本論文は、精子と卵子相互作用の分子メカニズムの解明を目指して、抗精子抗体をプローブとし、精子表面抗原を解析した論文である。 まず第一章第一部にて、犬精子表面抗原に対するモノクローナル抗体を作製した。陽性培養上清の反応性は、4種類に分けられた。(1)精子頭部(Head)に反応するもの(3種)(2)精子先体領域(Acrosomal Region)に反応するもの(30種)(3)精子先体領域の赤道部分(Equatorial Segment)に反応するもの(3種)(4)精子先体後部領域(Postacrosomal Region)および尾部(Tail)に反応するもの(4種)-であった。 第一章第二部では、免疫原である精子の状態がモノクローナル抗体の作製にいかに影響するかを検討した。新鮮な精子と凍結した精子はモノクローナル抗体の作製においてその免疫原性に相違があった。一度凍結した精子は先体が破損して、先体内の成分が露出されてしまう。同じ数の精子を免疫原とした場合、凍結した精子を使った方が新鮮な精子を使ったものより、多くの陽性ハイブリドーマが得られた。精子先体部に反応した陽性培養上清でも、両者は違う抗原を認識していた。精子尾部の抗原では、凍結した精子の場合、特に精子中間部の抗原に対するモノクローナル抗体が容易に得られた。 第二章では、精子の先体後部(Postacrosomal Region)に強い反応性を示したことから、その認識する抗原をPA抗原と名付けたモノクローナル抗体2B3について検討した。この抗体は、精巣から分離した精細胞では、円形精子細胞の先体部と伸長型精子細胞の頭部全体に陽性反応性を示した。非還元SDS-PAGEでは、精子で76kDa、精巣で86kDaの蛋白質バンドが確認できた。運元条件下では、バンドは確認できなかった。過ヨウ素酸処理で抗体反応性の減弱が認められたことから、PA抗原は糖蛋白質であることが明らかとなった。インキュベーションにより、精子先体反応を誘導すると、精子先体後部では抗体との反応性が減弱し、また先体部にも陽性反応が再び出現した。以上の結果より、PA抗原は精子形質膜の先体後部および先体内膜に局在する糖蛋白質であり、精巣で既に発現し、精巣上体頭部(精巣輸出管)の通過時において、蛋白質分解作用により先体部の抗原が消失し、分子量もわずかに減少したのではないかと推測された。先体反応後、先体内膜のPA抗原が再び露出され、恐らく受精に際して機能を発揮するであろうと考えられた。 第三章では、PA抗原について精製および解析を行った。2B3モノクローナル抗体のカラムで精子および精巣からPA抗原を精製した。精製した精子抗原は、非還元SDS-PAGEでは明瞭な76kDaのバンドを、還元条件下では58kDa、42kDaおよび28kDaの3つのバンドを示した。精巣抗原は非運元SDS-PAGEでは86kDaで、還元条件下では複数のバンドを示した。精製した精子PA分子は抗原性と免疫原性を持ち、これよりポリクローナル抗体を作製した。このポリクローナル抗体は、マウスとハムスター精子に交差反応性を示した。PA蛋白質の42kDaのサブユニットのN-末端アミノ酸解析の結果により、この蛋白質はfertilinとかなり高いホモロジーを持つことが明らかとなった。 今回得られたPA抗原は進化的に保守的な蛋白質であり、ほかの動物種にも存在している。特に、精子と卵子の融合分子であるfertilinと高いホモロジーをもつことより、PA抗原が精子と卵子結合の際に何らかの役割をはたすであろうことが推測された。 本論文において、犬精子表面抗原の一つが精巣上体通過時及び先体反応に際して著しい変化を起こすことがあきらかとなった。本研究は、受精を解明するための価値ある基礎的なデータを提示しており、獣医学学術上ならびに臨床的にも貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |