短距離は5.88mmとなっている.なお,電界を印加する場所を変えるために,ニクロム線の電極は三種類を用いた.三つの電極はそれぞれ電極の長さ順にL電極,M電極,S電極になっており,その長さはそれぞれ106.8mm,53.4mm,26.7mmである.

 本実験で主に測定したのは,0〜+10Vの電圧として出力される燃焼室内圧力とイオン電流である.燃焼圧力の測定には圧電型圧力センサーを用いた.火炎面には化学イオン化反応によるイオンや電子が存在するため,燃焼過程の混合気に電界を印加すると,イオンや電子が移動してイオン電流が流れる.またイオンや電子の移動にともなうイオンや電子の数密度の変化は燃焼過程の化学反応に影響を及ぼすと考えられる.したがって,これらのイオン電流測定は混合気の燃焼過程に影響を及ぼす機構の解明を試みる上で重要である.そこで本実験では,燃焼シリンダ部に配置されている電界印加用の電極そのものをイオン電流測定イオンプローブとして用い,イオン電流測定を行った.また,燃焼室ヘッド部を石英ガラス付きヘッドに取り替えることにより,燃焼室内の可視化が可能であり,高速度ビデオカメラを用いて火炎の直接写真を撮影した.

 本研究では,正ブタン-空気の混合気を用い,燃焼室壁面温度295K,混合気の初期圧力P0=1.0atm,圧縮比=7.75,当量比=1.0の実験条件下で実験を行った.燃焼室の内径は51mm,燃焼ピストンの行程は210mmである.圧縮圧力と圧縮時間の平均値はそれぞれ1.34MPa,42.3msである.この場合平均ピストン速度は約5m/sであり,エンジン回転数に換算すると710rpmに相当する.

 本研究では燃焼圧力の時系列データを9kHzのハイパスフィルタ処理によって求めた変動圧力を用い,ノッキング強度を定義しする.なお電界印加によるノッキング強度の減少率を定量的に調べるため,電界を印加しない場合のノッキング強度に対するノッキング強度の減少率を求めた.

 燃焼圧力をハイパスフィルタ処理によって求めた変動圧力は,ガスの内部摩擦などのためノッキング発生からの時間経過とともに対数減衰することが分かる.なお,その減衰率はノッキング強度にかかわらずほぼ一定である事を確認した.燃焼終わり圧力は圧力振動発生以降の減衰波形の中央値を自発点火発生時に外挿して求めた.自発点火発生時のエンドガス量とノッキング強度との関係を調べるため,これらの圧力から,火炎伝ぱによる燃焼質量割合を求めた.

 急速圧縮機を用い,ノッキングの燃焼特性に及ぼす直流電界の効果について調べた結果,以下の事項が明らかになった.

 いずれの電極を用いた場合にも電界がノッキング強度減少率に影響を及ぼすことが確かめられた.その影響は電極形状や極性によって異なるものであったが,各々の電極では,ノッキング強度の定義によらず電界強度の増加とともにノッキング強度減少率は増加する.一方,正・負の極性を比較すると,電界強度に対する傾向は同様であるが,負極性の場合のノッキング強度減少率は,正極性の場合より小さい.

 直流電界を燃焼室内に印加した際,ノッキング強度は電極の形状によらず,火炎伝ぱによる燃焼質量割合に強く依存し,燃焼質量割合の増加とともに減少する.

 電界が火炎伝ぱにどのように影響を及ぼすかを調べるため,電界の印加場所を変化させた結果,エンドガスにのみ電界印加の場合に比べ,火炎伝ぱ領域にも電界を印加させた場合がノッキング強度減少率に与える影響が大きいことが分かった.高速度ビデオカメラを用いて火炎伝ぱの直接写真撮影を行ったところ,電界印加により火炎伝ぱ速度が大きくなることが確認された.エンドガスにのみ印加の場合に比べ,火炎伝ぱ領域にも電界を印加させた場合,燃焼質量割合が2〜3%増加する程度で,電界印加による火炎伝ぱの促進効果は大きくない.

 電界印加による火炎伝ぱの促進効果がほとんどないと思われる電極においても,電界印加により燃焼質量割合が増加することが分かった.その理由について明確にするため,電極そのものをイオンプローブとして用い,火炎面のイオン電流とエンドガスのイオン電流の測定を行った.

 正電界を印加した場合,電界強度が大きくなると火炎面のイオン電流とエンドガスのイオン電流が増加する.一方,負電界を印加する場合は,正電界の場合よりは高くないが同じように電界強度の増加とともに火炎面のイオン電流とエンドガスのイオン電流が増加する.どちらの極性においても,電界強度が大きくなると,火炎面のイオン電流とエンドガスのイオン電流が大きくなり,ノッキング強度が減少する.なお,冷炎のイオン電流に対する火炎面のイオン電流の割合は,極性と電界強度によって変わることが分かった.

 LivengoodとWuが提案した式を用い,冷炎および自発点火の発生時期の予測を行った結果によると,冷炎および自発点火の発生時期の予測値はそれぞれ実験結果の3%,5%の誤差範囲でよく一致することが分かった.さらに,電界印加による点火遅れの変化を明らかにし,電界強度が大きくなると自発点火の発生時期が遅くなることが分かった.ただ,自発点火発生時期が1.6%遅くなることによる燃焼質量割合の増加分はおよそ1.0%にすぎない.このことから,電界印加による自発点火発生時期の変化がノッキング強度の減少にはあまり影響しないと考えられる.

 以上のように,直流電界がノッキング強度に大きな影響を及ぼしていることが明らかとなった.また,イオン電流,すなわち火炎のイオン電流やエンドガスのイオン電流の電界依存性から,電界による化学イオン化反応の変化がノッキングの燃焼特性に影響を及ぼすことが明らかとなった.このように,直流電界がノッキング強度を減少させるのに効果があることが確かめられたことにより,電界が燃焼に影響を及ぼす機構の解明や火花点火機関のノッキング制御という実用上の観点からも新しい糸口になるものと期待される.

審査要旨

 修士(工学)韓奉勲提出の論文は,「急速圧縮機によるノッキングの燃焼特性に及ぼす直流電界の効果に関する研究」と題し,5章から成っている。

 有限な地球エネルギー資源の効果的な利用とCO2などの温室効果ガスの排出抑制の要求に対応しながら自動車の商品価値の一つである高出力化を図るためには,エンジンの圧縮比の向上が有効である.しかしながら,火花点火機関では圧縮比を高くすると,理論熱効率が上昇する反面,ノッキングが発生し,不快音や,ひいては機関損傷が生じるので圧縮比の上限値は制限されている.このため,ノッキングの問題を解決するため従来から多くの研究がなされてきた.

 一方,電界が燃焼に影響を及ぼすことはかなり昔から知られており,その機構解明に関する数多くの研究が行われている.炭化水素の火炎にはH3O+,C3H3+,CHO+などの正イオンや少数の負イオンおよび電子などの荷電粒子が存在している.たとえば,火炎に電界を印加すると,その形状が変化し,いわゆるイオン風の効果が起こる.一方,火花点火機関のノッキング発生時においては,火炎伝ぱとエンドガスの自発点火という二種類の燃焼現象が競合してノッキングの強度を支配している.したがって,この場合にも電界印可の効果がありそうなことは十分予想できる.しかしながら,電界印可とノッキングとの関連性についての研究は報告されていない.

 本論文では,以上のような背景から,直流電界がノッキング発生時の燃焼特性に及ぼす効果を明らかにすることを目的として急速圧縮機を用い,その燃焼室に電極を配置して直流電界を印可してその効果を調べている.さらに,イオン電流の測定や形状の異なる電極を用いることにより,その効果の機構を明確にしている.

 第1章は序論であり,本研究の背景を述べ,関連する研究の成果とその問題点を検討し,本論文全体を概観することで研究の目的と意義を明らかにしている.

 第2章では実験装置および実験方法について述べている.まず,実験装置を構成する急速圧縮機,測定系および制御系について説明している.また,直流電界を印加するために燃焼室内シリンダ壁に取り付けた電極の形状と配置に関して説明し,さらに,電界印加用の電極そのものをイオンプローブとして用いるイオン電流測定の方法を説明している.

 第3章では燃焼圧力の時系列データをFFT処理することにより周波数特性を調べるとともに,ノッキング発生時の燃焼室圧力波形の解析を行っている.また,ノッキング燃焼特性に及ぼす電界印加の効果を定量的に調べるため,ノッキング強度,ノッキング強度減少率,火炎伝ぱによる燃焼質量割合などの定義とその有用性について述べている.さらに,イオン電流波形の解析について説明している.

 第4章では実験結果および考察について述べている.まず,電界がノッキング強度減少率に影響を及ぼすことが確かめられている.その程度は電極の形状や配置,極性によって異なるが,電界強度の増加とともにノッキング強度減少率が増加することを明らかにしている.すなわち,電界の印可によってノッキングを抑制できることを見いだしている.また,ノッキング強度は電界強度や電極の形状によらず,火炎伝ぱによる燃焼質量割合に強く依存し,燃焼質量割合の増加とともに減少することを示している.つぎに,電極の形状と配置を変えると電界の印加領域を変化させることになるが,この場合の電界が火炎伝ぱに及ぼす影響を調べている.その結果,エンドガス領域のみの印加の場合に比べ,火炎伝ぱ領域にも電界を印加した場合のほうがノッキング強度減少率に与える影響が大きいことを明らかにしている.イオン電流の測定においては,電界強度が大きくなるとイオン電流が増加する傾向があることから,ノッキング強度の変化を化学イオン化反応およびイオンの移動と関連付けて考察を行っている.さらに,電界印加による点火遅れの変化に関して,電界強度が大きくなると点火遅れが大きく,すなわち自発点火の発生時期が遅くなることを見いだしている.ただし,自発点火発生時期が1.6%遅くなることによる燃焼質量割合の増加分はおよそ1.0%にすぎない.このことから,電界印加による自発点火発生時期の変化はノッキング強度の減少にはあまり影響しないとしている.

 第5章は結論であり,本研究において得られた結果を要約している.

 以上要するに,本論文では直流電界がノッキング強度に大きな影響を及ぼすこと,ノッキング強度は条件によらず火炎伝ぱによる燃焼質量割合で一義的に決まることを明らかにし,また,イオン電流の電界依存性から,電界による化学イオン化反応の変化がノッキングの燃焼特性に影響を及ぼすことを明らかにしている.このように,直流電界がノッキング強度を減少させるのに効果があることが確かめられたことにより,電界が燃焼に影響を及ぼす機構の解明や,火花点火機関のノッキング制御に対しても新しい糸口になるものと期待され.燃焼学,内燃機関工学上寄与するところが大きい.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク