近年、高窒素ステンレス鋼が注目されるようになった。窒素は、ステンレス鋼の諸性質を向上させるために使用されている合金元素の一つである。オーステナイト系ステンレス鋼では、窒素の添加が強度を上昇させ、耐孔食性に対して有効であることが広く知られている。しかしながら、腐食の面からとらえたステンレス鋼に対する窒素添加の影響は、いまだに不明な点が多い。本研究では、ステンレス鋼を使用する上で問題となる局部腐食のうち、特に温和な環境においても発生しうるすきま腐食に着目し、それに対する窒素添加の効果を検討した。 第1章は序論であり、窒素添加ステンレス鋼の局部腐食に関する従来の研究についてまとめ、孔食電位の貴化に及ぼす機構の解明には多くの研究者が取り組んでいるものの、実機で最も重要なすきま腐食に関して報告がほとんどない、という現状の問題点を述べた。また、本研究で用いた手法、局部腐食に関する臨界電位概念、すきま腐食の再不動態化電位(ER,CREV)、およびモアレ縞パターンを画像解析することによって金属表面上の侵食深さ分布を三次元的に測定できるシステム(モアレ法システム)、について解説した。 第2章では、まずオーステナイト系ステンレス鋼として304鋼および316鋼をとりあげ、これらに窒素を添加した鋼のすきま腐食挙動を80℃の3%NaCl水溶液中で調べた。まず、鋼中窒素量とER,CREVとの関係を調べた結果、窒素量が多くなるほどER,CREVは貴化することがわった。この結果は、鋼中の添加窒素がすきま腐食再不動態化に影響を及ぼさなかったとする多鋼種での結果とは異なる。この窒素量の効果を調べるため、Sp=%Cr+3.3%Mo+n%NとおきSpと実測したER,CREVとを比較したところ、n=16のとき両者によい相関関係が見られた。 次に、窒素を添加した304系および316系ステンレス鋼の金属/ガラス-すきまにおいて成長しつつあるすきま腐食の侵食深さ分布をモアレ法システムで、その場測定した。測定した結果から、成長性すきま腐食には臨界深さhが存在し、すきま腐食の成長は二つの段階に分けられることがわかった。それは、侵食がhに達していない初期段階(第I段階)と、hを超えた後にすきま腐食が定常的に成長を続ける段階(第II段階)とであり、この間にはすきま腐食の成長が一時的に停滞する段階も存在する。第I段階での溶解速度をVI、第II段階での溶解速度をVIIと表す。VIは304鋼および316鋼とも窒素添加により影響されず、また電位依存性も小さかった。これに対してVIIは、窒素添加量および電位に依存した。VIIのER,CREV直上の電位における値(VII*)は、304鋼では窒素添加とともに減小したが、316鋼においては窒素添加によるVII*への影響は見られなかった。これはMo添加の影響の方が窒素添加のそれより大きいためと考えられる。続いて、第II段階まで成長した画素面積(SII)と第I段階後に再不動態化した画素面積(SI)との比(SII/SI)について検討したところ、304鋼および316鋼ともに、(SII/SI)は窒素添加により減小し、不動態化特性が良くなることがわかった。 第3章では、Cl-と共存するアニオン(SO42-,NO3-)の影響を調べた。これは、ステンレス鋼中窒素添加の影響との比較するためでもあった。SO42-の液添加により、304系ステンレス鋼のER,CREVは貴下することがわかった。NO3-の液添加は、304鋼および316鋼ともにER,CREVを貴化し、これは窒素添加と同様な結果であった。溶解挙動に対しては、SO42-の液添加により、304鋼のVIIは増加し、316鋼は減少することがわかった。これに対しNO3-の液添加は、304鋼および316鋼ともにVIIを減小させ、窒素添加と同じ効果を見られた。また、窒素添加304鋼のすきま腐食内部の水溶液イオンクロマトグラフィー分析からアンモニウムイオン(NH4+)が検出された。これは、アンモニア発生反応の証拠であって、窒素添加による耐孔食性向上の機構の一つとして、従来から提案されている。NO3-を含む水溶液中で通常(窒素無添加)304鋼にすきま腐食を発生させ、すきま内溶液をイオンクロマトグラフィー分析分析したところ、ここでもNH4+が検出された。 第4章では、二相系ステンレス鋼への窒素添加効果を検討することを目的として、窒素添加二相系ステンレス(25Cr-7NI-3Mo-N)鋼および最も窒素添加量の多い(25Cr-7NI-3Mo-0.29N)鋼のオーステナイト相あるいはフェライト相と同一の組成を有する鋼について、これらのすきま腐食挙動を調べた。 窒素を添加した二相系ステンレス鋼のER,CREVを80℃の3%NaCl水溶液中で測定したところ、オーステナイト系ステンレス鋼と同様、窒素量が多くなるほどER,CREVは貴化し、第2章で求めたSpとよい相関関係が見られた。二相ステンレス鋼においては、第I段階での溶解速度(VI)、第II段階での溶解速度(VII)およびER,CREV直上の電位におけるVII(VII*)のいずれも、電位依存性および窒素添加量依存性が小さかった。 25Cr-7NI-3Mo-0.29N(二相ステンレス鋼)とオーステナイト相あるいはフェライト相の組成を有する鋼との比較した場合、二相ステンレス鋼のVIIおよび面責比(SII/SI)は、ともにオーステナイト相およびフェライト相のそれらの中間にあって、両相の影響が現れていると考えられる。 第5章では、第2章での測定結果をもとに、すきま腐食が定常的に成長を続ける段階(第II段階)まで達した画素(活性点)の分布や位置、大きさを求め、これらとすでに求めてある溶解速度とからすきま内部の液性を見積もるモデルの確立を試みた。ここでは、金属イオンとCl-のみを考慮し、すきま内液は定常状態にあることから、フラックスとしては金属イオンのみを考えた。これと電気的中性条件を連立させた2次元モデルを作り、有限要素法によって各イオンの濃度分布を求めた。さらに、従来から得られている304鋼および316鋼に関してのpHとCl-濃度との関係式を用いて、すきま内のpHを推定した。再不動態化電位直上の電位(ER,CREV+30-40mV)での測定結果をもとに推定されたすきま内pHは、いずれの鋼種においてもそれの脱不動態化pH,pHd,とほぼ一致し、本モデルが妥当であることが示された。このモデルによれば、溶解速度が大きいほど、活性点が大きいほど、あるいは活性点がすきま内部にあるほど、すきま内pHは低くなる。 再不動態化電位直上の電位における窒素添加304鋼についてみると、窒素量の増加に伴い、溶解速度(VII*)および(SII/SI)比-すなわち活性点のサイズ-は小さくなり、活性点はすきま内部に分布するようになる。本モデルによれば、溶解速度と活性点サイズの低下によりpHは上昇するので、pHdとなってすきま腐食が成長を続けるためには、活性点はすきま内部に分布しなくてはならない。このように、窒素添加304鋼のすきま腐食挙動についても、本モデルで説明できた。 |