学位論文要旨



No 114783
著者(漢字) 進藤,一泰
著者(英字)
著者(カナ) シンドウ,カズヤス
標題(和) 多次元NMR法による免疫グロブリンドメインの動的構造解析
標題(洋)
報告番号 114783
報告番号 甲14783
学位授与日 1999.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第896号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 助教授 原田,繁春
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
内容要旨 【1】序論

 免疫グロブリン、B細胞やT細胞の抗原レセプターおよびサイトカインレセプターなど、免疫グロブリンスーパーファミリーに属するタンパク質は、逆平行シートが2層に対向したイムノグロブリンフォールドと呼ばれる立体構造上の基本構造(ドメイン)から構成されている。そして、免疫応答、サイトカインの認識、シグナル情報の伝達など生命現象にとって重要な機能発現は、このイムノグロブリンフォールドを土台として行われている。

 免疫グロブリンGのVH、VLドメインヘテロダイマーはFvフラグメントと呼ばれ、抗原認識の最小単位である。抗体工学の進歩の結果、Fvフラグメントに機能タンパク質をタンデムに連結した、Fv fusionタンパク質やimmunotoxinsが抗癌剤として考案されている。このような臨床的応用の立場からは、作成されたFvフラグメントが溶液中において安定であることが要求される。しかしながら、この生物学的および抗体工学的にも重要なイムノグロブリンフォールドの水溶液中の安定性や物性など動的立体構造に関する知見は極めて乏しい。

 我々は、マウスハイブリドーマ由来の抗ダンシルリジン抗体を酵素消化することにより、安定かつ大量にFvフラグメントを得ることに成功している。本研究では、抗ダンシルFvフラグメントを研究対象として取りあげ、安定同位体標識NMR法を用いて、生物学的および抗体工学的に重要であるイムノグロブリンフォールドの生理的条件下での動的立体構造の解析を行った。

【2】動物細胞系における13C、15N均一安定同位体標識タンパク質の調製法の確立

 分子量25Kを有するFvフラグメントの動的構造を、NMRにより解析するためには、13C、15N安定同位体標識することが要求される。しかしながら、動物細胞では最小培地による培養を行うことができないため、安定同位体標識された各種アミノ酸を用いてFvフラグメントの安定同位体標識を行う必要がある。そこで、15N、13C標識クロレラ藻体由来のタンパク質酸加水分解物を再精製し、得られた標識アミノ酸混合物を用いて均一安定同位体標識Fvを得た。ただし、培地中に多量に必要とされるGlnに関してはglutamine synthetaseによる酵素反応法またはBrevibacterium flavumを用いた発酵法により安定同位体標識Glnを調製し、培地に加え培養を行なった。得られた測定試料の安定同位体標識化率は、NMR安定同位体フィルター実験によりほぼ100%であることが確認された。

【3】均一安定同位体標識体Fvの主鎖1H-15N HSQCシグナルの帰属

 主鎖1H-15N HSQCシグナルの帰属はアミノ酸タイプ別、部位特異的帰属の順に行った。

 アミノ酸タイプ別の帰属:Tyr,Hisなど動物細胞への選択取り込みが高いアミノ酸に関しては、アミノ酸選択的標識法により、タイプ別帰属を行った。代謝による相互変換が高い、GlyとSer、GlnとGlu、そしてAsnとAspに関しては以下のように行った。

 1)GlyとSer由来シグナルの区別:[15N,2-13C]Glyを用いて安定同位体標識したFvを作成し、HNCA測定を行いCの化学シフトの値の違いをもとにタイプ別帰属を行った。

 2)GlnとGluおよびのAsnとAsp由来シグナルの区別:[15N]Glnを用いて安定同位体標識したFvを作成した。Glnの主鎖アミノ基はトランスアミナーゼにより他のアミノ酸へ転移されるため、予想される残基数より多くのシグナルが観測されるが、観測されたシグナルを本項までのタイプ別帰属結果に基づき解析し、GlnまたはGlu由来のシグナルを同定した。さらに両者の区別は、シグナル強度を参考にして、高いものをGln由来シグナルと帰属した。AsnとAspの場合も同様にして帰属した。

 部位特異的帰属:NMRシグナルの部位特異的帰属には、アミノ酸選択的ダブルラベル法、H・L鎖再構成法の結果を参考に、NOEによる連鎖帰属法または13C-13C、15N-13Cのスピン結合を用い磁化移動を利用した連鎖帰属法を用いた。Fig.1にスピン結合の磁化移動を利用した連鎖帰属の一例を示す。以上に述べた手法により抗原存在下および非存在下でのFvフラグメントの主鎖1H-15N HSQCシグナルの帰属を完了した。Fig.2に抗原非存在下と抗原存在下での化学シフト変化を示す。抗原を添加することにより、抗原結合部位およびVH、VLドメイン界面にシフト変化が生ずることが観測された。

【4】VHドメイン、VLドメインの動的構造解析

 NMR法の特徴の1つは幅広い時間領域(ピコ秒から数時間の単位)で生じるタンパク質内部運動を観測できることである。そこで、イムノグロブリンフォールドの水溶液中の動的構造を明らかにするために、帰属したシグナルをもとに緩和時間測定実験と重水素交換実験を行った。

(1)緩和時間測定実験

 緩和時開T1,T2及び1H,15N間のNOEを測定することにより、15N-1Hベクトルの空間的な制約性を示すオーダーパラメータ(S2)を決定でき、ナノ秒からマイクロ秒オーダーのタンパク質の運動が解析できる。抗原非存在下での緩和時間測定実験の結果より、VHドメイン,VLドメイン間で運動性の違いがないことが判明した。また、抗原添加による運動性の変化も検出されなかった。

(2)重水素交換実験

 重水素交換速度の測定は、秒から分のオーダーの運動性を反映する。抗原非存在下結果をFig.3に示す。両ドメインともイムノグロブリンフォールドの中核をなす界面付近の交換速度定数は遅いことが判明した。しかしながら、VHドメインの交換速度定数はVLドメインに比べ1桁程度遅く、VHドメインの方がより「堅い」ことが判明した。アミノ酸のhydropathic indexに基づき両ドメインの疎水性を解析すると、VLドメイン側のVHドメインと界面を形成するinner部分の多くが親水性残基から形成されていることが判明した。この親水性残基の分布の違いにより両者で重水素交換速度が異なると考えた。次に、抗原存在下で同様な測定を行ったところ、両ドメインの交換速度定数が共に1桁程度遅くなることが示された。Fig.2で示したように、抗原添加に伴いVH-VLドメインの界面に化学シフト変化が誘起されることを考え合わせると、交換速度の減少は、抗原結合によりドメイン・ドメイン相互作用が変化し、その結果VH-VLドメイン間の解離が抑制された結果であると考えた。

図表Fig.1磁化移動による連鎖帰属 各短冊セットの左のスベクトルがHNCA、右がHN(CO)CA法によって測定されたものである。 / Fig.2抗原非存在下と存在下での化学シフト変化 横軸は残基番号を、縦軸は化学シフト変化(ppm)を表す。左がVH、右がVLの変化である。Fig.3抗原非存在下における重水素交換実験の結果 左がV〓右がV〓を表す。赤色が10-5〜10〓min-1,黄色が10-3〜l0-4min-1及び白色と青色が10-2min-1以上のオーダーの交換速度定数を表す。

 以上、動物細胞系における15N,13C均一安定同位体標識タンパク質を調製し、その主鎖の帰属を確立した。さらに、VH、VLの両ドメインは同じイムノグロブリンフォールドを持つものの、異なる動的構造を有していることを明らかにした。

審査要旨

 免疫グロブリン、B細胞、T細胞の抗原レセプターおよびサイトカインレセプターなど、免疫グロブリンスーパーファミリーに属する蛋白質は、逆平行シートが2層に対向したイムノグロブリンフォールド(Igフォールド)と呼ばれる立体構造上の基本構造から構成されている。免疫応答、サイトカインの認識、シグナル情報の伝達など生命現象にとって重要な機能はこのIgフォールドを土台にして発現される。一方、Igフォールドを利用した抗癌剤、例えばFv fusion蛋白質やimmunotoxinsの開発も行われ、臨床応用の観点から、水溶液中におけるIgフォールドのより高い安定性が望まれている。

 本研究では、ハイブリドーマ由来の抗ダンシルリジン抗体を酵素消化して得られるFvフラグメント(VH、VLヘテロダイマー)を研究対象として取り上げ、動物細胞を用いたFvフラグメント発現系における均一安定同位体標識法およびそのNMRシグナル帰属法の確立し、生物学的および抗体工学的にも重要なIgフォールドの動的立体構造の解析を行っている。

 序論に続く第2章では、動物細胞を用いたFvフラグメント発現系における均一安定同位体標識法が述べられている。分子量25KのFvフラグメントの立体構造をNMRを用いて解析するためには、安定同位体原子をFvフラグメントに導入することが必須である。動物細胞による発現系では、通常、原核細胞で用いられている最小培地による均一安定同位体標識法が適応できない。そこで、15N、13C標識クロレラ藻体由来の蛋白質酸加水分解物を培地に加え細胞培養することにより、均一安定同位体標識を行った。しかしながら、酸加水分解物に含まれる細胞毒性成分のため細胞が死滅し、充分な量の蛋白質を調製できなかった。酸加水分解物の精製法を詳細に検討した結果、細胞毒性成分の効果的除去法の確立に成功した。また、用いる培地にはGlnが0.5g/lと大量に必要とされるため、安定同位体標識Glnの調製法に着手した。Glu生産菌の野生株を種々の条件で培養を行い、必要十分量のGlu生産に適した条件を決定した。さらに培地からMn2+を除去することにより醗酵生産物がGluからGlnへ平均80%の効率で転換することを発見した。得られた安定同位体標識Glnを精製された蛋白質酸加水分解物に加え、細胞培養を行い、均一安定同位体標識Fvフラグメントの大量調製に成功した。

 第3章では、均一安定同位体標識Fvフラグメントの主鎖1H-15N HSQCシグナルを、アミノ酸タイプ別および部位特異的に帰属している。従来、動物細胞を用いた安定同位体蛋白質のNMR研究では、代謝により互いに変換するアミノ酸(GlyとSer残基など)のアミノ酸タイプ別帰属は不可能であると考えられてきた。学位申請者は、GlyおよびSer残基のC化学シフト値が大きく異なることに着目し、HNCA測定条件を検討することにより、GlyとSer残基シグナルの分離観測に成功した。さらに、GlnとGlu残基、AsnとAsp残基由来のシグナルに対してもアミノ酸タイプ別帰属に成功した。

 以上のアミノ酸タイプ別帰属に基づき、NOEならびに磁化移動に基づく連鎖帰属法を行い、ハプテン存在下および非存在下の主鎖シグナルの部位特異的帰属も確立した。

 第4章では、ペプチド主鎖に対する緩和時間測定と重水素交換実験の結果をもとに、Igフォールド(VH、VLドメイン)の水溶液中における動的立体構造を議論している。

 15N緩和時間(T1、T2)および1H-15N間のNOEの測定から、1H-15Nベクトルの空間的な制約性を示すオーダーパラメータを算出したところ、両ドメインに対し、ナノ秒からマイクロ秒の運動性は同じであることが判明した。さらにハプテンの有無も両ドメインの運動性に影響を与えないことを明らかにした。

 一方、ハプテン非存在下の主鎖アミド水素重水素交換実験より、VHドメインはVLドメインに比べてより柔軟性が乏しいことが判明した。アミノ酸のhydropathic indexに基づき両ドメインの疎水性解析を行ったところ、界面を形成するVL側領域は多くの親水性残残基から構成されているのに対し、VH側領域は疎水性アミノ酸が多く存在していることが示された。したがって、この親水性・疎水性アミノ酸の分布に違いが、両ドメインの柔軟性に関与していると考えた。次に、ハプテン存在下で同様な測定を行ったところ、両ドメインとも界面形成領域残基の交換速度定数が1〜2桁以上低下することが示された。ハプテン添加に伴い界面形成領域に化学シフト変化が誘起されることと考え合わせ、ハプテン結合によりVH-VLドメイン間の相互作用が変化し、その結果、両ドメインの会合状態が安定化されると考えた。

 以上、本研究は動物細胞を用いた蛋白質発現系における均一安定同位体標識法を確立し、高分子量蛋白質の主鎖NMRシグナル帰属の戦略を示し、さらにIgフォールドの動的立体構造を解析したものである。本研究で確立した手法および得られた知見は、動物細胞による蛋白質発現系を用いた構造生物学的研究やIgフォールドを用いたタンパク工学的研究の基礎に貢献し、博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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