学位論文要旨



No 114780
著者(漢字) 童,国林
著者(英字) TONG GUO LIN
著者(カナ) トン,ゴーリン
標題(和) 酸素漂白過程におけるリグニン酸化と脱リグニンの関係
標題(洋) Relationships between lignin oxidation and delignification during oxygen bleaching
報告番号 114780
報告番号 甲14780
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2072号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 佐分,義正
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 序論

 酸素-アルカリ漂白は環境問題の観点からも、経済的にも利点があるため、未晒しクラフトパルプの前漂白に広く用いられている。酸素-アルカリ漂白の速度論的解析は通常、カッパー価で測定された脱リグニン度を対象に行われており、その結果をリグニンモデル化合物の酸素-アルカリ条件での分解挙動と比較して論じた研究も多い。しかし、従来の研究では一つの大きな問題を見落としているように思える。それは、酸化反応の進行自体を解析の対象としていなかったことである。リグニンの酸化反応が脱リグニンを支配していると一般的に考えられるにもかかわらずこの点が検討されてこなかったのは、リグニンの酸化反応の進行を測定する方法が従来存在しなかったためであると考えられる。

 本研究では、リグニンの酸化反応の進行を測定する方法を考案し、その方法を用いて、まず単離リグニン(クラフトリグニン、および、クラフトパルプから塩酸・ジオキサン法で抽出した残存リグニン)の酸素-アルカリ条件での酸化反応の進行を解析した。また、その結果をモデル化合物の酸化の進行と比較した。ついで、未晒針葉樹クラフトパルプについて低濃度条件での酸素-アルカリ漂白を行い,リグニン酸化の進行と脱リグニンの関係を明らかにした。酸化を受けたリグニンは溶出してしまうのか,あるいは一部パルプ中に留まるのか、という点についても検討を行った。

方法

 本研究で提案したリグニンの酸化反応の進行を解析する手法は次の様なものである。リグニンは酸性下で過マンガン酸カリウムによって容易に酸化される。その際、リグニンの1ユニットは平均して、約13当量の過マンガン酸カリを消費する、つまり、リグニン1ユニットは約13電子を奪われて酸化リグニンとなる。もしリグニンを何らかの方法(例えば酸素-アルカリ酸化)によってあらかじめ酸化すると、リグニンによる過マンガン酸カリウムの消費量は、この値よりも少なくなるはずである。このように考えると、リグニンを酸素-アルカリで酸化した際に、それによってリグニンが受けた酸化の程度は、酸素-アルカリによる酸化前と酸化後での過マンガン酸カリウムの消費量の差としてあらわすことができる、と仮定できよう。これを式で表すと、次のようになる。

 

 ただし、A:酸素-アルカリ酸化によってリグニン1ユニット(C6-C3単位)から奪われた電子数

 B:酸素-アルカリ酸化前のリグニン1ユニット(C6-C3単位)によって消費される過マンガン酸カリウムの分子数

 C:酸素-アルカリ酸化後のリグニン1ユニット(C6-C3単位)によって消費される過マンガン酸カリウムの分子数

単離リグニン及びモデル化合物の酸化反応の解析

 まずクラフトリグニンを下記の条件(高アルカリ濃度条件)で酸素-アルカリ酸化し、定期的に一定量のサンプルを取り出し硫酸酸性にして過マンガン酸カリウムと反応させた。過マンガン酸カリウムとサンプルの反応時間は、予備実験によって30分と定め、過マンガン酸カリウム消費量の定量はよう素法によった。酸化時間の経過とともにサンプルによる過マンガン酸カリウムの消費量は減少し、過マンガン酸カリウム消費量を時間に対してプロットすることにより、酸化反応の進行を解析した。過マンガン酸カリウム消費量を対数表示すると、クラフトリグニンの酸化の進行は、ごく初期の誘導期(〜30min)の後に、明確に区別できる3つのフェーズに分けられることがわかった。第1フェーズ(30〜300min)、第2フェーズ(300〜l000min)、第3フェーズ(1000min〜)で、それぞれ、平均して3.8、2.4、2.3電子がリグニン1ユニットから奪われていることがわかった。一方、塩酸・ジオキサン法で単離したクラフトパルプ残存リグニンを同じ条件で酸素-アルカリ酸化した場合、初期の誘導期が見られない以外は、同じような3つのフェーズが観測された。第1フェーズ(0〜180min)、第2フェーズ(180〜900min)、第3フェーズ(900min〜)で、それぞれ、平均して4.2、3.1、1.7電子がリグニン1ユニットから奪われていることがわかった。

 高アルカリ濃度条件:リグニン量:1500mg/300ml;NaOH量:6g/300ml;酸素圧:1.0MPa

 クラフトリグニン、残存リグニンともに、最も酸化速度の大きな第1フェーズにおいて1ユニットあたり平均して約4電子の酸化が起きている。芳香核の4電子酸化は環開裂反応に相当することを考えると、リグニンの可溶化に寄与する反応は、酸化の初期に速やかに起きることがわかる。一方、長時間の反応を行っても酸化の進行はあるレベル以上に進行しない。すなわち、フロアーレベルが存在する。このようなリグニン酸化の進行を、リグニン構造の変化と関連づけて考察するために、クラフトリグニンの酸素-アルカリ酸化について、反応とともにリグニン中のメトキシル基量と、ニトロベンゼン酸化生成物の収率がどう変化するかを調べた。この両者ともに、酸化の進行と非常に高い相関を持って、減少することがわかった。これは、酸化の進行とともに芳香核の分解が進行していることを証明している。また、酸化の進行にフロアーレベルが見られたのと同様に、メトキシル基・ニトロベンゼン酸化生成物の減少にも、フロアーレベルが見られた。この事から、酸素酸化に対して極めて抵抗性のあるリグニン部分構造が存在することがわかる。このような構造がもともとクラフトリグニン中に存在するのか、あるいは、反応中に生成するのかは現時点では明らかではない。側鎖アルファ位にカルボニル基を持つようなユニットはその候補として挙げられる。

 通常、リグニンの酸素酸化はフェノール性水酸基を持つユニットに限定されると考えられている。しかし、平均して1ユニット当たり8電子以上の酸化が進行するという事実や、メトキシル基・ニトロベンゼン酸化生成物の大幅な減少は、反応前に存在したフェノール性水酸嬉のワクを越えて酸化が進行していることを示している。この理由として、1)反応の進行とともに新しくフェノール性水酸基が遊離して酸素酸化を受ける、2)共酸化あるいは自動酸化現象により非フェノール性のユニットの酸化が進行する、などが考えられた。種々のモデル実験の結果や、マンガンイオンの添加により共酸化を押さえた実験の結果との対比により、1)が妥当であると結論した。共酸化あるいは自動酸化的な機構による酸化は第2フェーズの後期と第3フェーズにおいて重要であることがわかった。芳香核が環開裂により4電子酸化を受けた後の酸化反応は、これらの機構により進行すると考えられる。

 なお、クラフトリグニンの酸素-アルカリ酸化で初期に誘導期が見られ、残存リグニンに比べて酸化の進行が遅いのは、恐らく、還元性のイオウが試料中に含まれておりリグニンの酸化反応の進行を阻害したためと考えられる。

未晒針葉樹クラフトパルプの低濃度条件での酸素-アルカリ酸化

 クラフトパルプの酸素-アルカリ漂白過程でのリグニンの酸化反応の進行を解析するために、低濃度条件での漂白を行った。漂白反応前はリグニンはパルプ中に全て存在するが、反応後はパルプ中と漂白液中に分かれて存在する。したがって、リグニンによる過マンガン酸カリウムの消費量の差を用いてリグニンの酸化の進行を推定する本手法を適用するためには、酸化前のリグニンの過マンガン酸カリウム消費量の測定にはパルプの過マンガン酸カリウム消費量を、酸化後のリグニンのそれの測定には、パルプと漂白液を合せたものの過マンガン酸カリウム消費量を測定する必要がある。このようにしてリグニンの酸化の進行と脱リグニンの関係を測定したところ、脱リグニンが約50%に達する時点(本漂白条件では約3時間)での、リグニンによる過マンガン酸カリウム消費量の減少はごく僅かであり、1ユニット当たりの数値に計算すると、わずかに、約0.5電子の酸化にしか過ぎないことがわかった。

 これは、反応中に過マンガン酸カリウムを消費する物質が新たに生成し,これが酸素-アルカリによって酸化されないため、リグニンによる過マンガン酸カリウム消費量の減少が打ち消されて測定されたためである、と推定した。このことを実証するために、未晒クラフトパルプからホロセルロースを調製し、この酸素-アルカリ処理、無酸素アルカリ処理を行い、過マンガン酸カリウム消費量の変化を調べたところ、酸素の有無にかかわらず、ホロセルロースのアルカリ処理によって過マンガン酸カリウムを消費する物質がほぼ同量生成し、このものは酸素によって酸化されないことがわかった。一方、リグニンの無酸素アルカリ処理によっては、過マンガン酸カリウム消費量は変化しない。これらの実験事実から、クラフトパルプの酸素-アルカリ処理過程で新しく生成するこのような物質による過マンガン酸カリウム消費量を推定することが可能になった。すなわち、未晒クラフトパルプを無酸素下でアルカリ処理し、パルプおよび排液を合せたものの過マンガン酸カリウム消費量の増加分が、酸素-アルカリ漂白過程で新しく生成した物質による過マンガン酸カリウム消費量であるとみなした。この増加分を用いて、上記の結果を補正すると、酸素-アルカリ漂白によって脱リグニンが約50%に達した時、リグニンは1ユニットから平均して3電子の酸化を受けていることが明らかとなった。すなわち、パルプ中のリグニンは漂白反応によって、単離リグニンの酸化反応よりは若干速度が遅いものの、十分に酸化されていることが明らかになった。

 ついで、酸化されたリグニンがどこに存在しているのか、について考察を進めた。酸化分解していない芳香核の存在量についての情報を得るために酸素-アルカリ漂白後のパルプのメトキシル基量を測定したところ、反応に伴うメトキシル基の減少挙動と、カッパー価法で測定したパルプ中のリグニン量の減少挙動は、完全に一致した。これから、カッパー価法で測定するリグニン量は、酸化分解していない芳香核を測定しているということが予想された。酸化分解してメトキシル基を放出した後のリグニンがパルプ中にまだ残っていると仮定する場合、そのようなリグニンはカッパー価法で全く検出されないのではなく、前出の結果から、酸素酸化を180分ほど受けた場合でも、未酸化のリグニンに比べ70%ほどのカッパー価を与える。したがって、このような場合には、メトキシル基量から予想されるリグニン量よりも大きなリグニン量をカッパー価法では与えるはずである。このような考察から、酸素-アルカリ漂白中に酸化されたリグニンは速やかに漂白液中に移行し、パルプ中には未酸化のリグニンが残存しているという結論を得た。この結論は、漂白液中の全有機炭素量の増加とリグニン酸化の進行との相関を調べた結果とも合致した。ところが、この結論は、酸素-アルカリ漂白したパルプ中の残存リグニンは著しく酸化を受けているという従来の提案とは相反するものである。何が、このような差異をもたらしたのか、今後の検討課題であると考える。

リグニン酸化反応の速論的解析

 最後に、クラフトリグニンを用いて、リグニンの酸化反応の速度論的解析を行った。0.5M濃度の水酸化ナトリウム中で測定したところ、酸化反応の活性化エネルギーは反応初期の第1フェーズにおいて35.0kJ・mol-1、第2フェーズにおいて44.7kJ・mol-1であった。酸化速度と酸化の進行がレベルオフする値(フロアーレベル)は、アルカリ濃度によって著しく影響される。フロアーレベルは、アルカリ濃度が0.02から0.5M濃度まではアルカリ濃度の増大とともに低くなる、すなわち、酸化の進行の程度が大きくなるが、l.0M濃度では逆に小さくなった。初期反応速度は、アルカリ濃度との間に明確な関係が見出されなかった。これらのことから、リグニンの酸化において、アルカリは、フェノールの解離をもたらすという意味で有利に働くが、一方で、負の作用をももたらしていると推定された。この負の作用は、恐らくは、アルカリ濃度の増大による酸素濃度の減少であろうと推察している。

審査要旨

 環境問題の観点から、化学パルプの漂白が分子状塩素を中心とした塩素系薬剤によるものから、酸素系薬剤を中心とする方法に急速に移行しつつあることは、世界的な動向である。中でも、酸素・アルカリ脱リグニンはクラフトパルプの前漂白として広く用いられている。しかし、リグニンの酸化反応の進行が、酸素・アルカリ段における脱リグニンを支配していると一般に考えられるにもかかわらず、酸化の進行と脱リグニンとの関係は明確ではない。

 本研究においては、リグニンの酸化の進行を解析する新たな方法を考案するとともに、それによって酸素・アルカリ脱リグニン段におけるリグニンの酸化と脱リグニンの関係、酸化の進行の程度からみた溶出リグニンとパルプ中の残存リグニンの相違について明らかにすることを目的とした。

 本論文は五編からなっており、第一編において関連する既往の研究を総括した後、第二編において、単離リグニン及びモデル化合物を対象として、酸化反応の解析方法及び解析結果について論じている。解析には酸性下で試料の酸化に要する過マンガン酸カリウム量を用いている。酸素・アルカリ段での部分的な酸化を受けたリグニンでは、その酸化の程度を過マンガン酸カリウム消費量の低下から知ることができるとするものである。単離リグニンに対する酸素・アルカリ酸化では、極く初期の誘導期の後に、明確に区別できる第1フェーズ、第2フェーズ及び第3フェーズからなり、それぞれ平均して0.5、3.8、2.4及び2.3電子、計9電子がリグニン1ユニットから奪われていることが明らかとなった。因みに、過マンガン酸カリウムによる十分な酸化では、リグニン1ユニット当たり約13電子が奪われる。両者の差、すなわち4電子分の酸化は、酸素・アルカリ条件では進行するとしてもその速度は極めて遅い、抵抗性ある部分に相当するといえる。ほぼ同様の結果は、クラフトパルプから単離した残存リグニンについても得られている。また、このような酸化の進行が、アルカリ性ニトロベンゼン酸化分解生成物の収量あるいはリグニン中のメトキシル基量の変化とも極めて高い相関を持っていることを単離した残存リグニンについて見出している。これらの事実は、リグニンに対する酸素・アルカリ酸化が、リグニン中のフェノール性水酸基をもつユニットに限定されるものではなく、そのワクを越えて進行していることを示している。非フェノール性ユニットの酸化機構としては、共酸化あるいは自動酸化現象により進行する場合、及び反応の進行とともに新しくフェノール性水酸基が生成して酸素酸化を受ける場合が考えられるが、芳香核の開裂に相当する初期の酸化には後者が、またその後の酸化には前者の寄与が大きいとした。

 第三編においては、前編で開発した解析法を未晒針葉樹クラフトパルプの低濃度条件での酸素・アルカリ酸化に適用し、パルプ及び処理液の全体を対象として酸化の進行を追跡している。その結果、リグニンの酸化は単離したリグニンの場合とほぼ同様に進行するが、ヘミセルロースから処理過程のアルカリの履歴によって二次的に生成する構造が過マンガン酸カリウムを消費するため、系全体としての酸化の進行は見かけ上遅くなることを明らかにした。このような二次的に生成した構造の詳細は明らかではないが、処理液中に溶出して存在していることを確認している。第四編では酸素・アルカリ酸化反応の速度論的解析を試み、第1フェーズ及び第2フェーズの活性化エネルギーを求めるとともに、酸化反応のフロアーレベルがアルカリ濃度の0.02Mから0.5Mへの増大とともに低下するが、それ以上のアルカリ濃度では逆に増大することを見出し、これがアルカリ濃度の増大による酸素濃度の減少によると考察している。

 さらに第五編では、酸化されたリグニンがどこに存在しているかについて考察を進め、パルプのメトキシル基量とカッパー価により求めた残存リグニン量の酸素・アルカリ処理過程における変化が一致したことから、処理によって酸化的に変質したリグニンは、順次処理液中に溶出し、パルプ中にはほぼ未変化のリグニン区分が残存していると結論した。

 以上要するに、本研究は酸素・アルカリ漂白過程におけるリグニンの酸化的構造変化と脱リグニンとの関係を明らかにしたものであり、漂白化学の基礎のみならず、実用上その意義は誠に大きいといえる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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