学位論文要旨



No 114781
著者(漢字) 孫,秀華
著者(英字)
著者(カナ) スウン,シュウホウア
標題(和) 犬精子先体後部の表面抗原に関する研究
標題(洋) Studies on the Canine Sperm Surface PA-Antigen
報告番号 114781
報告番号 甲14781
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2073号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 日本獣医畜産大学 教授 筒井,敏彦
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨

 精子表面の分子の多くはすでに精巣で発現しているが、その後、精巣上体の通過過程においてさらなる分子の修飾を受け、射出された精子は運動能力および卵子と受精する能力を獲得する。精子と卵子結合の前、精子の受精能獲得および先体反応において、精子表面の分子に著しい変化が起こることから、精子表面の分子は受精において重要な役割を果たすと考えられている。

 精子形成は思春期から開始されるので、オスでは精子は異物として免疫細胞に認識され、抗体産生が起こるはずであるが、血液-精巣関門の存在が精子を免疫反応から守っている。抗精子抗体により不妊症が存在することは古くから知られており、精子抗原は避妊ワクチンの候補として注目され、これまで様々な精子抗原が報告されている。しかし、精子は高度に分化した細胞で、多数の分子が存在し、それらの分子の機能についてすべてが明らかにされているわけではない。今回、新しい精子抗原の発見を目指して、報告のほとんどない犬の精子を材料として、本研究を行った。

第一章犬精子表面抗原に対するモノクローナル抗体の作製

 射出精液から分離した犬精子を免疫原としてハイブリドーマを作製した。陽性培養上清の反応性は、大別して次の4種類に分けられた。(1)精子頭部(Head)に反応するもの(3種)(2)精子先体領域(Acrosomal Region)に反応するもの(30種)(3)精子先体領域の赤道部分(Equatorial Segment)に反応するもの(3種)(4)精子先体後部領域(Postacrosomal Region)および尾部(Tail)に反応するもの(4種)-であった。

 新鮮な精子と凍結した精子はモノクローナル抗体の作製においてその免疫原性に相違があった。一度凍結した精子は先体が破損して、先体内の成分が露出されてしまう。同じ数の精子を免疫原とした場合、凍結した精子を使った方が新鮮な精子を使ったものより、多くの陽性ハイブリドーマが得られた。精子先体部に反応した陽性培養上清でも、両者は違う抗原を認識していた。精子尾部の抗原では、凍結した精子の場合、特に精子中間部の抗原に対するモノクローナル抗体が容易に得られた。

第二章犬精巣におけるPA-抗原の発現および精巣離脱後の修飾

 モノクローナル抗体2B3、2B4は精子の先体後部(Postacrosomal Region)に強い反応性を示したことから、PA抗原と名付けた。精巣から分離した精細胞では、円形精子細胞の先体部と伸長型精子細胞の頭部全体に陽性反応性が認められた。非還元SDS-PAGEでは、精子は76kDa、精巣は86kDaの蛋白質バンドが確認できた。還元条件下では、バンドは確認できなかった。過ヨウ素酸処理で抗体反応性の減弱が認められたことから、PA抗原は糖蛋白質であることが明らかとなった。インキュベーションにより、精子先体反応を誘導すると、精子先体後部では抗体との反応性が減弱し、また先体部にも陽性反応が再び出現した。以上の結果より、PA抗原は精子形質膜の先体後部および先体内膜に局在する糖蛋白質であり、精巣で既に発現し、精巣上体頭部(精巣輸出管)の通過時において、蛋白質分解作用により先体部の抗原が消失し、分子量もわずかに減少したのではないかと推測された。先体反応後、先体内膜の抗原が再び露出され、恐らく受精に際して機能を発揮するであろうと考えられた。

第三章PA-抗原の精製および他種哺乳類の精子表面における発現

 2B3モノクローナル抗体のカラムで精子および精巣からPA抗原を精製した。精製した精子抗原は、非還元SDS-PAGEでは明瞭な76kDaで、還元条件下では58kDa、42kDaおよび28kDaの3つのバンドが認められた。精巣抗原は非還元SDS-PAGEでは86kDaで、還元条件下では複数のバンドが認められた。精製した精子PA分子は抗原性と免疫原性を持ち、これよりポリクローナル抗体を作製した。このポリクローナル抗体は、マウスとハムスター精子に交差反応性を示した。PA蛋白質の42kDaのサブユニットのN-末端アミノ酸解析結果により、fertilinとかなり高いホモロジーを持つことが明らかとなった。

 結論:犬精子先体後部の表面抗原PAは、精子形質膜の先体部および先体内膜に局在する糖蛋白質であり、精巣で2つの違う発生ルートで発現する。PA抗原は精巣上体頭部の通過時において、蛋白質分解作用により精子形質膜先体部の抗原が消失し、抗原全体の分子量もわずかに減少した。形質膜の抗原が精子受精能獲得および先体反応後にほとんど消失し、先体内膜の抗原が先体反応により露出され、恐らく精子と卵子結合の際に機能を発揮するであろうと考えられた。PA蛋白質は4つのサブユニットをもつ。これは58kDaと28kDaの2つのサブユニットおよび42kDaの2つのサブユニットがS-Sボンドで結合したものである。PA抗原は進化的に保守的な蛋白質であり、ほかの動物種にも存在する。

審査要旨

 本論文は、精子と卵子相互作用の分子メカニズムの解明を目指して、抗精子抗体をプローブとし、精子表面抗原を解析した論文である。

 まず第一章第一部にて、犬精子表面抗原に対するモノクローナル抗体を作製した。陽性培養上清の反応性は、4種類に分けられた。(1)精子頭部(Head)に反応するもの(3種)(2)精子先体領域(Acrosomal Region)に反応するもの(30種)(3)精子先体領域の赤道部分(Equatorial Segment)に反応するもの(3種)(4)精子先体後部領域(Postacrosomal Region)および尾部(Tail)に反応するもの(4種)-であった。

 第一章第二部では、免疫原である精子の状態がモノクローナル抗体の作製にいかに影響するかを検討した。新鮮な精子と凍結した精子はモノクローナル抗体の作製においてその免疫原性に相違があった。一度凍結した精子は先体が破損して、先体内の成分が露出されてしまう。同じ数の精子を免疫原とした場合、凍結した精子を使った方が新鮮な精子を使ったものより、多くの陽性ハイブリドーマが得られた。精子先体部に反応した陽性培養上清でも、両者は違う抗原を認識していた。精子尾部の抗原では、凍結した精子の場合、特に精子中間部の抗原に対するモノクローナル抗体が容易に得られた。

 第二章では、精子の先体後部(Postacrosomal Region)に強い反応性を示したことから、その認識する抗原をPA抗原と名付けたモノクローナル抗体2B3について検討した。この抗体は、精巣から分離した精細胞では、円形精子細胞の先体部と伸長型精子細胞の頭部全体に陽性反応性を示した。非還元SDS-PAGEでは、精子で76kDa、精巣で86kDaの蛋白質バンドが確認できた。運元条件下では、バンドは確認できなかった。過ヨウ素酸処理で抗体反応性の減弱が認められたことから、PA抗原は糖蛋白質であることが明らかとなった。インキュベーションにより、精子先体反応を誘導すると、精子先体後部では抗体との反応性が減弱し、また先体部にも陽性反応が再び出現した。以上の結果より、PA抗原は精子形質膜の先体後部および先体内膜に局在する糖蛋白質であり、精巣で既に発現し、精巣上体頭部(精巣輸出管)の通過時において、蛋白質分解作用により先体部の抗原が消失し、分子量もわずかに減少したのではないかと推測された。先体反応後、先体内膜のPA抗原が再び露出され、恐らく受精に際して機能を発揮するであろうと考えられた。

 第三章では、PA抗原について精製および解析を行った。2B3モノクローナル抗体のカラムで精子および精巣からPA抗原を精製した。精製した精子抗原は、非還元SDS-PAGEでは明瞭な76kDaのバンドを、還元条件下では58kDa、42kDaおよび28kDaの3つのバンドを示した。精巣抗原は非運元SDS-PAGEでは86kDaで、還元条件下では複数のバンドを示した。精製した精子PA分子は抗原性と免疫原性を持ち、これよりポリクローナル抗体を作製した。このポリクローナル抗体は、マウスとハムスター精子に交差反応性を示した。PA蛋白質の42kDaのサブユニットのN-末端アミノ酸解析の結果により、この蛋白質はfertilinとかなり高いホモロジーを持つことが明らかとなった。

 今回得られたPA抗原は進化的に保守的な蛋白質であり、ほかの動物種にも存在している。特に、精子と卵子の融合分子であるfertilinと高いホモロジーをもつことより、PA抗原が精子と卵子結合の際に何らかの役割をはたすであろうことが推測された。

 本論文において、犬精子表面抗原の一つが精巣上体通過時及び先体反応に際して著しい変化を起こすことがあきらかとなった。本研究は、受精を解明するための価値ある基礎的なデータを提示しており、獣医学学術上ならびに臨床的にも貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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