従来哺乳類の構成アミノ酸はL体のみであり、D体は存在しないと考えられてきた。しかし近年、アミノ酸の光学分割とその微量分析技術の進展により、人を含め多くの哺乳類の体内で様々なD-アミノ酸の存在が報告されるようになった。なかでも、D-aspartate(D-Asp)はラットの松果体、副腎、精巣、下垂体など多くの組織において他のD-アミノ酸と比較して高濃度に存在し、しかも、成熟の過程で一過的な上昇がみられることから、その生理的意義に関心が持たれている。しかし、D-Aspが組織内でどのような局在性を示すのかは、まだ十分に解明されてはいなかった。また、組織中のD-Asp含量は組織によって大きく異なり、成長過程で組織に特徴的な変化を示す。このような組織中のD-Asp含量がどのような調節を受けて制御されているのかも不明であった。 そこで李は、D-Aspに対する抗体を調製し、D-Asp含量の比較的高いラットの下垂体を材料にしてまずその組織内分布を解析し、成長過程での変化を調べた。次にその含量と組織内分布の変化がどのようなメカニズムによって調節されているのかを、D-Aspを取り込むことが知られているグルタミン酸(Glu)トランスポーターとの関連を中心に下垂体と副腎を用いて検討した。また、D-Aspをラット腹腔内へ投与し、これらの組織のどの部位へ実際に取り込まれるかを解析し、比較検討した。 1.ラット下垂体におけるD-Aspの局在 3日齢のラット下垂体におけるD-Aspの局在を調べた結果、前葉と中間部は染色されず,後葉の神経の軸索のみが染色された。しかし、3週齢以降になると、後葉全域にわたって神経の軸索が染色されたほか、前葉全域にD-Asp陽性細胞が散在しているのが観察され、中間部はまったく染まらなかった。 6週齢ラット下垂体を摘出し、前菜と後葉(中間部を含む)を分け、それぞれのD-Asp含量を定量したところ、後葉に対して前菜では、約7倍のD-Aspが存在することが明らかになった。 2.ラット下垂体前葉におけるD-Asp含有細胞の同定 下垂体前葉は成長ホルモン産生細胞、ACTH産生細胞、prolactin(PRL)産生細胞など異なるホルモンを産生、分泌する六種類の細胞群から成り立っている。そこで、D-Asp陽性細胞とこれらの細胞群との関連を調べた。電子顕微鏡による予備的観察からD-Asp陽性細胞はPRL細胞である可能性が高いと考えられたので、抗D-Asp抗体と抗PRL抗体による二重染色でD-Asp陽性細胞の同定を試みた。その結果、D-Asp陽性細胞とPRL陽性細胞はよく一致した。このように、D-Aspは下垂体前葉では、PRL分泌細胞及びそれと密接に関連している細胞に局在することが明らかになった。 3.ラット下垂体と副腎におけるGluトランスポーター発現の週齢変化とD-Asp含量との関係 下垂体中のD-Asp含量は成長と共に増加する。副腎中のD-Aspは生後3週齢で一過的に上昇し、その後減少する。D-AspはGluトランスポーターによって細胞内に取り込まれることが知られている。そこで、下垂体と副腎において発現しているGluトランスポーターをRT-PCRで調べてみると、ともに、GLASTといわれるイソ型が主に発現していることが明らかになった。この遺伝子の発現量は、下垂体では週齢変化が認められず、下垂体中のD-Asp含量とは相関しなかった。一方、副腎ではGLASTの発現は、3週齢で一過的に増加し、8、13週齢で減少し、副腎中のD-Asp含量の週齢変化とよく一致していた。また、タンパク質量の週齢変化も、副腎のGLASTが3週齢で一過的に上昇するのに対して、下垂体では週齢変化は認められなかった。このように、副腎では、D-Asp含量がmRNA量、タンパク質量でみたGluトランスポーターの発現とよく相関したのに対して、下垂体では相関がみられなかった。 4.腹腔内投与されたD-Aspの組織内分布とGluトランスポーターの発現部位との関連 8週齢ラットの副腎では、内在性のD-Aspは皮質には殆ど認められず主に髄質のadrenalineを産生する細胞に認められる。D-Aspを腹腔内へ投与すると副腎のD-Asp含量には有意な増加が認められた。腹腔内投与されたD-Aspがどの部位に取り込まれたかを、抗D-Asp抗体を用いた免疫染色で調べてみると、内在性のD-Aspとほぼ同様に髄質のadrenalineを産生する細胞に取り込まれていた。これとよく対応して、GLASTの発現もほぼ同様の分布を示した。一方、3週齢のラットでは、内在性のD-Aspは、副腎皮質の内側にある束状帯と網状帯に局在し、外側の球状帯に存在しない。腹腔内投与された外因性のD-Aspも同様に束状帯と網状帯に取り込まれ、GLASTの発現部位とよく一致していた。以上のように、ラット副腎におけるD-Aspの存在部位は、外因性のD-Aspが取り込まれる部位やGluトランスポーターの発現する部位と良く一致することが明らかになった。このことは、ラット副腎内のD-Aspは,主に、循環系を介してGluトランスポーターによって取り込まれていることを示唆しているものと考えられる。 これに対して、下垂体ではD-Asp含量には有意な増加が認められたが、副腎とは異なりD-Aspが取り込まれた部位は、内在性の部位(PRL細胞)とは一致せず、主に血管内皮細胞であった。また、GLASTの発現はPRL細胞にも、血管内皮細胞にも認められなかった。このことは、ラット下垂体内では、D-Aspが循環系を介してGluトランスポーターによって取り込まれるのではなく、恐らくPRL細胞内で合成されていることを示唆していると考えられた。 以上をまとめると、D-Aspは、ラット下垂体内の特定の細胞群に局在し、成長過程でその局在性が変化することが明らかになった。また、その特定の細胞群が分化、成熟する時期とよく対応してD-Asp含量も増加することがわかった。また、副腎と下垂体では、D-Aspの含量とその局在性は、全く異なるメカニズム、即ち、副腎では、主に循環系を介してD-Aspが取り込まれるのに対して、下垂体では、組織内で合成され調節されていることが示唆された。 以上、本論文は、従来不明であった、哺乳類体内におけるD-Aspの組織内の局在性と組織内含量の調節機構について新しい知見を与えるものであり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。 |