学位論文要旨



No 114770
著者(漢字) 鄭,金鍵
著者(英字)
著者(カナ) テイ,キンケン
標題(和) ゲル電気泳動法の小型化と高性能遺伝子診断への応用研究
標題(洋) Study on Miniaturized Slab Gel Electrophoresis and its Application to High Performance Genetic-Diagnosis
報告番号 114770
報告番号 甲14770
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4540号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 北森,武彦
 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 助教授 藤浪,眞紀
 東京大学 講師 久本,秀明
内容要旨 第一章背景

 DNA分析は生命現象の解明,診断,犯罪捜査などに必要な遺伝子情報を提供することから大きな注目を集めている。特に,80年代末から90年代初にかけてヒトゲノムプロジェクトが提案されて以来,新しいDNA分析技術,特に高速DNAシーケンシング技術が数多く開発されてきた。これらの技術を用いることにより,当初数十年を要するといわれたヒトゲノムプロジェクトは2003年までに完成できると予想されている。

 ヒトゲノムプロジェクトの完成後は,そのデータベースを利用し,多数の遺伝子多型を測定するという遺伝子診断が盛んになると予想される。従って,高速・並列で測定でき,且つ簡便な手法の開発が今後の課題である。現在主に使われているポリアクリルアミドゲル電気泳動法(Polyacrylamide Gel Electrophoresis,PAGE)では,分離に数時間がかかり,診断に応用するためには,より高速な分析が求められている。私は,医療現場の遺伝子診断に応用することを目指し,超小型ゲル電気泳動法(Miniaturized Ultrathin Slab Gel Electrophoresis,MUSGE)を提案してきた。その方法は,PAGEを小型化するもので,ガラスの微細加工や内面処理の問題を回避でき,なおかつ,高速分離分析が可能になるという特徴があり,独自の着想である。これを実現するためには,小型化による分離能の低下,試料導入やゲルの作製の問題点を解決する必要がある。従って,本研究では,MUSGEの分離性能を高め,実用に耐えるレベルにすることを目的として,1)試料の濃縮;2)検出系の最適化;3)装置の設計と試作;4)装置の性能評価;そして5)遺伝子診断への応用を行った。

第二章不連続ゲル電気泳動法

 ゲルの小型化により泳動距離が大幅に短くなるので,分離能を向上させるために,不連続ゲル電気泳動法の導入を検討した。連続ゲル電気泳動法では,ゲル濃度は均一であり,ゲル中と電極溜めに同じ緩衝液を用いる。それに対して,不連続ゲル電気泳動法では,分離ゲルの前により低濃度の濃縮ゲルを用い,各ゲル中と電極溜めに異なる緩衝液を用いる。導入した試料は濃縮ゲルにより濃縮され,分離ゲルにより分離される。分離された試料バンドはシャープになり,ゲルの分離能は向上する。銀染1)1)ゲル長さ6cm,厚さ350m)では,15分間,18mmの泳動距離で分離が可能であることが分かった。なお,不連続ゲル電気泳動法により18mmの泳動距離で得られた分離能(理論段数:26,000-116,000)は,連続ゲル電気泳動法により130mmの泳動距離で得られた分離能(理論段数:48,000-85,000)に相当する。この結果から,不連続ゲルを用いることにより,分離能を向上できると考えられる。

第三章小型ゲル電気泳動法の検出

 小型化により,バンドは密に集まる。この細いバンドを検出するためには,高感度・高空間分解能検出法が必要になる。本研究では熱レンズ顕微鏡(Thermal lens microscope,TLM)を用いた。TLMの検出原理を図2に示した。励起光とプローブ光を同軸に合わせ,対物レンズにより試料位置に集光する。試料に吸収された励起光は熱になる。その結果,焦点付近に屈折率分布(熱レンズ効果)が生じ,プローブ光の光量が変化する。図1の小型ゲルの分離パターンをTLMで測定し,結果を図3に示した。TLMを用いて,目で区別できないバンドを完全に検出できた。この結果から,1)銀染色法と組み合わせ,TLMは超高感度分析に好都合であり,2)TLMの空間分解能は約2m,共焦点長は数mであることから,MUSGEに最適な検出法の一つであると考えられる。

図1.不連続ゲル電気泳動法と連続ゲル電気泳動法の比較a)連続,泳動距離:130mm,泳動時間:150分 b)不連続,泳動距離:18mm,泳動時間:15分図表図2.熱レンズ顕微鏡の検出原理 / 図3.熱レンズ顕微鏡による高空間分解能検出
第四章小型薄層ゲル電気泳動法

 ジュール熱により温度グラジエントが生じ,バンドの広がりが起こる。その問題を解決するために,ゲルを更に薄層化する必要がある。そこで,長さ25mm,厚さ80mという小型薄層ゲル装置を試作した(図4)。以下,本装置を用いてその有効性を示す。

1)分離能

 図4のゲル構造では,試料バンドはグラジエントゲルから薄層ゲルに入る時,電場強度の増加によりバンドの移動速度が増え,バンドの広がりが発生する。分解能の向上のため,MUSGEにおける不連続ゲル利用を初めて試みた。連続ゲルと不連続ゲルの分離結果を図5に比較した。連続ゲルでは,分離は困難であったが,不連続ゲルでは,分離は良好であることがわかった。その理由として,1)低濃度濃縮ゲルを用いることにより,グラジエントゲルと薄層ゲルの中のバンドの移動速度の差を減らし,バンドの広がりを抑制したこと,2)濃縮ゲルの濃縮効果により,ゲルの分離能を向上させたことにあると考察している。

2)ゲルの作製

 超薄層不連続ゲルの作製に関して,1)濃縮ゲルと分離ゲル間の界面が得られにくい,2)均一かつ再現性よいゲルが得られにくいという問題点がある。本研究では,図4の超小型薄層ゲルの特異な構造を利用し,毛管現象によるゲル溶液を導入する方法を提案し,この問題を解決した。具体的に,プレートを一枚ずつセールに立てで並べて,分離ゲル溶液をセールに注ぐと,毛管現象による薄層チャネルの部分にゲル溶液が上昇し,グラジエント部分では,チャネルの厚さが増えることによりゲル溶液の導入が停止する。その結果,グラジエント濃縮ゲルと薄層分離ゲルの間にきれいな界面を形成することができた。本法により,再現性良く多数のゲルを同時に作製できるようになった。また,ゲル作製を窒素環境のグローブボックス中で行うことにより,酸素の影響を減少させゲルの硬化が加速され,ゲルの分離性能をさらに向上させることができた。

3)試料の定量的導入

 DNA試料を薄層ゲルの狭い隙間に導入することは困難であり,問題点となる。そこで,試作したゲルの下部は薄層ゲル(厚み80m)であるが,ゲルの上部はグラジエントゲル(80-680m)構造とした。そのため,サンプリングウェルの入口が大きくなり,試料の導入はマイクロピペットを用いることができ,通常の厚いゲルと同じように容易となった。他の薄層平板ゲルにおける試料導入法と比べて,試料を1.1Lまで定量的に導入できるという特徴がある。

4)MUSGEの性能評価

 100塩基対ラーダーDNAを用いて,MUSGEの性能を評価する。その結果を図6に示した。分離時間を従来のPAGEの1/15に短縮でき,試料導入量を1/40以下に減らすことができた。バンドが密に集まっている部分も検出できた。また,濃度検出限界を10pMと見積もられた。また,よい列間の再現性(RSD<1.0%)とゲル間の再現性(RSD:0.5_4.2%)が得られた。

図表図4.MUSGE用平板ゲルの模式図 / 図5.連続と不連続薄層ゲル電気泳動法の比較分離ゲル厚み:80m 分離:80V/cm,10分 / 図6.MUSGEによる100塩基対ラーダーDNAの分離結果
第五章小型ゲル電気泳動法による遺伝子診断

 MUSGEの実試料の応用として,ヒトのapolipoprotein B遺伝子のvariable number of tandem repeat(VNTR)allelesの測定を試みた。このVNTR allelesの中に,ある特定の16塩基の配列が25-60回繰り返されている。遺伝子研究の成果から,VNTR allelesの繰り返し回数は38回以上の場合,心臓病の疑いが高くなることが分かってきている。従って,このVNTR allelesの長さを正確に測定できれば,遺伝子診断が可能となる。これまで,PAGEが用いられているが,本試料の分離には数時間がかかっていた。キャピラリー電気泳動法を用いても20分以上必要で,なおかつ,並列測定に問題が残っている。そこで,本研究では,VNTR alleles試料の特徴に応じて,MUSGEの分離条件を最適化した。その結果,VNTR alleles試料を8分間で分離することができた。その結果を図7に示した。キャピラリー電気泳動法と比べ,分離が二倍以上速くなり,並列測定も容易にできることが分かった。図7の分離結果から計算すると,VNTR allelesの繰り返し数が一つ異なる場合(長さの差は16塩基対),MUSGEにより得られる分解能は1.0以上であることが分かつた。通常のDNA分析に必要な分解能は0.5であり,MUSGEにより得られるVNTR allelesの分解能が十分であると考えられる。

図7.心臓病遺伝子診断試料の測定結果試料導入量:200nLずつ,電場強度:60V/cm 分離時間:8分,( )中:繰り返し回数
第六章まとめ

 本研究に置ける得られた成果を総括する。

第七章展望

 この技術について,今後の課題または将来の応用について述べる。

審査要旨

 本論文は,ゲル電気泳動法の超小型化と高性能遺伝子診断への応用についての研究である。これまで数時間必要であったDNAの塩基配列決定のための分離分析を様々な技術課題を解決することによりスラブゲルのセルを数cm長と小型化しながら分解能を維持することに成功し,分離時間を数分以内に短縮した。

 まず第一章では,本研究の背景を説明している。ポリアクリルアミドゲル電気泳動法(PAGE)はDNA分析に最も重要な分析手法のひとつである。1980年代末からのヒトゲノムプロジェクトに刺激され,DNA分析技術は急速に発展し,高性能なDNAシーケンサの開発が要求され,また数多く開発されてきた。これらの技術を用いることにより,当初数十年を要するといわれていたヒトゲノムプロジェクトは2003年までに完成できると予想されている。その後にもは,遺伝子診断が盛んになり,ますますその高性能化への期待は高まっている。本研究は高性能遺伝子診断のために,超小型ゲル電気泳動法(MUSGE)を提案し,その技術課題を克服し,応用まで展開している。本章では,まずMUSGEの分離能について理論的に検討し,分離能を向上するために以下の三つの方法を提案している:1)不連続ゲルにより導入した試料の濃縮法の検討,2)高空間分解能検出法の最適化,3)ゲルの薄層化,である。そして,MUSGEを実用に耐えるレベルにすることを目的として,1)上記三つの方法による分離能の改善,2)装置開発,3)装置性能評価,そして4)遺伝子診断への応用を行った。

 第二章では,不連続ゲル電気泳動法について述べている。連続ゲル電気泳動法では,ゲル濃度は均一であり,ゲル中と電極溜めに同じ緩衝液を用いている。それに対して,不連続ゲル電気泳動法では,分離ゲルの前により低濃度の濃縮ゲルを用い,各ゲル中と電極溜めに異なる緩衝液を用いている。導入した試料は濃縮ゲルにより濃縮され,分離ゲルにより分離される。従って分離された試料バンドは狭くなり,ゲルの分離能は向上することを期待した。まず,不連続ゲル電気泳動法について理論的に検討し,実験条件を最適化した。その結果,不連続ゲル電気泳動法により15分間,18mmの泳動距離で得られた分離能(理論段数:26,000-116,000)は,連続ゲル電気泳動法により150分間,130mmの泳動距離で得られた分離能(理論段数:48,000-85,000)に相当することを示している。以上,不連続ゲルを用いることにより,分離能が向上できることを示唆した。

 第三章では,熱レンズ顕微鏡(TLM)を用いた高空間分解能検出の可能性について述べている。最初にMUSGEに置ける高空間分解能検出の必要性を理論的に示し,TLMの原理と特徴について述へている。次に第二章で分離した電気泳動パターンをTLMで測定した結果を示した。その結果は,以下のことを示唆している:1)銀染色法と組み合わせることにより,TLMは超高感度分析に好都合な条件となる,2)TLMの空間分解能は約2m,共焦点長は数mであることから,MUSGEに最適な検出法の一つとなる。以上の結果からTLMをMUSGEの検出法として採用することの妥当性を示している。

 第四章は小型薄層ゲル電気泳動法に関することを述べている。薄層ゲル電気泳動では,ジュール熱問題を低減でき,高電場が印加できることから更に高速分離が期待できると予測した。しかし,薄層不連続ゲルの作製に関して,1)濃縮ゲルと分離ゲル間の界面が得られにくい,2)均一かつ再現性よいゲルが得られにくいという問題点を指摘している。本研究では,特異なゲル構造を設計し,毛管現象によるゲル溶液を導入する方法を提案することによりこの問題を解決した。具体的には,ゲル作製用チャネルの下部は薄層チャネル(80m)であるが,上部はグラジエントチャネル(80-680m)構造とした。このチャネルを一枚ずつセルに立てで並べて,分離ゲル溶液をセルに注ぐと,毛管現象により薄層チャネルの部分にゲル溶液が上昇し,グラジエント部分では,チャネルの厚さが増えることによりゲル溶液の導入が自動的に停止する。その結果,グラジエント濃縮ゲルと薄層分離ゲルの間にきれいな界面を形成することに成功した。本法により,再現性良く多数のゲルを同時に作製できることが示されている。この手法では,10分間,14mmの泳動距離で得られた分離能は21,000-123,000(理論段数)であり,従来の大型PAGEに相当する分解能が得られている。平板ゲルの列間の再現性(RSD<1.0%)とゲル間の再現性(RSD:0.5-4.2%)も良好である。また,試料導入が簡便になり,かつ試料導入量を従来法の1/40以下に減らすことができ,その結果,導入する試料の濃度検出限界を10pMと見積もっている。

 第五章は試作した小型ゲル電気泳動法の応用として心臓病遺伝子診断への結果に関して記述している。これまで,PAGEが用いられていたが,本試料の分離には数時間を必要とした。キャピラリー電気泳動法(CE)を用いても20分以上が必要で,なおかつ並列測定に問題がある。本法では,この試料の特徴からMUSGEの分離条件を最適化し,分離能を向上することを検討している。その結果,遺伝子診断試料を8分間で分離することができ,分離能もCEより優れていることを示している。

 第六章では,本研究によって得られた成果を総括し,本法がDNA分析法としての実用化への有効性とその可能性を述べている。

 第七章では,MUSGEについて,今後の課題および将来の応用について展望を試み,本研究の大きな発展性を予測している。

 以上述べたように本論文は電気泳動分離分析分野の発展に大きく寄与するばかりではなくDNA分析手法としての実用化に大きく進歩をもたらすものであり,高く評価できる。よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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