学位論文要旨



No 114787
著者(漢字) 裴,京娥
著者(英字) Kyong Ah Bae
著者(カナ) ベー,キョンア
標題(和) 細胞内II型PAFアセチルハイドロラーゼの持つアセチルトランスフェラーゼ活性とその意義
標題(洋)
報告番号 114787
報告番号 甲14787
学位授与日 1999.10.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第897号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 序論

 PAFアセチルハイドロラーゼ(PAF-AH)は、リン脂質性メディエーターである血小板活性化因子(PAF)のグリセロ骨格2位のアセチル基を加水分解する酵素として同定された。高等動物において、本酵素は細胞外型(血漿型)と細胞内型に大別され、さらに細胞内型には構造のまったく異なるI型とII型の2種のアイソフォームが存在する(図1)。その中で、II型PAF-AHはN末端にミリスチン酸を結合した40kDaの単量体酵素で、細胞質と膜の両画分に存在している。これまでの研究から、本酵素はPAFのみならず酸化リン脂質も加水分解し、培養細胞に過剰発現させると酸化ストレスに副性を示すようになる事などから、本酵素が酸化ストレスに対する防御機構の一員である事が示唆されている。しかしながら、本酵素の生理的な役割が完全に解明されているとは言い難い。私は大学院博士課程において、本酵素がPAFのアセチル基を加水分解するのみではなく、他のリゾリン脂質へアセチル基を転移する活性がある事を見い出し、さらに、細胞内でその機能の意義に関しての解析を試みた。

図1.哺乳類のPAFアセチルハイドロラーゼ
方法と結果1.cDNA cloningとmonoclonal抗体作製

 実験動物及び様々な培養細胞を用いて本酵素の機能を解析するために、まず、rat及びmouseのII型PAF-AHのcDNA cloningを行った。すでに得られているヒトII型PAF-AHとの相同性を利用し、cDNAライブラリのscreening及びRT-PCR、5’Race法を用いて、rat II型PAF-AHのcDNAをcloningした。また、ESTに登録されたmouseのcloneからの情報を利用し、PCR法を用いてmouse II型PAF-AHのcDNAも得た。Rat及びmouseのII型PAF-AHはヒトII型PAF-AHとは約80%の相同性を示し、セリンエステラーゼのコンセンサス配列及びN末端のミリスチン酸結合モチーフなどII型PAF-AHの一次構造上の特徴がすべて保存されていた。また、ヒトII型PAF-AHの大腸菌recombinantタンパクを抗原として用い、様々なmonoclonal抗体を作製した。その中で、ヒトからmouseまで様々な動物種のII型PAF-AHに反応するmonoclonal抗体を単離する事ができた。

2.DTNB非感受性の変異タンパクの作製と解析

 タンパク精製の時からII型PAF-AHはその活性がDTNBに感受性を示していたので、種間保存されているcysteine残基をserineに変えた様々な変異タンパクを作製し、DTNBに対する感受性の原因のcysteine残基を調べた。その結果、ratタンパクの83番目のcysteine残基の変異タンパクがDTNBに対する感受性を示さなくなった事が分かりII型PAF-AHのDTNBに対する感受性はCys83に起因している事が明らかになった。

図2.Cys83はDTNBに感受性を示す原因Cys残基である
3.II型PAF-AHのアセチルトランスフェラーゼとしての機能解析

 米国のLeeらにより、rat腎臓の膜画分にPAFのアセチル基を他のリゾリン脂質に転移する活性がある事が最近報告された(図3)。私はII型PAF-AHがrat腎臓に高く発現する事を観察していたので、本酵素がPAFのアセチル基の転移活性を持つか調べた。

図3.アセチルトランスフェラーゼ活性

 LysoPEplasmalogenをacceptorとして用い、rat II型PAF-AHの大腸菌recombinantタンパクのアセチルトランスフェラーゼ活性を測定した。同時に細胞内PAF-AHのもう一つのアイソフォームであるI型の触媒サブユニット(1及び2)に対しても同様の実験を行った。その結果、II型PAF-AHだけがアセチルトランスフェラーゼとしての活性を有する事が明らかになった(図4)。さらに、Leeらが部分精製したアセチルトランスフェラーゼ標品はII型PAF-AHのmonoclonal抗体と反応した。これらの結果からアセチルトランスフェラーゼの本体が細胞内II型PAF-AHである事が明らかになった。

図4 II型PAF-AHだけがアセチルトランスフェラーゼとしての活性を有する
4.アセチルハイドロラーゼとアセチルトランスフェラーゼ活性の分離

 II型PAF-AHがアセチルハイドロラーゼとアセチルトランスフェラーゼの2つの活性を合わせ持つ事が分かったので、次に、様々な変異タンパクを作製し、2つの活性が分離できるかを調べた。その結果、2番目のGlyをAlaに変換したもの、120番目のCysをSerに置き換えたものは、アセチルトランスフェラーゼ活性だけがそれぞれ約50%低下した。さらに、両方を変えた変異タンパクではアセチルトランスフェラーゼ活性だけが約80%低下した。一方、アセチルハイドロラーゼの活性中心である236番目のSerをCysに変えた変異タンパクではアセチルトランスフェラーゼ活性も完全に失活した。以上の結果から、2つの酵素活性は活性中心は共通であるが、活性を示すのに必要な残基はある程度異なることが示唆された。特に、2番目のGlyをAlaに変換すると、ミリスチン酸が結合できなくなる事から、N末端のミリスチン酸がアセチルトランスフェラーゼ活性の発現に関与する事が示唆された(図5)。

図5.Mutationによるアセチルトランスフェラーゼ活性の変化
5.Intactな培養細胞を用いたアセチルトランスフェラーゼ活性の検討

 IntactなCHO細胞に放射標識したアセチル基を持つPAFを与えると、数時間以内に細胞内にPAF以外の新たな特定の脂質が標識される事が分かった。さらにII型PAF-AHを過剰発現させたIntactなCHO細胞に放射標識したアセチル基を持つPAFを与えると、数時間以内に細胞内にPAF以外の新たな特定の脂質が標識される事が分かった。さらにII型PAF-AHを過剰発現させたCHO細胞を用いると、その脂質の標識が大幅に増加された(図6)。これらの結果から、CHO細胞に取り込まれたPAFから細胞内のある脂質(acceptor)にアセチル基がdirectに転移される事、さらにこの反応がII型PAF-AHによって行われている事が示唆された。すなわち、intactな細胞においてもII型PAF-AHのアセチルトランスフェラーゼ活性が機能している事が分かった。

 さらに、培養CHO細胞を細胞密度を低く培養した時とconfluentになった状態においてはPAFからのアセチル基を受け取る脂質が異なることが分かった(図7)。興味深いことに、細胞密度の増加に伴いアセチル基のacceptor脂質が変化する事と平行してII型PAF-AHの膜画分での増加が観察された。このように細胞がconfluentになりcontant inhibitionがかかった状態において、II型PAF-AHが膜画分へ移行する現象は、他の細胞種、例えば、Hela細胞、RBL-2H3細胞などでも観察された。

図表図6.IntactなCHO細胞を用いたアセチルトランスフェラーゼ活性 / 図7.細胞密度による細胞内アセチルトランスフェラーゼのacceptorの変化と膜画分の増加
5.Rat腎臓内II型PAF-AHの分布

 ヒト、ウシ、rat及びmouseにおけるII型PAF-AHの組織分布を調べた結果、これらの種に共通して、skeletal muscleでは発現が非常に低く、反対に腎臓では発現が高かった。そこで、rat腎臓におけるII型PAF-AHの分布を、得られたmonoclonal抗体を用いて免疫染色で調べた。その結果、II型PAF-AHは腎臓の中でも特に遠位尿細管の上皮細胞に高く発現している事が分かった。さらに、抗GBM(glomerular basement membrane)血清を投与し、CGN(crescentic glomerulonephritis)を誘導した腎炎モデルratの腎臓では、遠位尿細管の空が大きくはる現象に伴い、II型PAF-AHの発現もより高くなり、その発現範囲も広くなっていた。

まとめと考察

 本研究から,細胞内II型PAF-AHはアセチルハイドロラーゼ活性だけではなく、アセチルトランスフェラーゼ活性をも合わせ持つ事が初めて明らかになった。興味深い事に、培養細胞にcontact inhibitionがかかると、II型PAF-AHが膜画分で増加する現象に伴い、アセチルトランスフェラーゼ活性のacceptor脂質が質的に変化している事が見い出された。これらの結果からII型PAF-AHがcontact inhibitionによる細胞内機能変化の一部分を担当している可能性が強く示唆された。アセチルトランスフェラーゼ活性のacceptor分子については、リン脂質である可能性は示唆されたものの、まだ、同定には至っておらず、これらacceptor分子を同定する事は今後II型PAF-AHの機能を解析する上で必須である。II型PAF-AHは、その活性がcysteine修飾試薬であるDTNBに感受性を示す事ことから活性発揮にcysteine残基の関連性が示唆されていたが、Cys83が原因残基である事が明らかになった。また、高等動物においてII型PAF-AHは腎臓に発現が高いが、rat腎臓の組織染色により腎臓の中でも遠位尿細管の上皮細胞にもっとも高く発現している事が分かった。腎臓をischemia状態にさせると、遠位尿細管がもっとも傷害を受けやすい部分である事が報告されており、II型PAF-AHの遠位尿細管上皮細胞での高発現は、II型PAF-AHが腎臓で酸化ストレスに対する防御作用に一役を果たしている可能性を示唆している。II型PAF-AHの持つ2つの活性、アセチルハイドロラーゼ活性とアセチルトランスフェラーゼ活性のどちらの活性が生理的に重要かは現在まだ不明であるが、本研究より2つの活性を分離した変異酵素が得られたので、今後の研究に有用なツールになると思われる。

審査要旨

 II型PAF-アセチルハイドロラーゼ(II-PAF-AH)はPAFや酸化脂肪酸含有リン脂質のsn-2位アシル基を選択的に加水分解する細胞内ホスホリパーゼA2の一種として当教室で発見、精製、クローニングされた酵素である。本研究はII-PAF-AHの生理的役割の解明を目指して、主としてラット、マウスの酵素を用いて酵素化学的、細胞生物学的に解析したものである。

ラット、マウス酵素のクローニングとモノクローナル抗体作製

 ラット、マウスのII-PAF-AHのcDNAクローニングをヒト酵素の情報を基に行った。ラット、マウスの酵素はヒト酵素と80%の相同性を示した。ヒト酵素を用いてモノクローナル抗体を多数作製し、スクリーニングの結果ヒトからマウスまで哺乳類酵素に広く反応し、免疫染色にも使える有効な抗体を得る事に成功した。

II-PAF-AHの分布

 ヒト、ラット、マウスにおける本酵素の組織分布を調べたところ、共通して腎臓での発現が強かった。ラット腎について免疫染色した結果、本酵素は遠位尿細管の上皮細胞に特に高く発現していることが判明した。

II-PAF-AHのアセチルトランスフェラーゼとしての機能

 ラット腎に存在すると報告されていたアセチルトランスフェラーゼ活性がII-PAF-AHによる事が、リコンビナント-ラット-II-PAF-AHがリゾリン脂質にPAFのアセチル基をトランスファーする活性を有すること、ラット腎より部分精製したアセチルトランスフェラーゼが抗-II-PAF-AH抗体と反応する事実から明らかとなった。

 様様の変異タンパク質を作製し、加水分解活性とトランスフェラーゼ活性を検討したところ、C120S/G2Aが加水分解活性はもとの酵素と変わらず、トランスファー活性だけが20%にまで減少していた。活性中心変異酵素であるS236Cでは両活性とも消失した。これらの事実は両活性の活性中心は共通であるが活性を示す上で必須の構造には明らかな違いがあることを示している。特にN末端のミリスチン酸残基がトランスフェラーゼ活性発現に関わることも分かった。CHO細胞に放射標識アセチル基を持つPAFを与えると数時間後に特定の構造未同定の脂質が標識された。さらに本酵素を過剰発現したCHO細胞では同じ脂質がより強く標識される事から、CHO細胞にはPAFのアセチル基をなんらかの脂質にトランスファーする能力があり、この活性がII-PAF-AHによっていることが判明した。CHO細胞の細胞密度に依存してアセチル基を受ける脂質が変わること、それと平行してII-PAF-AHの細胞質から膜への移行も観察された。

 本研究により、II型PAF-アセチルハイドロラーゼにはアセチル基をPAFから他の脂質へトランスファーする活性もあることが判明し、実際細胞内でトランスファー活性が機能しており、しかも細胞の密度など環境に応じて活性が変化する事、腎尿細管上皮細胞に発現が強い事実など、本酵素の機能解明に有効な情報が得られた。よって本研究は生化学、生物薬学の発展に寄与するところがあり博士(薬学)の学位に値すると判断された。

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